ターニャが次の作戦準備に追われている頃、ヘッケンもまた前倒しになった強襲上陸作戦の為に、連合王国行の特別船団に同期の兵士たちと乗り込んでいた。
「押すなよ!押すなよ!」
「そこ!静かにしろ!」
人でごった返す合州国南部の港では、ほぼ貸し切り状態の旅客船がずらりと並び、数個師団分を乗客として次々に呑み込んでいった。向かう人の列の中頃に、ヘッケン・ウルフはいた。最早戦場を前にしてモルガンJrの名は意味を持たない。だからヘッケンも自分のことをヘッケン・ウルフと名乗った。
立ったまま待つこと一時間。訓練を思えばへっちゃらだったが、それでも随分足が重く感じたのは緊張のせいもあるかもしれない。彼にとって、生まれて初めて訪ねる異国の地が戦争中だったのだから。
「おぉ、ヘッケン坊ちゃん!上等兵になられたとか、おめでとうございます!」
「貴方は?」
ヘッケンは案内された自分の席に座るや否や、見知らぬ壮年の男性に話しかけられた。男性の顔に見覚えがなかった為、失礼と承知で聞き返すと、男性は喜ばしそうに目を細めて言った。
「覚えてらっしゃらなくても仕方ありませんよ。私は幼い貴方に小切手を恵んでいただいたモンでさぁ。私以外にも、ほら、あちこちにおりますでしょう?お顔は覚えてなくても、みーんな坊ちゃんを知ってるんです。」
男の話は身に覚えがなかったから、相当に小さいころの話だった。だが、自分のことを、モルガン家のヘッケンを知っている誰かに会えたことが彼にはとても喜ばしく感じたのだ。
周囲から振られる手に振り返したり、会釈をしたりと忙しくしていると、ヘッケンは彼らの服装が自分のものと同じことに気付いた。
「ありがとう、とても暖かい気持ちにさせてもらったよ。ところで、君たちも義勇兵なのかい?」
ヘッケンが聴くと、男が答えた。
「はははははッ!他所の国のことなんざ、此処にいる奴らぁ気にもかけませんよ!」
不遜ともとれる言葉だったが、ヘッケンはちっとも気分を害した様子もなく、ただ純粋に「じゃぁどうして?」と尋ねた。
すると男はヘッケンに手を向けて言った。
「坊ちゃんの為でさぁ!俺たちゃ名の売れた結構な奴らでしてね、落ち目の時に救ってもらった恩を返そうとおもいやして。それに、おじい様やお父様から、死んでも家族の世話を見るってお手紙を頂いちゃったもんでしてね。俺なんか年食った御袋ばかりなもんでして、折角だから最後に国から勲章でも貰って人生の花道にしようかと…それで、馳せ参じた次第です。」
ヘッケンは驚いた。驚いて、それから何か申し訳なくて悪い気もしてきてしまった。だが、彼の気持ちを察してか、男たちは一際大きな歓声でヘッケンを励ました。
さっきの男が言った。
「ヘッケン坊ちゃん、俺たちゃアンタを無事に返せるように命を張る覚悟があるんだ。アンタが誰かのために命を張ろうって気概で軍隊に入ったのと同じようにな。だから、そこんとこ忘れんでつかぁーさいよ。」
男はそう言って鼻を啜った。
◇
連合王国の港町に着くころには、ヘッケンは男たちのことをすっかり大好きになっていた。
一番に話しかけてくれたのはカチンスキー。
色黒で大柄なのがクロップ。
眼鏡を掛けた優しそうなのがチャーデン。
特にこの三人と仲良くなったヘッケンは、三人を自分が率いる部隊に配属できないかと直属の上官に願い出た。
ヘッケンの願いは一度は却下されたものの、器用で世渡り上手なカチンスキーが「アッシにいっちょ任せてくぁーさい」と言うので、煙草1カートン(なんと1ドルもしない!!)を頼まれた通りカチンスキーに託すと、彼は翌日他の二人を連れて願い出た通りにヘッケンの元へやってきた。
ニコニコ顔の三人に囲まれて、これからの毎日は楽しくなるだろうとヘッケンは胸躍った。
食事のまずさに耐えれば、それ以外は本国からの潤沢な物資のお陰で退屈しなかった。しばらく連合王国での訓練が続き、訓練に次ぐ訓練に加えて、重たいゴムまりのような救命衣を着て泳いだり走ったり、はたまた死んだように動かずじっとしている訓練もするようになり、みんなへとへとになっていった。
それでもヘッケンからしてみればまだまだ余裕だったし、実技に関しては百発百中で連合王国の士官も驚いていたし、合州国の教官たちは鼻高々だった。四人で過ごすうちに、段々と互いのことが分かってきた。一番は何といってもカチンスキーで、彼が四人のなかで一番に年上だった。
鷲鼻で猫背気味のこの男は、しかし立派なギャングの親分をしていたらしい。裏社会で大いに羽振りがよかった話には痛快なものも多く、面白い話を聞きたかったら彼に頼めばいくらでもしてくれたのだ。世渡りが上手いのもその時の面目躍如であって、先日はところで、どうやって?と聞くと、彼は「物資の十分な本国の士官じゃなくて、物資の足りない碌に煙草も吸えない連合王国の士官に口添えを頼んだんでさぁ」と答えた。それで上手くいくのか?とは疑問だったが、向こうが少佐だったもので、少尉かそこらの士官から見れば神様のようなものらしい。たとえ国が違っても、軍隊の縦は厳格なのだとヘッケンは思った。
「(あぁ…でもそれだとターニャのこともターニャ大尉殿って呼ばなきゃいけないのかぁ…。)」
ターニャのことを思い、少し切なく感じていると、今度はクロップが彼を励ました。
この大男は気持ちの優しい愉快な奴で、不当に扱われる肉体労働が嫌で戦場に来た口だったが、その大力持ちを利用しては、「これが魔導だ」と称してフライパンを曲げたり、はたまた鉄の窓枠を曲げて曲げたのを戻して見せたりした。
その怪力は確かに魔導のようだと、ヘッケンは純粋に力の魔導だと信じ切ってしまったようで、よくクロップに「魔導を使っておくれよ」と開かない瓶の蓋を開けてくれるように頼んで彼を苦笑いさせていた。
この時はなんと鉄兜の出っ張りをパン生地のように薄く捏ねてしまって、それからまた元の通りに直してしまった。
中々見れたものじゃない、と見物人が多かったのが災いして、士官に「大事にしろ」と叱られてしまったが。
最後はチャーデンだ。彼はその見た目通りに教師だったらしく、銀縁眼鏡に優し気な口元の髭とあって、大学の教授にも見えた。彼自身は謙遜して至って普通の小学校教師だと言っていたが、皆信じちゃいなかった。
そんな信頼の厚いチャーデン教授は、ヘッケンにそれはそれは大事なものを教えた。
それは手紙の書き方だ。それもラブレターの!
何時ものように、ヘッケンが「ターニャに会いたいなぁ」と口遊んでいるのを耳聡く聞きつけた仲間の三人が提案して、代表としてチャーデン教授がヘッケンに手紙の書き方を伝授し、またどんな言葉遣いが相手を「メロメロ」にしてしまうのか…ヘッケンは「メロメロ」の意味をお菓子の宣伝文句の一節だとしか思っていない…も教え込んだのだ。
こうして完璧にターニャ専用の手紙の書き手となったヘッケンだったが、以後何故かぎこちのない文面が目立つターニャのお返しの手紙に、首を傾げるのだった。