専属メイド・ターニャ大佐   作:ヤン・デ・レェ

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これは我がライフルなり。 S

僕は海の中に半分だけ浸かっているような気分だった。半ばまで海に沈んだり浮かんだりしながら進む揚陸艇はグラグラ左右に揺れて気持ちが悪い。ただでさえ、彼方此方から酷い爆音も聞こえてきて、近くの艦艇なんかが火を噴いて耳も頭もおかしくなりそうなのに。体の中身がシェイクされて、僕の前とか後ろで嘔吐する人も沢山いた。僕たちは玩具の兵隊みたいに狭い鉄の箱にギュウギュウ詰めにされている。胸が悪くなるような、ムッとする匂いと粘っこい潮風の混じった嫌な臭いがする。体中がべたべたした。僕たちの足元にはガムとかチョコレートのちり紙が、何人分もの胃液と混ざり合って滅茶苦茶だった。でも、僕の眼は冴えていた。頭だってスッキリしていて、いっそ気分が好いくらいだった。ワクワクしていて、そのことで少し、僕は自分が怖かった。僕は教官から言われた言葉を思い出した。教官は僕にこう言った。「お前は軍人に向いてない」って。どうしてって聞いたら…あぁ、もうすぐ僕たちの番だ。この話は、後でにしよう。

 

 

 

 

その時、僕たちの体に衝撃が走った。大きな水しぶきが視界右前方で起きて、足がガクガク、歯がカチカチ合わさった。前の舟艇が機雷を擦ったのだと理解するには、それから間もなく僕たちの頭の上に人間の破片が降りかかってくるまで待たなければならなかった。細長い腸が細切れになったものが僕の鼻の上に乗り、誰かの左手が結婚指輪付きでカチンスキーの胸に当たった。チャーデンとクロップは胃の中身と血を目いっぱい被っていた。誰かの糞便の香りもした。綺麗に爆散した誰かの半生に想いを馳せる間もなく、僕たちの番がやってきた。僕は前から三番目、僕から見て右から数えても三番目。開く前から機関銃の弾が開閉式の扉に当たる音がした。嫌な音だ。キリキリと劈くような音が僕の頭の中で自動再生される前に、ここから早く出てしまわなければ。

 

 

 

 

ガコンッ!と音がして、それ以外に何も聞こえなくなった。鉄が軋んで開く音。鉄の扉が波を打ち付けるバシャバシャと言う音。僕たちは死ぬのが怖くなった入水自殺者みたいにザブザブ海を掻き分け浜辺に向かう。でも陸に上がれば上がるほど、銃声はますます大きくなる。血の臭いは濃くなる。血で砂浜も海の水も真っ赤だ。オレンジ色の波が逆巻いて、僕たちの内の誰か、もう動かなくなってしまった誰かを攫っていく。彼らは皆、きっと明日には魚の腹の中だろう。

 

機銃弾の風切り音から逃げ惑う。只管動く。立ち止まるな!立ち止まったら死ぬんだ!そう言い聞かせられて、本当にその通りだと思った。僕?僕は止まらない。カチンスキー、クロップ、チャーデンの盾になれるように先頭で突っ走った。僕にも当たるかもしれない。僕には当たらないかもしれない。そんなことは考えない。

 

前へ!進め!進め!進め!

 

考えるな!体の動くがままに!

 

引きちぎれた鉄条網が生い茂る園を超えて、キャンプファイヤーみたいに火柱の立った戦車の残骸を脇目に、負傷兵と共倒れになったメディックを憐れんで、僕たちは前に進んだ。

 

 

 

 

機銃の音が止んだ。今だッ!

 

その時、僕の耳に聞きなれない誰かの声が届いた。

 

「やったぜ!見ろよトーチカが火を噴いてやがる!空からの援護だ!これで安全に上陸できる!」

 

僕は気にせず走って、それから砂浜に乗り上げて暫く進んだところにある砲撃されてぽっかりと出来た穴に滑り込んだ。それからさっきの声の意味を理解した。確かに僕たちに撃ってきていたトーチカがピンポイントで燃えていた。僕は銃床を砂に食い込ませて、銃身のほうを肩に預けると空を見上げた。真っ黒い空。重油をパン生地に練り込んだような空に、見慣れた碧い目と焦がれたブロンドが輝いていた。僕は叫んだ。

 

「ターニャッーーーーーーーーーーーー!!!!!!」

 

ターニャは青い奔流を銃口からぶちまけて、また一つトーチカを潰してから僕の方を見てくれた。ターニャ、君が助けてくれたんだね。ありがとう。僕も頑張るよ。君に好いところを見せられるように。

 

僕はそんな気持ちで、少し仰々しくゆったりと手を振った。それから僕たちを救ってくれた勝利の女神に投げキッスを贈った。ターニャは僕のキッスを受け取ると、物凄い速さで隣の戦場まで飛んで行ってしまった。彼女の背中を見送っていると、ちょうどカチンスキー、クロップ、チャーデンが追い付いて来た。

 

 

 

 

カチンスキーが嬉しそうな僕に向かって言った。

 

「何か好いことでもあったんですかい?」

 

「あぁ、大切な人と再会したんだ。元気そうだったよ。」

 

「そりゃぁ何よりでさ!ところで、さっきのお嬢さんとはどんな関係で…?」

 

「なぁんだ、見てたのかい?彼女が僕の大事な人で、さっき僕らを助けてくれた勝利の女神、ターニャ大尉さ!」

 

「おったまげーだぜ!こりゃぁ~…!」

 

僕が胸を張ると、カチンスキーはあんぐり口を開けて驚いていた。クロップは「おったまげーだぜ!」なんて不思議な調子で驚いていて、チャーデンは眼鏡がずり落ちていた。

 

それから三人は口を揃えてこう言った。

 

「「「流石は我らが坊ちゃんだぜッ!!」」」

 

「それほどでもないよ~…。」

 

僕は照れて頬を掻いた。それから改めて心の中でターニャに僕たち四人が健在であることのお礼を言った。

 

「さぁ、そろそろ戦闘に参加しよう。見た感じだと手前の大トーチカで手間取ってるみたいだし…ねぇクロップ、早速だけどアレ、持ってきてくれた?」

 

「勿論だぁよ!はいよぉ~…コレ、ですね?」

 

僕が尋ねるとクロップは威勢よくそう答えた。そして肩に掛けてある大きな袋から道具一式を取り出して僕に恭しく差し出した。

 

「組み立てる間、時間を稼いでくれる?あっちに移動してから少しだけで好いんだ。」

 

「勿論でさぁ!よっし、クロップ!チャーデン!気張るぞお前ら!」

 

「あいあいサー!」

 

「承知しました。さ、坊ちゃんが先に行ってくださいな。私らは後ろから援護しますんで。」

 

「ありがとう!すぐに終わらせるよ!」

 

僕は三人の援護射撃を受けながら、足場の悪い砂浜を全力疾走した。足元や頭の上を何十倍も凶暴にした蝿の羽音みたいな音が何度も響いた。それでも僕は止まらずに走り切り、一際大きなトーチカの真下で死角になっている土手に背中から突っ伏した。

 

 

 

 

「お前は誰だ!ここから先には進めないぞ!機関銃手と狙撃手が俺たちを見張ってる!!」

 

「ヘッケン・ウルフ上等兵でありますッ!!これより、貴官の援護を担います!!!」

 

「援護だってぇッ!?」

 

僕は隣で電話越しに火力要請をする先遣部隊の部隊長にそう告げた。それからすぐに、チュンチュンと狙撃銃と機関銃の弾丸が砂やコンクリートや僕たちの鉄兜にぶつかって弾ける音が、豪雨みたいに響きだした。僕は出来るだけ小さく丸まったけど、かわりに、弾丸が隣の隊長の顎を吹っ飛ばした。血が噴き出して、隊長が電話を落っことしそうになり、慌てて僕は電話を借りた。骨の破片がほっぺに刺さってジンジンした。僕はさっきクロップから預かった道具一式を組み立てながら、受話器を取った。

 

「おい!おい!軍曹!無事か!」

 

「無事ではありません!」

 

「貴様何者だ!」

 

「ヘッケン・ウルフ上等兵であります!火力支援の要請を代行する任務に就きました!」

 

「上官はおらんのか!」

 

「おりません!」

 

「おぉ!なら構わんよ!今は一刻も早くそこを突破してくれ!こちら戦艦ロドニー艦長カニンガムだ!さ、早いところ座標を頼む!」

 

「ハッ!座標は…わかりました、H12~H13、I12~I13の二か所であります。機関銃陣地と狙撃手の排除のために、火力支援を要請します!」

 

「ロドニー了解!16インチ砲の餌食にしてやろう!報告ご苦労!」

 

「ヘッケン、オーバー!」

 

 

 

 

約一分後、猛烈な勢いで艦砲弾の雨が降り注いだ。狙撃手は今ので壊滅。機関銃手も僅かな間だが射線を切らざるを得ない状況だ。粉塵と硝煙、それから吹き上げられた大量の砂や破片で僕の顔は真っ黒になった。鉄兜もいくらか凹んだだろう。僕は粉塵が目隠しとして機能しているうちに、組み立ての仕上げとして弾頭を特殊鋼に交換した弾丸をチャンバーに差し込んでレバーを引いた。今さっき追いついたカチンスキーたちの声が聞こえた。

 

「坊ちゃん!粉塵が晴れますぜ!」

 

「大丈夫!撃たせないよ!」

 

僕は重たい銃身もヘッチャラだった。土手に乗せて固定し、銃床を肩に押し付けた。

 

「10時の方向!機関銃手がこっちを向いてますぜ!」

 

「…今だ。」

 

ガコンッ!と爆音が鳴り、僕のライフルから撃ち出された弾丸が赤い閃光を放って真っ直ぐ機銃手の胸に吸い込まれた。

 

ドパッ!と機銃手の体が弾けて、その手前にあった機銃ごと敵兵を破壊した。僕は「次弾装填ッ!」と叫んだ。クロップが腰に巻いた革のポシェットから二発目の14.5×114ミリ弾を僕に手渡した。僕はそのままレバーを戻し、白い煙とともに吐き出される空薬莢には目もくれず、二発目を押し込みレバーを引いた。

 

「次は何処だッ!」

 

「2時方向!さっきの艦砲で吹っ飛んだ奴の交替要員です!」

 

「了解!」

 

チャーデンの指示に従ってライフルを動かすと、こっちに向けて機銃を撃とうと格闘する若い兵士の姿が見えた。僕と同じくらいの年齢だ。可哀そうに、と僕は思った。

 

バキンッ!!!!

 

でも彼は敵だった。僕は僕のやるべきことに少しの躊躇もなかった。

 

「やりましたよぉ!坊ちゃんん!」

 

クロップが嬉しそうに叫んだ。

 

「流石は坊ちゃんですね。腕が違います。輸入品のデグチャレフ対戦車ライフルを狙撃銃として扱われるとは…感服いたしました。」

 

チャーデンも眼鏡をカチャリと支えつつ言った。

 

「さ、先を急ぎましょう!トーチカの機銃が潰れたんです、もう後は中の連中だけですよ!こりゃぁ、勲章もの!大手柄ですよ、坊ちゃん!」

 

カチンスキーが持ち前の計算高さで僕の栄誉が如何にすごいかを寿いだ。僕は三人に言葉を返しながら教官から言われた言葉を今度こそ思い出していた。

 

「うん!僕たちも部隊の後続が来たら突入しよう!」

 

「「「あいあい坊ちゃん!!」」」

 

教官は僕に言った。

 

「お前は軍人に向いてない。お前は軍人として、適性がありすぎるんだ。」と。

 

 

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