「あはははははッ!!最ッッ高ッの気分だッ!」
ターニャはヘッケンからの投げキッスを受け取ってからオカシくなっていた。幼女だし。大尉だし。特殊作戦部隊の隊長だし。士官学校次席卒業だし。幼女だし。すでに色々とオカシかった。だが、それでも最後の一線だけは越えていなかったはずなのだ。彼女は、それを今越えた。充血し、収縮したギンギンの眼。いつの間にか瞳の色が紫に変わっていた。どす黒い深淵を隠し持つ眼光に、しかし彼女の部下たちは心酔しているようだった。
ターニャの部隊はノルマンデル制空戦へと投入され、早くも一時間が経過していた。損失は驚異のゼロ。対して相手に与えた被害はトーチカ10、戦車12、重砲9、航空魔導師11である。特に、航空魔導師に関してはターニャが関与していない点が大きな意味を持った。なぜなら、ターニャの部隊では既に二名のエース級の魔導師が育っていたのだ。それぞれ俳優上がりの志願兵ドナルド・リーガンと海軍から転属したジョルジュ・ブッシュ。二人ともターニャの忠実な下僕として、「上陸部隊から気を逸らすために攪乱せよ」の命令通り、縦横無尽に暴れていた。
「大尉!そろそろ突入しましょう!ラインハルトの奴をとっちめるなら今です!」
「いいや、まだ早い!デグレチャフ大尉殿!トーチカの数も少なくなってきました!掃討部隊を編成して地上軍の援護に回し、敵の目を引き付けた上で突入すべきです!リーガンの軽挙妄動になど付き合ってられません!」
「なにをぉ~!?この臆病者め!」
「うるさい!戦術の話も分からん素人め!」
「貴様ぁッ!言ってはならんことを!」
高笑いしながらトーチカを潰していたターニャの元に、二人が戻ってきた。好戦的なリーガンと慎重なブッシュは好対照だったが、たびたび衝突した。二枚目で甘いマスクのリーガンと、温厚で冴えないブッシュでは、公私ともに相性が悪かった。彼らを仲裁し、右へ左へと上手く転がすのがターニャの仕事であった。
「貴官らの提案はどちらも尤もだ。しかし、我々の最終目標は敵第十二軍司令官ラインハルトの排除。その為に手段は選べん。よって、ブッシュは私の代わりに部隊の半数を率いて地上軍…特に中央軍の援護に回れ。トーチカに加えて迫撃砲陣地と戦車も排除し、完遂次第戻って来い。そしてリーガン、貴官は私と共に残り半数を率いて制空戦を貫徹。このまま押し切り、その勢いのまま敵司令官の指揮所を襲撃する。双方ついてこれる余力はあるか?」
「無論です!」
「デグレチャフ大尉殿から頂いた命令を完璧に熟して見せます!」
ターニャからの問いに二人は勢いよく答えた。
「よろしい!では各員に伝達が完了し次第散開。二部隊は同時に攻撃目標に向けて浸透を開始せよ!」
「了解ぃッ!」
「承知しました!」
こうして制空戦の第二幕が開けた。
ターニャ麾下のアパッチ大隊は勢いをそのままにノルマンデル制空域をほぼ掌握。散発的な敵航空魔導師との戦闘をこなしつつ、順調に、順調に…戦局を動かしていた。
◇
ターニャが戦列を整えるようにエース二人に指示を出していたのと同じ頃、帝国側の指揮所では混乱が充満していた。
「らっ、ラインハルト中将が戦死ッ!?どういうことだッ!!」
第十二軍司令部内で、ラインハルトの幕僚が声を荒げた。詰問を受けた伝令兵は身を小さくしながら、声を絞り出すように言った。
「そ、それが…前線を視察された際に、その、大口径小銃の狙撃を受けまして、それで戦死されました。」
「大口径小銃だとッ!?そんなものを上陸作戦で持ち込む馬鹿がどこにいる!」
「しかし、大砲のような音が聞こえましたが、中将閣下の周囲にいた小官らには被害もなく…大砲ではなく、それこそ対戦車用の携帯兵器だとしか形容できず…。」
「中将のご遺体は…?」
「爆散され、それで…。」
指揮所の中は沈黙に包まれた。左遷されたとはいえ、ラインハルトの名は内外に響き渡るビッグネームであり、幕僚以下司令部要員にとっては精神的支柱にも等しい存在だった。それが失われた今、どうやって抗戦すればいいのか…。ただでさえ敵は、新たな特殊部隊を投入して前線を押し上げており、虎の子の航空魔導師部隊も被害が拡大している。まして戦車など、鷹に突かれるウサギのようなものだった。
もはやここまでか…天に見放されたと彼らが感じていた時だった。
「急電!!!ロンメル中佐ご到着!!」
「諸君!!話は聴いた!ここからは私が戦術指揮を執る!!」
「おぉッ!貴方は…しかし、どうやってあの警戒網を潜り抜けて?」
「副官と二人でバイクで走り抜けてきたッ!そんなことより、報告ッ!」
司令部に現れたのは第十二軍麾下第六十六師団『プール・ル・メリット』師団長エルダー・ロンメル中佐だった。彼の指揮権は三位以下だったが、既にラインハルト亡き今、抗戦し得る忍耐と胆力を持つ司令官はこの人を措いていないことは、消沈した司令部内を見渡せば誰の目から見ても明白だった。ロンメルの指示の下、帝国の戦争機械たちは再びその鼓動を速めた。
「報告しますッ!現在、我が軍は敵兵約3万に上陸を許し、刻一刻とその規模は拡大しております!また、敵航空魔導師部隊との制空戦に我が方は敗退!温存の為ッ、漸次部隊を後方まで撤退させております!」
「被害報告ッ!」
「ハッ!我が方の被害は既に壊滅的であります!特にノルマンデル西に敵の根拠地が設営されつつあり、そこから続々と敵軍が上陸しております!我ら中央軍はトーチカを半数失い、戦車は三割の損失、重砲は四割の損失であります!地上軍の戦闘継続能力は間もなく消失する恐れが大であります!!」
「なるほど、よくわかった!敵上陸は必至!となれば…強いるのは撤退ではなく出血だ。戦略を転換ッ!先ほど、私が連合国軍に受けたのと同じように、私も奴らをハメてやるさ。となれば、引くぞ!」
「ひ、退く?ですか?」
「違うッ!引くんだ!釣りをするぞ!」
「釣りでありますか!?」
「そうだ、釣りだ。奴らはまだラインハルト中将が戦死なさったことを知らない。ならばそれを逆手に取ればいい。知らない以上、全ての戦術行動はラインハルト中将のものだと敵は思いこむ。それを念頭において、戦術を練る。私たちの頭上で蝿の如く飛び回る航空魔導師部隊は中央軍が余程可愛いと見える。私たちは中央軍を引き込んで、奴らの地上軍を撃滅すればいい。遅かれ早かれ敵の上陸は避けられない。なら、少なくとも敵の戦術行動を一つ麻痺させるための布石をここで打っておくんだ。ラインハルト中将の戦死に緘口令を敷け!航空魔導師部隊に、あくまでも交戦しつつの撤退を演じさせろ!残存兵力は航空魔導師の半数と共に後方で潜伏、敵地上部隊が深入りし、大トーチカの防衛線を超えた後、これを撃滅せよ!これは勝利の為の戦術的撤退の前に、我が方が敵軍に手向ける恐怖の置き土産である!」
ロンメルの指揮の下、帝国軍司令部は再びその指揮系統を回復。淡々と各部隊に撤退命令を発するとともに、如何にも自然な動向で航空魔導師部隊に対して撤退を援護する為の抗戦を下達した。
連合王国から鹵獲したゴーグルを制帽のつばに乗せた、帝国の傑物エルダー・ロンメルの魔の手が、連合国軍、ヘッケンとターニャに伸びていた。