こんなことがあってよいのだろうか…。
ターニャの自問は至極当然のものであった。
◇
八歳のお誕生日にプレゼントされたのは、新品の空軍将校制服一式。オマケとばかりに最新鋭の演算宝珠付きである。
ヘッケン坊ちゃまの熱烈なアピールの上で開催されたターニャのお誕生日を祝う立食パーティの席での出来事であった。包み紙を如何にも自然で子供じみた動作で開封した彼女を困惑させた張本人…人呼んで『大モルガン』こと、ヘッケンの祖父にして財閥の創始者が、好々爺然とした表情で言った。
「お誕生日おめでとう、ターニャ嬢、これからも孫を頼むよ。(貴様の正体はお見通しだぞ?)」
満面の笑みの幼女ターニャの目元がピクリと引き攣った。
「大旦那様、どうもありがとうございます!私の方こそ、是非今後とも坊ちゃまのお傍に!」
何か副音声が聞こえたような気がしたが、ターニャは敢えて心からの言葉を述べた。
ターニャの本心からの言葉に大モルガンは顎髭を扱き、感心したように笑った。
「ほう…素晴らしい。あの子のことを支えてやってくれ。ヘッケン坊やはアレで結構、真面目なんだ。(くっくっく…コネで大陸派遣軍にねじ込んだ甲斐があったわ。)」
またもや副音声が…って今なんて言った?
今度は流石に聞き流せない内容を含んでいた。
「今聞かなきゃ後悔するッ!」
内心で刮目しながら、ターニャは恐縮しつつも大モルガンに尋ねた。
「……は?今なんと?」
おっとついつい乱暴な聞き方になってしまった。
無礼なのは確かだったが、それでも大モルガンもターニャも気にした素振りは見せずに話は展開していく。
「うむ、孫を頼むと言ったのだ。」
そんなことは理解している。聞きたいのは私の進路についてだッ!
ターニャは心の中で吼えた。そして、幼い笑みにも理知に富んだ瞳を宿しながら直截斬り込んだ。
「いいえ、聞こえましたよ。そのあとです、そのあと…恐縮ですが、大陸派遣軍にねじ込んだとは一体…。」
ターニャの言葉に大モルガンは「ほっほっほ」とどこぞの聖夜の不法侵入者のように笑った。
「……だから言っただろう?あの子はあれで結構真面目なんだ。」
「えぇ、存じております。ですから先日も、自分も大陸で帝国と戦うとか仰っておりました…ガッ!?」
慕っている男の趣味趣向や性格をターニャが知らないハズはなく。直近の行動履歴は当然頭の中に入っており、毎日の自慰の回数に至るまで統計を取ってある。どれもこれも将来のためだ。
しかし、この時ばかりはターニャも見落としていた。単純なヘッケンならば迷わず志願してその日のうちに令状を掴み取ってきてもおかしくないことを。
「…わかるか?これは儂も不本意だ。だが、此処で徴兵検査に受かってしまった事実を隠し、剰え志願を蹴ってみろ…マスコミにバレたら家業に支障が出る。これは外ならぬヘッケンも理解していることだ。」
ヘッケンは馬鹿だが愚かではない。その馬鹿だって愛すべき利点になりうる。しかし、こういう時の頑固なところはいただけなかった。無論、今も戦火の中で苦しんでいる人のために戦いたいという信念は敬服に値する。そのために行動を前々から重ねていたことだって、ターニャからすれば惚れ直したと思ったものだ。だが、彼を大事に思う家族からするととんでもない話である。
「いいえ!坊ちゃまさえ折れれば、彼が自分で断れば問題ありません!」
「坊やを曲げられるもんか!母親が言っても聞かないんだぞ?それに、あの子の頑固さは儂譲りだ!だから、第一次で稼いだ儂に憧れて戦場に出ると言い出したのだ!」
ターニャの真面目な訴えは少し斜め上からの返答により遮られた。
おっとぉ~?話が変わってきたぞ?
「いや、そこは存じ上げないというか…。」
ターニャは困惑している!
「そうに決まってる!あぁ、可哀そうなヘッケン!儂の孫が戦場に行ってしまう!お前はそのままで十分頑張っているというのに!」
朗々と語り始めた大モルガンに、ターニャはただただ困っていた。
「あの…大変申し上げにくいのですが、家業に関わらぬようにと遠ざけたのは大旦那様の指示だったのでは?…と私は旦那様から伺っておりますが…。」
「あの婿ッ!許せん、儂の本意を知らせずにそのことをヘッケンに垂れ込むとは!次の親族会議でねちっこく粗を指摘してやろう。」
許せヘッケン父。
ターニャは心の内で懺悔した。それも一瞬のこと、すぐに切り替えて重大事に関してもっと詳細について知りたかった。知らねばならなかった。
「あの…それで、如何なさるので?私としましては坊ちゃまには是非とも安全な場所でぬくぬくと…それはもう、ぬくぬくと暮らしていただければこの上なく安心できるのですが。」
思わずこぼれた本心は坊ちゃまのためでもあり、自分の願望でもあったりする。そこは否定できないが、寧ろ誰しもが望むことである。流石に大モルガンも否定するつもりはさらさら無いようだった。
「ふぅむ…それは儂も同じよ。しかし、さっきも言ったがヘッケンは一度決めたら動かん。無理に否定することも…そんなことすれば口を利いてもらえなくなる。それだけは絶対に避けねばならん。」
「それでは…。」
口を利いてもらえなくなるくらい我慢しろ、とは言えないし言わない。だって自分も死んでしまいそうな心地になると理解できるから。あの玉のような御子は人を狂わせるのが上手だ。ここにも被害者が一人、幼くして運命を決められてしまった。
もはや議論の余地なく、彼は戦場に向かうことになるだろう。だが、戦場に行くにしてもできることはあるのだ。此処からはソレについての議論だった。
「うむ…ヘッケンには、あの子の要望通りに大陸派遣軍に一兵卒として参加してもらうことになった。だが、無論首輪は付けさせて貰う。そのことは坊やも承知の上じゃ。戦地に向かい、帝国と戦うことがあの子の第一の希望だからな。儂もあの子の意志を尊重したい。」
「しかし…情報士官や後方勤務でもない限り、前線投入は必至との予測が立てられますが…。」
ついつい官僚のような言葉遣いが出てしまうターニャに、大モルガンは眉を顰めるでもなく、にんまりと弧月を口元に浮かべた。
「そこで白羽の矢が立ったのがお前さんだ。」
ドキリ…。案の定とはこのことか。
だが離れ離れになるよりも、坊ちゃま一人が死ぬよりもうんとマシだと考える自分がいることに、ターニャも薄々気が付いていた。納得してもいた。
だから彼女は不満ではなく、自分が成すべきことに関する要件を抽出するために言葉を重ねる。
「…具体的なことを、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
ターニャの表情は完全に幼さを捨てていた。熟練すら感じさせる表情に大モルガンは満足げに笑った。
「ハハハッ!結構結構、腹を括ったようだな。好い顔をしている。」
「…空軍士官として密着して監視兼航空支援を行えと…そのような理解でよろしいでしょうか?」
もはや遠慮などなかった。だがそれも当然、そこまで一途に想えなければ大モルガンもターニャに便宜を図ったりしなかっただろう。
「あぁ、どうせなら戦局を動かしても構わんぞ…魔導士としての己の適性を測ったのは、こういう機会を見越してのことではないのか?」
「…ご存じでしたか。」
ターニャは休日を潰してまで自分の適性について模索し続けていた。ただ可愛い幼女のままでは、きっとすぐに誰かに取って代わられてしまう。そうに違いない。
そんな脅迫感に苛まれながらも、それをバネにターニャは自分を磨いてきた。キュートで包容力があって萌え萌えで尚且つ如何なる外敵からもご主人様を守れる守護者系メイドに需要はあるはずだ、というのがターニャが導き出した今世における一端の結論であった。
「合州国大統領の糞の色まで筒抜けよ。…さて、それでは正式に軍から辞令が届くまでに、こっちを頭に入れておくように。」
「これは…?」
差し出されたのは大きく分厚い黒革のビジネスバッグだ。鍵までついている重厚なもの。とても幼女に持たせるものではなかったが、そんなことは互いに承知の上だ。寧ろ予想を遥かに上回る機密に触れられるとあって、ターニャは興奮してさえいた。
ターニャの興奮を知ってか知らずか、大モルガンは敢えて自慢げにブツの出所について語った。
「昨日、空軍大将の知り合いとポーカーをする機会があったんだ。そいつには数万ドル貸したこともあってな、その催促をしたら誤魔化しおったからポーカーの景品と担保を兼ねてふんだくってきた代物だ。」
「空軍作戦行動計画要綱…緒戦の航空出動のスケジュールでしょうか?」
読んで字の如くとはこのことだった。面白くもなんともない資料の束を、しかしターニャは速読のようにその場で読み込んでいく。
内容の中心的部分を言い当てたターニャに大モルガンはしかし納得した様子の一方で、驚嘆は見せなかった。
「ご名答。攻撃範囲と編成、それから活動期間も明記されておる。変更や追加情報は逐次我が社の連絡員から現地で受け取れるように手配しておく。ターニャ嬢は…いいや、もう子供扱いはしないぞ。ターニャ・デグレチャフ君、君は合州国空軍大尉としてキャリアを開始し半年で佐官に登りつめたまえ。そのうえで儂の孫を生きて戦場から連れ帰ること。これが絶対条件になる…結婚の話はそれからだ。」
「…ッ!?契約書の控えはいただけますか?」
唐突な爆弾投下にさしものターニャも目の色を変えた。縋りつく勢いで契約書を催促する幼女。欲しいものを強請る素振りが一番幼女らしいのに、肝心のその欲しいものが結婚の確約だというのだから…大モルガンは苦笑を禁じ得ない様子だった。
「はッはッはッ!!勿論だとも!そこまで言えれば上出来だ…ヘッケン坊やは儂の…いいや、モルガン家の良心にして宝だ。くれぐれもよろしくお願い申し上げる。」
言いたいことは言った。言うべきことも言い終えた。仕事人の顔から今度こそ好々爺になった大モルガンはターニャの頼りない双肩にその分厚く固い手を載せて、静かに頭を下げた。
「掛けて頂いた御恩に報いるべく、全身全霊を賭して励むことを誓います。…お声がけいただかずとも、ヘッケン坊ちゃまが行かれるのでしたら船底に貨物として隠れてでもついていく所存でした。」
ターニャもターニャで、モルガン一族には恩がある。不義理な人間にはなりたくないし、この際まとめて恩返しをしてしまおうという気持ちになっていた。彼女なりの誠意のこもった言葉は歴戦の商人である大モルガンにしかと届いていた。
「これは…随分惚れられたものだな。あの子も罪な男だ。余計なお世話だったかな?」
「滅相もない。これで坊ちゃまの生存率が格段に上がったことは疑いありません。」
通じ合った共犯者の二人が目くばせで通じ合い、しんみりした気分に浸っている所に、渦中の人がやってきた。珍しくタキシードなど着こんだ孫の姿に大モルガンとターニャは揃って相好を崩した。
◇
「では…おぉ~ヘッケン、好い所に!さ、主賓のお出ましだ。年寄りはお暇するよ。此処からは若い者で楽しみなさい。じゃぁの。」
「いつの間にじいじと仲良しになったんだい?おっと、まずはお誕生日おめでとう!だね、ターニャ。」
自室に去り行く祖父に手を振りながらヘッケンがターニャに尋ねると、彼女は脇に黒革のビジネスバッグを置き、胸に空軍将校制服を抱きながら眩しい笑顔で言った。
「大旦那様と約束したのです。坊ちゃまのお世話はこれからもずっと私が独占できるようにと。」
「独占!?ずいぶん強い言葉を選んだねぇ~。流石はターニャだ!」
「坊ちゃま専属メイドですもの。これくらいできて当然です!」
えっへんとない胸を張るターニャと、そんな彼女を温かい目で見守るヘッケン。二人の主従は何処となくズレながらも温かい時間を過ごしたのだった。