作戦行動初日 西海岸線上空
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この世界での戦史上、大型輸送機を利用しての大規模派兵作戦は、偵察のための大隊に限定されていたとしても初めての試みとなった。
合州国が誇る、世界的にも新しい旅客機から改装された空軍輸送機内部では、降下準備が着々と進んでいた。降下、のち上昇。この最初のステップこそが真の意味での開戦の狼煙であることを、その場で時間を待つ魔導士の誰もが理解していた。
気密性が高く、まだ空調が未熟な航空機内では煙草を吸うことはできず、また傍受を危惧して私語も慎まねばならない環境下では、兵士たちは沈黙せざるを得ない。沈黙は緊張の中で一人、戦争の熱狂と興奮からすら隔離されるようなものであり、精神の健康に適切ではない。
故に、機内での兵士たちは彼らの先祖がそうであったように、巧みに戦場での道理に沿った娯楽を探し出し、創作しては工夫に工夫を重ねて互いを慰め合っていた。ここでもまた、ハンドサインによる仲間内だけで伝わる士官厳禁の下品な会話や、目くばせでの物々交換…このような場合は大抵ブロマイドやコンパクトな艶本…をして静寂から逃げ回る時間を潰していた。
静かな、しかしそこかしこから殺した笑いが聞こえてくる機内。そのような環境下で、我らがターニャ大尉は冷静だった。一人、どこまでも冷めた目で作戦資料の内容を思い出し、淡々と分析を行っていた。
ターニャの頭の中に描き出されたのは帝国、連合王国、フランソワ共和国、レガトニア協商連合、ダキア、イルドア、そしてルーシー連邦を含む巨大な戦略地図であった。現在の各国版図は帝国が連邦と連合王国を除く欧州の大半部分に占領地を拡大している状況であり、各国の状況は絶望的であり、また帝国の進行速度は異常であるとさえ言えよう。形勢不利というよりも、なぜ合州国はここまで何もしてこなかったのか、と言いたくなる気持ちもわかるだろう…それも前例でもない限りは、だが。
前世を現代日本のインテリサラリーマンとして生きたターニャにとって、その戦況は、地形や地名に至るまで余りにも、この世界にはない前例との符合点が多すぎた。
故に、彼女は考えずにはいられなかった。
「(ふむ…勝ったな。)」
順当に合州国が戦えば、遠からず勝利することは火を見るよりも明らかなことだと、ターニャは考えた。
というのも、彼女に言わせれば今の状況は緒戦の第三帝国による電撃的な戦術に等しく、それはまた戦争が見せた一時の魔法のようなものであって、多方面戦線の展開及び、その無思慮な拡大が、最終的にその国のありとあらゆる資源を食いつぶしたうえで敗北せざるを得ない状況に陥ることは、どこの世界の歴史からも学べることだからである。
戦争の成り行きとも言うべきものを見据えたターニャはしかし、懐疑を忘れることなく…というよりかは、純粋に前線で戦う自身の身と坊ちゃまの身を案じて、早くも今後直面するであろう過酷な戦闘をシミュレートし始めた。
手始めに初戦を完遂しなければならない。なぜなら、坊ちゃまの身の安全に直結する本国軍上陸部隊の敵前強襲の為の上陸地点、それも敵は味方を排除しにくく、味方が敵を排除しやすい地点を上空から見つけ出さねばならなかったからだ。ともあれ、地点を選定するのはターニャの仕事ではない。彼女たちの仕事はカバンが満杯になるまで航空写真を撮りまくること、そしてその写真を本国総司令部まで無事に持ち帰ることである。
「(いずれ必ず帝国は限界点を迎える。人類の叡智の炎はまだ開発どころか、理論さえ組まれていない今、少しでも私と坊ちゃまの身に迫るリスクを削減する方法を模索するのが先決だ。…あぁ、坊ちゃま、せめて貴方が私の部隊にいらっしゃればどうとでもできるのに…い、いやいやいや…私は何を言っているんだ。戦場で士官が贔屓しては部隊全体の生存率に関わることになる…坊ちゃまが死ぬところなど、想像しただけで脳が焼き切れそうだ!と、ともかく…そう、上官と部下の関係になれば、なれれば…。)」
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ターニャの脳内
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戦場でのことだった。落下傘降下を失敗したヘッケンを探しにターニャは単身、パリースィイ郊外の森へと向かった。かの都市は未だ帝国軍の牙城として機能しており、秘密任務のためのターニャの部隊の派遣だった。
本来であれば作戦の為の尊い犠牲として捨て置かれるヘッケンだったが、ターニャは彼を見捨てることなどできなかった。その場で部下に作戦の完遂を命じると自身は単身、敵部隊が跳梁する森へ突入したのだ。
ガリアの森の中での遭遇戦を古代帝国のようにいくつも経験しながら、弾薬が尽き、食料が尽きてもなお彼女は進み続けた。そして捜索開始から三日後、二人は奇跡的に再会を果たす。
「ターニャ!逢いたかった!あぁ、でも君は悪い子だ、僕のことなんて放っておいてくれればよかったのに!」
足に添え木をし、銃を抱いて木に隠れるように寄りかかっていたヘッケンが言った。彼の言葉を聞くと、主人が生きているという事実に涙を我慢できなくなったターニャは泣きながら彼の胸に飛び込んだ。
「坊ちゃま!ヘッケン坊ちゃま!逢いたかった!あぁ、よかった。生きててくれて…。」
二人が感動の再会を果たしたころ、森は既に帝国軍によって完全に包囲されていた。森からの脱出を試みるも二人は失敗、ヘッケンはターニャを庇い重傷を負ってしまう。魔導士として死力を尽くして抵抗するも、二人は最早身動きが取れない状況だった。古びた防空壕を最期の場所に決めた二人の表情は暗かった。ターニャは逃げ込むなりヘッケンを安静に横たえ、自分は何かないかと中を物色した。
「坊ちゃま…力及ばず、申し訳ありません。このような、このようなものしか用意できませんでした。」
出血多量で蒼白のヘッケンの為にターニャが見つけられたのは、いつの物ともわからないが、比較的新しい円いチョコレートの缶だった。カラカラと振れば音がして、蓋を開けるとまだ一切れだけそこにはチョコレートがあった。
「ターニャ…君には本当に迷惑ばかりかけてきたね…。僕は君に何も返してあげられていない…このまま、死んでいくなんて、申し訳ない…なにか、せめて僕にできることはないだろうか?」
ヘッケンは震える手でチョコの缶を受け取ると、蓋を開けてターニャに差し出した。
「坊ちゃま、坊ちゃまがお食べになってください。私は士官でしたから、散々食べてきました。それに、貴方からもたくさんたくさんいただいてきたではありませんか。」
ターニャが首を振ると、ヘッケンは「そうか」とだけ言って、それからチョコの欠片をそっと口に運んだ。
「…んッ!?」
それでいい…。ターニャがそう思っていると、彼女の唇に生温かい感触と、甘くもほろ苦いチョコレートの味がした。味蕾をよぎるその感覚の正体を理解する前に、彼女の目の前でヘッケンは崩れ落ち、もう二度と動かなかった。
冷たくなった彼の手を握ると、どうしようもない無力感がこみ上げてくる。唇に手を遣ると、そこにはもう甘さなど残っていない。ヘッケンの血と泥の後味だけが残っていた。
だが、どうしようもなく熱を帯びた唇に触れるたびに、彼女はあの甘美な記憶に縋らずにはいられないのである。
ヘッケンの死後、彼の骸を背負って敵地を脱出したターニャは戦争の英雄となった。そして戦争が終わった今も、今は亡き最愛の人に操を立てて一人静かに暮らしているのだった……。
完
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ターニャの脳内 終わり
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「(あぁ!おいたわしや、ヘッケン坊ちゃま…って、私はいったい何を!?)」
ターニャがヘッケンとの甘いメロドラマに現を抜かしていると、正面の席に向かい合うようにしていた副官が驚いた様子で筆談用の紙を差し出してきた。
「(デグレチャフ大尉!?その鼻血はどうされた!)」
「(……高度に不慣れなもので…。)」
「(魔導士として抜群の成績を収めた貴女がですか!?)」
「(何事にも例外はあるものですよ。)」
数言やりとりをして、無理やり納得させた感は否めなかったが、それ以上の弁解は時間が許さなかった。
底の丸いコップを逆さまにして網を被せたようにも見える赤いランプが音もなく点灯したのだ。降下準備の合図だった。
先発はターニャが、それから順次各員が降下、超低高度に到達してから闇夜に紛れて海岸線を一気に盗撮する作戦だ。各分隊の持ち分は直径3キロメートル。複雑な地形を読み解く間もなく、高精度カメラで俯瞰地点より流れるように撮影班が連写していくのだ。ターニャや彼女の直属として配された士官たち、戦闘員の仕事は周囲への警戒と、いざという時に撮影班を無事にホットゾーンから離脱させることだ。
ターニャが自身の体に固定された非常用落下傘の確認作業を終えると、すぐさま機体横のハッチが開口した。
「マルマルヒトフタ、ターニャ・デグレチャフ降下。」
消え入りそうな声で呟いたターニャは、支給されたM1カービン自動小銃をきつく握りしめ、輸送機から飛び出した。
浮遊感に弄ばれるのも一瞬。彼女は落差10メートル以内でハヤブサのように最低限度の動作で上昇、すぐさま急降下すると、フッと燐光を消して自らの自重と残った重力加速度だけを利用して、今度こそ作戦領域に指定されている超低高度に向けて真っ逆さまに滑空していった。その速度の凄まじさは、輸送機の先端に設けられたレーダーが一瞬取り逃がすほどであったという。黎明期とはいえ、レーダーの網を潜るほどの不規則かつ常識外れな人外滑空がターニャの最初の戦闘記録に数えられたというのは、後に敵味方問わず広まるジョークである。
教練で習った例のない光景に、他の士官はあんぐりと口を開けて驚き、自身の降下時間を10秒も超過してから飛び降りることとなった。
ターニャの凄まじいダイブを真後ろで見ていた兵士が零した。
「すげぇ…」と。