ここで一度、欧州各国の情勢について説明しておこう。
まず主要参戦国はライヒと呼ばれる帝国、協商連合、連合王国、共和国であり、このほかに中立、或いは虎視眈々と参戦の機会を狙う国がいくつか存在するが、主戦場並びに各陣営主力はこれら四か国である。
ノルデン侵攻から始まった戦争が半年を過ぎる頃、その泥沼化を恐れたことで連合王国が合州国に志願兵を中心に構成された義勇軍の派遣要請を通達、一年半目に突入する直前に合州国がこれを呑んだ。これにより、帝国対それ以外の欧州各国という陣営がほぼ完成した。
一方、好いニュースだけではない。義勇軍派遣の決め手となったのが、帝国軍によるパリースィイの占領と統治の情報である。情報統制の隙間をすり抜けて、海を挟んで三日遅れで電報が届くと、その急報に大統領は重い腰を上げた。
帝国軍は開戦当初、北方の協商連合軍との泥沼の戦争により百個師団近くを協商連合国境線との各要所に張り付けざるを得なかったが、春の到来と共に双方の足並みが崩れたため、一旦戦略的撤退、立て直しを図りこれに成功した。対して協商連合側は立て直しに失敗。オースフィヨルド以南に迫る勢いで押し込まれていた。
北方での戦局打開に成功した帝国軍はこの隙にルーシ連邦に協商連合分割案を通達し、連邦はこれを快諾したものの軍は出さなかった。それでも、後顧の憂いを絶つことに成功した帝国軍は先々から北方に張り付けていた熟練兵を核として再編成した軍をそれぞれ南下させ、これに航空魔導師と最新鋭の各種兵器…機関銃・戦車など…を投入した電撃的な戦術で共和国を圧倒した。
共和国はあっけなくパリースィイまでを失陥。しかし、逆を言えば帝国はそこからは一歩たりとも押し込めず、総指揮を執るピエール・ミシェル=ド・ルーゴ少将が敷いた堅固な防衛陣に攻めあぐねている現状だった。
連合王国はパリースィイ失陥と共に派遣軍の大部分を共和国残存兵力と共に現地で継戦させる傍ら、来る合州国との共闘に向けて第二次派遣軍の編成作業に精を出している。
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そもそも世界大戦の発端となった事象はレガドニア協商連合によるノルデン侵攻である。これを発端に欧州各国は、伝統的な均衡思想に基づき、旧秩序回復の為、或いは将来的な脅威漸減また撃滅の為に戦争に参加した訳だが、その参加の段階で明らかな違和感が発生していた。
というのも、戦争が『正史』において勃発したのは1923年6月ごろであったが、この世界…即ち、ヘッケン・ウルフ・モルガンJrというイレギュラーが神の管理不行き届きにより爆誕した世界では、なんとノルデン侵攻が開始されたのは1921年1月末である。二年も早い開戦となった。
極寒の中で協商側から開始された戦争は、講和を考える間もなく泥沼に突入した。余りにも早い開戦が齎した異変現象は多いためここでは一部のみを抜粋するが、少なくとも当時の協商政府が戦火を選んだきっかけは国内での経済不順、これに伴う政権批判の苛烈化にあった。
政権が傾くほどの不祥事の切欠が何処にあったかと言えば、北方極地の合州国との共同経営案の頓座にあると考えられる。これは無論、異界の『正史』には無かった展開であり、間接的にも合州国との関係強化による自国の安全を図った協商側の思惑と、合州国が合法的手段による大陸への影響力拡大を、延いては連合王国が外交上の仲介マージンで一儲けを企んだ末に起こった外交上の特異点と言える。
これに際し実務を担ったのがヘッケンの生家モルガン一族だった。
1920年代には上院議員の椅子も獲得し、既に一強となっていた独占資本モルガンが事業を牽引することが大統領の口から出たことで、この政策は完璧なものとなり、また協商連合の未来は安泰かと思われた。
が…、その協商連合側の資材横流し、建設費用の嵩増し受注、人件費の徹底的な削減指示等によって、モルガン財閥は大いに腹を立てて撤退。この際、協商連合側が損害賠償やら訴訟問題でタコ殴りにされている他所で、モルガン財閥は代わりに帝国の資本を購入、これにより帝国が潤ったのは言うまでも無かった。
財閥の撤退により、協商連合では財閥系列の銀行、企業が懲罰的撤退を行ったために事業の衰退と失業者が爆発的に増加した。結果、当然の如く現政権は批判にさらされた訳である。政権が悪いというよりも、天下り的に私腹を肥やした役人や協商側のプロジェクト責任者が悪いのだが、元を辿れば同じである。民衆の怒りを納める為に、結局彼らは愛国心を煽り、また共通の大敵を用意することでこの政治的難所を乗り越えようと試みた。
だが、その冒険は未曽有の規模の大戦争へとつながる片道切符であり、またそこには快勝も決戦も望めない、先の見えない戦争が待っていたのだ。
ノルデン侵攻の背景で、間接的にもヘッケンが作用していた事実を、また彼が戦場に向かう宿命を背負わされた意味を、その黒幕をターニャが知るのはまだまだ先のことである。
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