工業区。
その対応に追われている【ガネーシャ・ファミリア】、ならびにその団長であるシャクティ・ヴァルマは未だに姿を見せない【アストレア・ファミリア】の報告を受けていた。
「何っ!? ルシアが捕らわれただと……!?」
「お姉ちゃん!」
衝撃的な情報が入り、シャクティが狼狽える。そこに彼女の妹であるアーディが駆け寄ってくる。話が聞こえてきたのだろう。
「ルシアって
「ア、アーディ。しかし、現場の指揮が……」
「そんなの私とイルタがどうにかするから! そのお友達を助けられるのはお姉ちゃんだけなんだよ? ここは代わりがいても、その
「……っ!」
アーディの言葉にシャクティが揺れる。確かに、ルシアが特異なことを知っているのは自分だけ。何もかも知った上で彼女の味方なのは自分だけ。
だが、してあげられることは殆どなかった。それに、彼女にとってシャクティも大して特別ではないだろう。……彼女は、私の助けを待っているだろうか?
さらに、今の状況ではシャクティが行っても間に合わない可能性がある。あの
あの
そして、だからこそ自身の展望を状況によっては捨てて、他者を優先して自己を犠牲にするかもしれない。
「【アストレア・ファミリア】も一名を除いてこちらに合流するそうです!」
「何? 奴らが来るだと?」
「……何か考えがあるんだね。よし、それなら人手だって充分だよ。お姉ちゃん、尚更行きなよ!」
アーディがいいように解釈して後押ししてくるが、シャクティは悩む。
【アストレア・ファミリア】も何を考えているのか。【
「……私は」
友達。
アーディが口にした言葉が引っかかる。ルシアにとって、友達とは特別な存在だ。彼女の夢だ。
そんなものに名乗り出る勇気はない。それにそれでは彼女は救えない。いや、これも建前だ。ルシアが大切だからこそ、慎重に行動してしまうんだ。
あの
彼女の言葉は、現実との相違で苦しいものではあったが、それでも温かくて嬉しいものだった。
どんなに尽くしても救えないものがある。どんなに尽くしても感謝されるばかりではない。どんなに強く心を保っていても暗黒期は心身を削ってくる。
そんな中で、ルシアは言葉をくれた。
シャクティは、ルシアが好きだった。
アストレアが言っていた通り、あの
彼女の本質は無邪気で天然で、思い遣りがある温かい人間だ。そんなルシアをシャクティは気に入っている。
でも、憲兵の代表には大きな責任が伴う。
ウラノスに頼まれたガネーシャ。そのガネーシャに頼まれたシャクティ。わかっている。わかっているんだ。
しかし、ガネーシャ。お前もそうだろう。『
だが、それ以前に。憲兵なんだ。その主なんだ。
個人的な感情と安易な判断で動いていい
故に、今も動けずにいる。背中を押されても現場を離れられない。責任と勇気の無さが足枷になっている。
「……お姉ちゃん」
アーディは事情を知らない。でも、シャクティの背景ならわかる。
全部はわからなくても察することはある。察せられる一面はある。
それでも、いやだからこそ、アーディは真剣な表情で姉に語りかけた。
「お姉ちゃん。行きなよ。……たまにはさ。愚かでもいいじゃん! 何もかも忘れて自分の感情優先しちゃいなよっ! 大丈夫、私達が無かったことにするからさ」
「……っ! アーディ……」
シャクティが目を見開く。
妹は、いつの間にそんなことが言えるくらい成長したんだろう。知らない間に自分にはできない決断ができる子に育っている。
そして、何度脚がすくんでも背中を何度でも押してくれる。それが幸をそうしたのか、シャクティの心も揺れ動いてきた。
「わ、私は……」
今も
彼女も目の前の敵を制圧しながらアーディと一瞬顔を見合わせ、シャクティに向かって頷いた。
それを目にしてシャクティの心の内が、私情に傾く。アーディは、見逃さない。
「いいからっ! 行ってよっ!」
「お、おい。押すな、アーディ。わかったから押すな!」
強引にも現場から追い出そうとするアーディに、シャクティが困り顔で抵抗する。
アーディの諦めない説得に折れたシャクティは、都市内で
その時はルシアの拉致を知らなかったが、今にして思えばあの場でルシアは連れ去られたのだろう。【
ルシアが拉致された時点で、彼女が襲撃にあった場所がどこかにあり、そこは派手に暴れられた後だと彼女なら予測がつく筈。
情報を収集した後、彼女は現場を経由してルシアを探すに違いない。
シャクティ・ヴァルマは工業区から離脱し、【
教会では。ルノアが嬲られていた。
当然だ。襲撃に合った時点でかなりの負傷だった。そんな彼女が単身乗り込んできたところで万全の
「どうしたぁ~? くくくっ、【黒拳】よ。噂程にも無いなぁ。んん?」
「はぁ……はぁ……!」
武器を手に愉快な様子でにじり寄ってくるオリヴァス。
彼に対してルノアは血反吐を口から垂らしながらも未だ膝はつかずに顔は下に向けて、目線は相手を鋭く捉えていた。とはいえ足元は疎か。ふらついている。
二つ名のような黒塗りにはまだ至っていない綺麗な拳で口元を拭う。
「うっせ。ばーか」
内心では正直焦っている。馬鹿なことをした。それはわかってる。その上で行動した。馬鹿なことは自覚済み。
でも、実際に直面すると後悔もちょっとある。だってかなり絶望的じゃん。
相手はLv.3。【
今はオリヴァスが確実に勝てる場面。基本的に彼が有利で、危険のない状況。
だから、オリヴァスの指示か上にいる奴らも周りにいるそれなりに接近でも戦える連中も、動く気配は無い。
要するに舐められている。そんな援護は必要ないと。
「ムカつくなぁ……!」
前の不意打ちといい、腹が立つ。卑怯の次は、有利になると手を抜いてくる。どっちも相手を事前に知っていれば防げたことだ。
それが余計に苛立つ。だって、言い換えれば入念な準備をすれば勝てる相手だということだ。
本来なら全然負け試合じゃない。これは、格上に単純な実力で負けるより相当悔しい展開だ。
「愚か者よ。わざわざ首を差し出しにくるとは……存外律儀か?」
「だから、うるさいって。馬鹿なのは自覚した上で来てるんだよっ!」
オリヴァスの挑発が本当に頭にくる。
だが、血を昇らせて突っ込んだりはしない。戦闘スタイルは力任せでも、慎重さだって持ち合わせている。
これまでの死線で学習したことだ。でなければ今日まで生き残っていない。
「ルノアさん……! 私が隙を作ります! だから、逃げてください!」
「はぁ!? 隙を作るってあんた、捕まっといて、その上Lv.1の癖に何言って……ていうか要らないよ! そんな気遣いっ」
奥の祭壇で固定されているルシアの呼びに対し、ルノアは拒否する。
本当に何言ってんだか。それに、助けようとしてる人間に助けられる謂れはない。
こちとら勝算のない馬鹿をやってるんだ。ここまで来たら馬鹿を突き通すしかない。突き通して、助ける。ルノアはとっくに腹を括っている。
「いいからあんたは黙って見とけっ!」
「……っ」
ルノアはヤケになっている。根性論という名の考えはあるだろうが、理論的な思考系統を持つルシアから見ればルノアの自暴自棄、ここから解決する道も助かる道もない。
このままではルノアが死んでしまう。それは嫌だ……!
「必死だなぁ、【黒拳】よ。そんなにあの小娘が大事か? 分からんな、あんな者の為にその命を投げ出そうとは。駆け出しの
ルシアが焦り始めるのを脇に、オリヴァスはルシアを助けるルノアに理解不能を突きつける。
それほど今のルノアの行動は理知的ではない。
「
ルノアを誘うオリヴァス。【黒拳】の活動的にも闇派閥に向いていると考えた。
だが、ルノアの本質は異なる。見当違いだ。
「
「我々
「行く気はないって断ってんの。何でわかんないかなぁ。察する能力ないわけ?」
ルノアが血の混じった唾と一緒に吐き捨てる。
寧ろ何故誘いに乗ると思ったのか、ルノアからしたらそう感じる。たった一人の馬鹿を助けるために無謀な死地へ乗り込んできた奴が我が身可愛さに敵の仲間入り? 肌に合う方へ寝返り? 冗談。
確かに自分でも掃き溜めにいると思う。現在地は決して輝かしい場所でも普通でもない。業種は賞金首狙いの喧嘩屋。女を捨てて入るような業界だ。
報酬はピンからキリまで、例え多くを貰う事に成功してもそれは不定期だ。
それに何より血生臭いし褒められた仕事じゃないしそもそも冒険者のように社会に認められていない。まさしく裏だ。でも、闇じゃない。
「あんた達の仲間なんて、死んでもごめん。そこの馬鹿は絶対返してもらうからっ」
息を整えて構えるルノア。
それを前にオリヴァスは闇へ誘う笑みから目を細めた鋭い顔つきに変わる。完全に敵と認識し、捉えた表情だ。
「そうか。残念だ。拒むならば仕方ない。愚かな行いを悔いながら消えゆくがいい。この私が手を下してやろう……!」
「クソ!」
武器を持ち直すオリヴァスを見て、ルノアが身構える。
ルノアが確実に死ぬ状況に戻り、ルシアは焦りの表情を見せる。そして、意を決した。
「ルノアさん!」
「……っ」
大切な人の名を叫ぶ。ルシアは先程ルノアを逃がそうとした時に思考を巡らせ、この場面をひっくり返す案を脳内に完成させていた。
それは、自分の正体をここで公にすることだ。普段纏っている厚い布を脱ぎ捨て、
ルノアだけでなく闇派閥も驚くだろう。さっきまで人間の言葉を喋り、人間のようだった者がモンスターの身体を持つ。
モンスターの血を持ち、それが身体に表れている。そのことを公開するのだ。もしくは喋るモンスターだと、そんな摩訶不思議な存在だと思われてもいい。
とにかく自分はモンスターであると。はみ出し者だと。多くの者はモンスターだと認識して救おうとはしない存在であると。ルノアに提示できればいい。
ルノアがそう認識してくれれば、否、経験上必ずそうなる筈だ。
ルノアがルシアをモンスターだと認識した後、闇派閥の隙を突いてルシアは暴れるつもりだ。
そうすればルノアが逃げる余裕ができる。ルノアも、モンスターを助けようなどと馬鹿な考えは持たないだろう。
助けるのを辞めて逃げる筈だ。
そうだ。それでいい。それがいい。
これがルシアの考えだ。ルノアの命が助かるなら関係が無くなることなんて、些細なことじゃないか。
だから、覚悟を決めて……やるんだ!!
「ルノアさん! 私は―――」
「うるさい蝿だ。黙らせろぉ!!」
「えっ?」
「なっ……!」
度々戦闘中に介入してくるルシアの声をオリヴァスは鬱陶しく感じた。故に、指を鳴らし仲間に合図を送る。
それを確認した闇派閥は魔法を唱え、ルシアに標的を絞った。殺す程の威力ではない。ルシアは【アストレア・ファミリア】を脅す為の大切な人質だ。だが、酷い怪我を負わせて黙らせるくらいの威力はある。
ルシアを狙う魔法が放たれる。彼らのやり取りと魔道士の動きからルシアもルノアもそれを察した。
しかし、ルシアは縛られている。竜である彼女なら簡単に解けるが、咄嗟に動ける経験がルシアにはない。魔道士の杖の先が自分に向けられていることに目を丸くして固まっている。
ルノアは気付いたと同時に床を蹴り駆けたが、オリヴァスに阻まれる。
「ルシア!」
「……っ!!」
魔法が放たれる。集中砲火がルシアを飲み込む。
十字架の前、礼拝する内軸が爆発する。ルシアは当然、打ちのめされた。
「あぁ……っ! うっ……ぐっ……!」
倒れ伏せるルシア。炎に包まれた後、すぐに煙と共に晴れたが、黒煙が焼けた腕や足から昇る。
普段は見えない肌が黒いススがついた状態で露呈され、生々しい鮮血が目立つ。
服が焼けて消えた。ルシアの隠していたものを、露わにして。
「えっ………………?」
「なっ………………!?」
戸惑いの声と驚愕の声。
味方も敵も、同じリアクションを取る。衝撃が走る。瞠目する。
ルノアも闇派閥も視線を集中させる。ルノアの行く手を阻み、背を向けていたオリヴァスも場の違和感に気付いて振り返る。
「んっ? 貴様らどうし……た…………なっ、ぁぁ………………!?」
突如静かになる空間。
ルシアは痛みが走る体を抑えて苦しむ。
だが、視線に気付いた。傷を負ったところをケアしながら何とか耐えつつ辺りを見渡す。
「……?」
闇派閥も、オリヴァスも、ルノアでさえも。目を丸くしている。
そして、誰もが言葉を失っている。
ルシアは攻撃をくらってまだ混濁している。
「ル、ルシア……あんた、その身体……何っ?」
「えっ?」
重い空気の中でルノアがかろうじてルシアに戸惑ってることを伝える。震えながら、ルシアに指を指して。
ルシアは何を言ってるのかわからなかったが、ルノアの表情を見て、一気に記憶が脳裏に浮かぶ。
知っている。私は知っている。その表情を。この状況を。この光景を。
どんな時でもそれが露わになった時、その場に居合わせた者は感情を共有させる。
困惑。混乱。自問。そして、拒絶。最後は無意識だ。長い年月の中で人間と彼らの間にできた溝。それは、全人類に刷り込まれている。
ルシアは混濁していたが、状況を理解した。どんなに混濁していても想起する。嫌でもわからされる。これもまた根深い無意識だ。
全てを押しのけて優先される想起。ルシアがずっと経験してずっと恐れている光景だ。誰もが向ける
「あっ……あぁ…………!」
自身の格好を見下ろす。
服は焼けて、布面積が減っていた。残っている布も、はだけている。
隠していたものが殆ど露わになっている。
竜の翼、尾っぽ、爪。そして、何よりも人間ではないと人目でわかる。首から下全身の鱗。
ルシアは自分でバラすつもりだったそれをバラされていた。
ルノアを助けるためには自分でバラす必要があった。でも、今はその逆。そして、それは最悪の流れ。
想定していなかった。一番
ルシアがモンスターなら人質の話も変わってくる。仲間だと思っていたものがモンスター。モンスターを助けるほど【アストレア・ファミリア】も馬鹿では無い。
ルシアは見捨てられる。それならば人質としての価値もない。
モンスターを持っているメリットなどほぼない、寧ろ持っていればいつ襲われるかわからないデメリットがある。オリヴァス達はルシアを殺す。
最悪の状況だ。だが、そんな客観的なことは今のルシアにはどうでもよかった。
今、この瞬間。一番最悪なのは知られたくなかった人に。見られたくなかった人に。目撃されたことだ。
そして、これから拒絶される。それが、そっちのほうが、辛くて仕方ない。
ルシアはルノアの信じられないものを見るような目を脳に焼き付ける。彼女と見つめ合って、辛い思い出を想起して、表情が絶望のものになる。
「ルシア。あんた……」
「……っ!」
思わず目を逸らす。床を見る。
ルノアが口を開いたことにビクッと身体を反応させる。
次の言葉を震えながら待つ。
「モンスター……?」
ルシアはまた、独りになった。