シャクティは油断していた。というより、考えることが多くて忘れていた。
今は暗黒期で、
「ルシア、どこだ……!」
いつものようにバイトの帰りに連れ添うつもりだったが、団員に呼ばれて闘技場の前で待たせていた。だが、それがいけなかった。
少し。ほんの少しの間、目を離しただけ。
その考えは甘く、そしてその愚かな判断を今の迷宮都市は許してくれなかった。
―――戻ってきたら、ルシアの姿がない。ルシアは、連れ去られた。
「団長!」
「居たか!?」
「いえ……! こちらにも……!」
「そうか。くっ……!」
一緒に捜索してくれた団員の成果もなし。シャクティは、自分の愚かさを恨む。
「捜索範囲を拡げろ。それと、
「はっ……!」
部下に指示を出す。
これでも見つからなければ本格的にギルドを通してギルド傘下の派閥に協力を仰ぎ、捜査を拡大させなければならない。
当然、【アストレア・ファミリア】にも報告をし、協力を要請しなくてはいけなくなる。とはいえ、彼女達は頼まなくとも動くだろうが。
雇元の責任者としてこのような事態を招いてはいけなかった。そして、それ以上に、このままでは自分を信頼して彼女を託してくれた主神ガネーシャと女神アストレアに合わせる顔がない。
「ルシア……」
彼女を助けるために駆け回る。
だが、それでも。どうか、無事でいて欲しいという願う。
闘技場前にて、
しかし、運び出す途中でルシアは馬車から脱出した。そして、路地裏へと逃げ出した。
「待て!」
「……っ!」
追っ手の声を背中に浴びながらルシアは駆ける。
彼女は、今の状況を至って冷静に理解している。オラリオの近況も、アリーゼ達の活動も事前に聞いている。
そもそもアストレアがルシアを匿った理由の一つに、都市の治安の悪さから保護することもある。
とはいえ、今は【アストレア・ファミリア】に所属したことが災いしているのだが。
狙われる理由も充分わかっている。
アストレアの慈悲が招いた結果だとしても、光の神バルドルを見つけるまで世話になることはルシアにとってもメリットがある。
簡単にアストレアのミスを非難できない。
今、【アストレア・ファミリア】に迷惑をかける訳にはいかない。
バルドルを見つけるまでの間、世話になる必要がある。アストレアの慈悲、アリーゼ達の厚意。それら、恩に報いる必要はあっても仇で返す必要性はない。
故に、ルシアは闇派閥から逃げる。抵抗する。
「捕まえたぞ!」
「……っ! 離してください……!」
しかし、ルシアは恩恵を貰ってすぐの駆け出し。逃げ足だって備わっていない。
闇派閥の構成員達からしたら多少逃げ出されたところですぐに追いつけた。
「この……! 無駄な手間掛けさせやがって!」
「うっ!?」
再度捕まったルシアは蹴り飛ばされる。
逃げ込んだ先が誰もいない路地裏だったとはいえ、相手の計画を狂わせる可能性があった。向こうも少しは焦る。
加えて、生意気な獲物にイラついた。
「また脱走できないように痛めつけてから馬車に積むぞ」
「了解」
「……ぅ…………っぁ…………!」
蹴られて転がったルシアは、再度立ち上がって逃げ出そうとするが、彼女の『耐久』では闇派閥の一蹴ですら耐えられない。フラフラと立ち上がったかと思えば、すぐに転けてしまった。
そして、横になったところにまた蹴りが入る。
「オラッ!」
「ぅぁ……っ」
「追撃だ。嬲ってしまえ。多少斬り伏せても構わんだろう!」
「そうだな!」
「……っ!」
物のように転がったところに数人の闇派閥が取り囲み、ルシアを殴打する。何発も、何発も拳がルシアを襲う。真っ先に頭を抱えて蹲ったが、身体の方はどうしようもない。
背中も、腹も、腕も激しい痛みと苦しみに苛まれた。
「……っ……ぅぁ……!」
「【アストレア・ファミリア】がっ! くたばれ!」
やがて、ルシアを攻撃する闇派閥は日頃正義の派閥に受けた鬱憤を流れに任せて彼女への暴行に上乗せした。
武器を手に取り、剣で彼女の身体を斬りさき、逃げられないよう矢で足を射抜いた。
ルシアの身体は血塗れで、赤く腫れた打撲痕や切り傷だらけの腕で鮮血を流しながら、足を引き摺ってでも彼らの隙をついて逃げようとし続ける。
「逃がすか!」
「……っ!」
捕まる訳にはいかない。女神にも、正義の眷属達にも迷惑をかける訳にはいかない。
捕まる訳には……いかない……!
瞼が腫れて、視界が狭い。その視野を覆うような闇派閥の手がルシアを捕らえようと伸ばされる。
その魔の手の奥で。
ルシアは人影を捉えた。
闇派閥ではない。彼女を狙う者たちの背後に現れた、武器などを
「―――楽しそうなことしてるじゃん。私も混ぜてよ」
「はっ?」
ルシアだけが認識していたその者が、口を開くと。背後を取られていたにも関わらず、気づいていなかった闇派閥が驚いて振り向く。
だが、振り向いたその先に待っていたのは拳。まずは一人。振り抜かれた拳に吹き飛ばされる。それは、ルシアの頭上を超えるほどの超威力の直線上。
「なっ!? 何者―――」
「うらぁっ!!」
「がっ……!?」
また闇派閥の構成員が殴り飛ばされる。瞬く間に彼女は移動し、ルシアを囲っていた者の一人に接近していた。
ルシアのステイタスで捉えられるのは、風を切る音。それは三拍。彼女が移動する時と、拳を振るう時の風切り轟音。そして、対象に拳がめり込んだ時の鈍く、響く音。
視覚では無理。動きは目で追えない。
ルシアはただ、呆気に取られて眺めている間。我に返って来るまでの間に、彼女の拳は、返り血の染められていった。
あまりにも強引で尚且つ真っ直ぐで単純明快。だからこそ、美しいものもあった。
やがて、ルシアは彼女が金髪の
そして、その頃には闇派閥は皆ルシアの周囲に呻き声を挙げながら横たわっていた。
この場で立っている者は一人、返り血の赤が重なり過ぎてドス黒くなり、拳に色を与えている彼女のみ。
「こ、【黒拳】……」
瀕死の誰かが呟いた。最近オラリオに現れた喧嘩屋。
返り血を重ねすぎると黒くなるその拳が彼女の名前の代わりになった。誰もまだ、彼女の本当の名前を知らない。素性不明。
死屍累々、倒しきった闇派閥を見渡して彼女は、ふぅっと一息入れながら汚れた手で自身の髪をかきあげる。
「ふーん、
好き放題殴り倒しておいて、好き勝手に感想を述べる。誰も口を聞けない、聞けなくしたのでその評価を甘んじて受けるしかない。
彼女は、【黒拳】は、ルノア・ファウストは迷宮都市オラリオが暗黒期に突入したと耳にし、腕試しのつもりで乗り込んできた。
そして、今、噂の
「で、あんたはなんでタコ殴りされてたわけ?」
「えっ」
まさか喋りかけてくるとは思ってなかったので、ルノアに声をかけられたルシアは戸惑う。少し言い淀んで返答をしようと口を開いたが、彼女の方が早かった。
「まあいいや。興味なかったわ。大丈夫? あー……別にあんたを助けたつもりじゃないんだけど、ついでっていうか一応? まあ大丈夫そうには見えないけど」
「えっ。あぁ、えっと。だ、大丈夫です。殴られたり斬りつけられたりは慣れているので」
「……いや、反応しづらいわ」
「す、すみません」
昔、迫害されていた時によくあったので慣れているのは本当だが今言う必要はなかった。ルシアも状況が飲み込めず、ルノアの登場で一瞬で場が一転したので錯乱して自分でも発言をコントロールできなかった。
「何。オラリオって日常的にこんなことあるくらい治安悪いの?」
「悪いには悪いですけど、私はちょっと事情がありまして……」
「ふーん」
ルノアが横たわる闇派閥達を大した獲物じゃなかったとでもいうような視線で見渡す。
「はぁ~あ。やっぱ賞金首になってる奴らの方が手応えあって良さそうだなぁ。お金も稼げるし」
「あ、あの……」
「んっ? 何?」
「助けて下さりありがとうございます……」
「いや、だから別に助けた訳じゃないって。言わなかったっけ」
「それでも感謝してるので」
「あっそ」
何度説明しても頭を下げるルシアに、ルノアも面倒くさくなって受け入れて適当に返す。
だが、どうもルシアの言いたいことは感謝ではなく、その先にあるようだ。加えて何か言いたげな彼女の態度にルノアも察する。
こういう打算的な意思にルノアは経験上敏感だ。
「あの……」
「今度は何」
「お願いがあります。私に戦い方を教えて頂けませんか?」
「は?」
「も、もちろん無償ではないです。きちんと報酬も払います。それなりにお金も持ってます。時間も取りません。一週間ほどでいいので。その期間である程度身につけてみせます」
少しルノアの眉間に嫌な機嫌が現れたので圧されつつも、ルシアは相手を最大限考慮した自分の願いを畳み掛けるように提案した。
ルノアは、ルシアの持ち物に描かれたエンブレムを一瞥する。
「……あんた、【アストレア・ファミリア】でしょ。まあまあ中堅の。私なんかに頼らなくても教われる環境あるじゃん」
「それは……その通りなんですけど、これ以上は頼れないというか頼りたくないというか……あまり特定の人達にばかり借りを作りたくないので……」
「はぁ? 何それ」
イマイチ事情が把握できないし、ルシアも遠慮がちなのかハッキリと物を言わないから余計真意が分からない。
めんどくせぇなぁとルノアは内心で悪態をつく。
「あー。もう分かったよ。教えてあげる。その代わり、高いよ?」
「……っ! はい、構いません。ありがとうございます!」
「あと、一週間で盗めるほど私の技術は安くないから」
「す、すみません。でも、できる限り頑張りますので」
「……付け焼き刃は危険だって言ってるんだけど? 一週間よりもうちょっと面倒見てあげるからお金頑張って用意しなよ」
「はい。分かりました」
相手の事情とか首突っ込むのは面倒くさくて御免だけど、良い金蔓でもある。
賞金首を狙うよりリスクは低いし、中堅派閥のお抱えならそれなりに
だから、ルノアはルシアの依頼を承諾した。
「私、ルノア。あんたは?」
「ルシアです」
「なんか名前似ててややこしいな」
「す、すみません」
「……なんで謝んのよ」
やっぱり面倒くさそうなエルフ。
ルノアが名前の似てる彼女に抱いた最初の印象は、その一点だった。
こうして、路地裏で、賞金首稼ぎの黒拳とドラゴンエルフは契約を結んだ。