「あー…………」
抜けるような綺麗で青い空。白くたなびく散り散りの雲。暖かく柔らかい太陽の日差し。
それらをぼんやりと視界に収めながら、千束は伐採場の薄青色の建物の東壁横で、仰向けに身を投げ出していた。
近くにはうつ伏せで伸びているMCXを持った敵がいて、他に人影はない。先ほどまでのけたたましい銃声の嵐はしんと静まり返っており、どこか遠くで鳥の鳴く声が聞こえてきた。
撃たれた背中がいまだにジンジンしているが、それ以外は概ね健康的。手も足もついているし血も流れていない。
ヘッドセットからたきなの声が飛んでくる。
『千束? 無事ですか? なんで倒れたままなんですか、周囲を警戒してください』
「はいはーい」
力無く千束は返事をする。体を起こして周りを見る。他に人はおらず、追撃も奇襲もなさそうである。少なくとも今は、ない。
倒れているMCX使いの敵に歩み寄り、仰向けにして息の確認をする。非殺傷ゴム弾はシェルの中に7つのゴム球が入っており、チョークを絞って狭い範囲にその7つが叩き込まれる仕組みになっている。
顔面にもろに喰らえば当然痣になるし、意識は刈り取り、起きた後もしばらく痛みにうなされるだろう。
「目には当たってないね。大丈夫」
千束は敵のバラクラバをずらして顔面が青あざだらけになっているのを確認した後、MCXのマガジンを抜いて、チャンバー内の弾を排出し、セーフティをかけた。これですぐには使えない。
立ち上がって、薄青色の建物の西側に歩みを進める。少し小走りに移動して、
「…………」
数刻前、自分が手当てをしていた敵の姿を見る。頭、首、胸に被弾し、即死の状態。千束は、
「…………ごめんね」
小さく、力無くそう呟いた。目から一筋の涙が溢れ、バラクラバが覆っている頬を濡らした。
ぐしりと袖で乱暴に拭ってから、振り返って西の坂を登り、たきなが撃った敵の姿を探す。
『千束、こっちだ』
ジャックからの通信。坂を登って数十メートル離れた森の中に、ジャックの姿と、仰向けに倒れている敵の姿を見つけた。
敵はタンカラーのシュマグを顔に巻き付けて、頭には同じくタンカラーのヘルメットをかぶっている。サングラスと相まって表情は読み取れない。腕にUSECの腕章をしている。
千束は駆け寄って、敵のすぐそばにしゃがみ、状態をあらためた。ジャックが見下ろしながら呟く。
「あくまで殺さないんだな」
「そうだよ。助けられる命は助ける」
「…………OKだ。俺は周囲を警戒している。思うようにやれ」
「そうする。ありがと」
ジャックは、千束の声が震えていることに気がついた。ここにくる途中に建物西側で死んでいる敵を見たので、おそらくはそれが原因だろうと考える。
ここタルコフじゃ、不殺の精神など自分の首を絞めて苦しめる縄にしかならない。ジャックはそう思ったが、何を信念として戦うかもまた、ここでは自由だ。好きにすればいい。俺に弾が飛んでこなければ、それでいい。
千束は敵の状態を見て、クラス5のアーマーが貫通して腹部に弾が当たっていること、止血はできそうであること、命もなんとか繋ぎ止められそうであることを確かめた。
「く…………なんだ、てめぇ……」
敵が英語で漏らす。語気こそ強いが力はない。
「いいから、喋らないで。弾が抜けてないから摘出するよ。痛いけど我慢してね」
千束はそう言いながら、敵のアーマーをずらして脱がし、服をハサミで切る。サバイバルキットを取り出して、体内に残っている弾を摘出する。
手早く行ってから止血剤で傷口を塞ぐ。鎮痛剤なしでここまでやっているが、敵は呻き声を上げるだけで暴れることはない。相当タフな精神の持ち主だと千束は思った。
血が止まる。傷口にガーゼを押し当てて、リグの中に入れていた鎮痛効果のある応急薬の入った注射を男に刺す。処置をしながら千束は男の装備を見て、さきほどのMCXの男とはどう言う関係なのか気になった。そのまま質問にする。
「一緒にいた人は仲間?」
男は、あまり力のない声で答えた。
「仲間だ。同じUSECにいた時からつるんでいる」
「名前は?」
「あいつはハチ、俺はアッキー。…………腐れ縁だ。タルコフに来る前から同じ部隊にいる」
「ジャックって名前に聞き覚えはない? 同じUSECだけど」
「聞いたことない名前だ。別の部隊だろう」
アッキーは掠れた声でそう返し、言葉を続けた。
「俺の仲間は……殺したのか?」
「いんや、気絶してる。あんたを助けてあげるから、あの人に、もう私たちを攻撃しないように言ってほしいな」
千束の言葉にアッキーは咳き込むように笑って、右手でサングラスを外した。直に千束の顔を見る。バラクラバで隠れているので千束の素顔はわからないが、目は見えている。その目を、アッキーはじっと覗き込んだ。
「…………信用できる目だ。ここじゃ女なんて珍しいし、あんたのやってることも奇抜極まりないが…………そうか、殺さねぇんだな」
アッキーは仰向けのまま頷いて、視線を移して天を仰ぎ見た。
「完敗だ。降参するよ。どうすりゃいい?」
「死ななくていいから、私の治療を大人しく受けることと、質問に答えてくれたら嬉しいかな」
そういうことでいいなら、とアッキーは了承して、口元を覆っているタンカラーのシュマグを首元まで降ろして顔を出した。素顔を晒すということは、千束にはもはや敵意はないということを表していた。
「あ、ちょっと待ってねその前に」
千束は立ち上がって通信をかける。
「たきな、こっちの人の治療は終わった。無力化した人たちの武装を一旦回収して、バックを持って来れる?」
『了解です。少し待っててください、すぐに向かいます』
たきなの返事を聞いてから、千束はもう一度アッキーのそばに座る。
「起き上がれる?」
「あぁ、大丈夫だ」
アッキーは起き上がり、千束は腹に包帯を巻いていった。その間もアッキーは攻撃の意思は見せず、また近くに置いていたMDRにも、ホルスターに収まっているM1911コルトガバメントにも手を出していない。
千束は包帯を丁寧に巻きながら質問を投げた。
「ここにはどうして来たの?」
「伐採場を根城にしているスカブボスを殺しにきた。そういう依頼だ」
「スカブボスって……誰?」
「フードの男がいただろう。シュターマン。詳細は不明だが卓越した狙撃の技術を持っている。お前たちが戦闘しているのを聞きつけて、ついでに皆殺しにしようと考え近づいた。まぁ、結果はこのザマだ」
自嘲気味に笑うアッキーに千束はわざと反応せず、黙って包帯を巻いた。
アッキーはそのまま言葉を続けて質問を投げた。
「シュターマンは強い。俺たちも一度挑んで、撤退して、んで再挑戦が今日のことだ。あんた、殺したのか?」
「いいや、殺してないよ。そのシュターマンも、今丸太置場でねんねしてる」
「はははは…………何者なんだお前」
乾いた笑みを浮かべるアッキーの問いに、
「ただの女子高生」
「うそつけ」
千束はイタズラっぽい笑顔で返した。
包帯は今ほど巻き終わり、端をクリップで固定する。出血はちゃんと止まっており、傷口は塞がっているようだ。
千束は手に付いた血液を布で拭いながら口を開いた。
「このタルコフの中で、システムの構築とかアップデートファイルとかを外国から請け負ってる会社、知ってる?」
「いいや。知らねぇ。そもそも俺はこの街についてあまり詳しくはない。生き残るためにビジネスをしている人物は何人かいるが、そういう話はしねぇからな」
「わかった。もう一つ質問。工場地帯ってどうやったらいける?」
「ウッズの南側から壁を越えれば侵入できるが、顔の知れたスカブが一緒にいないとスナイパーに撃たれる。安全なのは東にあるカスタムと呼ばれている町の中から抜けるのが早い」
「おっけー、ありがと」
バラクラバの中で微笑む千束にアッキーは軽く手を挙げると、立ちあがろうとした。しかし力が入らなかったのか、早々に諦めてその場に仰向けで寝転んだ。
「俺はまだ動けねぇ。お前たちは、これからどうするんだ?」
「ウッズの西側を調べてから、それから工場地帯を目指すつもり。アッキーさんはどうするの?」
「回復したら動く。っても、相棒が起きなきゃどうにもできねぇ。武器は残していてくれるのか?」
アッキーは近くに置いてあるMDRを指差しながらそう尋ねた。千束は頷いて、
「ないと死んじゃうでしょ?」
「そうだな。最悪相棒が死んでも、俺はこのMDRがあればいい。それだけで生き残れる」
「自分の武器をずいぶん信頼してるんだね」
「あぁ、そうさ。この銃は最強の銃だからな。これより強い銃はこの世にねぇよ。この銃がいかに優れているか俺に語らせたら、三日三晩はしゃべれるぜ」
「遠慮しとく。武器は置いていってあげるよ」
そうこうしていると坂の下から三人分のバックパックと、シュターマンの持っていたSVDとAK105、ハチのMCXを体にぶら下げて重そうに歩いて来たたきなが見えた。
「たきな、大丈夫?」
「重いです。ここに置いていいですか?」
「うん。あぁあと、気絶してる人たちを物陰に移動させないとだね」
「骨が折れますね…………」
「ジャックさんにやってもらおう」
その言葉が聞こえていたのか、ジャックがこちらへ振り向いて近づいて来た。
「周囲に敵なしだ。ひとまずは安全だな」
「気絶してる人たちを運んでもらってもいい?」
「仕方ないな。まかせろ」
「あっりがとジャックさん! 頼りになる!」
「ありがとうございます」
ジャックは伐採場の方へ歩いていった。千束はアッキーの体を起こして、
「ここにいるよりは建物の中にいたほうがいいでしょ?」
「そうだな。スカブに見つかったら殺されちまう」
「動くよ、たきな反対側お願い」
「わかりました」
アッキーの両側から体を支えて、移動させる。薄青色の建物の西側の入り口から入ってすぐ横の壁にもたれ掛けさせた。
ジャックの方も、気絶しているシュターマンとハチを建物の中に入れる。たきなが左膝を抜いた敵も、ジャックが肩を貸して建物の中に入れた。
「マジで殺してないのか……」
アッキーが小さく、左膝を負傷している敵を見つめながら呟いた。それから千束の方を見上げて、
「んで、こいつらどうするつもりだ? このままここで仲良くおねんねか?」
「そうしてくれるのが一番なんだけど、無理だったら今日のところは手打ちってことにして解散できない?」
「どうだかな。相手次第だ」
アッキーが左膝を抜かれた男────たきなが聞き出したところによるとダイモンという────に、疑惑の視線を投げつける。
ダイモンは自分のことを話していると悟ったのか、これまで英語で話しているアッキーに、ロシア語で、
「今日はもう疲れた。誰も殺す気はない」
そう返した。千束が翻訳する。アッキーは苦笑しつつ小さく肩を振るわせてから、何度か頷いた。
それからMDRを近くに手繰り寄せて、マガジンを抜いて弾が入っていることを確認した。セーフティはかけている。
「もう行きな。ここは俺と、このロシアン野郎で寝てる奴らを守る。シュターマンの武器を渡してやってくれ」
アッキーの言葉に応じて、たきなが弾の入ったAK105をダイモンに渡した。ダイモンは、アッキーのもたれかかっている壁まで足を引きずって移動してから、同じように座り込んだ。
千束、たきな、ジャックがバックパックを背負って移動の準備をする。伐採場での情報は集まった。この後はウッズの西側を探索してから、工場地帯に行かなくてはならない。今日中に全ては回れないだろうから、明日に持ち越しだろう。
「それじゃあ、行くね。アッキーさん」
「おう。お嬢ちゃん。生き残れよ」
西側の出入り口から三人が出る。周囲を警戒しながら森の中に入り、しばらく歩いた。
無言のまま、沈黙が流れる。耐えかねたたきなが遠慮気味に口を開いた。
「千束。あの人たちは…………」
「言わないで。わかってる」
千束はたきなの方は見ずに、前だけを見て言葉を続けた。少しだけ声が震えていた。
「エゴだってわかってる。みんなは救えない。出会った人全ての命を助けることもできないし、それを強要することがおかしいこともわかってる。でも────私が見てる前では、せめて、目の前の命だけは失いたくない。そうだよ…………こんなの、エゴで、綺麗事で、都合がいいことだよ。わかってる」
千束の言葉に、たきなは何も言い返せなかった。三人はウッズの西側を目指して、黙って歩き続ける。
伐採場で、2発の銃声が鳴り響いた。
やっぱりここは、タルコフなんだよなぁ……。