「あー……そうか。そういうことか。これは良くないな」
「どうしたんです?」
大通りと車道の交差点手前で、折り重なるように倒れている二人の少女の様子と、その向こうにいるはずの狙撃手を索敵していたハンクが唸るように声を上げた。
「あの女の子二人組、きれいに手足を撃たれている。特に足がひどい」
「サーブキットなら僕持ってますよ」
「あぁ、たぶん使うことになるがそこじゃなくてな……路面電車が盾になってるはずだろ」
ハンクは可変倍率スコープから顔を上げて、壁際から出していた体を完全にひっこめた。
すぐ後ろのルークもそれに倣って身を引く。対面する形でルークは首を傾げた。
「電車が盾に……? でも撃たれてるんですよ?」
「あぁ。つまりだ、敵は路面電車が交差点の真ん中にあるにもかかわらず、倒れた人間の手足を撃てる位置から攻撃している。ってことはだいぶ距離のある高台からの狙撃だ」
ハンクの言葉に、ルークは目を見開きながら一瞬だけ右目を通りにさらしてはるか東の方を見た。
文明が死んだ夜の街でも幾分かの光はある。数百メートル先にそびえる高層ビルや、集合住宅が視界に入った。
そしてぐっと距離を縮めて少女達の方を見る。車体の窓はすべて割れており、銃痕や衝突跡が目立つ青色の路面電車が交差点中央に鎮座している。
この電車が二人の少女を地上東側の射線から守っていることは明確だった。にもかかわらず撃たれているということは、確かにハンクの言うとおりである。
ルークは困り顔で体を再び引っ込める。
「カウンタースナイプは無理じゃないですか。位置の特定なんてできるわけないですよ」
「俺ならできるが、そういう問題じゃない」
「どういうことです?」
「もう狙撃手は移動している」
ハンクの言葉に、ルークは口をへの字にせざるを得なかった。
「それが〝良くない〟ことですか……?」
「そう。んでな、射手はこっちに向かっているはずだ」
「なんでわかるんです」
「それはなぁ、こうなんというか――」
ハンクは動き出した。ルークも後に続く。すぐそばの出入り口からホテル南棟の中に入る。
大理石で作られた豪奢な床は、散乱したごみと汚れで見る影もない。電気が来ており明かりも生きているので、それらが嫌でも目に入る。
元は高級ホテルだったであろうロビーの、無残な空間を全く気にも留めずハンクは階段で上を目指した。
一段一段上りながら、先ほどのルークの質問に答える。
「なんでわかるのかって?」
「えぇ。なぜです」
「狩人の勘だ。奴さんは間違いなくこっちに近づいている。〝獲物を殺していない〟ってのはそういうことなんだ」
「……?」
ルークはハンクの言葉の意味が分からず首をかしげたが、一つたしかに分かることがあった。
ハンクの纏う空気が変わった。動きが、声音が、何処か実態の掴めないおぼろげなものになった。
○
千束とたきなが撃たれた交差点の、すぐ目の前の角に座しているカフェに二人の人間がいた。
ハチとイレーネは、大通りから身を隠せるカウンターの中に遮蔽を取り、そして千束とたきならしき人影にフラッシュで合図を送った。
確かに合図は千束とたきな、もっと言えば仲介業者である自称情報屋を挟んだ、アイゼン分隊との合流。それを成功させるための合図で間違いなかった。
もう十数メートル。大きな声で呼びかければ、久しぶりに千束とたきなの声が聞ける。その距離まで二人が走ってきていた。
そして二人は撃たれた。
イレーネの目の前で。
間違いなく大通り以東から、まず千束の左足が、そして右足が。そしてたきなが。
イレーネから見て右から左へ弾が抜けていく形で、二人は次々に攻撃を受けた。
たきなの断末魔がヘッドセット越しに強調して響く。人間の声や足音を集中して拾えるように設定したヘッドセットは、正確に、無差別にたきなの悲鳴と千束の悲痛な呼びかけを拾っていた。
走れば三秒で触れられる距離。
助けに行きたい。プロピタルでもモルヒネでもいい。いやまずは出血を止めないといけない。
痛みで泣き叫んでいるたきなを、それを聞いてパニックになりかけている千束を、今すぐに救い出したい。
それでも。
それでもイレーネは、カウンターから飛び出さなかった。
かろうじて残っている理性が強烈にイレーネの動きを止めた。
今飛び出したら死ぬ。狙撃手は二人をいつでも殺せる位置から攻撃している。
そんなところに体を曝したら、二人を助ける前に何の抵抗もできずに死ぬ。
イレーネはそれがわかっていた。わかっていたから、カウンターの中で全身を震わせながら身を縮めた。
唇の端が、あまりに強く噛みしめたために出血して、一筋の血液を垂らす。
AKS74Uの銃把が軋むほど強く握りしめる。そんなイレーネの背中を、ハチは念押しのために軽くたたいた。
「攻撃が止んだら助けに行こう」
「……どこから撃ってるのか見当もつかない。マズルフラッシュも銃声もない。死ぬ」
「そうだ、だがほっといたらどのみち千束もたきなも出血で死んでしまう」
ハチの言葉に、イレーネは地獄の底から向けるような殺意のこもった目でハチを睨んだ。
震える声を、叫びだしたくなる声をわずかに残った理性で押し殺しながら、しかし今にも慟哭交じりに怒鳴る勢いでハチの胸ぐらを掴む。
「んなことは分かってんだよお利口さん。わかりきったことをさも得意げに説教してる暇があったら一秒でも早くあの二人を助け──」
目に涙を浮かべ、口の端から血を流し、もはやまともに銃が撃てるのか怪しいほど震えているイレーネの両頬を、ハチはMCXから両手を離して優しく包んだ。イレーネの小さな顔を、そばかすの浮いた白い頬を割れ物を扱うかのように柔らかく動かし、イレーネの瞳を自分に合わせる。
「イレーネ、いいか、落ち着いて聞くんだ。こういう時こそクールに行くのがいい。十年前の事件で人質を取られたときに、俺は先輩から教わった。警察はな、自分以外の大事なものがいつも危険にさらされる。だからそういう時こそ、普段より一層落ち着く。そう心掛けろとな。イレーネ。まずは深呼吸だ。必ず状況は良くなる。俺が良くする。だから大丈夫だ」
ハチの声は、不思議とイレーネの震えを止めた。
イレーネの心臓の早鳴りを徐々に落ち着かせ、頭に上った熱すぎる血を少しずつ冷ましていった。
頬から手を放す。イレーネはゆっくりとハチの胸ぐらから手の力を抜き、まだ涙の溜まっている目を、うつろ気な三白眼をぎゅっと閉じた。溜まりきった涙が両目から一筋落ちた。
顔を下に向ける。手の甲で口の端を拭って血液を拭きとる。取りきれずに白い頬に伸びたが、もはや気にしてはいなかった。
顔を上げたイレーネに、震えはなかった。
「ありがとう、ハチ。ごめんね」
「良いってことよ。お前をジャックから任されているからな。妹を死なせたら殺されそうだ」
「言い訳くらいは聞いてくれるよ」
「かもな」
短く笑みを浮かべてから、ハチはリグに手を突っ込んで一つの円筒形の物を取り出した。
「これを使う」
イレーネが目を落としたハチの手には、スモークグレネードが握られていた。
「……いつ拾ったの?」
「いや、もらった。ベースボールキャップの情報屋がいただろう。あいつからだ」
イレーネが納得したようにうなずく。そして外を見て、次にカウンターから一瞬頭を出して東を見た。
音のない銃弾は千束とたきなを襲うのをやめたようだった。
だがこの瞬間が最も危険である。狙撃手は周囲を観察している。
きっと執念深く。念入りに、丁寧に、半殺しにした餌に群がる馬鹿の頭を弾くために。
イレーネは手榴弾を取り出した。迷いなく安全ピンを抜く。
「アタシが投げたら、スモークを展開して」
「オーライ。二人に当てるなよ」
「誰に言ってんのよ」
イレーネは東側の大通りに向かって力いっぱい手榴弾を投げた。
金属の重たい音が、アスファルトに当たって反響する。聞いた者の背筋を凍らせる音に、一瞬通りが清められたような気がした。
続けざまにハチがスモークを投げる。
青い路面電車のすぐそばで煙が展開するように投擲した。円筒形のスモークグレネードは、まるで空き缶を投げたかのような音で転がりながらすぐにもうもうと緑煙を吐く。その直後にイレーネの手榴弾が炸裂。
通りに爆発音が響き渡る。それを合図にイレーネがカフェから飛び出し、緑色の煙の中へ体を突っ込んだ。続けてハチもMCXの銃口を東側から北側へ、撫でるように向けて警戒する。
「まずはたきなちゃんをカフェに。収容出来たらハチが千束ちゃんをお願い」
「了解だ」
イレーネはAKS74Uのスリングを引っ張って銃本体を背中に回し、素早くたきなの体を担ぎ上げた。流れるような動作でそのままカフェまで戻り、カウンターの中に倒れ込む。
たきなが頭を打たないように後頭部に手を添えながら床に下ろす。傷の箇所を確認したいところだったが、その前に緑色の煙霧にいるハチの方を仰ぎ見た。
直後に煙の中からマズルフラッシュ。
サプレッサーで押さえられた銃声が、短く鋭く空気の破裂する音を辺りにまき散らす。ハチがMCXを発砲していた。
北側に向けて。カーディナルホテルの方角へ。つまり、千束とたきなが出てきた方角へ。
イレーネが眉根を寄せる。たしかに北側では銃声が断続的に鳴っていた。いずれも室内で発砲している様子であったから、そこまで注意を向けていなかった。
何者かがこちらに近づいていたのか。
すぐさま通信を繋ぐ。
「ハチ、報告!」
『所属不明が三人。うち一人射殺。残り二人は──くそっ! イレーネ援護頼むッ!!』
スモークに向かって銃弾が撃ち返される。煙はもうあと数秒しか持たない。
イレーネはカフェの窓際まで移動して、北側の歩道から瞬いているマズルフラッシュに向かってAKS74Uを発砲した。一人は体を引っ込めたが手ごたえがない。殺せていない。
マガジンを入れ替えて通信機に叫ぶ。
「ハチ、千束ちゃん連れてそのまま西側に後退して!」
『カフェじゃないのか!?』
「ここ射線通ってて無理! 抑えきれない!!」
『了解だイレーネ。後で落ち合おう』
煙の中から千束を抱き上げたハチが通りを西向きへ走り抜けた。イレーネはろくに狙いもつけられないまま北側の敵に発砲。うまく牽制できたようで、ハチからの被害報告はない。
代わりにカフェに銃弾が撃ち込まれている。イレーネは腹ばいになってカウンターの中に戻った。
たきなの負傷箇所を確認。
下半身が特にひどい。自力で歩けるようになるまで、何日かかるかわからない。それを判断しながら、同時に素早く止血作業を進める。
カフェの店内に断続的に撃ち込まれる銃弾が、壁紙や机や天井を穿つ。飛び散った木材がイレーネの頭に降りかかる。イレーネはそれを払いのけることもしなかった。たきなを手当てを一切止めなかった。
イレーネの目に、涙が浮かぶ。強引に手の甲で拭っても、拭っても拭っても次々浮かんで視界をにじませる。
「ごめんね……ごめんねたきなちゃん……痛かったよね……」
視界が滲もうと、声が震えようと、手元だけは狂わせない。
両手の指は機械のように、素早く正確にたきなに止血を施した。続けていくつもの薬剤を打ち込む。自分の分がなくなるほど。
イレーネは手持ちの注射をすべて使った。
カフェに銃弾が撃ち込まれなくなった。
たきなの回復作業が終わるのと、カフェの内装に穴が空くのが止まったのは同時だった。
イレーネが一瞬の動作でAKS74Uを体の前に戻し、北側に銃口を向けて中腰で立つ。窓の外を見る。動く者が居たら容赦なく撃ち殺すつもりで。
しかし。
「……?」
窓の外に見えたのは、二人の死体。いずれも真っ黒な服と装備で、まるで夜戦を専門にしているかのような服装。頭から血を流している。ピクリとも動かない。
死体は先ほどまで千束とたきなが倒れていた地点から少し北寄りの位置。路面電車があるので地上東側からの射線は通常であれば通っていない。
千束とたきなを撃った狙撃手も、あの位置で頭は撃てないはず。
自分は撃っていない。ハチも現在移動中。銃を撃てる人間が、自分の把握している限りもう周囲にはいない。
────誰が、殺した?
イレーネの背筋が凍り付く。
全身が総毛立つ。一瞬にして頭が危険信号を発する。痛みすら伴うその警戒が、脳から全身へ電撃のごとく伝わった刹那。
カフェのカウンター内に、こんかかと間抜けな音を立てて。
手榴弾が二つ放り込まれた。
リアルタルコフの話ですけど、死体を見つけて位置を報告した時に仲間から「え、俺撃ってないぞ」の一言が帰ってきた瞬間のホラー感やばくないですか。
過去何回かその直後に頭ぶち抜かれて死んでいます。トラウマ。