リコリスinタルコフ   作:奥の手

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敵影

 カフェのカウンター内に放り込まれた手榴弾は二つ。

 

 ご丁寧とほめるべきか、運が悪いと嘆くべきか、イレーネの目に映った二つの手榴弾は人ひとりの体より離れた位置に転がった。

 

 つまり、イレーネが片方の手榴弾に覆いかぶさって自らの体で鉄片を受け止めたとしても、もう一つが爆発四散する。たきなの負傷は免れない。どうする。

 

 どうしたって、そんなことを考える時間は残されていない。あと2秒か? 3秒か? 

 イレーネは頭の中で考えるよりも、まず体を動かした。手榴弾が2つ離れた位置で爆発するのなら、そして守りたい対象が一人なら。

 

 たきなの上半身に覆いかぶさるように、イレーネは体を投げ出した。

 直後に爆発。

 

 カフェのカウンター内は、鼓膜を引き裂くほどの爆音が反響し、目をつぶすほどの閃光が店内を昼白色に染め上げた。

 

 それはたかが一瞬の出来事だったが、

 

「ぐぅぅッッ!!」

 

 イレーネの目をつぶすには十分すぎる光量であり、それは同時にイレーネの戦闘能力を限りなく削ぎ落とす。

 

()()()()()が2つ同時にカウンター内で炸裂し、イレーネは視界を奪われた。

 耳を覆っていたヘッドセットが爆発音を軽減したため、音だけはいくらか聞こえる。それでも、いくら電子的に減音されていても真横で爆発し建物の構造上反響しやすい状況でこれを浴びることが、何も影響しないわけはない。

 

 頭が鐘を打ったように揺れる。視界は赤黒い背景に白いヒビが入ったような、形容しがたい形で外界の様子が一切分からなくなる。

 ただでさえ暗闇に慣れた目。少ない光量で情報を取るため、瞳も脳も〝最少光量で世界を見る〟ことを前提に機能している。そこへ太陽のような光が網膜を焼けば、どうなるかは火を見るより明らかだった。

 

 イレーネはカウンターの中で目を押さえてうずくまった。

 身悶えたのはほんの数秒。視界は戻らない。でも音だけは、そして意識だけはまだ機能している。

 

 ヘッドセットに足音が響く。増幅されたその音を耳が認識して脳が処理する。東側、大通り、やや南からこちらの店舗に向かっている。

 十中八九こいつらが閃光手榴弾を投げ込んだ。なぜ殺傷能力のある手榴弾ではなく、非殺傷のものを投げ込んできたのかはわからない。

 

 目が痛い。頭の中がかき回されている。網膜も視神経も悲鳴を上げている。

 それでも銃を構えないといけない。このまま殺されるつもりなど微塵もない。

 

 イレーネは膝立ちで壁を右肩にして、AKS74Uを腰だめで構えた。きっとこの方向だと見当をつけて。

 

 しかし実際にはイレーネの銃口は東側大通りとは真逆の厨房方向を向いており、右肩が触れていたのはカウンター内の棚であった。

 

 ○

 

「爆発確認」

「突入」

 

 ロングバレルのP90を持った大男と、細部までパーツをカスタムされたAK105を持った大男がカフェの中の発光を確認してから入店した。

 割れた窓から、枠を飛び越えて侵入する。

 

 銃本体に付けたフラッシュライトが、暗闇を切り裂いて荒れた店内を照らす。素早いクリアリング。東側から店内を見たとき、左半分をP90を持つシャーマンが、右半分をAK105を持つイワンが担当した。それぞれ一秒で敵影なしと判断。

 

 シャーマンが即座にカウンターを飛び越え、その向こう側にいる人影と対峙する。

 

 カウンター内には二人の人間が居た。読み通りであった。

 手足を撃ち抜かれて行動不能になったたきなが仰向けで寝ている。そして、そのたきながグリーンスモークの中で何者かに運び出されていると、他ならないザイーツ(分隊長)から聞いていた。

 よってカフェ店内には未確認の存在が一人は確実にいる。その前提で動き、奇襲をかけた。

 

 カウンターがあることは外から見えていた。ホテル側と交戦している様子もあった。遮蔽に使うならカウンター内に身を隠すしかない。

 この推理は見事に的中していた。たきなを殺さないために閃光手榴弾を用いたことも結果として成功。

 シャーマンは内心でほくそ笑んだ。

 

 カウンターの中で膝立ちになり、AKを構えているPMCがいた。銃口はこちらではなく奥の厨房入り口に向いている。

 きれいに視界を奪ったのだろうと、シャーマンは憐れみと同情と達成感を同時に沸かせる。しかし余韻に浸る時間はないので、手が触れる位置まで素早く接近する。

 

 PMCは、すぐ背後に人がいることに気が付いたようだった。

 

 もう遅い。ヘッドセットは左右の音を鮮明にするが前後の音は判断が付きにくい。残念だったな。

 

 P90から手を放し、背後から左腕で敵の首を、右手はナイフを抜く。振り返ろうとしたPMCの首を一気に締め上げる。あとはナイフを心臓に突き刺すだけだが、そこで気が付いた。

 

 細い。何だこいつ。まるで子供のような体格──。

 

 首を絞めた瞬間、高い声で「ぎゅっ」っと鳴いた。明らかに野郎の声ではない。というかこいつどこかで見た覚えがあるような気がする。

 

 が、ここで手を緩めるわけにはいかない。下手したら自分の腕より細いかもしれない敵の首。難なくへし折ることもできるが、もうすでに勝負はついている。体ごと後ろに引いて全く抵抗ができない体勢に持っていく。敵はAKから手を放し、自らの首を絞め続ける腕に爪を立てようとした。

 

 こいつを殺す必要。

 殺す必要は──。

 

 シャーマンの頭に、もう何日も前の出来事が一瞬映る。

 カスタムズ。インテリ小屋。アイゼンを隊長とした分隊で、重要な書類を取りに行った矢先での戦闘。

 弾を避ける少女が、いつでも殺せるはずだった俺達を、殺さず見逃してくれたこと。

 

 〝不必要に人を殺したくない〟と言って、解放したこと。

 千束と名乗った少女は、この街に似つかわしくない考え方を持っていたが──だからこそ自分たちは今ここにいる。生きている。

 

「…………」

 

 心臓に突き立てようとしたナイフを、シャーマンは下ろした。左手一本で首を締め上げる。細身で小柄なPMCから、徐々に力が抜けていく。

 シャーマンは、意識を失いつつある腕の中の敵の耳元に優しく囁いた。

 

「殺しはしない。安心しろ。そこの嬢ちゃんの命も助ける。一応恩人だからな」

 

 シャーマンの腕の中で、PMCは気絶した。

 そっとそのまま床に転がす。ナイフをしまい、ペンライトで顔を確認する。

 眠っているその顔を見て、シャーマンは何とも形容しがたい表情で口を開けた。

 

「おい、イワン。こいつインテリ小屋に居た女だ」

「千束か?」

「いやいや、()()()()()たちじゃないほうの」

「あぁ、そういうことか。殺したのか?」

「千束の言葉がよぎってよ、殺してない」

「へぇ」

 

 面白いことを聞いたかのように声を高くしたイワンは、店内のクリアリングを済ませてカウンター内に入った。シャーマンの隣に立つ。

 

「名前なんだっけな」

「たしか名乗っていない。ベクターを持っていたはずだけどなぁ、どうやら換えたらしい」

 

 シャーマンの視線の先にあるAKS74Uを、イワンも一目見た。生きて動けば脅威になる。まだ仕事は残っていて、これからアイゼンの身柄を確保しなければならない。

 敵は少ないに越したことはないが、意識のない小柄な女性の眉間に銃弾を撃ち込むようなことは、さすがにできなかった。

 

 シャーマンは仰向けで横たわっている女性PMCの胸元に手を突っ込み、ドックタグを引っ張り出した。名前を確認する。

 

「イレーネ・サンダース……だってよ」

「アイゼンの仲間なのか? たきなを回収しようとしてたってことは」

「カスタムズでは千束とたきなと一緒に行動してたからな。この女も仲間なんだろ」

「どうする」

「とりあえず拘束だな。殺すには惜しい美人だろ?」

「そういうの良くないぞアメリカ人」

「ヤれるときにはやった方がいいぞロシア人。西側からのアドバイスだ」

「あんたが西側代表ってのは最悪だな」

 

 苦笑するイワンを横目に、シャーマンはイレーネの両手を背中に回して結束バンドで親指を縛った。そのままカウンターの床に転がしておく。

 軽口を並べながらも、イワンはカフェの北側、ホテルの様子を警戒していた。

 

 銃声が移動している。一番東の建物で鳴っていた交戦の様子が、どうやら中庭に移っている。

 そして千束の姿がない。

 

 ザイーツが無力化したということは、確かに自力では移動できないことを指す。となると、何者かが身柄を回収しており、順当に考えてそれはアイゼンの分隊員である可能性が高い。

 それ以外だとしたら……よもや女だとわかって攫うスカブや黒服か。だとしたら最悪である。

 いずれにしても、今回の雇い主から〝二人を殺すな〟と条件を出されている以上、可能な限り身柄は確保する必要がある。でなければ最悪報酬が減る。

 それはイワンもシャーマンも気が付いていた。顔を見合わせて頷く。

 

「隊長に報告する」

「頼んだ」

 

 イワンがザイーツへ通信を開こうとした、その瞬間。

 

『分隊長より全隊通達。ホテル北側から所属不明の二人組が大通りを南下中。黒衣の部隊を排除しながらそちらに向かっている。一人はベースボールキャップを被り、もう一人は塗装用の防毒マスクを着けている。スカブの様相だが明らかに民間人の動きではない。交戦用意。東側から私も奇襲する』

「……了解」

「了解だ隊長」

 

 報告は後回し。戦闘用意。

 イワンが店内北側の壁に張り付く。窓にはところどころ木の板やテーブルでバリケードが作られており、信用性は低いが遮蔽物にはなっている。

 

 シャーマンはたきなとイレーネをカウンターの一番端の方へ移動させて、動線を確保。カフェ出入り口や窓からのわずかな射線で道の北側に注意を向ける。

 

「パーティータイムだな」

 

 恨みがちに漏らしたシャーマンの言葉に、

 

「クソみたいなパーティーだ。お呼びじゃない」

 

 イワンが悪態を吐きながらバリケードの端で慎重に北側を覗いた。AK105はいつでも撃てる状態で。胸より上のみを傾けて。

 

 その、露出したイワンの頭が爆ぜた。被っていたクラス4のヘルメットは頭頂部付近に大穴を開けて脳漿と血液を周囲に散らす。

 

 シャーマンの目には、一秒にも満たないほんの一瞬の間、動きながら発砲している二つの人影が窓の隙間から見えただけだった。

 

 




ザイーツおじさん……また部下が……。
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