リコリスinタルコフ   作:奥の手

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機械神

「…………それは確かな情報ですか」

『我々が招いた事態でもあります。汚してしまった〝ケツ〟は自分で拭くのが道理でしょう』

 

 明かりのない部屋の中。

 ルーク・コンバイスはハンク、ハチの二人と連携をとりながら情報屋のグリゴリーとアイゼンの退避を誘導する傍らに、もう一つの情報組織とやりとりをしていた。

 

 自称逃し屋。湿り気のあるロシア訛りの英語を使う〝ヒュージー〟と名乗る怪しげな男から、耳を疑う情報が伝えられた。

 

『5分後です。この通信を終えた瞬間からカウントし、300秒後にそのエリア一帯を砲撃します』

「詳細な砲撃範囲のデータと、優先して回収するべき負傷者を提示してください」

『砲撃範囲はホテルとその至近。そんな高精度な攻撃はできません。当たらないようなるべく遠くへ逃げてください。回収する負傷者は特に提示しません。味方の安全より敵の排除が優先です』

 

 このクソ野郎。

 ルークは奥歯を噛み締めながらも、決して通信機の向こう側には悟られないようあくまで平静を装った声で返信した。

 

「わかりました。退避を始めます」

『幸運を。通信を終了します』

 

 糞を塗りたくっておいて〝運〟を願うとは度し難い。

 わずかなノイズと共に切れた通信に、胸の奥で湧き上がる怒りをなんとかして抑え込みながら、ルークは傍に置いたM4A1とバックパックに手を伸ばして立ち上がった。

 

「ハチさん。至急このエリアから退避します」

「どした?」

「砲撃が始まります。今より290秒後です」

「…………はは」

 

 乾いた笑みを浮かべるしかない。おそらくきっと他の誰に第一報を伝えたとしても同じ反応だろう。ルークにはそんな気がした。

 

 時間の猶予はない。ハンクへの通信を開くと同時に、

 

「合流してくるアイゼンさんにも伝えてください。負傷者の回収もなるべく行います」

「了解」

 

 口頭でやり取りできる範囲で無駄なく素早く指示を伝達。

 ハンクと通信がつながると、

 

「ハンクさん。退避命令です。280秒後に砲撃が始まります」

『わーお。了解』

「合図があるまで敵の進行をその場で止めてください。残り時間180秒になったら、今送った合流ポイントまで単独で移動してください」

『了解だ。そっちも気をつけて』

「はい」

 

 通信を終了。端末からハンクの通信機器に合流ポイントをマークして、すぐに部屋を出る。

 廊下にはちょうどグリゴリーを背負ったアイゼンが合流し、情報を伝達しているハチがいた。伝達は今を持って完了したらしい。

 

「ルーク・コンバイスです」

「アイゼンだ。指示を」

「まずラグジュアリーショップの〝ちさと〟さんを回収。次にカフェのイレーネさんと〝たきな〟さんと合流します。たきなさんは負傷していることが確定しているので、私が背負います。その時点でハンクさんがカフェに合流します。ハチさんは護衛をお願いします」

「了解」

「了解」

「行動開始」

 

 カーディナルホテル南棟の三階から一階へ降りる。

 アイゼンはグリゴリーを首の後ろで保持する消防士搬送の形に背負い直した。右手を空けてAK101のグリップを握る。

「ふぐぅ」と耳元で苦しそうに喘ぐグリゴリーに、

 

「力を抜け。落ちることはない」

「お、お腹が圧迫される」

「黙ってろ」

「はい……」

 

 ハチが先頭に、中央にアイゼン、最後尾をルークが守る。ホテル南側の通りに人影はなく、不思議なことに銃声もしていない。

 

 ほんの数分前にカフェで爆発音が鳴っていた。ブラック・ディビジョンとイレーネの戦闘か。あるいは全く別の何かか。ルークはあらゆる可能性を想定しつつ、現状の不味さ────負傷者運搬に戦力を割いてしまっている状況に早鐘を鳴らした。

 

 戦闘行為の中で最も無防備な瞬間。

 遺体の回収と負傷者の救出、運搬。これを安全が確保されていない条件下で行うのは、部隊の全滅を招く可能性が高い。

 

 しかし他に選択肢もない。まだ、今なら。今なら戦闘にはなっていない。故にできる限り負傷者を回収する。安全地帯まで退避する。

 

 ラグジュアリーショップに入り、店のバックヤードへと移動する。素早いクリアリングを繰り返し、ハチの案内で奥の小部屋までたどり着いた。

 

「千束、待たせた」

 

 上に被せた段ボールを払いのけて、ハチが声をかける。

 ダンボールの下の少女────千束は未だ意識が戻らず、しかし細い呼吸は確認できた。ハチが頷き、ルークにアイコンタクト。

 ルークは素早くM4A1を体の側面に回し、バックパックをその場に下す。千束を背中へと背負った。

 

「負傷者運搬の訓練は受けているのか?」

 

 アイゼンがルークに問いかける。バックパックを体の前面に回し、背中には千束を背負って側面にM4A1を固定したルークの足取りは、どう見ても安定しているとは言えない。

 

「二年前に一回だけ」

「銃は置いていけ。弾もだ」

「わかりました」

 

 千束を背負ったまま、M4A1を切り離す。体の前のバックパックも一度外して、リグをその場に捨てる。アーマーのみになった体は幾分か身軽で、バックパック内の弾も全てその場に投げ捨てて軽くする。

 

 十数秒のロスではあったが、おかげでルークの体勢はずいぶん安定したものになった。

 足早にラグジュアリーショップから移動する。

 

 建物の東西に人影なし。店舗から出て歩道を使って東に移動する。数十メートル先に目的地のカフェがある。

 

 ルーク、ハチ、アイゼンのヘッドセットにハンクから通信が入った。

 

『こちらハンク、これより移動する。抑えがなくなるからケツから突っつかれるぞ』

「想定済みです。迅速に移動してください」

『了解だ』

 

 砲撃まで残り三分。

 カフェの隣の店舗まで来た時に、店内で足音が鳴っていることにハチが気付いた。ハンドサインで停止を促し、壁際に身を寄せる。

 

 イレーネからの通信はない。ホテル南棟を出る時にこちらから呼び出しても応答がなかった。

 であるならば、現在鳴っているこの足音がイレーネのものである可能性は低い。

 

 中で歩いているのがイレーネだとしたら誤射は避けたい。

 しかし敵に先手を打たれることは決して許されない。

 

 二つの可能性を天秤に乗せた結果、ハチは後ろの二人をカフェ隣の店舗内へ入るようサインを出す。

 続けて、自由に動ける自分がカフェの店内を索敵する。

 

 アイゼンとルークも首肯にて認め、音もなく隣の店舗へと侵入する。どこにでもある小売店。商品は根こそぎ棚から消えている。

 

 表通りからハチが進行し、慎重に、音を出さないように、かつ店舗側だけではなく道向かいのホテル側からの攻撃も警戒しつつ数メートル進む。

 カフェまで来た。縮めていた体勢を伸ばそうとした時、店内から呻き声のようなものが聞こえた。言葉になっていない。ちょうど、口に詰め物をしたまま声を押し殺すかのような、悲鳴とも呻きとも聞こえるもの。

 ハチは眉間に皺を寄せながら窓から店内を覗く。

 

「…………」

 

 内心で舌打ち。

 店内に居たのはイレーネでもたきなでもなく男が二人。

 一人はペストマスクに四眼のナイトビジョンをつけた男。異質な雰囲気と風貌は、たった数秒目に入れただけでも頭から離れることはない。

 もう一人は大柄な男。手にP90を保持しているのが見えた。ペストマスクの男に比べれば、特段変わった装備をしているわけではない。

 

 二人組のうち一人が夜間装備を装着していることは大変な痛手である。

 ハチもアイゼンもナイトビジョンはつけていない。その点でこの時間帯、この場所での戦闘は何もしなければ不利になる。

 

 ハチは一度窓から離れて身を屈め、壁に背中をつけてMCXのフラッシュをストロボに設定した。

 敵の目を潰すために。

 

「…………店内、敵二名。交戦する」

『了解』

 

 先手必勝。一撃必殺。

 ハチは勢いよく立ち上がり、窓の外から店内へ向けて銃に取り付けたフラッシュライトをストロボ発光させた。

 

 そのコンマ数秒の間照射された店内に映し出されたのは。

 

 素早い反応でP90の銃口をこちらに向け始めた大男。

 店内カウンターの上に横たわっている私服の人間。

 その私服の人間────たきなの右腕を、今まさにスコップのようなもので切り落としたペストマスクの男の姿だった。

 

 ペストマスクの男はカウンターの向こう側に。P90の男はカウンターの手前側、つまり体が露出している位置にいる。

 

 いつも通りのハチならば。

 この距離、この状況。先手が打てる上に夜間のストロボ発光で相手の目をつぶせるこの状況下で、撃ち負けるということはありえなかった。

 

 MCXが火を吹いた。サプレッサーを取り付けた銃口から吐き出された.300ブラックアウト弾は、P90の銃口をこちらへと向けている男の体に向かって一直線に進んだ。

 

 体に、である。

 ハチの狙いは、残念ながら大男の顔面からほんのわずかに下へと下がってしまった。

 

 それは、光学機器越しに映ったたきなの切断された右腕と、口に突っ込まれた汚れた布切れ、意識が戻っているらしいたきなの双眼から流れている涙が、はっきりと見えてしまったが故の〝手元の狂い〟と〝躊躇い〟だった。動揺とも表現できる。それは、この状況下では、致命的なミスだった。

 

 ハチの銃弾はP90の男に当たったものの、ほぼすべてアーマーに吸い取られた。

 反対に、敵の銃弾は窓越しにハチへと襲いかかる。頭を出している。ハチはすぐに身を屈めたが、頭に衝撃が走る。

 

「くっ────!」

 

 死んだ、と思ったがまだ意識がある。視界がぐにゃりと歪んだが、体はまだ動く。

 MCXを取り落とすようなこともない。死んでいない。ヘルメットに跳弾したか。ラッキーで済んだ。

 

 ハチは窓の直下から一歩東へ移動して通信機をオンにする。まだ視界に揺れは残るが、今報告しないと部隊が全滅しかねない。

 

「二名のうち一人は夜間装備あり。たきな負傷。イレーネ所在不明。敵二名と交戦中」

『了解、加勢する』

 

 アイゼンからの返信。ハチは自分の視界が正常に戻りつつあるのと、今のやり取りで店内の男に窓際まで移動できる時間を与えてしまったことの両方に気がついた。ハチはすぐさまMCXの銃口を振り上げて窓へと向ける。

 

 そして間髪入れず発砲。もともと割れていた窓ガラスがさらに粉々になり、店内の天井に穴をあける。

 一瞬、視界の端にP90が映ったが引っ込んだ。弾倉にはまだ弾がある。ここでリロードすると次は顔面に弾をもらうだろう。ハチは追撃するべく体をひねりながら立ち上がり、左半身は店舗の壁に、右半身が窓から店内を撃てるようリーンした。

 

 ほぼ同時に、厨房奥のドアが開いてAK101とともにアイゼンが侵入するのが見えた。

 

 一瞬。なれど完璧なクロスファイア。ハチはP90の男に照準を合わせる。一秒にも満たない。しかし引き金を引くには十分な時間。

 

 ハチのMCXが堅実な発射音を轟かせる。

 そしてフラッシュバンが炸裂した。

 

 店内の人間に照準し、その地点を凝視し、神経と視神経の全てをホロサイトの向こう側に向けていたハチは、何の防御もできずにそのフラッシュバンを目にしてしまった。

 

 痛みすら走る眼球に構わず、即座に何を喰らったか判断し次の行動を脊髄反射で身体に伝えたハチの頭脳は、結果的に命を救った。

 すぐに身を屈めたハチの頭上を5.7×28mmが通過する。その鋭利な銃弾は何者も捉えることなく、道向こうのホテル南棟の窓ガラスやコンクリ壁に穴を開けた。

 

 ◯

 

 カフェの厨房裏口から突入したアイゼンは、一瞬で店内の状況を把握。

 何を優先的に攻撃するか、何に弾を当ててはいけないか。

 そして敵がどのように反撃してくるか。判断に一秒もかける必要はなかった。

 

 音がしていた。

 ドアを開けて突入するのとほぼ同時に。

 手榴弾、あるいは閃光手榴弾の安全ピンを抜き取る音だった。

 

 ハチの位置からではない。つまりそれはハチの投げる手榴弾ではない。

 

 敵が。

 店内の敵が、店内に向かって投げ落とす。味方も敵も爆発範囲内の手榴弾。

 

 であるならば、それが殺傷能力を持ったものであるとは考え難い。

 

 アイゼンは左目を開けたまま右目を瞑った。

 顔をほんのわずかに右にずらし、AK101の照準を左目で覗く。

 

 店内に居た男二人組。

 一人は見覚えがあった。背格好、武装、服装────数週間前まで、この街で生き残るために手を組んでいた元USEC隊員。恵まれた体格と悪くはない射撃の腕。何より装備の選択に根拠があった。自分のことも、自分の武装のこともよく考えている男だと評価していた。

 カスタムズへ書類を取りに行った時。

 千束、たきな、イレーネとの交戦時に、てっきり死んだものと思っていた。

 シャーマン。生きていたのか。

 

 もう一人は。

 

「…………」

 

 アイゼンが足を止めた。同時にフラッシュバンが店内に炸裂し、アイゼンの左目の視界を奪った。

 

 それは予期していた事態。想定済み。アイゼンは瞬く間に顔を元の位置に戻して右目を開いた。

 見える。店内も、もう一人の男の風貌も。

 

 ペストマスク。

 四眼のナイトビジョン。

 手にしているM4A1と思しきメインアーム。

 

 ────ステッチが、死亡する間際の最期まで報告し続けていた敵の特徴。

 

 殺す。

 

 アイゼンは引き金を絞った。しかしペストマスクの男の反応も早かった。

 男は一度カウンターに身を隠すようにしゃがんだ。

 間髪入れずにカウンター上部、天板に横たわっている人間。一目でたきなとわかる。そのたきなの胸の位置でM4を左に倒して応射してきた。排莢された真鍮製の空薬莢が銃に詰まることなく店内へと飛ぶ。

 

 たきなを盾にしている。被弾面積を最小にするために銃を左に倒している。下手にアイゼンが撃ち返そうものならたきなに当たる。

 

 賢い。なるほど。ステッチがやられたのも頷ける。

 判断の速度も、その結果選ぶ手段も、非道でありながら無駄がなく、また躊躇いもない。

 アイゼンは額に青筋が浮かぶのを自覚しながらも、ペストマスクの男からの銃弾を喰らわないよう厨房の壁に退避した。

 

 数秒の銃撃を受けたのち、ぴたりと止まったタイミングでアイゼンは先ほど顔を出した位置と少しずらしてクイックピーク。

 

 そして、厨房内に手榴弾が投げ込まれる瞬間を見た。

 即座に身を翻して床に伏せる。金属製手榴弾がステンレスの流し台に当たって鈍い音を立てる。奥へ転がったか。しかし遮蔽物が全て腰の高さまでしかない。立ち上がることはできない。

 

 爆発を待つ。きっちり三秒半後に、厨房は爆音に包まれた。

 周辺の流しや扉に穴を開けつつ、粉塵が巻き上がる。降りかかってくる天井や壁の破片を意に介さずアイゼンは即座に立ち上がった。

 

 目の前の扉を蹴り開ける。

 店舗内カウンターの裏側と厨房とを仕切る扉である。つまり、この扉の向こうにはペストマスクの男がいる。そのはずだった。

 

 男の姿はなかった。

 カウンター上に横たわっていたたきなの姿もない。天板には血溜まりと切断された右手があるのみ。

 

 カウンター裏には他に横たわっている人間が一人。

 素早く店内に銃口を回す。窓際付近に一人。頭を撃たれ死んでいる。

 店内中央に一人。シャーマン。倒れているようだがまだ息がある。

 

 カウンター裏の一人は、

 

「イレーネか」

 

 小柄な女性。見覚えのある顔。動かない。死んでいるか? 

 シャーマンの方を一瞥する。P90が破損している。足からも出血。どうも死にかけだろう。脅威なし。

 

 アイゼンはイレーネを跨いで窓際に素早く移動した。

 待ち伏せを警戒しつつ通りを索敵する。

 

 しかし人影はない。どこにも、夜の闇がところどころのまばらな街灯に切り取られているだけ。

 

 アイゼンのこめかみがぴくりと痙攣した。

 わかっている。今は怒りに飲まれる時じゃない。

 

 たとえステッチの復讐を果たせなかったとしても。

 たきなの身柄を奪われ、それがヒュージーからの依頼の失敗を意味していたとしても。

 それら全てを鑑みて、この夜の一連の出来事は自らの大敗と言わざるを得なかったとしても。

 

 今、立ち止まる時ではない。そんな暇はない。

 

 アイゼンはすぐさま通信を開き、

 

「敵一名逃亡。一名無力化。たきなの身柄を奪われた。イレーネは────」

 

 生白いイレーネの細首にグローブを外して指先を当てる。脈がある。呼吸も細く繰り返している。

 

「生存を確認。回収する」

『了解です。ハチさん、無事ですか』

『生きてるよ。合流する』

『こちらハンク。あと20秒で合流する。撃つなよ』

 

 アイゼンはイレーネの負傷箇所をチェックし、不思議なことにどこにも怪我を負っていないことに眉を顰める。そして一瞬シャーマンの倒れている方を見た。

 イレーネに視線を戻す。小さく一度頷き、納得したようにその小柄な体を軽々しく持ち上げた。

 

 カウンター裏で立ち上がり、店内窓際の死体をもう一度見る。

 

 装備にも背格好にも服装にも見覚えがあった。いや、間違えようもない。

 イワンだった。つまり、シャーマンとイワンはカスタムズでの千束とたきな、イレーネとの戦闘で死んではおらず、しかしこうして再び殺し合うこととなり、

 

「…………」

 

 イワンは死んだ。誰に殺されたのかはわからない。イレーネか、ブラック・ディビジョンか、それともあのペストマスクの男にか。

 

 シャーマンを見る。撃たれた部分はどう考えてもハチによるものではない。

 自分が撃ったわけでもない。となると、ペストマスクの男か。

 

 あの男は何なんだ。こいつは…………シャーマンは仲間ではなかったのか。

 

 アイゼンはシャーマンの元まで歩いた。まだ息がある。意識もある。

 鎮痛が切れているのか、呼吸は痛みに耐えているかのように荒く浅く短い。

 

 うつ伏せで倒れているシャーマンを、アイゼンが見下ろす。

 そしておもむろに自身のリグへ手を入れて、一本のモルヒネを取り出した。

 

 それを足元へ落とす。シャーマンが手を伸ばせば届く位置に。

 

「…………イレーネを殺さなかったようだな。その礼だ。悪いが助けることはできん。あと90秒でここは砲撃される」

 

 アイゼンはそれだけを言い残して、カフェ店内を後にした。

 

 隣の店舗にはハンクが合流し、千束を背負っていた。アイゼンは一番軽いイレーネをルークに渡し、グリゴリーを首の後ろへ持ち上げる。

 グリゴリーは怪訝な目をしながら小さな声でアイゼンの耳元に疑問をぶつけた。

 

「アイゼン、なんで?」

「お前は重い」

「右足ないからちょっとは軽くなったでしょ」

「変わらん」

「ひど…………」

 

 全隊の護衛はハチ一人で行う。いずれにしても無防備極まりない状況に変わりはない。

 裏口から出る。煉瓦造りの建物に囲まれた裏通り。どこまで退避すれば砲撃に巻き込まれないか、具体的な範囲は一切わからない。

 

 走る。可能な限り遠くへ。できる限り奥地へ。

 

 イレーネを背中で支えているルークの腕の、巻いている時計が小さく一回鳴った。ヒュージーの連絡からきっちり五分経過した。

 わずか五分の間の出来事。その締めくくりは、

 

「始まったな」

 

 ハチの独り言と共に。

 甲高い奇声を上げながら、上空を数十キロメートル飛翔してきた砲弾がカーディナルホテルへと降り注いだ。

 次から次に。徹底的に。

 まるで今夜のことは無かったことになるかのように。そうなるように願われ、祈られ、力のある者が〝無かったことにするために〟腕を振っているかのように。

 

 砲撃の音は、夜の街に際限なく響き続けた。

 

 

 

 

 

 

 




去年の夏から書いてたんですね「市街代理戦争」編
これにて一区切りです。次回から新編始まります。半年に一章ペースなのかな(無計画)

……にしても大変なことになっちゃった。
たきなLOVEな紳士諸君には申し訳ない。寝不足サイコパス狂人PMCに拉致られるなんてその辺の特殊な薄い本にもないような展開になっちゃった。
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