リコリスinタルコフ   作:奥の手

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夢想

 千束は今見ている光景が夢だとすぐにわかった。

 明晰夢。夢を夢として自覚する夢。自分の思い通りになることもあれば、残念ながらそうはいかず、現実世界の物理法則や社会通念が適用されない状況もある。

 

 今見ているのは後者だった。

 

 目の前に一人の男が立つ。周りには何もない。何も存在しない。空虚で真っ暗闇の世界にポツンと、よく知った人物が立っている。

 

 日本人離れした整った顔立ち。若い頃はさぞかし異性にモテたのだろう。それが年を積み重ねて三十代、四十代。人生の重みが表情やしぐさに現れるようになっても、好かれることにはきっと変わらないと思わせる。

 

 目鼻立ちの通った中年のビジネスマン。丁寧に撫でつけられた明るい髪色。柔和な表情。綺麗で気品を思わせる身なり。パリッとした高そうなスーツを長身のスタイルで着こなしている。

 

 吉松シンジが目の前に立っていた。

 喫茶リコリコへ客として来てくれていた頃の姿で。

 

「千束」

 

 ヨシさんが呼ぶ。千束は返事をしようと口を開いたが、うまくしゃべれない。それもそうだ。ここは自分が見ている夢の中で、今ここにいるのは生身の自分ではない。

 

 どれだけ返事をしようとしたところでそれが声になることはない。聞きたいこと、問いたいこと、教えてほしいことがあっても、目の前のヨシさんは答えてくれない。

 

 これは夢だから。わかっているのに、千束は目の前の吉松シンジが何をしゃべるのか気になった。この吉松シンジは自分の頭の中が見せているのだとわかっていても次の言葉を期待して待った。

 

「千束、起きるんだ」

 

 なんで? 

 起きたら、ヨシさん消えちゃうよ? 

 

 今どこにいるの? 何をしているの? 私、ヨシさんが持って来てくれた心臓で、今も生きているんだよ。

 

 そんなことをしゃべろうとしたが、当然声になるわけもない。千束はそうだったと思い直して、自分の脳が見せている仮初の吉松シンジの言葉に耳を傾けた。

 

「君は起きなければいけない」

 

 分かってる。

 寝てる場合じゃないのは分かってる。

 

 たきなが危ない。

 

「君の相棒が危ない」

 

 分かってるってば。

 

「君には才能がある」

 

 やめて。

 

「類稀なる才能がある」

 

 それはやめて。

 

「君には──」

 

 やめて!! なんで!! 

 

 私の! 私の夢なの! 聞きたくない! 

 私の聞きたくない言葉をどうして私が聞かせようとして──。

 

「君には才能がある。救世主の才能だ」

 

 …………? 

 何を言っているの。

 

「君の才能は世界のためにあるんじゃない」

 

 夢は時に支離滅裂になる。時に? いやいつもかもしれない。

 前も後ろも、過去も未来も、脈絡も現実も全てがどうでも良くなっている。

 

 残念ながらヨシさんはこんなことは言っていない。

 言っていないし言わないだろう。

 

 千束は首を傾げた。寝ているのだろうから実際には傾げていないだろうが、でも夢の中で自分が首を傾げていることを自覚した。

 

「君の才能の使い道は」

 

 目の前の吉松シンジが口を開き続ける。

 もう、ほとんど何を言っているのかわからない。たぶんもうすぐ起きるのだろう。

 脳が、私が、錦木千束が夢から醒めようとしている。

 

 この暗闇に佇むヨシさんはもう消える。まもなくいなくなる。この世界は終わる。

 

「君の大切な、君の隣にいる人のために」

 

 …………なんて? 

 

 錦木千束の夢はそこで終わり、血と硝煙と埃臭さの漂う地獄の街へと引き戻された。

 

 ○

 

「づぉあぇあ!!」

 

 千束は飛び起きた。おおよそ十代半ばの少女には似つかわしくない声とともに。

 まるでちょっと仮眠を取ろうとして大遅刻確定の時間まで寝過ごしてしまった人間と同じように、跳ね起きた千束はまず足の違和感に顔をしかめた。

 

 足に目を落としたのが0.5秒。

 そのまま間髪入れず周囲に目を配り、状況を把握。建物の中。何かのオフィス。固い床。その上に小汚い段ボールを敷いて自分はこの上に眠っていた。理解。ここは交差点じゃない。つまり自分の身の回りの出来事はあれから大きく変化している。

 

 周囲には人。武装している者もいる。

 そして自分の寝ていた位置から二メートルほど離れたところで、

 

「ッ!!!」

「シッッ!!!」

 

 人間が殴り合っていた。千束の脳は睡眠から覚醒。周囲の情報をコンマ一秒でも早く、そして多く、認知して処理して自らの行動へ繋げるために驚異的な処理速度を発揮したが。

 

「??????」

 

 無理だった。意味が分からなかった。人間が? 殴ってる? なぐ……え? だれ? 

 情報の処理が追い付かない。今、顔を認識できた。認識はできたが理解はできない。

 

 殴り合っていたのはここまで行動を共にしていたアイゼン・ウント・ブルートと、

 

「死ねぇクソ野郎ッッ!!!!」

 

 ストレートな毒をまき散らしながら自分の身長より二回りも三回りも大きなアイゼンに全身で挑むイレーネ・サンダースだった。

 

 千束の目が白黒する。

 立ち上がるべきなのだろうし、たぶん二人を止めるべきなんだろうが、足に力が入らない。起き上がっているので精一杯。

 

 なにこれ、とつぶやくより早く。

 

 イレーネはその場で高く飛び跳ねてアイゼンの頭部に右足を振りぬいた。が、易々とアイゼンは体軸をずらしてヒットポイントを逸らし、弱まった勢いのイレーネの右足をいとも簡単に掬い上げた。

 イレーネの体が、自らのジャンプとアイゼンによって掬い上げられた右足の勢いで想定より高く跳ね上がる。当然着地のタイミングがずれる。

 

 左足で着地するはずだったイレーネの体は、アイゼンの足払いによって明後日の方向へ向き、本来飛び上がった後に地面を捉え体を支える存在がもうそこには無い。イレーネはなすすべなく仰向けの形で地面に落ちた。

 

 背中から固い地面に叩きつけられたイレーネの肺は、本人の意志とは無関係に空気を体外へ押し出した。一瞬、それゆえに体が硬直。アイゼンはその隙を逃さなかった。イレーネの下腹部を踏みつけ、右手で銃の形を作ってイレーネの眼前に突きつける。

 子供がふざけ半分に高い声を上げながらやるような指鉄砲でも、やる人間によっては凄みある本物に見えるのかもしれない。

 

 イレーネの動きが止まった。

 

 同時にどこからか「そこまで」の合図が響くとともに、どうやらそれで決着がついたらしい。

 

「……なにこれ」

 

 だいぶ遅れて、千束の口から困惑が形となって漏れた。

 




起きたら目の前で小学生と大差ない身長の毒舌女と、当たり前のように恵まれたタッパ&筋肉量の屈強壮年サイコパスおじさんが殴り合いしてたら「?????」ってなると思います。
何で殴り合ってるんでしょうね。(すっとぼけ)
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