リコリスinタルコフ   作:奥の手

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牽制

 千束が目を覚ます十数分前。

 

 千束の隣で寝息を立てていたイレーネは、ピタッとその穏やかな呼吸が止まると一気に目を開けて体を起こした。

 

 すぐ近くの壁に背を預けて休んでいたルークがびくりと震えて驚くと、上体を起こしたイレーネと目が合った。

 

 イレーネからすれば見知らぬ男。

 銃こそ手にしてはいないが、血のついたワイシャツに防弾ベストを着た男はこの街でも浮く。とくにワイシャツ。

 

 ルークが「起きましたか」と口にするより早く、イレーネは立ち上がりながら部屋の中をぐるりと見回した。

 

 椅子に座って事務机に突っ伏している人間。右足の膝から先がない。

 その机のすぐそばで床に座り込んだ男。ハチだ。MCXのスリングを腕に通して、今は寝ているのか反応がない。

 

 隣を見る。千束がいる。息がある。生きている。イレーネは表情を変えずに胸を撫で下ろした。

 

 自分を除いて四人の存在がこの部屋にあり、うち二人は見知らぬ人間。

 

 イレーネは腰のホルスターに手をやった。

 しかしそこにあるはずの45口径拳銃は消えていた。シースのナイフもない。武装が解除されている。

 

「…………」

 

 半信半疑。

 起きることができたということは、少なくともこの部屋の人間は自分に対して殺意を抱いていない。

 だからと言って完全に信用できるわけではないが、とにもかくにも情報がない。一体ここはどこで、自分たちの身に何があったのか。たきなはどこにいる? 

 

 イレーネは振り返って、地べたに座ったままの男へ疑問をぶつけた。

 

「あなたは誰」

「ルーク・コンバイス。元USEC作戦本部所属。今は…………このチームの情報担当といったところですかね」

 

 よいしょ、と控えめな気合いと共にルークも立ち上がりイレーネのほうへ歩く。

 自分より当然のように頭二つほど高い身長の男が近づくのを、イレーネは毅然とした目で睨みつけながらその場から動かなかった。

 少し膝を落とし、いつでも身をこなして男の股間へ蹴りを放つこともできる。そういう心構えでルークの接近を許したが、

 

「ここは安全だし、僕もそのほかの人間も君に危害を加えるつもりはありません。起き抜けに立ち話も何だから座ると良いですよ」

 

 丸椅子を指差して、イレーネの背中に手を添えた。

 

「…………そう」

 

 肩透かしだった。警戒するほどでもない。

 イレーネは思い直してからルークの指示に従って丸椅子に腰を下ろした。倦怠感が全身にある。長いこと意識を失っていた代償だろうか。体がこわばる。

 

「質問がたくさんあるでしょう、イレーネ・サンダースさん」

「…………どこで名前を」

「人の名前を覚えるのが得意なんです。仕事柄もありますがね」

 

 苦笑して肩をすくめたルークは、部屋の隅で横倒しになっていたプラケースを起こして、その上に座った。座り心地の悪さに一瞬下を向いたが、すぐにイレーネに視線を戻す。

 

「何から知りたいですか」

「まず、たきなちゃんはどこ?」

 

 イレーネの声には発声の迷いがあった。あの怪我で今現在この場にいないのなら、良い答えが聞けるわけはない。それがわかっていてもなお聞かないわけにはいかない。イレーネの中でそれなりに大きな葛藤があったが、悩む時間も無駄であると判断して口にした。

 

 イレーネの質問にルークはゆっくりと目を伏せて首を振った。

 

「安否はわかりません。ただ、ハチさんが最後に見た時は意識があったと。その身柄は敵の手にあります」

「…………っ」

 

 目を瞑ったイレーネは、次にグローブが音を立てるほど拳を握り込んだ。胸の内に鋭い痛みが走る。ゆっくりと瞼を開ける。薄汚れた硬質の床が目に入り、ぼんやりと記憶を形にする。

 

 あの交差点でたきなを退避させたのは自分だった。

 それから何があったか。カフェの中でどうなったか。

 

 フラグを投げられ、視界を失い、そのまま敗北した。誰にやられたのかはわからない。

 ただ、首を絞められて意識が落ちる直前。かすかに聞こえた敵の言葉は耳に残っている。

 

 〝安心しろ〟と〝助ける〟の二つ。

 

 どこかで聞き覚えのある声だった。どこで聞いたかを思い出すことはできない。もちろん誰かもわからない。ただ、こうして自分の命だけは奪われていない事実が残っている。

 

「……敵は? いや、そもそもあんたやそこの人は誰? なに?」

 

 イレーネはルークに視線を投げてから、振り返って事務机で寝ているグリゴリーを順に指差した。ルークはグリゴリーの方へ顔を上げながら、

 

「彼女はグリゴリー。巷では〝チェルノボーグ〟だなんて呼ばれていますが、実際にはただの地元住民で、ちょっとだけ情報通です」

「足は?」

「あのホテルでの戦闘で負傷しました。手当はしてあります」

「…………信用できるの」

「戦えそうな見た目してますか?」

「それもそうね」

 

 イレーネは事務机の人間────生き残っている女性はこの街では珍しい存在だが、見えている腕の筋肉量や手当されている足を見るに激しい運動に耐えられる体つきではない。つまり腕っぷしで生き残っているわけではない。

 加えて重傷であるならば、直接的な脅威度は無いに等しい。そう判断した。

 

「それで、あなたはなぜハチと一緒にいるの」

「合流組だからですよ。アイゼン・ウント・ブルートさんの隊に加わるために、あの場所にいました」

 

 アイゼンの名前がルークから出た瞬間、イレーネの表情が殺気立った。

 目だけで、部屋の中のどこに銃があるか、武器となるものがあるか一瞬で探した。それをルークは見逃していなかった。

 

「アイゼンさんは、現在見回りに行っています。もう数分もすれば戻りますよ」

「そう」

「念を押しておきますが、あなたを助けたのはアイゼンさんです」

「…………は?」

 

 素っ頓狂な声が漏れる。眉根を寄せたイレーネは、到底理解できない言葉を聞いたかのように低い声で否定した。

 

「そんなわけないでしょ」

「嘘じゃないですよ。気を失っていたあなたを危険地帯から回収したのがアイゼンさんです」

「たきなちゃんは。私のすぐ近くにいたはずよ。十代の女の子で、スポーツウェアを着てた」

「その…………アイゼンさんとハチさんの報告では、敵に右腕を切り落とされてから連れ去られたと」

 

 イレーネの表情が驚愕のそれに変わった。それからすぐに、殺意の気が濃くなった。

 

 ルークは背中に穴が空いたのかと思うほど冷や汗が噴き出てくるのを自覚したが、あくまで表情には出さないようにした。この女、何をしでかすかわからんぞと自分の直感が警鐘を鳴らす。

 

 否、もはや直感ではない。イレーネの表情に影が降りた。 

 

「つまり」

 

 ゆっくりと立ち上がる。声が揺れている。強い怒りを抱いていることが聞く者すべてに伝わってしまうほど。

 

「あのサイコパスクソ男は私の大切な仲間の命を守るどころか、尊厳すらも失わせるような事態に追い込んだってことね」

 

 その言葉が何を意味しているのかはルークにもわかったが、イレーネの解釈は事実と大きく異なる。ルークは慌てて立ち上がりイレーネに駆け寄ろうとした。その時だった。

 

 部屋の出入り口の重苦しい鉄扉が軋みながら開いた。イレーネが振り返って、その扉から現れた人物を視認するや否や、先ほどまで自分が座っていた丸椅子を無駄のない動作で掴み、一切躊躇なく片手で投げつけた。

 

「ッ!!」

 

 アイゼンは脅威的な速度で反応。膝を曲げ、その場に身を沈めた。同時に手にしていたAK101のセレクターを跳ね下ろしながら床スレスレの姿勢で椅子を投げてきた存在に銃口を向ける。そして引き金を引いた。

 

 サイレンサーで減音されているとはいえ音速を超える弾が射出されれば否応なくその音は室内に響く。

 マズルフラッシュも相まって、部屋の出入り口はひどく騒がしくなった。

 

 射出された弾はイレーネの体に当たることなく、その向こう側の壁を数センチ削った。

 イレーネはアイゼンが発砲することを見越していた。ゆえに放物線を描くように投げた椅子とは違う軌道で走り出しアイゼンへと肉薄した。

 

 アイゼンは低い姿勢のまま銃口を動かしイレーネの頭部に照準を這わせる。もう数ミリで光学照準器の赤いドットがイレーネの頭に重なるところで、イレーネの体が大きく上へ移動した。

 

「はいストップ!! ちびっ子!! うごくな!!」

 

 アイゼンの後ろに控えていたハンクが、自身のTX-15を放り投げてイレーネを抱え上げていた。アイゼンは引き金に触れていた人差し指を即座に伸ばし、しかし照準はハンクに抱え上げられたイレーネの頭部を追い続ける。

 

 腹の位置で持ち上げられ、ハンクの肩へ担がれたイレーネは、

 

「ッ!」

 

 浮き上がった体の慣性をそのまま利用してハンクの背中側に頭を下げた。同時に、自身の腰に回されたハンクの右腕をガッチリと両手でホールド。

 流れるように、垂れるようにハンクの背中に上体を傾けたかと思った瞬間。

 

「うおっ!」

 

 ハンクの情けない声が上がるのと、イレーネがハンクの右肩でくるりと体を返し、何をどうやっているのかよくわからない回転と共にハンクの体を床に転がした。いつの間にかハンクの体は薄汚い床に引き倒され、頭部はイレーネの両太ももに挟まれ、右腕はピンと伸びてイレーネの胸の位置で固められていた。抵抗すれば一瞬で肘関節が曲がってはいけない方向に曲がる。

 

 そうしてハンクの右腕関節の生殺与奪がイレーネに握られた直後、

 

「動くな」

 

 アイゼンが、床で仰向けになっているイレーネの頭部にAK101の銃口を付けた。

 その真後ろで、MCXのチャンバーに初弾が送り込まれる音が響く。間髪入れずハチの声が通る。

 

「待てアイゼン、撃つな」

 

 全員の動きが止まった。ぴたりと、時計の針を止めたかのように。わずかに聞こえるイレーネの上がった息と、ルークが飲む生唾の音がやけに大きく聞こえてきた。

 

 牽制に牽制。硬直。お互いの命を指先や腕に委ねた時間は、当人からすれば永遠にも思えた。しかし実際には十秒にも満たなかっただろう。

 残念ながらその時間の正確な機微を時計で測った人物はいなかったが、

 

「な、何してるの?」

 

 寝起きのグリゴリーだけが、間抜けた顔であくびを噛み殺しながら事務椅子の上でそう呟いた。

 

「…………仲間割れなんてしてる場合? やめてよ」

 

 ロシア語で、おずおずとそう呟いたグリゴリーの言葉をアイゼンとルークはすぐに理解。ハチ、イレーネ、ハンクは少し遅れて〝停戦〟の促しと気付き、イレーネとハチはアイゼンの動向を見て手の力を抜いた。アイゼンは誰よりも早く銃を下ろし、セーフティをかけていた。

 

 ◯

 

 それから、腹の煮えがおさまらないイレーネにアイゼンは特大のため息と共に〝格闘訓練〟の時間を設けた。武器は一切なし。始まりと終わりの合図はハチとハンクが引き受けて、どちらか一方が明らかに戦闘不能となる()()動きを止めることでルールとした。

 

 千束はアイゼンから起き抜けに事の顛末を聞いて、

 

「…………」

 

 この人本当にアイゼンさんか? と疑いの目を向けていた。しかしどこからどう見てもこれまで行動を共にした分隊長で間違いない。

 

 まるで良い上司のようなことをしている。千束が持つアイゼンのイメージでは、イレーネの動きが止まった瞬間に引き金を引くような気がした。実際には引いていない。

 アイゼンへの印象を変えざるを得ない。それか、もしかしたら何か理由があるのかもしれない。たきなに似た考え方をする人だから、案外たきなに聞いたらその目的がわかるかも、と千束は案じた。

 

「……?」

 

 そして部屋の中を見渡す。

 目を覚ましてから数分。アイゼンの説明の終わりと共に座ったまま部屋の中をキョロキョロと見回した。到底立てそうにない足だったから。首を動かし、上体をひねり、右から左へ視線を走らせる。居ない。

 

「……」

 

 おそるおそる、自分の考えを否定した。

 

 まだ確定じゃない。みんなに聞いてみるまでわからない。たぶん大丈夫。なんかいっぱい仲間が増えてるから。イレーネさんもいる。イレーネさんと一緒に来たって人は…………あれなんかどこかで見た人だな。どこだっけ。

 

 大丈夫。そんな、まさか、ね? 

 根拠のない自分自身への慰めと共に、千束は震える声でその場の全員に向かって呟いた。もう気付き始めている自分の中の〝最悪〟を否定するために。否定してほしいがために。

 

「ねぇ、たきなはどこ?」




「コンパクト」だの「ちびっ子」だの散々な言われようですがちゃんと成人済みのビッチです。誰とは言いまs(45口径の銃声
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