「ねぇ、たきなはどこ?」
恐れを含んだ小さな声で発露した疑問に、アイゼンは立ったまま壁に寄りかかりながら千束を見て答えた。
「連れ去られた」
簡潔、明瞭、そして残酷な事実。あまりにも感情を考慮しない丸裸の報告に、イレーネは殺意のこもった目でアイゼンを睨み何事か言いかけたが、アイゼンは右手を挙げて言葉を遮った。
「だが生きている。その場で殺さず連れ去るということは、敵にとって人質が生きていることに何らかの価値があるということだ。敵の目的がわからない以上永続的な命の保証はできないが、少なくともしばらくの間、生きてはいる」
生きて〝は〟いる。
千束は視界の周りが暗くなっていった。目を伏せる。小汚い段ボールと包帯の巻かれた自分の足が、トンネルエフェクトで暗くなっていく視界の真ん中に映る。
きっとたきなも同じかそれ以上に負傷しているはずだった。
自力では動けない。抵抗もできない。脱出も連絡も恐らく叶うことはない。
それからどうなるかなんて考えたくない。教えられなくてもどうなるかなど火を見るより明らかだ。
じゃあどうすれば良い?
「…………助けに行かなきゃ」
千束は迷いなく口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。そして納得した。私はこうだと。私は変わらない。足を怪我していても、動けなくても。
落ち込んでいる時間があるのなら、一歩でも前に進む。くよくよしたってたきなを取り戻せる日は来ない。
「たきなを助けなきゃ。アイゼンさん」
千束は呟きながら顔を上げた。視界を狭めていた暗憺は自らの言葉で拭い去った。ただ、涙が瞳を濡らしてアイゼンの姿をぐにゃりと歪める。気がつかないうちに涙を流していたようだった。手で拭いながら、部屋の端のアイゼンを見続ける。
アイゼンは腕を組んだまま、ゆっくりと首を横に振っていた。
「今すぐには出来ない」
「なんで」
「今回の戦闘は損耗が大きい。銃も弾も医療品も補充が必要だ。一度建て直す期間がいる」
「…………」
「戦力も、今まともに動けるのは俺を含めて四人しかいない。ゴミ漁りならともかく、組織的な相手から人質の救出をするのは現状では不可能だ」
千束の表情が再び暗くなる。ただ誰が考えてもアイゼンの導き出したそれは明らかな結末で、恨めしいほど合理的な選択だった。千束自身も頭ではわかっている。わかってはいても納得はできない。苦虫をかみつぶしたような顔で、千束の食いしばった歯が鳴った。
見ていられなくなったのか、イレーネがハチの肩を小突いた。小さな声で二、三言やりとりをする。
ハチは自身のバックパックから黄色いアルミ缶のエナジードリンクを取り出して、おもむろにイレーネに差し出した。イレーネは眉根を寄せながら怪訝な顔で、
「これしかないの?」
「ない。それともタバコの方がいいか?」
「いいわけないでしょ。ありがと」
外気でひんやりとした缶を手の中に収めて、イレーネは千束の側に寄った。
暗い顔で沈んでいる千束の隣で膝をつき、エナジードリンクを差し出す。
「心配だし、すぐ助けに行きたい気持ちはわかる。でも焦ったら死ぬ。それはわかる?」
「…………わかる」
「まずは傷を治すこと。こうやって生きて再開できたんだから、今は少しだけゆっくりしよう。その間にどうやってたきなちゃんを助け出すか考えよう」
「うん」
千束はイレーネからエナジードリンクを受け取って、栓を開けた。一口、二口と喉を鳴らして、部屋の中を改めて見回す。
知っている顔もある。知らない顔もある。あのホテルでの一幕で、本当に状況が大きく変わった。変わってしまったと言った方がいいのか。
千束は、せめて知らない人の名前くらいは聞きたいなと思った矢先、その知らない人間のうちの一人が右手を控えめに挙げてアイゼンに声をかけた。
血の散った白いワイシャツに防弾ベストをつけている。知性を思わせる精悍な顔つきから発せられた英語は明瞭な発音で、声まで頭の良さそうな人だなと千束は思った。
「アイゼンさん、知らない顔もあると思うので改めて自己紹介はどうでしょう」
「必要か?」
「しばらく行動を共にするメンバーです。名前と得意不得意くらいは知っていたいでしょう」
「そうか」
アイゼンが一つ頷き、部屋の中にいる全員を見渡した。唯一、グリゴリーは今の英語のやりとりを十分に理解していなかったのか、事務椅子の上から手を伸ばしすぐ近くにいたハチの袖を引っ張った。小声で尋ねる。
「ねぇ」
「なんだ」
「あのインテリなんて言ってたんだ?」
「自己紹介だとよ。…………まて、お前英語できないのか? さっき俺と話しただろ」
「あんまり早いと聞き取れないんだよ。できないわけじゃない」
「そんなんでよく情報屋やれてたな」
「今まではこんなに喋らなくて済んでた」
「あぁ、そういうことか。俺のは聞き取りやすいか?」
「その顔やめろムカつく。蹴るぞ」
睨みを効かせながら短い右足をぴこぴこ動かすグリゴリーに、ハチは笑いを堪えて手を振った。
「まぁ、通訳が必要なら呼べ」
「じゃあ隣にいろ」
「イレーネじゃなくていいのか?」
「…………? イレーネさん、ロシア語できるのか」
「多少はできてたぞ」
「呼んで」
「はいはい」
ちょうどハチの側に戻ってきたイレーネに、ハチは一言「ご指名だぞ」と言ってグリゴリーを指差しその場を離れた。
いきなり指名を言い渡されて首を傾げながらも、イレーネはグリゴリーのそばに立って、
「なに?」
「あ、いや、その」
「…………?」
グリゴリーに用件を聞いた。しかし歯切れの悪い回答。そうこうしていると、ルークから自己紹介が始まった。何が指名なのかよくわからなかったが、とりあえずイレーネはその場にとどまって、話し始めたルークの方を見る。
「ルーク・コンバイスです。情報をメインに扱いますが、多少なら銃も撃てます。ただ撃ち合いには慣れていないので、戦力としては見ないでください」
ルークは軽く会釈をしてから、アイゼンへ目配せをした。
「アイゼンだ。この隊の指揮を担う」
三秒話して口を結んだ。静寂が流れた部屋の中で、千束は思わず肩が震えてしまう笑いを堪えながら、
「だけ? アイゼンさん」
「必要なことは話した」
「まぁそっか」
アイゼンの変わらない態度に納得した。あぁそうだこういう人だったと。
次に千束が、主に初対面の二人────ハンクとルークに目を向けながら口をひらく。
「私は錦木千束。千束って呼んでくれたらいいよ。今は怪我しちゃってこんなだけど、元気になったら一緒に戦うから。よろしくおねがいしまーす!」
快活な笑顔。歯を見せて日差しのような笑みを浮かべる千束に、ハンクがひゅーと口笛を吹いた。アイゼンが睨んですぐさま口笛をやめた。
しかし、千束のその笑顔を見たハチとイレーネは顔を見合わせ、ハチが小声で千束へ親指を指しながら、
「…………あの子無理してないか」
「してるよ。やっぱ結構ダメージになってる」
「だろう」
「なんでわかったの? 話したことないんでしょ」
「高校で銃乱射事件が起きたとき、生存者がよくああいう笑い方をしていた」
「……そういうことね。一人にはしない方がいい」
「その通り」
お互いに頷いて、それからハンクの方を見た。ハンクが話し始める。
「俺はハンク・リーシャ。ハンクとか幽霊とか好きに呼んでくれ。狙撃は任せてくれたらいいが至近距離の戦闘は専門外だ。よろしくな」
ハンクが話終わると、次にハチとイレーネ、グリゴリーの三人がいる一帯に視線が集まった。グリゴリーが事務椅子からイレーネとハチを見上げる。無言のアイコンタクト。なんで私からなんだと不満を言いかけたが、イレーネの顔を見てグリゴリーは前を向いた。気が変わった。やる気が滲んでいた。
「…………グリゴリー。仕事でヴァレーリャとか呼ばれたこともあるけど、グリゴリーでいい。戦えない。研究所とかセーフハウスに用があるなら案内はするけど、今は足が悪いからできない」
英語での自己紹介が控えめに部屋へ響く中、千束はグリゴリーの右足が膝から先を失っていることにそこで初めて気がついた。
目を見開き、次に口をつぐみ、最後にアイゼンの方を見た。なぜかちょうどアイゼンと目が合ったが、アイゼンは何かを捕捉する必要はないと判断したのかふいと視線をイレーネたちに戻した。
千束は煮え切らない思いが胸に残っていたが、今更どうにもできないし、まして自分には何もできない。大人しくイレーネの方を向く。
「アタシはイレーネ・サンダース。武器が全部なくなってるけど、手に入れたら戦える。交戦距離は50m以内の方が得意だけど、それ以上でもやれないわけではないわ。よろしく」
なんのことはない自己紹介をしてから、イレーネはハチに視線を振った。最後。全員の目が集まる。
「ハチだ。特に交戦距離の不得意はないが、長距離狙撃は経験がない。.300ブラックアウトが見つかったら俺にくれ。買い取る」
「あっ」
ハチの自己紹介が終わった直後、千束の間抜けた声が不意打ちのように部屋に響いた。間の悪いことに静寂の中で千束の声は全員の耳に届き、その大半が振り返って千束の方を見た。千束は声を上げた理由を弁明しなくてはいけない。そういう空気が部屋を支配した。
照れくさそうに千束は手をひらひらさせながら、
「いや、たいしたことじゃないんだけど、ハチさんって確か伐採場で…………」
「そうだな。初めて君たちと会ったのがそこだ。俺は君らと直接やりとりをしていないが、アッキーから聞いている」
「…………生きてたんだ」
千束は、もう何日も前になる伐採場での戦闘を思い出した。
シュターマンを倒し、ハチとアッキーを無力化した。同じ場所に拘束して、そこを離れた後に銃声が鳴った。
エゴだと。人の命を自分たちで奪いたくないがために問題を先送りにした結果の、最低なエゴだと自分を戒めた出来事だった。
それが、どうしてか目の前にはあの時死んだと思った男が立っている。
千束の顔に疑問符が大きく書かれていることに気が付き、ハチは肩をすくめながらその答え合わせをした。
「戦闘のおこぼれを狙って寄ってきたスカブを、アッキーと…………ダイモンと言ったか。あいつら二人が撃退した」
「じゃあ、殺し合いにはならなかったの?」
「アッキーが言うにはそうらしい。実際俺も生きていたし、目が覚めた時にはシュターマン御一行はいなくなっていた」
「そっか」
千束は、今聞いた話を胸の内へ大切にしまった。殺し合うことだけが、命を奪い合うことだけがこの街の全てではないことを示せたような気がした。同時に、それじゃあシュターマンを殺す依頼はどうなったのかが気になった。
「あの時の依頼はどうしたの? シュターマンを殺すように言われてたんでしょ?」
「当然依頼主からは縁を切った。恨みを買うこともあるだろうが、それ以上にシュターマンの側に着いた方が得だったからな」
「あ、そういう」
「巡り巡って取引の結果、今に至る。千束。君と生きて再会できたことは君がもたらしたことでもある。殺し以外の選択を常に考えて選び続ける姿勢は、間違ってなどいない」
ハチの言葉に、千束はにこりと口角を上げた。
「全員の紹介が済みましたね。早速で悪いですが、今後このメンバーでうまく生きて行くことと、それぞれの目的を果たすための話し合いがしたいです」
ルークのよく通った落ち着いた声に、部屋の全員が各々頷き参加の意思を示す。
単純な利害関係の繋がりだけではない。今この部屋の中に集まっている七人は、お互いの生命を脅かさないことの同意を、曖昧な経緯で得ている。
それを言葉とルールで明確にすること、維持することが必要不可欠。その上でこれから先の行動方針を決める必要があった。
法もない。秩序もない。自助努力でしか生きることのできないこの街で、七人という人間がお互いの安全を確信して生きるためには、工夫と仕組みが必要だった。特にルークとアイゼンはそのことをよく理解している。
薄汚い硬質な壁と床に囲まれた地下駐車場事務室の中で、七人は各々円になってお互いの顔を見合わせた。
生き残るために。
目的を果たすために。
生き続けるために。
話し合いはルークが主導となって行われた。
ガスマスク取れたグリゴリーちゃんがマスコットみたいになっちまってる。
実際この子しばらく一人じゃ生きていけないから、周りに人がいないと死んじゃうんだよね……。
高身長色白金髪ショートボブダウナー毒舌細身右足欠損娘とかいうてんこ盛り。
うーんマスコット。