リコリスinタルコフ   作:奥の手

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女子会

「ここ、置かせてね」

「どーぞどーぞ。ありがとイレーネさん」

 

 ベットサイドのテーブルに置かれた三つのマグカップからは湯気が立ち込めている。中身は紅茶か。存外いい香りが部屋にふわりと広がった。

 

「グリゴリー呼んで来ていい?」

「もちろん!」

「あの子一人じゃ移動できないから肩貸してくる」

 

 トレーをテーブルの端に置いて、イレーネは足早に部屋から出た。

 良い香りを上らせるマグカップにちらりと視線を落とした千束は、みんな集まってから手に取ろうと両手を膝の上に置く。

 

 イレーネなりの気遣いだろうか。

 自分もグリゴリーも自力ではしばらく移動できないほどの負傷をしてしまった。

 それはただの街ならどうということもない。入院することになったとしても、普通にお見舞いがあって、数日もすれば退院する。足を失ったとなれば大事だが、それでも〝それ以上〟からは逃れられたとある種の安堵をもたらすだろう。

 

 でもこの街は違う。

 自分で動けないということは〝それ以上〟の絶望も呼び寄せる。戦えない、戦う手段がない。それは死への距離感を確実に近づける。

 

 だからイレーネは、今三人で集まるのだろう。この街では珍しい女性の生き残りで結束するために。

 動ける自分にできることを精一杯やるために。自分が守らなければという使命感のために。

 

 開いたままのドアがノックされた。千束の返事を待たずして、肩を貸したイレーネと、左足で跳ねながら不安定な歩行をしているグリゴリーが入ってきた。

 

「グリゴリーさん、ベット使って」

「いや、背もたれのある椅子の方がありがたい」

 

 グリゴリーの言葉に、イレーネは一度グリゴリーをベットの下の方へ座らせてから、部屋の端にあった木製の椅子を引っ張ってきた。

 

「ありがとう」と英語で礼を述べながら、ごく短い距離なのでグリゴリーは左足だけで立ち上がり椅子へと移動する。

 イレーネは代わりにベットの端へ座り、落ち着いた。

 

「じゃあ、これ。イレーネさんが淹れてくれたの」

「ありがとう」

「えぇ」

 

 千束はサイドテーブルに手を伸ばし、暖かい紅茶のカップをグリゴリーとイレーネに渡す。

 

 乾杯の言葉はない。決して手放しに再会を祝える状況ではない。それは三人の誰もが暗黙の了解としていた。

 ここにたきながいれば、きっと千束の元気で溌溂とした口上の一つや二つはあっただろう。

 

 流れるのは外から聞こえてきた静かな風の音と、紅茶を口に含む音。

 

 三人が無言でカップに口を付け、澄んだ甘い香りが鼻を抜ける時間がゆったりと流れてから、グリゴリーは静かな声で口を開いた。

 

「……イレーネさん、ありがとう。あなたと話がしたかった」

「下にいたとき、そういう雰囲気があったもんね。男どもが居たら話しにくい事でしょ?」

「あ、いやそういうわけじゃないけど」

「そう?」

 

 目を細めて笑うイレーネに、グリゴリーはほんのわずかに頬を赤らめながら視線をそらした。

 しかしすぐに、顔を上げてイレーネを見る。

 

「でも、まずは千束の話を聞いてあげてほしい。やっと合流出来たんだろう?」

「えぇ、そうね。でも……楽しいお話はたきなちゃんを取り戻してからにする」

 

 毅然と発したイレーネの言葉には、小さな悲しみと大きな覚悟が含まれていた。たきなを生きて助ける。それまで再開を喜ぶことはない。偽りも曇りもない心からの言葉。

 

 千束はまっすぐイレーネを見たまま、

 

「……ありがと、イレーネさん。私もそうするよ。今度はたきなと一緒に、ちゃんと乾杯しよう」

「それまでおもしろ話はお預けね」

 

 わざとらしく大袈裟なウィンクをしたイレーネに、千束も笑顔で返した。

 貼り付けた、無理をした、こわばった笑顔。必死に明るく振る舞おうとしているのが、イレーネだけでなくグリゴリーにも伝わった。

 

「…………」

 

 カップの紅茶を啜りながら、グリゴリーはぼーっと千束の笑顔を見て考えた。

 

 千束がどれだけの死線を潜り抜けて来たのかはわからない。自分よりきっと膨大な数だろうと、なんとなく察することはできる。しかし、グリゴリーは心中で吐露した。

 

 この子は、まだ大人ではない。

 

 自分が立派な大人だとは一遍も思っていないが、物事を「諦める」とか「見限りをつける」とかの、そう言った類の生き方は確実にうまくなった。

 この子より数年先に生まれてきて、社会の荒波に幾分年早く揉まれてきた。そういう自負がある。本やネットで知った気になるのとは訳の違う含蓄がそれなりにある。

 

 目の前の無理な笑顔を浮かべている少女に、別れや諦めのなんたるかを知っている〝年長者〟として声をかけるべきか。

 

 直感では、もう声をかけた方がいいと思った。

 理性では、余計なことを言わずともイレーネが何か言うかもしれないと思った。もとよりあまり言葉を使うことが得意ではない。どうする? 

 

「…………」

 

 こういう時は直感を優先したほうがいい。

 グリゴリーは一人で納得し、一口紅茶を含んで口内を湿らせてからゆっくりと口を開いた。貼り付けた笑顔が剥がれつつあった千束に向かって。努めて優しい声になるように。

 

「千束」

「………………なに? グリゴリーさん」

「ガールズトークをしよう」

 

 イレーネが紅茶を吹き出した。

 

 ○

 

「え…………ガールズトーク?」

 

 明らかに困惑した声を上げる千束に、グリゴリーはバカな直感を信じた自分に早くも心の中で後悔を叫びながら、取り繕うように早口のロシア語で捲し立てた。

 

「いや、その、さ? こういう時に明るい話をしちゃいけないってなったら、じゃあ何話すのってなるじゃん。だからガールズトーク。女しか集まってないんだから、好みのタイプの話とかどうかなって思って。あでもイレーネさんが嫌だって言ったらそれはもう嫌なんだから仕方ないというかその────」

 

 止まりそうにないロシア語の濁流と、みるみるうちに白から赤に染まっていくグリゴリーの顔。

 千束は今までのグリゴリーとは全く違う雰囲気に、驚きながら手のひらを広げて「どうどうグリゴリーさん落ち着いて」とジェスチャーをし始めた。なお、グリゴリーの言葉はまだ止まっていない。

 

 イレーネは笑いを噛み殺して震えながらカップをテーブルに置きベット端から立つ。肩を振るわせつつ口の周りに飛び散った紅茶を袖で拭うと、顔を真っ赤にしているグリゴリーの両肩に手を置いた。椅子に座ったままのグリゴリーは、正面から笑顔でまっすぐ見つめるイレーネを否応なく視界の全てに収める。

 

「グリゴリー」

「ひゃい」

 

 イレーネの点呼にすぐさま応答。グリゴリーの口は止まった。

 

「とってもいい案だと思うけど、アタシはロシア語をその速さでは聞き取れない。ゆっくり、落ち着いて、ガールズトークしよう」

 

 こくこくと頷くグリゴリーの顔は、徐々に赤みがおさまって元の白磁のような白い頬に戻った。

 イレーネは手を離し、にこにこと笑みを浮かべながらベット端に腰掛けるとカップから一口紅茶を啜って、

 

「で、好きな体位の話だっけ?」

 

 あっけからんとした態度でそう聞いた。英語で放たれたその言葉に、グリゴリーは首を傾げながら千束へ視線を投げて「ポジ……? なんて?」と聞いた。聞き取れていない。

 しかし今度は千束が頬を真っ赤にしながら、

 

「イレーネさんそれはちょっとまだ早いかなって」

「じゃあ予行練習よ。体格次第で、できることもやりやすさも変わるから。色々知ってて損はないよ」

「いーやぁ千束さんにはまだちょっと早いかもって…………いやでも興味はあるか…………こういうのたきながいたらバカ真面目に研究し始めるから今話してた方がいいのかな…………」

「ねぇ、千束ちゃん。千束ちゃん? イレーネさん何の話してるんだ?」

 

 一人置いていかれそうなグリゴリーにイレーネはロシア語でゆっくりと解説した。グリゴリーが心底複雑な表情で、どう答えようか思案している間にイレーネはベットの上に寝転んで「じゃあ言い出しのアタシからね」とニヤついた表情で足を持ち上げ始めた。

 

 女子三人のあまり外に漏れてはいけない秘密の会話は、連絡のために訪れたハンクとルークが部屋のドアをノックするまで、一時間ほど熱く花を咲かせていた。

 

 

 

 

 

 




新年度が始まりましたね。
新入生、新社会人、あるいは人生の転換期の皆様。おめでとうございます。

今後もどうぞごゆるりと日々の生活にリコリスリコイル×タルコフ成分を摂取していってください。

……作者も完全に忘れていたのですが、リコタルは二周年を迎えていました。
先月。なんと先月。それほどリコタルの存在が生活のルーティーンになっているということでしょうか(たぶん違う。うっかりなだけ)

これからもどうぞよろしくお願いします!
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