リコリスinタルコフ   作:奥の手

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二人組

 空が茜色から紫へと移り変わり、もう数十分もすれば完全に日が落ちる頃。

 窓から差し込んでいた夕日の代わりに、ランタンへと明かりが灯される。室内の顔ぶれがおぼろげにわかる程度の光量の中で、アイゼンをはじめとした七人が千束のベットの周りに集まった。

 

「予告通り、これより五分後に行動を開始する」

 

 腕に巻いた時計に目を落とし、アイゼンは抑揚のない声でそう告げた。

 イレーネがUMPを、ハチがMCXを、ハンクがTX-15を、それぞれもう一度正常に作動することを確かめた。

 

「どれくらいで帰ってくるつもり?」

 

 ベットの上から千束がアイゼンに投げかける。アイゼンは顔を上げて千束の目を見てから、

 

「五時間。捜索の成否に限らずこの時間で帰投する。ただし同時進行でルークがたきなの居場所を捜索する。位置情報が出れば追加で五時間の行動を想定する」

「つまり全部で十時間は動ける装備で行くってわけだ」

 

 ハンクがTX-15にマガジンを刺す音を響かせながら千束の方を向いて、

 

「だからまぁ、10時間後にはお友達に会えると思って頑張ってくれよ、お嬢ちゃん」

 

 親指を立てた。

 そんな確証はどこにもない。うまくいく確率の方が低い。

 それは、その場の誰もが一瞬胸中に抱いた声にならない指摘だったが、千束はふっと肩の力を抜いた。

 

「そうだね。待ってるよ、ハンクさん」

「おうよ」

 

 口の端を上げたついでに、ハンクはそのままイレーネとハチに向き直って、今度は真剣な表情で二人に視線を送った。声がワントーン下がる。

 

「頼んだぜお二人さん。留守番をよ」

 

 留守番。

 何のこともなさそうな事実をわざわざ言葉にしたハンクへ、イレーネは小さく首をかしげたがハチは目を伏せて軽く頷いた。

 

 定刻になる。

 アイゼンとハンクは、空の端の方でわずかにまだ明るみの残る、もう夜の入り口に差し掛かったタルコフ市の街中へ、荷物の回収任務へと出撃した。

 

 ○

 

 夜の帳が下りた頃。

 しかしその部屋は、夜だろうと昼だろうと外の一切がわからない部屋だった。つまるところ、人間を拘束してその時間間隔を狂わせるように改造された監禁部屋であり、井ノ上たきなはその部屋で数十時間を過ごしていた。

 

 両足は負傷により動かず。

 右腕は肘から先を切り落とされ。

 左腕も数発の銃弾が肉をそいでおり、まともに動かすこともままならない。

 

 リノリウムの床を伝った失禁跡は色をうっすらと変えて乾いており、下着は湿った状態で絶えず不快感を生んでいる。だとしてもどうすることもできないたきなは床に倒れ込んでいた。

 

 意識はもう、あるのかないのかわからない。視界は明暗を繰り返しており、ずっと変わらない冷たい景色がぼやけたり暗転したりはっきりと見えたり、結局そこに何があるのか見えてはいない。あるのかないのかも定かではない。

 

 ペストマスクの男は数時間姿を見せていない。

 つまり食事はもちろん、水分の補給ももう何時間も行っていない。

 

 たきなはずいぶん昔の訓練を思い出した。まだ制服に色がついていなかった頃。

 養成所の近くの山に、一日分の食料を持って三日間籠る。まだ年齢的に発育途中であったから、野生動物の管理がある程度行き届いた場所で行うDAの想定訓練だった。

 

 都市の中で活動をするリコリスが、なんでこんなことをするのか理解できなかった。あの頃は。

 

 今ならわかる。

 こうして敵に拘束され、意図した活動エリアとは違う場所での活動──危機的状況からの脱出訓練を想定していたのだろう。

 ただあくまでリコリスとして生きるのであれば、存在が認知された時点で自害する方が得策だが。

 

「……」

 

 そんなこと、千束の前では口が裂けても言ってはいけないなと、たきなはふと自嘲気味に笑って気を取り直した。

 

 しかし、それにしても。

 どうにもならない状況である。

 

 危機的というよりはもう、死を待っているだけに思えてならなかった。

 まだ助かる、希望を捨ててはいけないと自己を鼓舞する声と、もうどうにもならないだろうと諦めを吐露する自分がぼやけた思考で交互に浮かび上がる。

 

 身体は動かせない。力をどこに入れたらいいのかもわからない。

 自分がどんな体勢になっているのかすらわからない。

 

 たきなは、薄く開けていた眼を力なく閉じた。

 少し寝ようと思った。もう疲れた。ちょっと寝た方がいい。

 

 そうして目を瞑った数秒後に、外で銃声がした。

 

 近い。五十メートル以内。消音機を使っていない。

 散発的だが連射している機関銃の音がする。

 

 たきなは薄く目を開けて、とりあえず寝るのはこの騒音が止んでからにしようと思った。

 一瞬、千束が助けに来てくれたのかとも思ったが、千束はこんな派手に銃声をばらまきながら突撃してこな──いや、性格的にしそうではあるけどこの街ではしないだろう。

 5.56×45mmの非殺傷弾があったら迷わずぶっ放すか。そんなものは手に入らない。

 

 監禁部屋の扉が開いた。例のペストマスクの男が入ってきたのは分かった。思ったより目がやられているのか、男の姿はだいぶぼやけている。たきなは何度か瞬きしたが、治る気配はない。諦めた。

 

 ペストマスクの男は、足で蹴ってたきなを仰向けにした。

 カラスのくちばしのようなマスクの先端を向けて、生気のない声で告げる。

 

「招かれざる客が来た。移動する。足は邪魔だから切り落とす」

「……」

 

 ペストマスクの男の右手にはスコップが握られていた。たぶん、刃のついたスコップなのだろう。

 なるほど合理的だ、とたきなは他人事のように思った。どうせ動かないのなら軽量化のためにも取り除いた方がいい。この場合は両足を切り落としたほうがいい。

 

 妙な納得と共に、たきなはダメもとで今思ったことを口にした。

 

「……動けるようになったら、加勢しますよ。手足があればですが」

 

 あまりにも弱々しく、消え入る寸前のたきなの言葉は、どうやら止血帯を巻き始めたペストマスクの男へ届いたらしかった。男は手を止めて、そのまま数秒固まり、そしてたきなの太ももから止血帯をほどいて自身のリグにしまった。

 

 代わりにパラコードを取り出して、たきなの上半身を起こす。背負えるようにたきなの体にパラコードを括り付けていく。

 

「……ありがとうございます」

 

 たきなの言葉に返答はない。だが、どうやら〝生かしておく〟ことに価値がある状況になったらしい。たきなにとっては幸運だった。

 胸の前でクロスして股関節で荷重が分散するように紐が通された。ペストマスクの男はたきなを背負う前にボトルの水を取り出して、たきなの口へ傾ける。

 数時間ぶりの水。喉を鳴らして飲み干した。続けざまに注射器が数本、たきなの体に刺される。栄養剤や沈痛剤だろうか。中身をいちいち確認する気力はなかったが、死なないようにしてくれていることだけはわかった。

 

 投げ捨てた使用済みの注射器が部屋に転がっていくのと同時に、建物の出入り口で何かが爆発する音が聞こえた。

 ペストマスクの男は慌てるそぶりを微塵も見せず、非常に手際よくたきなを背負い、括り付けたパラコードを締め上げてたきなの体を背中で固定した。男は両手が使える状態になった。

 

 傍らに置いていたM4A1を持ち、セレクターをフルオートにする。60連マガジンにハンドガード下にはグレネードもついている。ずいぶんと火力の高い装備だなとたきなは男の背中で力なく感想を抱いた。

 

 監禁部屋から、建物の出入り口に向かって男はグレネードを一つ投げた。投げると同時に部屋から飛び出して、出入口とは反対方向へ移動する。

 

 廊下を爆音と振動が走ったと同時に、銃声が鳴った。ペストマスクの男ではない。出入り口の連中が撃ったのか。

 

「……訓練されていませんね」

 

 男の耳元でたきなは呟いた。余計なことを言ってしまったかと後悔をしたが、男は薄暗い部屋を奥へ奥へと進みながら、

 

「あれは雇われた探りの連中だ。本命は裏手に回っている」

 

 意外にもたきなの言葉に返答した。会話ができるのかとたきなは表情を変えずに小さく驚嘆した。

 それで、裏手に本命が居るとして。

 

「なぜ、その裏手に、向かっているんですか」

 

 たきなの問いに、

 

「殺すためだ」

 

 何のこともないようにペストマスクの男、ザイーツは返答した。続ける。

 

「商品を渡す前に横取りする連中は排除したほうがいい」

 

 至極もっとも、それもそうだとたきなは納得した。納得しつつやはり気が狂っているとも思ったが、もしこの男が殺されたら、それこそ本当にどうしようもない。たぶんこの襲撃は千束たちの物ではない。つまり第三勢力。敵。

 

「……ぜひ、勝ってください」

 

 自分にはどうすることもできない。祈るしかない。諦めることもできないし、抵抗することもできない。

 何もできない。祈ること以外。

 

 たきなは力の入らない左手の拳を、それでもめいっぱい握りしめて〝生き残れますように〟と祈り続けた。

 

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