リコリスinタルコフ   作:奥の手

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月光夜

 ペストマスクを被ったまま何十kmという距離を人ひとり背負い移動しても息切れ一つしない屈強な男──ザイーツのことをたきなは徐々につかみ始めていた。

 

 まず無口である。アイゼンと比較しても圧倒的に口数が少ない。

 平気で呼びかけを無視するし応答しない。敵影らしきものを後ろから報告しても首肯すらしない。

 ただそもそも敵の存在を察知する能力が高く、ナイトビジョンがあるとはいえ「今のをどうやって視認したんだ」という距離と位置に弾を放つ。その道を通ればまだ暖かい死体が血を伸ばして倒れている。ゆえに、わざわざこの男の背中からガイドする必要性は合理的に考えると存在しない。

 

 それから、ザイーツは相手を即死させない。

 〝殺さない〟のではなく〝すぐに死なない〟方法で殺している。ここまで徹底してそれを行うのには意図があるように思えるが、少なくとも千束とは似て非なる思想で動いているとたきなは確信した。

 千束となるべく鉢合わせたくない。ややこしいことになる。

 

 分かったことはこれくらいで、逆に「これからどこへ行くのか」とか「自分はどうなるのか」などは未だに不明のままである。

 何処を目指して歩いているのかもわからない。少しずつ建物の高さが低くなり、郊外へ進んでいるようにも思える。

 

 監禁されていた建物から出発して数時間。その間、寄ってきたスカブや敵意があるのかないのかわからないPMCや所属不明の人影を容赦なく殺して進んでいたが、周辺に緑が増え始めたあたりでザイーツは一軒の小屋へ入り込んだ。

 

 工事現場でよく見るプレハブの事務所。中身もまさに事務所のようで、スチールの机とパイプ椅子、簡易的なベットが備え付けられている。ベットにはマットレスが直置きしてあり、古い血で汚れていた。できればあのベットには近づきたくないなとたきなは顔をしかめた。

 

 ザイーツがそのベットの真横に立つと、背中を向けてたきなをくくっていたパラコードを緩めた。しゅるしゅると紐の擦れる小さな音が事務所に響く。

 

「ぅ……」

 

 無情にもたきなはどさりと乱雑にベットへ落とされた。幸いにしてマットレスは柔らかく、臭いもそこまできつくはない。何らかの感染症にかかりそうなほど致命的に不衛生な点を除けばまともな寝床だった。

 仰向けに落ちたので、血痕禍々しい惨状が視界に入ることはないが、マットレスに触れる左手の指先にはあまり快くない感触が伝わってくる。

 

「……休憩ですか」

 

 どうしても表情はこわばってしまうが仕方がない。たきなは意識して凄惨なベットのことを頭から追い出しながら、踵を返したザイーツを目で追って質問を投げた。ザイーツもパイプ椅子に腰かけて通信端末をリグから取り出す。

 

「この場所から離れる。車両を呼ぶ」

 

 ザイーツの言葉にたきなは目を丸くした。

 車両があるのか。

 たしかにスキーヤーの仕事の話でも、タクシー業者が動いているという話は聞いていた。

 

 基本的にEMP攻撃を受けた地域の車両は、コンピューターが焼き切れて使い物にならない。防御措置をあらかじめとっている車両か、地下深くや屋内で厳重に保管されているなどの特殊な事例を除いて、その地域から動く車はいなくなる。

 

 だから希少で、価値がある。

 そういう車両を動かす伝手がこの男にはあるのかと、たきなは感心した。ただのサイコキラーではない。人脈と頭脳を持った最低なサイコキラー。

 

「私だ」

 

 通話が始まった。たきなはベットの上から頭を動かしてパイプ椅子を視界に収める。極力物音は立てない様に。

 

「輸送を頼みたい。例の車両はもう動くのか」

 

 それから数分、いくつかのやり取りを通して輸送の段取りを組みザイーツは通信を切った。

 端末をしまいながらベットの上のたきなに珍しく声をかける。

 

「一時間後にティーグル装甲車で移動する」

「わかりました」

 

 返答するたきなから視線を外し、ザイーツはパイプ椅子を立った。

 事務所の出入り口、ドアのすぐ真横まで歩くと、壁へもたれかかるように座り込んでM4A1を抱えたまま俯いた。カラスのくちばしのようなペストマスクの先端がうなだれるように床を向く。

 

 仮眠、だろうか。

 たきなは細く息を吐きながら、座り込んだザイーツから目を離して天井を見上げた。ちょうど仰向けで見る天井の模様は、よくあるプレハブ小屋のよくある模様柄だった。月明かりの差し込む窓からの光で、なんとなく見えている。

 

 装甲車が迎えに来る。

 いったいどういうつながりなのか。この孤独そうな男にも仲間がいるのか。

 いや、単なる取引か。仕事の関係。利害の一致。そういうものだろうか。

 

 どうにかして千束と連絡を取り、合流を図りたい。いつどこで誰に身柄を渡されるのかさっぱりわからない。今は生かしてくれているが、これがいつ変わるとも限らない。

 

「……」

 

 目が慣れてくれば慣れてくるほど、天井の模様が変化しているように錯覚する。

 たきなは少し眠ろうと、軽く瞼を閉じた。

 

 ○

 

 次にたきなが目を覚ましたのは、車のエンジン音が聞こえてきた時だった。

 重苦しく聞きなれない音。

 この街では珍しいことこの上ない音であったが、それが装甲車のエンジン音だということはベットの上で天井を視界に収める前に気が付いた。

 

 目を開けた直後に背中へ手が差し込まれる。そのまま抱き起された。

 存外優しい手つきにたきなは驚きながらも、すぐ間隣にいるのがペストマスクの男なのを確認して、少しばかり落胆した。

 

 まるで人を優しく扱えるような手つきだった。寝ている娘をそっと抱き起すかのような動作であり、たきなは一瞬寝ぼけた頭で〝救助〟の二文字を思い浮かべた。現実には違った。

 

 ザイーツは蓋の開いた水をたきなに差し出すと、それをたきなの左手に持たせて自身は立ち上がった。

 たきなはまだ若干震える左手で、こぼさないよう慎重に水を口へ運んだ。建物の外のエンジン音が止まる。距離にして50メートルほど離れた位置に停車したか。

 

 ザイーツが事務所の出入り口に立った。まだ扉は空いていない。窓からの月明かりも扉の前までは届いていないため、暗闇に潜んだザイーツの輪郭をたきなは捉えることが出来ない。ペットボトルの水を飲むのもそこそこに、たきなはベットに座ったまま入口を見つめた。

 

 程なくしてドアがノックされる。

 すぐに外から声が聞こえた。

 

「オリアだ。〝魚のボルシチ〟」

「ザイーツ。〝肉のボルシチ〟」

「確かに確認した。開けてくれ」

 

 ドア一枚を隔ててやり取りされた確認作業。薄い木製の扉はザイーツの手によってゆっくりと開けられ、事務所の床が月明かりで切り取られる。

 

 その切り取られたところに影を落としながら一人の男が入ってきた。

 服装はコンバットパンツに上はスポーツウェア。アーマーリグを着てベルトに拳銃が刺さっている。メインウェポンらしきものは所持していない。

 

「こんばんは、お嬢さん。僕はオリア・ヴァシリー。しがないタクシー業をやっている者だよ」

「……井ノ上たきなです」

「たきなさんと呼んでも?」

「どうぞ。私はヴァシリーさんと呼べばよいですか」

「オリアでいいよ」

 

 流暢でくせのないロシア語で話すオリアからは、どこか公務員然とした印象を覚えた。親しみと規律の二つが混ざるような空気感。

 しかし体つきは明らかに一般市民ではない。服やアーマーでわかりにくいが、どう見てもこの男が〝ただの運転手〟とは思えなかった。

 

 たきなから視線を外し、

 

「荷物はこれだけ?」

 

 オリアは振り返ってザイーツに確認した。たきなを指差している。荷物。そう、荷物なのだとたきなは目を細くした。ザイーツが頷く。

 

「じゃあ運ぶよ。怪我は? たきなさん」

「見ての通りですが、鎮痛剤が効いているので今は痛くないです。自力では移動ができません」

「じゃあ運ぶよ」

 

 オリアは軽々とたきなを抱えて立ち上がった。まるで幼児を抱きかかえるかのように、いともたやすく持ち運ぶ。

 その安定した体幹と、人を運んでいるのに全くブレない上半身から、やはりこの男は何かやっている、あるいはやっていたのだとたきなの中で確信に変わった。

 だからどうということでもなかったが、たきなはオリアの腕の中でつぶやいた。

 

「元PMCですか」

「そうだよ。もっと前はスペツナズにもいた。内緒にしてね」

「どうりで」

 

 屈強なわけだと。内緒も何もあったものじゃない。

 今の状態ではもちろんのこと、万全な状態でも武器無しでは完封されるであろう。肉弾戦では到底敵いそうにない腕の中に納まっていることも相まって、たきなはそう心の内で吐露していた。

 

「僕からも質問いい?」

「なんですか」

 

 事務所の出入り口をくぐりながら、オリアは申し訳なさそうに前を向いたまま口を開く。

 

「おしっこ漏らした?」

「はい」

「中継地点で着替えようか。女性用もあると思う」

「ありがとうございます。着替えと腕がないので助かります」

「君おもしろいね」

 

 数十メートル先で止まっている、月明かりに照らされた装甲車周辺には、ほかに二名の人影があった。オリアとほぼ同時に事務所から出たザイーツが「あれは」と確認する。

 歩きながらオリアは落ち着いた声で、

 

「ティーグルの部品回収を頼んでいたPMCだよ。納品してテストドライブしていたところに君の要請があったから、ついでに護衛として付いてきてもらった」

「今度から事前に言え。殺すところだった」

「そうするよ」

 

 装甲車のすぐ近くまで来る。たきなからも二人の人影がどのような顔をしているのか判別できる距離まで来た。

 

「…………たきな?」

 

 護衛の一人が声を上げる。

 困惑と驚愕がない交ぜになった声音で呼ばれたたきなは、オリアの腕の中で頭を動かして声の主をよく確認する。

 青白い月光に照らされて地面に影を作るのは、MDRを手に持ったUSECの制服を着た男。

 たきなもよく見知った男。このタルコフ市で最初に出会った友好的なPMC。

 

「ジャックさん……?」

 

 たきなは目を見開いた。

 確かに見間違えようがない。

 はっきりと顔を見て確信できるほど、どうあっても今日の月夜は明るかった。

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