タルコフ市の中心街から南へ移動すると、街と街を繋ぐ大動脈である高速道路に行き当たる。
紛争が起こる以前は朝晩を問わず往来が激しく、まさに輸送の要となる重要な経路であった。
紛争が起こってすぐにその大動脈は遮断され、物流は意味をなさなくなった。やがて街ごと封鎖された今、道路上に横たわるのは乗り捨てられた乗用車やトラックの残骸のみである。
「もうすぐ中継地点だぞ」
運転席から声を張り上げたオリアに、ジャックは振り返りながら、
「あと何分だ」
「三分ってとこか」
「わかった」
向き直ったジャックが、アッキーにハンドサインを送る。アッキーは一つ頷いて、ペストマスクの黒い覗き窓に視線を送った。
「ザイーツさんよ、銃に弾を込めてくれ。いったんおしゃべりはおしまいだ。あと、ここから先は警戒区域だ。撃たれたら撃ち返してくれ」
「……」
ザイーツは無言のままマガジンを取り出してM4A1に刺す。チャンバーを引いて初弾を装填。そこまでしてから、同じくMDRへ弾を込めていたアッキーに低い声で、
「お前たちを撃つかもしれんとは思わんのか」
一種の遠回しな脅しとも取れる、この場でなぜその発言をするのか意図の読めない質問を漏らした。
アッキーはマガジンを刺し終わったMDRの各部を最終チェックしながら、鼻で笑う。何のことでもないかのように。脅しには脅しを重ねて警告するように。
「俺たちを殺せば、あんたは二度と輸送サービスを受けられなくなる。軽率なことはしない方がいい。ただし、相手があんた以上にペラペラの脳みそだったらそいつは撃ってもらって構わねぇよ」
〇
オリアの言う〝中継地点〟とは、つまるところ関所であった。拠点から拠点を移動する際、例えば物資の補給や輸送、それに伴う資金や情報をお互いに渡し合う。中継地点を管理する組織の事務所、あるいは個人間で取り決めた場所で通行証を示し、お互いの縄張りや管理下の通路を安全に通ることを約束する。
これを無視すれば狙撃手が運転者の頭をぶち抜き、あるいは爆薬で車両ごと吹き飛ばされる。多少運が良ければ弾が外れたり爆薬が不発だったりで、おとがめなしになるのも含めて〝中継地点〟と呼ばれている。通ってもいいし通らなくてもいい。リスク管理はタクシー業者各自で行うという暗黙の了解のもと成り立っている。オリアはリスク管理を慎重に行う男だった。
中継地点へ到着するまでの三分間。
たきながジャックの名前を呼んだ。
「なんだ?」
「その、中継地点ってどこなんです」
「インターチェンジのショッピングモール。資材搬入口で取引される。ただあそこは〝客〟が多いらしい」
ジャックはうんざりした様子で首を振りながら顔をあげた。ちょうどアッキーも装備の点検が終わったところで、頷きながら「そうだ」と忠告した。
「自称タクシー業者だけが集まるなら、多少拳銃弾が飛び交うトラブルが起きるくらいで平和なもんだけどな。最近やたらと物騒な噂を耳にする。オリアの
「避けたんですか?」
「そうだ。なんでもショッピングモール内に鋼鉄製のフルフェイスを被ったくそ野郎が住み着いているらしい」
「鋼鉄製のフルフェイス……?」
アッキーの言葉を聞いてもピンと来ないたきなは、天井を向いたまま小さく首を傾げた。
ちょうどその時に車両が慣性を残しながら停車する。車内からは外の様子が見えない。が、オリアの予告通り三分経過からの停車である。
アッキーとジャックは開いていた口を閉じて、立ち上がった。
ザイーツも腰を上げようとしたのを、ジャックが左手を押し付けて制止する。
「荷物が自分からのこのこ出てくるのは違うだろ。座っててくれ」
納得したのか、上げていた腰はそのまま長椅子へと戻った。
ジャックとアッキーは一度アイコンタクト。踵を返したジャックが車両中央のスペースを使って助手席側に回る。運転席ではオリアが拳銃の薬室に弾が入っていることを確認してから、腰のホルスターに刺したところだった。
「用意は良いか?」
オリアの確認に、
「いつでも」
ジャックは頷き、MDRを胸の前に抱える。オリアが合図し、二人は同時に降車した。
〇
今夜の月明かりは一段とその輝きが強く、隠密行動をする者にとっては眉を顰めたくなるような条件だった。
隠れようにも隠れられない。もし慣れていない者だったら、周りが見えることに安堵するか、自分が見えてしまうことに緊張するかの二択だろう。
その男はどちらかというと後者だった。
インターチェンジ、ショッピングモールの駐車場からやや離れた位置にある鉄塔の階段踊り場で、一人の男がなるべく平らになるようにうつぶせで寝そべり、黒い布で全身を覆って頭だけ出していた。
手にしていた双眼鏡を顔から離し、小さな通信機のボタンを押す。
「高速道路より一台。ロシア軍のティーグル装甲車だ。搬入口へ向かっている」
『確認した』
インターチェンジの資材搬入口へ入っていくティーグル装甲車が建物の陰で見えなくなってから、男は通信機と双眼鏡をざらついた鉄の床へ音を立てないよう慎重に置いた。
「NVはいらねぇなこりゃ……」
男は視線を上げて、青白く降り注ぐ月光を複雑な表情で見遣る。散見できる夜空の雲はどれも輪郭がはっきりと分かるほど明るく照らされている。
道路も駐車場も死角以外は恐ろしいほどよく見える。暗視機能のついていない双眼鏡でも十分に車両の形が確認でき、ものによっては車内に放置されている物までわかる。
明るい夜。見通せる闇。つまり、それは地上からこの鉄塔をわざわざ見る者が居ればこちらも視認されてしまうことを意味する。
男は自分の仕事に戻った。言い渡されているのは〝見えたものを報告しろ〟〝車両が近づいたらその種類と進行方向を伝えろ〟の二つ。後は好きにしろとのこと。
タルコフ市がこうなってしまってから、銃を撃ったこともない男は生きるのも精いっぱいだった。食料、水、安全。
当たり前に約束されていた生活が当たり前のものではなくなったのと同時に、これまでの常識やルールも通じなくなったこの街は、男にとってとても耐え難いものだった。最初の一か月は。
人間とは慣れるものである。引き金の引き方を覚えた男は、殺される前に殺したり、殺せないような強い奴にはへりくだって雇ってもらえばいい事に気が付いた。忠誠は時に命を守る鎧になる。
それに気が付いてからの好転は笑ってしまうほど早かった。ここ数週間は、なんならこの街が
このショッピングモールに居座り、上の言うことに従い、土壇場では自分の直観を信じる。そうすることで安定した安全と生きていくに不足ない物資が手に入る。足りないのは女のケツだけだが、こればっかりはもうこの街では貴重品中の貴重品だ。もし手に入るならすべてを捧げてもいい。
「にしても、明るいなぁ」
男はぼやいた。地上を見下ろせるこの位置は、今夜がどれほど明るい夜かよくわかった。
次の瞬間、男の目の前は真っ暗になった。ほんの一瞬だけ額に何か当たったような感触がしたが、それが何だったのか、何が起きたのか、男は確かめることもできなかった。
鉄塔階段の踊り場に残ったのは、頭の一部が崩れて脳漿が飛び散った男の死体だけだった。
まぁそこは撃たれるよね(経験値)