リコリスinタルコフ   作:奥の手

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貴重品

 しっとりとした高めの湿度と、低い気温。かすかに鼻をくすぐるカビ臭さは、まさに殺風景なその部屋の印象を決定付けるものだった。

 

 コンクリむき出しの室内を「部屋」と形容するべきか。家具はなく、飲食物のゴミと数個の朽ちた薬莢が転がるだけの「倉庫」と呼んだ方が分かりの良いその場所に、アッキーとザイーツは対面している。

 万が一の抑え役兼証人役として、12ゲージショットガンを手にしたオリアも二人の間に立つ。

 

 椅子もない。テーブルもない。当然お茶の一杯もあるわけがない。

 立ち話の取引はここタルコフ市では珍しくもない。ありふれた言葉の応酬は、アッキーから始まった。

 

 それは三分ほど続いた。

 その間、ザイーツは微動だにせず、頷きもなく、ただペストマスクの中でアッキーの顔を凝視していた。

 嘘偽りはないか。あったとしてどの程度の影響か。現時点で自分の知っている情報との相違はないか。

 

 アッキーが話したのはイレーネのこと。そしてそのイレーネが向かった場所。誰と合流しようとしていたか。

 錦木千束と井ノ上たきなという少女のこと。この二人との合流を目的として街の中心部へ移動したこと。移動したのちに連絡は途絶え、恐らくそこでザイーツとの戦闘があったこと。

 

「……」

 

 アッキーの話が終わり、ザイーツは一度だけ頷いた。そして、

 

「井ノ上たきなはお前たちが連れていけ」

 

 短く、簡潔に、抑揚のない平坦な声でそう告げた。

 数歩移動して部屋の出入り口、サビた鋼鉄製のドアの前に立つと、ゆっくりと振り返ってオリアに視線を合わせる。

 

「連絡を取る。話の内容を聞かれたくない。オリア、場所はあるか」

「そこを出て左の突き当りの部屋を使ってくれ」

 

 オリアの言葉を受けて、ザイーツは重苦しい音と共にドアを開けると左へ歩いて行った。

 突き当りの部屋。中へ入るとシャワールームだった。出入り口がぴたりと閉じるように設計されている。少量の声であれば、確かに〝聞かれない〟部屋として使える。

 タイル張りのシャワー室の一番奥で、壁に向かってザイーツは立つ。

 

 緩慢な動作で腰のポーチから通信端末を取り出すと、アンテナを伸ばしてボタンを操作した。ほどなくして呼び出し音。

 胸の前に端末を掲げたまま、左手で無線通信機の通話ボタンを押した。連動しているらしい。

 ヘッドセットから声が聞こえる。落ち着いた壮年の男の声。

 

『誰だ』

「私はザイーツ。情報がある。ハンス商会の買取を希望する」

 

 〇

 

「これでどうだろう」

 

 ティーグル装甲車の後部に戻ったオリアの両手には、女物の下着とジーンズ、トレーナーシャツが握られていた。

 

 たきなのすぐそばに来て、それらのサイズが分かるように広げる。たきなは一点ずつ見ながら、

 

「着られると思います。ただ、自力では着替えることが出来ません」

「要介護ってわけだ。残念ながらここには野郎しかいないし、一応君は僕の中で〝荷物〟という扱いだ。ありとあらゆる配慮まではできない」

 

 そう言うと振り返って、座っていたジャックに手の中の衣服をすべて押し付けた。ジャックは少しの困惑と「まぁそうなるか……」と諦めを口にしてから、たきなの元へと立ち上がる。

 

「これも使ってくれ」

 

 オリアはアルコールを含ませた清潔な布をジャックに投げてから、スキターリェと一緒に装甲車から降りた。

 

 夜間照明の赤いランプで照らされる下着は、形こそわかれど色までは判別できない。

 それは、たきなの状態も同じである。ジャックは一度綺麗な衣服を監視席の座椅子に置いてから、たきなの固定具を外した。

 

「悪いな」

 

 外しながら呟く。金具がベンチの金属部に当たって高く鳴った後、たきなはかぶりを振った。

 

「気にしないでください。私はなんとも思いません……娘さんの着替えくらいに思えばいいんじゃないですか」

「そういうことにするよ」

 

 苦笑するジャックに、たきなも口元をほころばせた。

 ボロボロのスポーツパンツと下着を脱がす。そのまま、足の包帯も外した。

 

「傷の手当をするぞ」

「ありがとうございます」

 

 下腹部に布をかぶせてから、ジャックはたきなの足に手当てを施し、そして汚れている部分をアルコールを含ませた布で拭いた。

 たきなが全身の力を抜き、緊張のない状態でジャックの介抱を受け入れていることが、ジャック自身にも伝わった。

 

 余計な会話は不要。

 無言で、手際よく、丁寧に作業を進めた。

 清潔な包帯と清潔な下着、汚れはなくサイズもちょうどよい衣服に包まれ、たきなは数日ぶりにすがすがしい気持ちで息を吸った。

 

 全ての作業が終わり、ジャックはたきなの後頭部を手で支えながらゆっくりとベンチに寝かせる。

 たきなは首を傾けてジャックの方を見やりながら、

 

「ありがとうございます」

「あぁ。気分はどうだ」

「さっぱりしました。悪くないです」

「それは良かった」

 

 頷くジャックに再度礼を言ってから、少し寝る旨を伝えた。

 等間隔で規則正しい寝息を立てるたきなを、ジャックは後部座席側の監視席で見守った。

 

 初めて会った時もこんな寝息を立てていた。自分の隠れ家で、薄汚れた毛布にくるまったたきなをジャックは思い出した。根掘り葉掘り家族構成を聞いてきた千束のやかましい声も一緒に再生される。

 

「……ふ」

 

 遠い昔を懐かしむようにジャックは小さく微笑む。

 千束の安否は分からない。妹も──イレーネも生きている確信はない。

 この街で、大切なものや失いたくないものを作れば作るほど、それは巡って自分の不幸の種を蒔くことになる。

 

 しかし、そうと分かっていても。

 

「……」

 

 ジャックは戦闘服の胸ポケットから、娘と妻の写った家族写真を丁寧に取り出す。娘の無邪気で快活な笑顔に吸い込まれるように視線がいく。口元が自然とほころんでしまう。

 

 この街で人間らしく生きていくために必要なものもまた、同時に蒔いているに違いないと。

 ジャックは確かに胸中で吐露した。

 




〝娘がいる〟という免罪符。
何に対しての罪を免じているかって?
……そりゃあたきなのs(9mmパラベラム弾が脳を貫く音
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