蛍光灯の寒色と白熱電球の暖色が混じり合って明るく照らされている室内に、真冬のような冷たい空気が流れた。
「お、お別れって、ジャックさん何言ってんの……?」
千束は困惑と驚きの表情を浮かべたまま身を乗り出した。ジャックはそれを落ち着いた目で見て口を開く。
「俺はスキーヤーに近づくことはできない。プラパーはスキーヤーを嫌っている。いや……目の敵と呼んでも良いかもしれない。俺がスキーヤーと関われば、プラパーと俺との関係には少なからず傷がついてしまう。だから双方に取引を持ち込むことはできない」
「それは……」
千束が何か言いかけるのを、たきなが手を上げて制止した。千束は押し黙り、たきなが代わりにジャックに尋ねる。
「私たちだけがスキーヤーと取引して、ジャックさんは関わらないというわけにはいきませんか」
「無理だな。一緒に行動するということは、その取引相手の情報を持つということだ。プラパーの情報がお前たちを通してスキーヤーに少しでも渡ることがあれば、俺はプラパーの一味から命を狙われる」
「私たちそんなに口軽くないよ?」
「その言葉と、俺の命を天秤にかけることはできない」
ジャックの目は物語っていた。お前たちと出会ってからまだ1日しか経っていないと。戦場で行動を共にすることはできても、行動そのものを支える取引に関わらせることはできないという目だった。端的に言ってしまえば、ジャックは千束とたきなを完全に信用できないし、しないのである。
「だからお前たちをプラパーに紹介する話も無しだ。プラパーの顔は広い。隠したところでどこかで勘付かれる。そうなれば、これまで得てきた信用もなくなり俺はこのタルコフで生き残るのも難しくなるだろう」
ジャックの言い分はもっともだった。現在ジャックが装備している武器、弾薬はプラパーから入手したもの。これまでも、そしてこれからもプラパーとの取引で得たものを使ってタルコフ市内で生き残ることは千束にもたきなにも容易に想像できた。
「だから、ここでお別れなの?」
「そうだ。スキーヤーとの接触を図るのがお前たちの道なら、俺の行くところとは一緒になれない。別れた方がいい。一緒にいれば、スキーヤーとの取引もできなくなるかもしれない」
千束の落ち込んだ声に、ジャックはあくまで冷静に返した。
その言葉にヒュージーが頷き、表情だけは残念そうな顔を浮かべながら千束に向かって静かに口を開く。
「スキーヤーはスキーヤーで用心深く、情報にも敏感な男です。彼に認められるには少なくとも嫌われていては話になりません。敵対している勢力に肩入れしている人間が、そう簡単にスキーヤーの信頼を得られるとは思えませんからね。プラパーとスキーヤー。両者とコンタクトを取るには、それこそずば抜けて優秀でどのような仕事もできる人間か、あるいは役に立つ組織か。そういったところに収まるしかないでしょう」
並のものでは二兎を追うもの一兎をも得ず、ということであった。たきなと千束はお互いに顔を見合わせて、千束は心底悲しそうな顔を、たきなはタルコフ市内を知る貴重な人材の離脱を惜しむような表情をして、それから一つ頷いた。
「わかりました。ジャックさんの離脱を受け入れます」
「さみしいよーたきなー。ジャックさんと脱出して日本で天ぷら食べる約束したのにー」
「仕方がないでしょう…………合理的に考えて、ジャックさんとヒュージーさんの言っていることは正しいです。私たちの力では、プラパーとスキーヤーの両者に利益をもたらせるのは難しいです」
たきなの頭には、千束のやり方ではこのタルコフでの取引相手に利益をもたらせるような働きは難しいと考えていた。たとえばもし、今日の昼間に遭遇したMDRとMCX使いの二人組のように、取引相手から誰かを殺せと依頼されたら。シュターマンを殺せと依頼されたら。
技術的には可能でも信条的には不可能である。たきな一人なら、千束が見ていないなら、別に殺しても構わないと思っているが、千束はすぐ隣にいる。誰かを殺すような依頼が受けられない以上、仕事を持ち込んでくる相手を満足させる確率も大幅に下がる。
だからプラパーとスキーヤー両者とコンタクトを取ることはできない。たきなはそう自分で結論づけた。
「でもでも、今日一晩は一緒にいてくれるんでしょ? ジャックさん?」
「あぁ、それはそうだ。ヒュージー、いつまでここにいていいんだ?」
ジャックに尋ねられたヒュージーは腕時計を確認してから、
「今から10時間であればこの部屋は利用できます。その後にここより先に進んで、カスタムズへと抜けてもらいます」
ジャック、千束、たきなが頷く。
命を預け、行動を共にし、そしてもし生き残れたらの話も約束もしている三人には、もうあと10時間の猶予が与えられた。
「いっぱい話そ! ジャックさん! あ、あと、もしよかったら何日か後に、ジャックさんの隠れ家に遊びに行ったりとかしちゃだめ?」
「千束、ダメに決まっているでしょう……」
「別にいいんじゃないか?」
「いいんですか!?」
驚きの声をあげるたきなに、ジャックは苦笑いを浮かべながら言葉を続けた。
「頻繁に来られても困るが、スキーヤーとプラパーのお互いの持つ情報に触れさえしなければ、他のことについては情報の交換は可能だろう。俺の方でもここから脱出する算段を立てておく。お前たちの話もぜひ聞きたいからな」
「い〜やった! たきな! 行くよ!」
千束が拳を振るわせて喜んでいるので、たきなはまぁそれでいいならそうしましょうかという表情で返事をした。
ヒュージーはメモを取り出して、今のやりとりを小さくまとめて書いていた。
◯
一夜が明けた。
とはいえこの部屋は地下室であり、太陽の光が入ってきて朝を知らせてくれるような親切設計ではない。
ジャック、たきな、千束の三人は交代で見張りをしながら仮眠をとり、翌朝六時に全員が活動を再開した。
ヒュージーは一人しっかりと眠っていた。自分が死ねばこの部屋から三人は出られないことを、この場にいる全員が知っているので安心して眠っている。
セーフハウスの食糧庫から朝食をとって、昨晩のように四人同席して食べる。
クラッカーにジャムと缶詰のソーセージだ。さして美味いわけではないが、活動に必要なカロリーはしっかりと取れている。
朝食を食べ終わった後、千束がモゾモゾとしながら声を発した。
「…………お手洗い借りていい?」
ヒュージーは眉を一度上げてから笑顔を作り、部屋の隅の仮設トイレを指差した。
それから部屋に置いてあったラジカセのスイッチを入れて音量を最大にした。爆音でハードなメタルが部屋中に響き渡る。
千束はそそくさと仮設トイレに入り、ヒュージーの心遣いに感謝しながら用を足した。
ジャックが爆音の中ヒュージーの横に立ち、耳打ちする。
「こういう時のための音楽なのか?」
「いえいえまさか。この音楽は私の趣味です。こんな役立ち方をするとは思いませんでしたよ。気が利くでしょう?」
「そうだな」
ジャックが頷く。ヒュージーは二、三歩あるいて換気扇のスイッチを入れた。仮設トイレのすぐ脇に設置されている換気扇が空気を吸入し始める。
自分で言うだけあってヒュージーの心遣いは徹底していた。
千束がスッキリした顔で出てくると、入れ替わるようにたきなが何も言わずに仮設トイレに入ろうとした。千束が慌ててたきなの袖を掴んで止める。
「ちょーっと時間おいてくれないたきな?」
「なぜですか?」
「なぜって…………ほら、その…………ね?」
「ねじゃないですよ。時間の無駄です」
「え、ちょ、ちょいまってよたきなってばぁ!」
千束の手を振り解いて、たきなは仮設トイレの扉を開けた。表情ひとつ変えずにそのまま中に入る。
千束は顔を真っ赤にしていたが、
「…………たきなのばか」
小さく呟いてから、とにかく気を紛らわすために出発の準備に取り掛かった。
そんな千束の様子を部屋の対角の離れた位置からニヤニヤしながら見ていたヒュージーに、ジャックが再び耳打ちする。
「手を出すなよ。あぁ見えてあの二人、相当やるからな」
「しませんよそんなこと。今笑ってるのは一週間前にたまたま換気扇を強力なものに変えといてよかったなぁという自分を褒める気持ちからきているんですよ」
「それはご苦労なこった」
ジャックが首を振る。それからペットボトルの水を二口飲んで、装備の点検に入った。ヒュージーは相変わらずにちゃりとした笑顔で換気扇を眺めていたが、数秒して自分の準備をし始めた。
たきながトイレから戻って、こちらも銃や装備の準備が完了したところで、ヒュージーはドア横の暗証番号に数字を入力した。
「それではみなさん、戦場に戻りましょうか。ご健勝を祈りますよ」
重い扉を開けて、カビ臭く薄暗い通路に出る。昨日通ってきた方向とは反対方向へ、つまりウッズ側とは逆の方向へ歩き出す。
十分、二十分と、延々続く廊下を歩く。曲がっていたり、階段を降りたり登ったりもした。途中で分岐しているところもあった。
ヒュージーは迷いなく進んでいく。しばらく進み、階段を登ったところで、分厚い鉄の扉を前にして一行は立ち止まった。
「この先がカスタムズ。場所で言うとマップの北の方にあるオールドガスステーションという施設になります。カスタムズを根城にしているスキーヤーは場所を転々としていますが、本拠地はここから東の方に行った税関倉庫のあたりと聞いています。探してみてください。赤い倉庫が目印です」
「わかった。ありがと、ヒュージーさん」
「いえいえ。良い情報をお待ちしております」
頭を下げるヒュージーを横目に、千束とたきなはそれぞれのメインアームを持ち直し、外へ出る用意を完結させた。
「ジャックさんはどうします?」
ヒュージーが首を傾げてジャックの方を見る。ジャックはペーペーシャに一度視線を落とした後、
「悪いが、ウッズまで案内してくれ。俺は俺の仕事をする」
「わかりました」
千束とたきなが振り返り、ジャックの目をまっすぐにみた。三人ともバラクラバをしているので目でしか訴えられない表情だが、三人の間には、確かにお互いの無事を祈る気持ちが交わされていた。
頷き、千束とたきなは前を見る。ヒュージーが扉を開いた。重く甲高い音を立てて分厚い扉が開かれる。
「じゃあね、ジャックさん」
「どうか、ご無事で」
「あぁ、お前たちもな」
短いやりとりののち、千束とたきなはコンクリートで作られ、囲まれた階段を上がっていき、地上へと進んだ。
ジャックとヒュージーは地下通路に戻り、ウッズへと続く道へ歩みを進めて行った。
◯
数時間後。
そこは狭い部屋だった。窓はなく、剥き出しの白熱電球が照らし出すオレンジの光が、その部屋の中を照らしている。
広さにして四畳半ほどか。簡素なアルミの事務机と椅子がひとつ。脇には鉄パイプ製のベットと、その上にマットレスが敷かれている。
事務机には書類をまとめているフォルダと、灰皿、ホルスターに入った拳銃、そして小さな卓上電気がひとつ置かれていた。卓上電気は電源が入っており、机の上の書類を明るく照らしている。椅子には一人の男が座って、深く腰掛けていた。
茶色い革の上着に黒いニット帽。左手には火のついたタバコを持っており、薄く煙がたなびいている。
男────ヒュージーは左手を口元に持ってきて、タバコを一口吸った。
肺に煙を入れて余韻を楽しみ、口からゆっくりと吐いていく。
それからタバコを灰皿においた。机の上に置いてあるペンをおもむろに取って、目の前の書類に何事か書き込む。英語であった。
しばらくペンを走らせてから、書類を手に取って三つ折りにし、机の引き出しを開けて封筒を取り出すとそこへ入れた。
ノリをつけて封印する。
灰皿のタバコに手を伸ばす。燃えて灰が長くなっているそれを指ではたき落とし、再び口に運んで煙を吸う。うまそうに吸って、うまそうに吐いた。
「まさかな、こんなところにいたとは」
ヒュージーは独り呟いた。
もう一口タバコを吸う。先ほど封をして机の上に放り投げた封筒に目を落とし、深く息を吐いた。
「────リコリス、やっと見つけたぞ」
ヒュージーは嬉しそうに、口の端をわずかに上げて微笑んだ。にちゃりとした笑みは、面影もなかった。
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