元BEAR隊員の股間を撃ち抜いたあと、千束とたきなは侵入した倉庫の中を探索していた。
倉庫の北側は数個のタンクと広い空間で占められており、中央の床が崩落して地下に道が続いている。
瓦礫を踏み締めて地下へ降りると、すでに何者かが利用していたのか、ライトや少量の医薬品、物資、ソファーなどが置かれていた。
医薬品の前にはカバーのかけられた死体が転がっている。鼻につく悪臭から死後数日は経っており、これもまたタルコフ市内が封鎖されていることを象徴するような現実だった。
千束とたきなは交代で医薬品ボックスや死体を調べて、周囲の探索に戻る。いくつかの薬液が入った注射器や空のシリンジなどが見つかって、ありがたくバックに放り込んでいった。
崩落地点から南側に進むと、こちらにも地上と繋がるように床が崩れている箇所があった。登っていくと、倉庫内部の南側半分に出た。
倉庫は地上部分で北半分と南半分を大きな鉄扉で隔絶しているようで、もちろん地上での行き来もできる様子であったが、特にめぼしいものがあるわけではなかったので一目見ただけで二人は先へ進むことにした。
倉庫南側の空いている出入り口から外の様子を伺う。よく晴れた気持ちのいい太陽光に、白いアスファルトがちかちかと照らされている。
「これはー……どうしよっかな」
顔だけを出して右を一瞬、左を一瞬覗いた千束が、引っ込んで困り顔でたきなを見つめた。
「ものすごい開けてる。なのに南側の道には出られそうにないんだわ」
「フェンスに囲まれてるってことですか?」
「そうみたい。超えるのも難しいと思う。上に有刺鉄線まきまきしてるし」
「東側の税関ターミナルへ抜けるんですよね? どこか出られそうな場所はないんですか」
たきなの言葉に千束はその場にしゃがんで地図を出し、現在位置の倉庫と周辺の様子を照らし合わせる。
「マップだとすぐそこに車両用出入り口があるけど、たぶん閉鎖されてる。となるとこっちかー?」
「西に大きく回って、出られそうなところで倉庫地帯から南に抜けないといけませんね」
だいぶ遠回りですが、とたきなはめんどくさそうに呟いた。
事実、目の間に広がるコンクリートフェンスは抜けられそうな隙間などなく、一旦西の方角へ進まなければカスタムズの東側、川を超えた先の税関ターミナルへはいけそうにない。
コンクリートフェンスのすぐ向こうには東西へ伸びる道路があり、そこまで行ければ東側へ渡ることなど造作もないのだが、その道路へのアクセスが現在位置からはできそうになかった。
「んじゃあとりあえず西に行きますか」
「そうですね。ただ千束、気をつけてください」
「わーかってるって」
これから進む場所はとにかく射線が通っている。特に西側は何百メートルか向こうまで見通せる。車や資材が点在しているとはいえ遮蔽らしい遮蔽はまともに存在しない。
こちらが先に発見できれば反撃も逃走も容易いが、待ち伏せを喰らうと高確率で敵の攻撃が当たるだろう。そうなってはいけない。最大限注意して進む必要がある。
千束が前、たきなが後ろで倉庫から出ようとした。が、千束が片足を踏み出したところでたきなが千束のバックを片手で引っ掛けて制止した。
思わず千束が声をあげる。
「うおい、なにすんじゃい」
「私が前へ行きましょう。ロングレンジからの攻撃が想定されています」
「先に言えよ。なんで出発間際に言うのさ」
「ちょっと考え事をしていたからです」
なに考えてたのー、という千束の声を無視してたきなが前に出た。ボルトアクションライフルを水平に突き出して、両目を開けつつ片方はスコープを、もう片方は肉眼で周囲を探る。
たきなが倉庫から出たので、千束も黙って後方を警戒しつつたきなの後を追った。
◯
倉庫から出てすぐ西側を見る。広く舗装された道が二百か三百メートルほど先まで続いている。
すぐそばにオリーブドラブの軍用トラックが乗り捨てられていた。荷台には青いカバーにテラグループの文字がプリントされている。中身はわからない。ちょうど良い遮蔽なのですぐそばまで移動して、西側の様子を探る。
倉庫の西側はコンテナを保管、あるいは運搬準備をする場所になっているようであった。広大な敷地に巨大な運搬クレーンが二機設置されており、もう操作する人間などいないのだが、次に運ぶコンテナを待っているかのようにそこに屹立している。
クレーンの足元には青いコンテナや建築資材らしき土管、コンクリート壁の積み上がったものなどが散在している。開けた場所ではあるが、これらの遮蔽を駆使すれば戦闘を有利に運べるかもしれないとたきなは考えた。
とはいえロングレンジからの攻撃であれば自分の武器しか頼りにならない。千束には任せられない。であるならば、万が一にも先制攻撃を喰らって自分が倒れたら二人とも命が危ないという思考に至った。慎重に、かつ迅速に、この広場を抜けなければならない。
たきなは軍用トラックの左側から顔を出して周囲の様子を伺った。
足音はしない。数十メートル圏内に人の気配はない。そして目前三十メートルほど先にコンテナがある。あそこまで進めよう。
そう考え、トラックから飛び出した時だった。
ちかり、と。
視界の端で何かが輝いた。それは一瞬のことで、常人であれば気のせいだと無視するような瑣末な出来事だった。
だがたきなは違った。
「千束、戻ってッ!」
声を張り上げながら同時に、すぐ後ろでついてこようとしていた千束をトラックの方へ押し倒す。
直後にたきなの右側で地面が弾けた。一瞬遅れて銃声が耳に届いた。なにが起きたのか、たきなはわかっていたし、千束もすぐに理解した。
千束は押し倒されながらも踏ん張ったことで地面には転がらず、体勢を立て直した。
たきなはうつ伏せで倒れ込んでいる。すぐさま仰向けになり上体を起こすが、悠長に立ち上がる余裕はない。二射目が来る。
千束は瞬間的にたきなのアーマーリグの首後ろについている紐を握り、そのまま引き摺り込んだ。トラックの影まで引っ張って手を離す。たきなは起き上がり、姿勢を低くして、トラックにぴたりと体を寄せた。つい先程までたきなの体があった場所に、一発の銃弾が叩き込まれた。
「狙撃です! 進行方向から一時の方角。青錆びた倉庫の屋上から撃たれています!」
「りょーかい!」
そう言って今度は千束がトラックの右側に移動して顔を出す。一瞬ピークして倉庫の屋上を見る。なるほど確かに人影があった。うつ伏せでこちらに銃口が向いている。撃ってはこな────。
「うわっ!」
ピチューン! っと弾がすぐそばで弾ける音が耳を叩いた。普通に撃ってきている。捕捉されている。
「まずいよたきな。敵さん完全にこっちをロックしてる。ここから出られない」
「どうしましょうか……」
トラックに体をつけて被弾しないように、相手から見えないように隠れる。タイヤの裏に身を置くことで車体下から捕捉されることも防ぐ。上から見られているので角度的には車体下からは見えないかもしれないが、万が一足を撃たれたらそれこそ動けない。
さらにまずいのが、今撃ってきているスナイパーの仲間がいた場合。ここに釘付けにされて、挟み込まれたら手痛い事態になる。
前へ出るか、後ろへ引くか。引くなら倉庫へ戻ることになるが。
いや、今取れる最善手は引くことだろう。たきなは決断した。
カウンタースナイプを狙ってもいいが、命を奪わずにこの距離の、それも向こうはすでに狙いをこちらにつけている状態の敵を殺さず排除するのは至難の業である。できなくはない。しかしそこに自分と千束の命をかけるほどのメリットがない。
大人しく撤退する。別の道を探す。それでいいだろうと決心したたきなは千束に振り返り、
「千束、一旦倉庫の方へ戻っ────」
たきなが言い終わるより早く、倉庫の中から連続した銃声が響いた。それも一種類ではない。二種類、いや三種類の音が響いている。
誰かと誰かが交戦している。音の位置的に倉庫の北側だろうか。5mm系の連続した音が鳴り響いている。
「たきな、倉庫に引くのは危ないと思う。全員倒せる自信はあるけど、たきなの方に敵が流れたら心配だよ」
「千束…………しかし」
このままここにいては倉庫の連中に背後を刺される。
トラックから踊り出れば正確無比な狙撃が襲いかかる。
どうするか。前へ出るか。後ろへ下がるか。
たきなが戦うか。千束が戦うか。
たきなは考え、一瞬で決断を下した。千束の目をまっすぐに見る。
「千束。前へ進みます。千束は北西の方角にある別の倉庫へ走ってください。千束を狙っている敵を、その間に排除します」
「囮ってわけだ。まかせんしゃい!」
「本当は嫌です。千束に危険な役を負わせたくありません」
「知ってるよ。でもそれが適材適所ってやつ。後ろの連中が襲ってきたら、今度は私が引き金を引くからさ」
千束がウインクをした。そしてトラックの右端に行き、これから滑り込む北西の方角の倉庫を視界にとらえる。
「行けるよ、たきな」
「合図します。3……2……1……いまッ!!」
千束が走りだした。一瞬、間を置いてたきながトラック左側から体を露出させる。
倉庫の屋上をスコープで狙う。素早くサイトを合わせる。赤いレティクル越しに敵が映る。その敵は、
「────ッ!!!!!」
敵の銃口がこちらを向いている。まっすぐ、正確に、たきなの体を捉えている。
氷水を頭から被せられたような悪寒が、たきなの全身を総毛立たせた。手が震えそうになる。三秒後か。それとも一秒後か。もっと短いか。敵の弾が自分の体を貫くまでに残された時間は、あと何秒か。
たきなには考える間すらなかった。恐怖が一瞬体を駆け巡ったが、同時に千束が狙われなかったことに安堵する自分がいた。
これはチャンスだ。千束は安全で、こちらからも射線が通っていて、今なお、撃たれていない。体は動く。指は動く。だから敵に、弾をぶち込める。
たきなは息を止めた。レティクルがぴたりと安定する。狙うのは敵の────敵の持つ銃本体。弾が抜ければ肩も射抜く。間違いなく戦闘不能にさせる。その上で命は奪わない。完璧な狙いであり、作戦であった。
そしてすぐさま引き金を引いた。甲高く、それでいて重く、くぐもった発砲音が耳朶を叩き、肩に.338ラプアマグナムの反動がこれでもかと伝わってくる。銃口から生じた衝撃波が周囲の細かな砂を捲っていた。確実に、正確に、たきなの射撃は敵へと放たれた。
しかし同時に、レティクルの中の敵の銃が一瞬光っていた。それの表すところはつまり、敵も発砲したということ。
スコープ越しに見る世界で敵のマズルフラッシュが目に入ったのと、頭に衝撃が加わったのが同時だった。頭頂部を思いっきり殴られたのかと思った。聞こえているはずの敵の発砲音が、耳に届かない。
たきなの上体は後ろに弾き飛ばされた。後頭部が地面に叩きつけられる。空が目に入る。視界が歪む。おかしな形をした雲が高速でたなびいている。これはまずい。このままじゃまずい。
たきなはなんとかしてうつ伏せになり、地面を這うように起きあがろうとするが体が動かない。手に力が入らない。トラックの影へ回らなければ。移動しなければ。ここは危ない。このままでは殺される。
しかし視界が回る。吐きそうになる。地面がぐにゃりと歪む。立っているのか、寝ているのか、座っているのか、どこが上で、どこが下かわからなくなる。
なんだ、なにが起きた。わからない。自分の体はどうなっている。頭は? いま、私は頭を撃たれた? どうなっている、頭は────。
全身の力が抜ける。回っていた視界が端の方から暗くなる。まずい。これは、この状態は、このままでは。
意識がなくなるということを、まるでもう一人の自分が冷静に見ているかのように、たきなは自分の体から力が失われていくのを悟った。
瞼が重くなる。視界が暗転する。これじゃいけないと思っていても、体も意識も、もう抗えない。
最後に思ったのは千束のことだった。無事だろうか。怪我をしていないだろうか。敵は仕留めたのだろうか。殺してしまっていたら、千束に申し訳ないが、千束が怪我をするよりはマシだろうか。
「ち……さ……」
喉の奥から声が漏れる。名前を呼びたかった。無事を確認したかった。だが、そのささやかな抵抗は虚しくも実らなかった。
暗澹の中に落ちていく意識の端で、千束の声が聞こえたような気がした。