赤倉庫西側の出入り口の端に立って、千束とたきなは外の様子を窺っている。ヘッドセットから聞こえてくるわずかな環境音と、そこに紛れる人間の足音を聞き分ける。耳に集中するのと同様に、目でも屋外の様子を注視する。人影、あるいは銃のシルエット。動くもの、止まっているもの、隠れようとしているもの。物陰から物陰へ視線を動かしては、右から左へクリアリングをしていく。
「ここから見える範囲には誰もいないっぽいね」
「ですね。進みましょうか」
「とりあえず西に向かう? 川向こうってメールにはあったから、対岸に渡る必要があるでしょ」
「そうですね。渡れるところがさっき通ってきた簡易橋か、正規の橋しかないとしたら、戻らなければいけませんが」
たきなはちらりと南の方を見て、すぐに西側に視線を戻した。それから出入り口を挟んで反対側の千束の方を見て、
「どちらにせよ死体を見つけなければいけません。回り道をしてでも広く探す必要があるでしょう」
「さんせーい。んじゃいくよ。先行するから、バックアップよろしくたきな」
「了解です」
言い終わると千束はKSGショットガンの銃口を下にして全速力で飛び出した。五十メートルほど先に地上から一段高くなっている場所がある。鉄製の階段があり、登るとコンクリートでできた駅のホームのような場所に立つ。そしてすぐ向こう側にぴたりと沿うように貨物列車が止まっている。千束はその列車の一部、口を開けている貨車の中を目指して走った。
目線はまっすぐ進行方向を捉えており、万が一前から撃たれたら避ける用意ができている。
たきなは千束の進行方向からみて右左、北と南を警戒する。北側は乗り捨てられたトラックや巨大なコンテナ、木箱、その向こうにコンクリートの壁が横に伸びている。南側にはコンテナを積んだトレーラーが二台放置されており、その向こう側の様子がわからない。ただ、自分たちが入ってきた場所であり、たしかこっちにも通りと敷地の境目にコンクリートの壁が伸びていたはずである。トレーラーのちょうど西側には大型コンテナが積み上げられており、死角が存在する。敵が潜むとしたら南側の可能性が高いが、どっちにせよ射線は複数通っており、奇襲や強襲が容易にかけられる。そんな危険地帯のど真ん中を突っ切ることは危険極まりないが、かと言って北や南に迂回していると流石に時間のかけすぎである。
捜索範囲は広く細かく、しかし時間はかけられない。明確に敵対組織の人間がスキーヤーの部下だったものの死体を探しているとなると、道中で遭遇することや、最悪の場合死体を先に発見される可能性がある。
そうなると厄介である。逃げ隠れする連中を追いかけ、殺さないように動けなくし、奪われた鍵を取り返す。考えただけでも骨の折れる展開だ。そうなる前に死体を見つけて先手を打ちたい。
千束は階段を登り、積み上がった木箱と乗り手のいないフォークリフトの横を通り過ぎて、扉の開いている貨車の中へ身を滑り込ませる。反対側の扉も開いていたので、すぐに貨車の出入り口から身を隠した。
千束が走っている間、銃声らしい銃声や人影が現れることはなかった。北も南も静かなものである。
『着いたよたきな。今隠れてる。場所わかる?』
「ええ、追っていたんでわかります。そちらに向かいますね」
『了解。ってもこんだけ開けてたら私の弾は当たんないから、全速力ダッシュ決めてね』
「わかっています」
たきなはすうっと息を多めに吸い込むと、覚悟を決めた目でその場から飛び出した。
ボルトアクションライフルの銃口は下を向いている。握る手に力を込めて、間違っても取り落とすことなどないように注意を払いつつ、しかし意識は足に集中させる。
なるべく早く、なるべく遠くに足を動かす。
たかだか五十メートルの距離。間に二メートルほどの階段を挟んでいるとはいえ、普段のことであればこんなものは準備運動にもならないはずであった。
しかし重たいバックパックを背負っての全力疾走は思うようにはいかないものである。普段のリコリスの制服を着用しての移動とは訳が違う。装備も、重量も、まさしく戦場のそれであったから、なるほどこんな荷物を持って一日中移動し続ける兵隊とはすごい仕事なんだなとたきなは心の隅で感心していた。
平地を駆け抜け、階段をなるべく音を立てないように素早く登り、千束の待つ貨車の中へ飛び込んでいく。ついぞ、たきなの横腹を撃ち抜いてくる弾丸は一発も放たれなかった。
「はぁ……はぁ……」
「お疲れさん。キッツイよねこの距離をこの重さで移動するのは」
千束の元にたどり着いたたきなは、膝に手を置いて息を整えつつ、千束に疑問の声をぶつける。
「そのわりには……はぁ……通信の時、息が切れて……んぐ……いませんでしたね」
「まぁね。ほら、普段から走り回ってるし」
「私も……ランニングは毎日しています。はぁ……はぁ……タルコフに来てからはしてないですけど」
「そういうことじゃないんだけど、まぁそういうことにしとこうか」
「どういうことですか……」
怪訝そうな顔で見上げてくるたきなに、千束は誇らしげに胸の辺りを指さして、
「私はほら、人造人間だし」
「心臓だけでしょう。肺の機能は人間のままのはずです」
「まぁね。やっぱ慣れだよ慣れ。たきなも複数人相手に弾避けながら突っ込んでいったら鍛えられるって」
できるかそんなこと、という顔でたきなは千束を睨んでから、姿勢を戻して貨車の向こう側の様子を伺う。
が、列車の線路は西側にもう一本走っており、ちょうどすぐ真隣に同じような深緑色の貨物車が鎮座していたため、対岸はおろかすぐそこの川の様子すら見えなかった。
足元には背丈よりだいぶ高いコンクリート壁が伸びており、右を見るとその一部が倒壊していた。そこから川の方へ抜けられそうである。
「ここには誰かがいたんだろうね」
たきなが外の様子を見ている間に、千束は貨車の中をライトで照らして観察していた。
薄汚いタオルケットやマットレスが放置されており、空の缶詰やお菓子の袋が落ちていた。だいぶ前ではあるが、人のいた痕跡である。
「こういう場所を拠点にするのはどうなんだろ?」
千束の声に、たきなは貨車の中を一瞥した後、
「危ないと思いますよ。囲まれたら逃げられませんし、何よりおそらくここは人通りがあります。もし拠点を作るのなら、人通りのなさそうな森の中や、逆に広大な街の中の一部屋とかの方がいいです」
「なーるほどねー。私たちもどこかに潜伏しなきゃいけないじゃん? たちまち今日の夜とかどうするかなって」
「そうですね。このエリアでどこか人の少なそうな場所、あるいは目立たない場所があったら目星をつけておきましょう」
そう言って、たきなは貨車から西側に飛び降りた。千束も後に続く。コンクリート壁を伝って数メートル北へ進むと、倒壊したコンクリート壁から川の方角へ抜けることができた。目の前には横転した貨車が横たわっており、川向こうからの視線と射線をちょうどよく切っていた。二人は横転している貨車に張り付き、川の方角を覗き見る。
「お! たきなラッキーだよ」
「浅瀬がつながっていますね。そのまま向こう側に渡れそうです」
「ちと開けまくってて危ないけどね。撃たれたら終わりかも」
「先ほどのように交代で移動して、もし攻撃されたら応戦しましょう」
眼下には数十メートルほど下る木々や草が生い茂った斜面と、その先に南北へ伸びる川、そしてちょうど今二人の立っているところから真下に降りたあたりに、中洲がつながってできた天然の橋が渡っていた。難なく対岸へ渡れる地形が広がっている。
ただし遮蔽物はほとんどない。対岸寄りに赤い大型コンテナが横たわっている以外は、特に南側からの射線が思いっきり通っている。攻撃を受けたらその場で応戦するより走り抜けた方が安全かもしれない。
「とりあえずあの赤いコンテナまで走る?」
「そうですね。斜面の草と木を利用してギリギリまで降りましょう。そこから走ります」
「りょうかーい」
二人して斜面を下る。腰から胸ほどの高さにまで草木が伸びている場所もあり、慎重に降りていく。
二人が身につけている装備は、こういった場面に強く出られるよう緑色を主体とした迷彩になっている。草木に紛れればそう簡単には視認できない。〝いる〟と分かっていて探されない限りはまず見つからない。
斜面を下り切って、緑の草木が茂っているギリギリのラインまで足を運ぶ。そこから先は足首ほどの草木しか生えておらず、隠れることも弾を防ぐこともできない。
「んじゃ、私が先に行ってくるわ。今度は結構距離あるよ。百メートルくらい?」
「そうですね。途中でこけないでくださいね」
「そういうたきなこそ、道半ばで体力尽きてへたり込まないでよ」
「しませんよ」
半目で見るたきなを余所に、千束はKSGショットガンを握り直して大きく息を吸った。
「よし」
そして走り出した。頭の位置が上下せず、上半身に不要な力を込めていない。非常に安定した姿勢で全速ダッシュを続けていく。確かな速力、着実な体力、そして目線は常に進行方向を向いて警戒している。
だからこそ千束は反応できた。ヘッドセットが銃声を拾うのとほぼ同時に、千束は反射的に右に飛んだ。
タァンッ!
甲高い銃声。サイレンサーなどかましていない素の発砲音。それでいて空高くまで響く大音響。つまり大口径の単発銃が火を吹いた証だった。
『千束! 南西の方角、道路上です!』
「了解! こっちは撃てないからたきな頼むよ!」
右に飛んだ千束はそのまま足を止めることなく赤いコンテナを目指した。中には入らない。コンテナを目指す途中で南西から撃たれたということは、東西に向けて口を開けているコンテナの中に入れば射線は切れる。だが弾は貫通する可能性がある。
音からして東側の大口径ライフル、モシンナガンかSVDか。いずれにしても鉄板一枚かましたくらいでは貫通して捉えられる可能性が高い。
瞬時にそう判断した千束は赤いコンテナの北側に回って身を隠した。幸いにして自分より北側には巨大なコンクリートブロックと岩が鎮座しており、その方向から撃たれることは絶対にない。西側からの射線は通っているが、コンテナが微妙に傾いて置かれているので、端の方に姿勢を低くして止まれば射線は切れている。東にはたきながいるからその方向から弾が飛んでくることもまずない。もし飛んでくることがあったらその時にはもうたきなの命がないだろう。
千束の体は完全に襲撃者から見えない位置に移動できた。射線は通らない。それが相手にも分かっているのか、二発目の発砲音が聞こえてこない。
代わりに、
────シュカンッ!!
くぐもった甲高い、しかし大砲が放たれたかのような重厚感のある砲声が東側から響いた。
たきなの射撃。草木に身を顰めた完全な不意打ち。サイレンサーが仕事をしているので、敵にとっては撃たれた方角はわかっても場所まではわからない。加えてマズルフラッシュも抑えられているので、発砲の瞬間を視認していたとしてもやはり特定はできないだろう。
そして、何よりもその銃手がたきなであることが、敵にとって最も不幸な出来事だった。
正確無比、一発必中。動いている敵ならまだしも、千束を狙おうと棒立ちになっている敵に対して弾を外すような腕ではない。唯一敵にとって救いがあるとすれば、たきなの中で敵の命を奪う行為は鎖に縛り付けられているということ。千束のために敵は殺さない。命は奪わず、しかし戦うことはできない体に仕立て上げる。
たきなは南西百五十メートル以上の距離に立つ敵に対して、膝立ちでボルトアクションライフルを保持、敵の目の前に設置されているガードレールの隙間から膝を狙い、引き金を引き、.338ラプアマグナムAP弾を寸分違わず敵の左膝に叩き込んだ。
着弾した足が後ろに狩られたように跳ねる。バランスを崩してガードレールに顔面を打ち、そのまま地面に崩れ落ちるのを、たきなは六倍にしたスコープの中で確認した。
「千束、敵は無力化しました」
『おっけいサンキュー! たきなすごい! 一発で当てるなんて』
「止まっている敵を撃つなんて、朝飯前ですよ」
そう返事をしながらもたきなは気を抜かなかった。注意深く、今ほど撃った敵の方角をスコープごしに睨みつける。そのまま口を開いて千束に通信を送る。
「千束、敵の姿はPMCではなさそうでした。スキーヤーの部下を探している組織の人間かもしれません」
『おーさっそくカチあっちゃうわけだ。まぁ予想はしてたけどね』
「後続がいるかもしれません。千束はその場からさらに西へ行って、対岸へ渡ってください。私はここから狙撃します」
『ほいほい了解! すぐ近くにいたら私が撃つから、たきなはそこから南西の位置を警戒してて』
「了解です」
千束の言う通り、たきなから見て南西、千束から見て南の方角は道路が封鎖されている。UNの立て看板が掲げられていることから、国連軍が意図的に封鎖した道路のうちの一つということだ。しかし完全に塞がっているわけではない。現に今、銃を持った人間がその封鎖された場所から姿を現したのだから、人一人が余裕で通れると言うことだろう。
たきなは後続を警戒した。スキーヤーの部下の死体を探しているのだとしたら一人で来るはずはない。必ず集団で動く。PMCが依頼を受けて動いているとしたら単独の可能性もあったが、先ほど撃った敵はそんな身なりではなかった。
持っている武器もモシンナガンに大型のスコープを乗せたもの。もし集団を構成しているうちの一人だとしたら、狙撃ポジション兼見張りの人間。と言うことは、その見張りが倒されたら────。
「千束、後続です。数は五人……いえ、六人現れました。全員武装しています」
『オッケー。こっちは対岸に渡って、今国連の乗り捨てたトラックの裏にいる。見えるよ敵さんの姿』
たきなのスコープには、足を撃たれた人間を手当てする敵の仲間が二人と、残りの四人が周囲を見渡しているのが見えた。それぞれの手に短機関銃や自動小銃が見える。アーマーを装着しているものもいれば、リグだけのものもいる。全員総じて戦えるよう、装備が戦闘向きになっているように伺えた。
「気をつけてください千束。敵の装備がやけに整っています」
『やっぱスキーヤーの取引相手の用心棒ってことなんだろうね。わかった。こっちから仕掛けるから、たきなは孤立してそうな敵を追い込んで』
「了解です」
千束が西側に回り込んだ。たきなの位置からは見えなくなる。しばらくすると、千束の持つKSGショットガンの発砲音が轟いてきた。
続け様に聞こえる銃声。遅れて、男たちが千束の姿を捉えたのか、複数の連続した銃声が鳴り響く。AK系統の自動小銃が数丁同時に火を吹いている。
「後ろがガラ空きですよ」
その合間に、たきなは先ほどと同じようにガードレール下から敵の足を狙い、そして撃った。千束に気を取られている敵の右足を飛ばす。
ボルトを引いて、排莢。戻して給弾。再び対岸の敵の足を狙う。
ボルトアクションライフルの引き金に指をかけ、息を吸い、少し吐いて止めて、スコープの中のレティクルをぴたりと安定させたその時だった。
「動くな。少しでも抵抗したら、首に45口径の穴が開くよ」
首後ろに冷たく固いものが押し当てられる。見なくてもわかった。銃口に違いない。
たきなは、全く気がつけなかった。
音もなく忍び寄り、たきなの首筋に銃口を押し当て、その身動きを封じた人物は、少し笑いながら口を開いた。
「────日本語かな? お嬢ちゃん日本から来たの? ははは……
フェイスマスク越しのくぐもった声は、少し掠れていたものの、このタルコフでは珍しい声だった。
女性の声だった。
最近暑くなってきましたねぇ。
ウチの家の東側は田んぼなんですけど、水が張られると冷たくて涼しい風が入ってきます。水が抜かれると灼熱の熱風が入ってくるんですけどね。
タルコフの気温ってどうなんでしょうかね?
ハイドアウトにはヒーターがどうのこうのと書いてあるので、少なくとも30℃に迫るような気温ではないことは確かなのですが、極寒かというとそういうわけでもないですよね。BEARの人腕まくりしてますし。
昼間は20℃くらいになって夜は0℃に迫るとか……? そうなってくると確かにヒーター必要ですね。