「後ろがガラ空きだったね」
たきなに銃口を突きつけた女性は、英語で一方的にそうつぶやくと、一呼吸置いてから弾むような声で言葉を続けた。
「大人しくしてくれりゃ殺さないからさ。ちょっとお話ししない? 久しぶりに同性に会えて嬉しいんだよ。あぁ、英語わかる?」
「…………わかります」
「じゃ自己紹介だ。アタシの名前はイレーネ。イレーネ・サンダース。呼ぶ時はイレーネでいいよ。あんたは?」
「…………井ノ上たきな、です」
「そっか! じゃあ〝たきな〟って呼ぼうか」
女性、イレーネと名乗った女は、たきなに突きつけていたクリスベクターを下ろして、一歩後ろに下がった。
顔には出さないし声にももちろん出さないが、たきなの焦りは相当なものだった。心臓は口から飛び出そうなほど拍動を打っているし、手のひらには嫌な汗がじんわりと浮いて、グローブの中を湿らせる。もし素手だったら、今手にしているボルトアクションライフルを取り落としていたかもしれない。
「…………そちらを向いてもいいですか」
「あぁ、いいよ。ゆっくりこっちを向けばいい」
膝立ちのまま対岸を向いていたたきなは、緩慢な動作でボルトアクションライフルを下ろし、首だけを動かして、左後ろに立つイレーネの姿を視界に収める。
肩より少し上で切り揃えられた金髪に、黒のベレー帽を被り、黄色いレンズの耐破片ゴーグルを装着している。口元は黒の布で覆われ、素顔は見えない。背格好はだいぶ小柄で、たきなの身長が160㎝であるが、それよりは確実に小さい。150cmないかもしれない。45口径弾を使う、カスタムされたクリスベクターを両手で持っている。セーフティーはかかっていない。背中には少し小ぶりな黒のバックパックが背負われている。
日本からタルコフに来て日は浅いが、この街で千束以外の女性と会うのはたきなにとっても初めてであった。いると思わなかったほど、この地に女性という存在は異質だと思った。だからと言って巡り会えたことが嬉しいわけではない。現に今、この目の前の女は殺そうと思えばたきなを殺せる。迂闊なことはできない。この女の機嫌と気分を変えてはいけない。どうすればいい。どうすればこの状況を脱却できる。
そんなことを考えていると、ヘッドセットに千束からの通信が入った。
『たーきなー。終わったよ。敵さんは全員生きてる。こっち来てー』
「千束、すみません。状況〝赤〟です」
『…………了解』
千束からの通信が終わる。イレーネには千束の声は聞こえていないし、たきなも日本語で受け答えをしたので内容は伝わっていないはずなのだが、イレーネは相変わらず少し弾んだ声で口を開いた。
「仲間がいるんだね? その子も女の子?」
「……どうでしょうね」
「なにを話していたの?」
「今日はいい天気ですね、と」
「そっか。確かにいい天気だ。で本当は?」
「…………」
たきなの目をまっすぐに見てくるイレーネに、たきなは目を逸らさず無言で答えた。そうしている間にも頭の中ではこの状況を打開する方法を考えている。手にしているボルトアクションライフルは、引き金を引けばいつでも撃てる状態である。しかしこの至近距離で相手を狙うのは無理だ。銃を上げ、狙いを定める前に撃たれる。
ならば拳銃を抜くか。それもダメだ。抜く間に撃たれる。良くて相打ちだろう。
ではどうするか。たきなは考えて、考えて、考えついた。これならいけると。
「あの、膝立ちがきついんでそろそろ立ってもいいですか?」
「ん? ああ、いいよ。好きにすれば」
イレーネの許可を取ってたきなはゆっくりと立ち上がった。右膝からはらはらと少しの土が落ちる。それを払いもせずに、たきなはイレーネの方へ体の正面を向ける。まっすぐにイレーネの耐破片ゴーグルの向こうを見つめながら、両手に持つボルトアクションライフルから手を離した。スリングが突っ張って胴体の前で宙吊りになる。これですぐには撃てない。それがイレーネにもわかるように、ゆっくりと両手のひらをイレーネに向けて肩より少し上へ上げた。
「これでいいですか?」
「殊勝だね。文句はないよ。引き金を引く気が無くなる見事な投降だ」
その言葉に頷きながら、たきなは少し歩いた。両手をあげたまま、ひどくゆっくりとした動作で、イレーネを中心に回り込むように。たきなの様子を注視しているイレーネの視界から
「ありがとうございます。…………どこの所属でしたか?」
「USEC。だけどあんな糞溜まりにはもううんざりしてね」
「そうですか。それは大変でしたね。PMCもいろいろあるんですね」
「聞いてくれる? 誰かに愚痴りたくてたまらなかったんだ。それがあんたみたいな若い子だったら、アタシは嬉しくてついつい喋っちゃうねぇ」
「詳しく聞いても?」
「もちろんさ。なんでも話そう。あんな便所の話をするのはこれが最初で最後だと────」
会話を続ける。話をして、隙を見て、時間を稼いで、稼いで、稼ぎ倒す。そして、そうしていれば必ず来てくれる。強くて、頼もしくて、それからこの世界の誰よりも優しいあの人が。私の、私にとっての〝救世主〟が。
耳にしているヘッドセットが通電した。わずかなノイズ音がほんの一瞬聞こえた直後。
『────たきな伏せてッ!』
ヘッドセットに届いた千束の叫びに、たきなは瞬時に呼応。立っていたその場で全身の力を一気に抜いて地面に伏せる。地面の上でボルトアクションライフルを繋いでいるスリングのバックルを操作して、迷いなく切り離す。
直後、KSGショットガンの発砲音が川の浅瀬に響き渡った。
千束は、イレーネとたきなの立っている場所から三十メートルほど離れた位置で発砲。非殺傷ゴム弾は中身の七つのゴム球を拡散させながらイレーネに降りかかった。
イレーネが息を呑むのがわかった。
「ッ!」
発砲の直前に千束の存在に勘づいたイレーネが、川の方を向いていた。直後に千束の散弾の中の七つのうち六つがその胴体を捉える。しかしアマーリグを装備しているイレーネに、一打では効き目が薄い。わずかに足を後退させ、表情を歪ませるだけで、気絶はおろか大したダメージにもなっていない。
「くそ!!」
悪態をつきながらイレーネも応戦。信じられない速度でクリスベクターを千束に向けて、瞬時に狙いをつけて発砲する。レティクルは千束の足に重なっていた。
ダララララララ────。
クリスベクター特有の高い連射性能から放たれる強烈な45口径弾。貫通力こそ期待できないものの、代わりに肉体へのダメージは群を抜いている。頭に当たれば例外なく即死、足に当たれば確実に相手の行動を止め、戦力と機動力を削ぎ、しまいには命すらも刈り取る。
当たれば、ではあるが。
千束は足を狙ってくるイレーネの射撃を見切り、ここまで走ってきた勢いのまま右へ左へ体を振ってイレーネに接近する。バックパックは対岸に置いてきたらしい。そのトリッキーで予測できない身軽な千束の動きに、イレーネの射撃は追いつかなかった。
千束がもう後十メートルでイレーネの体に触れられる距離まで来た時、たきなは地面に伏せた状態からボルトアクションライフルをその場に残して右に転がる。転がりざま拳銃を抜いて即座に起き上がり、銃口をイレーネに向ける。
イレーネはクリスベクターの引き金を引き続けた。迷うことなく、自分に向かって発砲してきた千束に狙いを絞り、その足を撃って行動を止めるべく弾を吐き出し続けた。
だが当たらない。ワンマガジン三十連のこの銃は、すぐに物言わぬ鉄塊となった。
イレーネは弾切れのクリスベクターから両手を離して、体に回しているストラップで銃本体をぶら下げながら、咄嗟の判断で右腰に装備していた手斧を抜いた。千束の体が迫る。三メートル先にいる。イレーネは手斧を振りかぶって、今まさに突進してくる千束の頭に向かって手斧を振り投げた。
同時に発砲音。それは、目の前の千束からではなく、横にいたたきなの持つ銃の音。シルバーのスライドフレームが発砲直後に後退して次弾を咥え込み、元の位置に戻って薬室に弾を送り込むのと、イレーネが投げた手斧が、投げられた直後に撃ち落とされるのが同時だった。
「んなッ────」
イレーネは驚愕の声を上げた。一瞬口が開き、そして即座に歯を食いしばって腰を落とした。
低姿勢のまま、こちらに突っ込んでくる千束の腹部めがけて右足で蹴りを放つ。弧を描くように回し蹴りが放たれる。
しかし千束は踏み出す足を止めなかった。イレーネから駆り出された水平な右足に向かって、千束は体を捻って自分の正中線を相手の足に対して正面に向けた。そのまま構えていたKSGショットガンの上部をイレーネの右足首に思いっきりぶつけた。受け止めるというよりはもはや自分から銃本体をイレーネの足に当てに行く勢いだった。
「ッ!」
ブーツで覆っているとはいえ、金属製の堅牢な作りをした銃本体と生身の足では真正面からの勝負にならない。まして、千束は体勢で不利にならないようわざわざ蹴りに対して体の正面を向けるようにしていた。右足を使って大ぶりな攻撃を選択してしまったイレーネと、両足がしっかりと地面についている千束とでは、その後の体勢に雲泥の差が生まれる。そして、千束はイレーネに対して右肩をぶつけるようにそのまま突っ込んでいった。
左足一本で立つイレーネはいとも容易く体を宙に浮かされる。浮いていたのは一秒にも満たない間であり、体は慣性に従って後ろへ飛ぶ。千束とイレーネの身長差は十センチはある。体格で勝る千束のタックルに、イレーネはなすすべなく後方に吹き飛ばされた。
ただ、イレーネ自身も相当な練度の
直後、千束は右足を後ろへ引きながらKSGショットガンを手放した。スリングがピンと張ってKSGショットガンが体の前面でぶら下がるよりも早くに、千束は神速の勢いで拳銃を抜いた。右足を引いて半身の姿勢。右手と左手をぴたりと合わせて合掌するかのように、拳銃そのものを鳩尾の前で保持する。
────もとより千束は、相手の拳が自分に触れるような距離で戦うことを得意とする。
そのための
千束の拳銃が、恐ろしい速さで連射された。六発。立て続けに吐き出された非殺傷弾は、イレーネの胴体、下腹部、首に全弾命中。精度の悪い弾に加えて全く狙いなどつけないその撃ち方が、かえって至近距離の相手に対しては弾の命中がばらける結果となり、それはそのまま相手の意識を刈り取る確かなダメージになった。
千束が数歩、後ずさる。後退りながら高速で次のマガジンを拳銃に叩き込んだ。鳩尾の前で保持していた拳銃を今度は顔の前に引き寄せる。左目でフロントサイトのみを見て、その先にイレーネの頭を重ねる。
六発の銃弾を叩き込まれたイレーネは、数瞬、その場に立ち尽くした。直後、膝が地面につき、そのままばさりと草の音を鳴らしながらうつ伏せに倒れた。そのまま三秒が経過した。
「────ごほっ! ぐ、がはっ…………げほっ! げほっ!」
うつ伏せに倒れたイレーネが、苦しそうに体を縮こませながら咳き込んだ。左手で口を押さえる。体が地面の上でくの字になり、小刻みに震える。そして、
「う…………おえぇ…………」
黒いシュマグをしたまま、胃の中のものを吐き出した。そして力無くそのまま動かなくなった。意識を失っている。
「…………あれ、これ」
千束が拳銃の照準をイレーネの頭に合わせたまま呟いた。
「もしかしてまずい?」
「千束、吐瀉物が喉を塞いでいるかもしれません。早急に手当が必要です」
「やっぱり!! ああもう! この人から撃ってきたのに!! たきなごめん水と布出して!」
「了解です」
すぐさま拳銃をホルスターに戻した千束とたきなは、吐瀉物で窒息死寸前のイレーネの救出に動いた。
あたりにはわずかに流れる川の音と、小さく響く小鳥の声。そして、かなり遠くの方からくぐもった銃声が二、三発聞こえてくる以外、久方ぶりの静寂となった。川のほとりに聞こえてくるのは、イレーネの吐瀉物を流す水の音と、少し慌てた千束、たきなの声だけである。
【お詫び】
やらかしました。結論から書きますと「たきなの拳銃の口径が公式と違っていた」という話です。
めちゃくちゃ今更ですが『リコリス・リコイル』の公式設定集を先日購入したんです。本当に今更です。二次創作書く前に買えよという話ですが、なんと設定集を買って読むという行いをこれまでの人生でやったことがありませんでしたので、ええ、すっかり失念していました。マジで急に思い立ってなんとなく買ってなんとなく読んでいたんです。
そしたらまぁ衝撃の事実が書かれていました。たきなの拳銃(名前は書かれていませんでした)が、9mm口径であることが明記されていたんです。他のリコリスや千束は45口径です。(フキたちは45口径のグロック。千束はデトニクスコンバットマスター)
いやぁ、アニメ本編で千束の非殺傷弾を撃って「なんですかこれ」ってびっくりしていましたから、そこから「たきなの銃は45口径」だと思うじゃないですか。ええ、立派な間違いです。ぐうの音も出ません。喫茶リコリコには9mm口径の非殺傷弾も用意されていたということですね。やってくれたぜミカさんよぉ(責任転嫁)
そんなわけで、リコリスinタルコフではこれまでの描写で明らかに思いっきり「たきなが45口径をぶっ放す」描写がされていました。設定の誤りに気付いた時点で頑張って過去の描写を探して修正しましたが、もしかしたらまだおかしなところが残っているかもしれません。もし見つけましたら、そしてお時間がありましたら該当箇所をなんらかの方法でメッセージいただけたら大変嬉しいです。狂喜乱舞ものです。Twitterか、ハーメルンのメッセージ機能が使いやすくて現実的かなと思います。
大変お騒がせしました。混乱の極みです。やっぱりネットの情報だけを鵜呑みにするのではなく、ちゃんと原典を漁らないとダメですね。痛感しました。
今後はたきなのサイドアームは45口径ではなく9mm口径として描写していきます。
何卒、今後もご愛読いただけたらと思います。大変失礼いたしました。