「それ、ピーナッツバターでしょ? 好きなんだよねアタシ」
「んじゃ一口あげるよ。代わりに色々教えてくんない?」
手足を縛られてマットレスに転がされたままのイレーネに、千束は笑顔で自分の食べかけを差し出した。
「え、一口だけ?」
「そう、一口だけ。だって私のこと撃ってきたし」
「ごめんってば。ちょっとびっくりしちゃったんだよ。……いや、ていうか先に撃ってきたのあんたじゃない?」
「そうだっけ」
首を傾げてとぼける千束に、イレーネは三白眼を細めて眉根を垂らした。少し困ったように言葉を探した後、
「なんかわかんないけど今腹減っててさ、あんたたちに銃向けたことは謝るから、これ解いてくんない?」
「うーん、どうしよっかな。たきなはどう思う?」
振り返ってたきなの方を見た千束に、たきなは口の中の携帯食料を飲み込んでからゆっくりと口を開いた。
「縛られていても口は動かせます。イレーネさん、あなたの話を聞いてから、あなたの拘束を解くかどうか判断します。それまで食事はお預けです」
「ええ〜たきなちゃんそれはないよ〜」
「私はまだあなたを信用できません」
「私はあんたたちを信じるよ? 殺そうと思えばいつでも殺せたはずなのに、アタシまだ生きてるし。めっちゃ弾くらったのに怪我ないから、あれ普通の弾じゃないよね?」
千束の方を見上げたイレーネに、千束はまぁねという顔をしてから、
「とりあえず、自己紹介でもする?」
とイレーネに提案した。
イレーネは頷いた。
◯
イレーネ・サンダース。性別は女で年は24歳。身長は149センチで、元USECオペレーター。半眼の三白眼にそばかすのある頬が小さい頃はコンプレックスだったが、大人になってからチャームポイントだと気がついて以後自信を持っている。
民間に流れる前はアメリカ海兵隊の航空部隊に所属しており、軍民問わずヘリもジェット機も難なく飛ばせる。USECに入ったのは高給のためであり、そこを抜けたのはあまりにもUSECがクソだったから。
「ざっと自己紹介はこんなもんかね。あんたたちは、というかそっちの金髪の子はアタシ名前知らないね。教えてよ」
「千束だよ。錦木千束。日本のギリ女子高生」
「戦った時はバラクラバで顔見えなかったけど、こうしてしっかり見るとずいぶん若いんだね。何歳?」
「今18かな」
「たきなちゃんも?」
「たきなは一個下だよ。17歳」
「わっかいねー。その若さであんだけ強いのおかしくない?」
「全然ぜんぜん。まぁ教えてくれた人が良かったのかなー」
「あとめっちゃかわいいね。モテるでしょ?」
「どうかなー? 私はそんなでもないよ。仲のいい男の子とかいないし。たきなは?」
「いるわけないでしょう。邪魔です」
「たきなちゃんドライだねぇ。でも二人ともほんとにかわいいね。素顔が見れて良かった」
イレーネの口ぶりや表情からは、お世辞や計算で言っているという様子がなかった。本心から二人の容姿を高く評価し、そしてそれを素直に口に出している。千束はなんだかこそばゆいような感覚に、心なしか身を捩って照れ笑いを浮かべた。たきなは無表情で携帯食料を齧っている。
千束は手にしている携帯食料のまだ口をつけていない反対側を一口大にちぎって、イレーネの顔の前に差し出した。
「くれるの?」
「うん。とりあえずお腹減ってるだろうし、ちょっとあげる」
「ありがとう千束ちゃん」
お礼を言って、イレーネは口を開けた。携帯食料が放り込まれ、イレーネはもぐもぐとそれを噛んだ。
「ピーナッツバターに塩気が効いてるのか。アタシこれ好きだわ」
「そう? 私はイマイチかなぁ。たきなは?」
「食べられればなんでも構いません」
「いや好き嫌いとかさ……」
「そんな事を言っていたら栄養失調で倒れます。なんでも食べたほうがいいですよ。…………でも、私もあまり好きな味ではありません」
「そっかぁ」
イレーネは口の中のものを名残惜しそうに飲み込んで、それから千束の方を見上げた。千束はちょうど携帯食料を齧っているところで、バッチリイレーネと目が合う。
「ほひた?」
「いや、他に聞きたいことがあるなら質問して欲しいかなって。早く答えてアタシもご飯食べたい」
「んん〜」
千束は頷きながら、今齧った携帯食料を水で胃に流し込み、それからそばかすの浮いたイレーネの顔に疑問の表情を投げかけた。
「USECでさ、なにがあったの?」
単刀直入に聞いた。イレーネは自嘲気味に笑いながら、誰かにこの事を愚痴りたくて仕方がなかったんだ、良くぞ聞いてくれたというような喜色の顔で口を動かした。
「いろいろやばかったというか、テラグループからの依頼はどれもキナ臭かったけどさ。タルコフが封鎖されるってなった時のアタシらの作戦が、一番クソだったんだよ」
それからイレーネは、数ヶ月前に従事した作戦の内容を隠すことなく話した。秘匿されるべき機密情報が盛りだくさんであったが、それを話した事を咎めるような人間はもうこの街にはいない。たとえ仮にこの街から生きて出られたとして、今のイレーネの話を追求することももうないだろう。
イレーネが話した内容は、テラグループの抱える研究員を街から脱出させる任務内容だった。その過程で、研究所内の資料や証拠品を集めている際、そこに記されている研究内容に疑問を持った。
「なに研究してたと思う? 千束ちゃん」
「なんだろ……美味しいロシア料理の作り方とか」
「だったら良かったんだけどね。正解は生体実験。それも真っ黒なやつ。マウスとかモルモットだけじゃなくて、ロシア国内で罪を犯した人を非合法に実験材料にしてたんだよ」
「うわーお」
そして研究員を街から脱出させるために、研究所を後にしようとしていたが、そこでイレーネがUSECに見限りをつけた事件が発生する。
「うちの部隊の人間がね、隊長命令で研究員を射殺し始めたんだ。あの人たちは民間人だよ? 抵抗らしい抵抗もしてこなかった。それを全員、男も女も殺した。中には十代の研究員もいた。研究員ってか、学校のインターンで来てる子だった。その子も殺された」
「そういう命令だったの?」
「あぁ。上からの指示らしい。証拠を消せって。物だけじゃなくて人も。アタシは止めたし、一発も撃たなかった。でも他の連中は機械みたいに引き金を引き続けてね。金がもらえるからって、心まで売っちゃダメだと思った」
「それで?」
「アタシは隊から離脱した。その直後に、アタシのいた部隊がBEARの連中と交戦になってたけど、アタシはどさくさに紛れてその場から脱出できた。でもタルコフからは出られなかった。持ってたカードキーも教えられてた脱出用の合言葉も効かなかった。あげく港で殺されそうになって、今は街の中で外に出る準備をしているところ」
イレーネの言葉に、千束は何度か頷いた。それからたきなの方を見て、
「…………いいんじゃないですか」
たきなのその言葉で、千束はもう一度頷いてからナイフを取り出し、イレーネの両手と両足の拘束を断ち切った。
「ありがと、千束ちゃん、たきなちゃん」
「今の話が本当なら悪い人じゃないってわかったし、まぁ雰囲気がもう悪人って感じじゃないもんね」
「言葉に表すのは難しいですが、
マットレスから起き上がり、淵の方に座って膝を抱えたイレーネは、肩口まで伸びている少しくすんだ金髪を揺らしながら、柔らかい笑顔を千束とたきなに向けた。
「アタシも嬉しいよ。この街に残ってるクソどもは、話をするよりもケツの穴に引き金を引いたほうが楽だと思っている。そういう連中ともやってかないと生きていけないけど、あんたたちみたいなのと一緒にいられるならそのほうがいい。ずっといい」
それからイレーネは自分のバックパックに手を伸ばし、グリーンピースの缶詰と抹茶ジュースを取り出して封を開けた。
ジュースの缶を千束とたきなのほうへ掲げて、
「あんたたちと出会えたことに感謝するよ。よければ、これからも仲良くしてくれない?」
千束とたきなも、空いている手でペットボトルの水を差し出した。
「もちろん! イレーネさんが良ければ、一緒にいよう」
「賛成です。手伝ってもらいたいことがあります。良ければ……ですけど」
イレーネは嬉しそうに口角をあげ、何度も頷いた。それから少しだけ声を張ってジュース缶を差し出した。
「乾杯!」
「乾杯」
「かんぱーい!!」
ジュース缶とペットボトルの当たる音が、狭く薄暗い事務室の中にこだました。
◯
イレーネのことだけではなく、千束とたきなの探し物の話もしながら、ひとしきり補給を終えた。なぜタルコフにいるのか、そもそも千束とたきなの所属はどこなのかといった話はあえてせず、敵をなるべく殺さずに進みたいこと、今はスキーヤーの部下の死体を探している事をイレーネに伝えた。
お腹を休ませるためにも少し休憩ということで、三人はその場にとどまる判断をする。
スキーヤーの部下の死体を見つけるためには一にも二にも行動する必要があるが、対抗する組織には一応手を打ってある。たきなの脅しが効かずに敵がうろつく可能性は十分にあるが、それならそうで真正面から戦うつもりでいた。どちらにしても後手に回って負けるという可能性は低いという見立てである。
とはいえいつまでも休むつもりはない。最低限、銃の整備だけをして出発するということになった。
たきなと千束はまず拳銃をバラして整備する。KSGショットガンとM24A3ボルトアクションライフルは弾が込められ、すぐにでも撃てる状態である。イレーネはメインウェポンにして唯一の武器であるクリスベクターを整備していた。
イレーネが、千束とたきなの前でクリスベクターを分解する。この行動そのものが、イレーネの千束とたきなに対する信頼を物語っていた。自分の武器を使えない状態にするのは、絶対に襲われないという確信があるからだろう。イレーネのその様子に、千束もたきなも言葉にはしなかったが、改めて彼女を信用して良いという認識を持った。
「…………その銃、45口径?」
イレーネが千束の手元を見て、拳銃の太いバレルを指差す。
「そうだよ。私の弾は全部ゴムなんだ。殺したくないからさ」
「なるほどね。だからアタシは命拾いしたわけだ。にしても……あの時、なにされたのかわかんなかったね」
イレーネは三白眼を細めながら参ったなぁとこぼした。
「格闘戦には自信があったんだけど、あの距離で、あの速さでまさかサイドアームに切り替えられるとは思わなかった。抜くところまでは見えたけど、どうやって撃ったのかわからなかった」
「近距離で戦うやり方がたまたま私のいつものスタイルだったってだけだよ。弾が弾だけに離れると当てる自信なくてさ。だから私は近距離特化なの」
「なーるほど、それでたきなちゃんが遠距離担当ってわけだ」
「そうですね」
たきなが拳銃のシルバーフレームを戻しながら答える。何度かスライドを動かし、問題がない事を確認して弾の入ったマガジンを刺し、薬室に一発送る。
「たきなちゃんもゴム弾なの?」
「いえ、私のは実弾です」
「拳銃も?」
「そうです。当たらないものは使えないので。近距離戦にも人並み以上の自信はありません」
「そっかー。でもたきなちゃんも人殺しはしたくないんだね?」
「私は……」
たきなは少しだけ手を止めて、千束を見た。視線を感じた千束が首を傾げながらたきなを見返すと、たきなは少しだけ口元を緩め、
「千束が良いと思った事をしているだけです。千束が〝いのちだいじに〟を辞めた時は、私も頭を狙います」
「えーたきなそれはちょっとー」
「なんですか?」
「いやほら、もし私が死んじゃったりとかしたらさ? どうするのかなって」
「殺したやつを徹底的に痛ぶってから殺します」
口をへの字に曲げた千束だったが、そのやりとりを見ていたイレーネはくすくすと肩を揺らして笑った。
「相棒思いなんだね」
「そうですね」
「ちょ、なにいい話ふうにまとめてんのさ! たきなそれはぜーったい許さないからな! そういうの無しだかんな!」
言いながら千束も手早く拳銃を組み上げ、流れるような動作でKSGショットガンも分解した。たきながボルトアクションライフルの整備を終えるのと、千束がKSGショットガンを組み上げたのはほぼ同時だった。
組み上げた銃をそれぞれ三人とも動作確認し、弾を込め、撃てる状態にした。薬室に一発送り込んで、安全装置をかける。拳銃はホルスターに、メインウェポンはスリングを肩にかけて、千束とたきなはバラクラバ、イレーネは耐破片ゴーグルを手に取る。それでは死体探しに出発しようかとしていたその時だった。
カンッ! カランカラン…………。
乾いた高い音が三人の耳朶を叩いた。お互いに顔を見合わせ、瞬時に手にしていたバラクラバや耐破片ゴーグルをその場に投げ捨てる。
代わりにメインウェポンを体の前にして、安全装置を外す。
甲高い缶の音は二階から聞こえた。一階では物音がない。事務室から鉄製のドアが鳴らないようにそっと開けて三人は出た。
と、同時に。
事務室と廊下を繋ぐドアの目の前にある、建物そのものと外界とを区切る、すなわち出入り口のドアが、
「「「ッ!」」」
三人の前で、勢いよく開いた。
そういえば先週『リコリス・リコイル』が一周年を迎えていましたね!
まさかの先週更新の時に失念していたという。ガッテム。
リコリコ二次創作者としてあるまじき行為。千束、その銃で俺を撃ってくれ。せめてもの罪滅ぼしだ……。
冗談はともかく、今なおTwitterでは「リコリコ」の文字がトレンド入りするというのが、なんだか嬉しく思います。作品をお借りして活動させていただいている身としては、こうしてみんなが「リコリコ」を好きでいてくれる、見てくれている時間が末長く続けば良いなと思います。
あ! 『リコリスinタルコフ』も、どうか末長く、生ぬるーい視線で見つめていただけたらと思います!!