イレーネは、建物三ヶ所の出入り口をワイヤーとパラコードでがんじがらめに固定した。手榴弾で損壊した西側の出入り口も、別の部屋のドアを立てかけることで、もはや壁のようにして出入りできなくなっている。
爆薬を使って吹っ飛ばせばどの入り口からも侵入はできるが、ただしそうなればフラッシュバンが炸裂するように天井に細工をした。強烈な音と光で千束たちに侵入者を知らせ、運が良ければその不届者の視覚と聴覚を短時間奪う。
今夜はこの建物で一晩を明かすつもりでいた。水も食料も充分にある。
負傷して動けない者がいるのなら、その場所に留まり守りを固める以外に取れる選択肢がなかった。
イレーネが立て篭もり作業をしている間、千束はたきなの手当てをしていた。手を止めることなく迅速に対処していたが、千束の目には涙が溢れて止まらない。
「たきなぁ……たきなしっかりして……死なないで…………」
意識を失っているたきなへ、しきりに呼びかける。
たきなの状態は酷かった。
左腕と左足に被弾。腕の方は弾が抜けていたが、足の方は大腿骨に到達して骨を打ち砕き、中に弾が残っていた。止血して、弾を除去して、骨折した足を固定するためにスプリントを巻く。ちゃんとした医療機関であれば砕けた骨を除去して器具を入れ、固まるまで適切な処置ができるだろう。ここではそんなことをする設備もなければ、その技術もない。
胴体にも被弾していた。幸いにもアーマーリグが弾を受け止めてくれていたが、もう使い物にならないほどアーマーそのものがダメージを受けていた。服を脱がして生身の体を確認すると、痛々しいほどに紫に変色した上半身が顕になった。
被弾直後に打ち込んだ二つの回復注射が、かろうじてたきなの命を繋ぎ止めている状態だった。薬液の仕組みは千束にはわからない。明らかに輸血が必要なレベルで出血しているように見えるが、たきなの心拍は動いている。体温は少し低い。服を着させて、バックパックから防寒着を取り出して、たきなに巻きつけた。
一連の治療が終わった時、イレーネもちょうどよく作業を終えていた。
イレーネは建物の封鎖に加えて、千束が倒したAKの男とP90の男の装備を剥ぎ取っていた。身柄は建物内部に引き込んで手足を拘束。東側入り口のすぐそばに立て付けられている鉄棒にぐるぐる巻きにしてくくりつけている。
P90の男の持っていた荷物やAKの男の背負っていたバックパックを物色する。P90の男はUSECのようだが、AKの男は、
「うわ、こいつBEARじゃん。やっぱいるんだなUSECと組んでるやつ」
イレーネは感嘆の声を漏らしながら作業を続けた。
たきなのアーマーリグはもう防弾の役目を果たさない。ここで捨てていき、新しいものに取り替える必要がある。
P90の男が着けていたものは、その意味ではたきなのアーマーの代わりとしてもってこいだった。
6B43アーマー。イレーネはアーマーの中に入っている鉄板も確認する。新品同然、これなら本来の役目を果たす。
クラス6の強度を誇り、少々重たい素材だが、どのみちたきなは狙撃手であり、そう動き回ることは求められていない。アーマー本体を抱えて、事務所の中に入っていった。
「ふぃー……たきなちゃんどう? 息はしてるから大丈夫そうだけど」
マットレスに寝かされているたきなを前に、千束が力無く座っている。
イレーネはそのすぐそばに腰を下ろした。いったんアーマーのことは放置して、たきなの容体を気に掛ける。
「命は繋ぎ止めたみたい。でも今後、戦えるかどうかわかんないよ」
千束の目に涙が浮かぶ。声が震えている。泣かないように我慢しているのがイレーネにはわかった。しかし堪えたところで、どうしようもない感情が次から次へと襲ってくる。
千束は自分の判断を責め始めていた。
もっと上手く立ち回れたんじゃないか。
二階に敵が侵入してきたのはわかっていたこと。階段が廊下の北側にしかないのだから、当然北側から襲撃されるのは予測できたはず。
一階に敵が侵入してきた時の、たきなの行動の意味は千束にも理解できた。千束が超至近距離での戦いを得意とするのなら、その動きの制約にならないようたきなは少し離れたところからバックアップをする。
加えて入り口からの新手を抑えるために、入り口に対して射線が通る位置に移動する。それが、廊下の端。たきながいた場所。
たきなの判断は間違っていなかった。イレーネが廊下の南側に移動したのも間違っていない。誰もが最適解を導き出していた。
二階の敵が予想よりも早く一階に到達する可能性を考えていたら。
私がもっと早くP90の男を倒していたら。
私が屋外に出た時に、たきなを廊下から移動させていたら。
「…………ごめん、ごめんたきな……私のせいだ……私のせいでこんな…………」
涙が、千束の戦闘服を濡らした。ハラハラと落ちる。肩が震えて、もう取り返しのつかない事態に自責の念が苛んでくる。
動けるようになったとしても、この状態のたきなはもう激しい銃撃戦には参加できない。左腕と左足が満足に動かないのにどうやって戦場を生きていこうか。どこからでも撃たれる可能性のあるこの広いタルコフ市から、どうやって生きて帰るのか。
イレーネが、優しく千束の肩を抱いた。抱いた手を頭に回し、そっと千束の柔らかい白金髪を撫でる。
「大丈夫、千束ちゃん。たきなちゃんは生きてる。頭を撃ち抜かれたわけでも、胸を撃ち抜かれたわけでもない。手当てもした。大丈夫だよ」
イレーネのその優しい言葉には、一つとして今後のたきなが生き残れる根拠は含まれていなかった。
ただただ大丈夫と。そう励ます言葉しかない。
しかしそれでも、千束の心をほんの少し楽にさせるのには十分な言葉だった。
千束は一つ、ゆっくりと頷いて、あとは声を押し殺して涙を流した。
イレーネはその間ずっと、何も言わずに千束の頭を撫で続けた。
◯
数分の時が流れた。千束の鼻を啜る音が次第になくなり、そのほおを流れる涙が止まった時、イレーネは千束の顔を覗き込みながら少し高い声で囁いた。
「大丈夫、千束ちゃん。アタシを信じて。たきなちゃんはまた動けるようになる。それまでたきなちゃんを守ればいいだけだから」
イレーネのその言葉には、根拠はないが確信があった。ただの慰めかもしれない。現実を見ていないだけかもしれない。色々なことが千束の頭にはよぎったが、
「たきなちゃんが起きた時にさ、もし千束ちゃんが目真っ赤にして泣き腫らしてたら、たきなちゃん悲しいと思うよ」
イレーネのその、屈託のない言葉に、千束は小さく微笑んだ。少し心が晴れたような気がした。
そうだ。私はたきなの相棒だ。たきなが目を覚ました時に、めそめそ泣いている顔なんて見られたくない。それは私じゃない。私のやりたいことじゃない。
「ありがと、イレーネさん。元気出たよ」
「よっし! んじゃそうとなれば収穫品のチェックだよ。この街で生きていくには装備の調達とチェックが欠かせないからね。とりあえずたきなちゃんの新しい装備はこれにしよう」
イレーネは横に置いていた6B43アーマーを千束の前に置いた。
「ほぼ新品。ちょっと汗の匂いがするけど気にしない気にしない」
「これやっぱり防弾性能がいいやつなんだよね?」
「だねぇ。若干重いし修理はできないから使い捨てだけど、その分弾は通さない。ちゃんとたきなちゃんの命を守ってくれるよ」
そう言いながら、イレーネはたきなが着用していたアーマーリグからプレートを抜き、拳銃やボルトアクションライフルのマガジンが入っているポーチ類を取り外す。
「たきなちゃんが使ってたやつはリグの機能だけ引き継いでおけばいいよね」
「そうだね。このアーマーの上に着るようにしようか」
たきなのリグの中身を確認する。被弾が激しかったので中身もダメージがあるかと思われたが、ボルトアクションライフルのマガジンが一つ変形しているのみで、あとは大丈夫だった。運がいい。
弾を抜いて新しいマガジンに詰め込む。
そのほか止血帯や予備の弾、緊急時の注射器などを詰めておく。容量は元々使っていたものとそう変わらない。ポーチ類は引き継ぎ、入らないものはバックパックに戻す。
あとはたきなが起きた時、サイズを調整すれば完了である。今できることはここまでだった。
イレーネが腕時計を確認して、もう外は日が落ちていることを知らせる。
「少し休もう千束ちゃん。疲れたよ」
「そうだね。もしまた襲撃があっても、生き残れるようにしないと」
そう言いながら千束が自分のバックパックから飲み物と食料を出そうとして、それをイレーネが止めた。
「試合は引き分けだけど勝負には勝ったんだ。メダルをいただかないと」
ニヤつきながら、イレーネはAKの男が背負っていたバックパックを吊り下げる。
中身は食料や弾薬、工作の材料がしっかりと詰まっていた。食料を全部取り出して千束の前に並べる。
「まぁあくまであいつらを生かしておくなら全部は食べちゃダメだけど、これはアタシ達のもんだ。勝ったんだから」
千束はイレーネの言葉に少し笑いながら、何度か頷いて食料の一つのMREを手に取った。
米軍のレーション一食分である。
イレーネはビーフシチューの缶詰とチョコバーを取った。まだまだ余っているので、追加で食べようと思ったらまた取ればいい。
「いただきます」
「お? 日本式の挨拶だね。なんていうの?」
「〝いただきます〟だよ」
「おーけー。〝いただきます〟」
千束の見様見真似でイレーネも手を合わせて、それから二人は食料を口に運んだ。
◯
「敵のさ」
「ん?」
「アイゼンって、イレーネさんが呼んだ……っていうか叫んだ人、あれは知り合いなの?」
クラッカーにオレンジソースをつけてしゃくしゃくと食べながら千束は質問をした。
イレーネは半分笑いながら、
「あいつアタシが元いた部隊の隊長」
「あー…………研究員を撃ったっていう」
「そ。上からの命令には何の疑問も持たずに従うやつ。金の亡者だよ、アタシからしたらね」
「ドイツ人なの?」
「そうだよ。出身がドイツ。んでM4に呪われてる」
「どういうこと?」
首を傾げる千束に、イレーネはビーフシチューの缶詰を床に置いてから、スプーンを掲げて銃を構える真似をした。
「あいつがM4を持ったら必ず自分が怪我するか仲間が怪我するんだよ。一回の出撃で絶対に誰か負傷するし、訓練中もあいつのM4だけ暴発する。一回あいつが持ってるM4のマガジンが射撃訓練中に爆発したことがあった」
「うわ……」
「誰も怪我がなかったから良かったけど、アタシの居た基地じゃ知らないやつはいないよ、あいつの呪いは」
「それでAK使ってたんだ」
「そういうこと。弾は本国から送られてくるやつが強かったから、5.56mmを使いたいってわけ。それでAK101を愛用してた。今も使ってるとはね」
「グレネードが取り付けられてたけど、研究所を脱出する任務の時にもつけてたの?」
「まさか! あれは拾ったんじゃない? ロシアだからその辺に落ちてるよ多分」
イレーネはビーフシチューの缶詰を持ち直して、もぐもぐと口に運んだ。
数口食べたあと言葉を続けた。
「あいつのこと大っ嫌いだし、機会があればぶっ殺したいけど…………強いんだよ、あいつ」
「それは何となく戦ってて思った。たぶんすごい
「詳しくは知らないけど、連邦軍にいたって噂と、あと傭兵もやってたって。アフリカのジャングルと、イエメンとシリアのことをあいつから聞いたってダチが言ってた」
「ロシア連邦軍? USECなのに?」
「いや、ドイツ連邦軍」
「あ、そっか出身がドイツだから」
「でも正規軍はすぐやめて、何年か傭兵やってそんで民間に流れ着いたって。実戦経験は傭兵時代のものだと思う。無茶苦茶やってたって」
「そうかぁ」
千束はクラッカーを食べ終えて、次はマカロニの入ったトマト煮のようなものに手をつけた。かなり脂っこい。
ゆっくりと食べながらイレーネに疑問をぶつける。
「すんごいやりづらかったんだけど、あれ個人の戦闘力が高いのかな」
「逆。あいつは部隊を動かすのが上手い」
イレーネはビーフシチューの缶詰を食べ終わり、チョコバーを開けて一口齧った。
「あいつは別にずば抜けて射撃が上手いわけじゃないし、千束ちゃんみたいに足が強いわけでもない。近接格闘はちょっと強いけど、あいつより強いやつはうちの部隊にも居た。でもあいつの代わりになる現場指揮官はなかなか居なかった」
チョコバーと水を交互に飲む。ゆっくりと咀嚼してから、思い返すように天井を仰いで、イレーネはつぶやいた。
「あいつは状況判断が上手い。引き際が絶妙なタイミングだし、撃って出る時も〝確実に勝てる〟時しか勝負をしない。あぁ、M4を持ってた時は別だ。模擬戦でも何でその状況で負けるんだって負け方してた。本当に呪われてんだろうね」
笑いながら最後の一口を頬張ったイレーネは、それを水で流し込んで一息ついた。満足したようだ。
「なにはともあれアタシはあいつが憎くてしょうがない。民間人を虐殺したのも、できたばっかの友達をこんな目に合わせたのも許せない」
「そこには同感。でも、私は殺しまではしないよ」
千束の言葉に、イレーネは千束の方へ振り返って、その目をまっすぐに見た。千束の赤みがかった瞳をじっと見つめる。
「…………マジで言ってんだね」
「そう、おおマジ」
「何がそんなに千束ちゃんの意思を強くしてんのかわかんないけど、でも一つだけわかることがある」
イレーネは人差し指を立てて、千束の目をまっすぐに見つめながら断言した。
「その考え方は千束ちゃんの大事な支えになる。いつかピンチの時、千束ちゃんと千束ちゃんの大事な仲間を守ってくれる大きな柱になるに違いない。アタシ好きだよ、そういうの」
にこりと、イレーネは笑った。
「大事にしな」
「おう、もちろん」
千束はしっかりと頷いた。
◯
それから一晩、千束とイレーネは交代で睡眠をとり、夜を明かした。たきなは結局一晩中意識を失っていたが、翌朝の六時を少し過ぎた頃に目を覚ました。
千束もイレーネも出発の準備を整えていたところである。パチリと目が開き、むくりと上半身を起こしたたきなは、まず周囲を見た。
「おはようございます」
たきなの声に後ろを向いていた千束が飛び上がる。
イレーネも気が付き、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「たきな! 大丈夫!? 痛いところは?」
「おはようたきなちゃん。ちょっと傷口見せてくれない?」
千束の質問には「あまり痛むところがありません」と返し、イレーネの質問には首を傾げながらも、まずは戦闘服の上着を脱いだ。
左腕に巻いている包帯を解く。血が染み込んで真っ赤になっているガーゼをつまむ。どのみちこれだけ血を吸っていたら取り替える必要がある。たきなは迷いなくガーゼをめくって、
「…………え?」
困惑の声を上げた。千束もめくった先の傷口を見て言葉を失う。
二人の間から覗き込んだイレーネが、
「やっぱりね」
納得したように微笑みながら頷いた。
たきなの左腕の弾痕は、綺麗に塞がっていた。
ふふふ…………ラノベ一冊分くらい書いといてようやっと物語が〝温まって〟きましたねぇ……!
準備運動が長すぎる(戒め)