一晩を過ごした煉瓦造りの建物から外へ出た千束、たきな、イレーネの三人は、川の西側を歩き回っていた。
スキーヤーの部下は川向こう、つまり川の西側で銃撃戦の末亡くなったとメールに書かれていた。そもそもその情報が間違えていたらお手上げであるが、正誤確認をする方法はないに等しい。メールを信じて川の西側をしらみつぶしに探すしかなった。
「手分けする?」
イレーネの提案に、たきなが首を横に振った。
「いつ襲撃があるかわかりません。たまたま通りがかったPMCと偶発的な戦闘になることも考えられます。今はまとまっていたほうがいいでしょう」
「一人が探して、後の二人が周囲を警戒ってのがいいんじゃない?」
千束の明るい声に、イレーネとたきなも賛同した。
それから三人は橋の周囲、ロードブロックのフェンスの影、放置された車両の座席やトランク、車体下、道端に積み上げられているゴミ袋の下、生い茂っている草木の中など、ありとあらゆるところをガソゴソと漁った。
漁る人間と見張りの人間は交代で回した。三十分ほどで役割をローテーションしつつ移動。それを繰り返して千束が2回目の漁り役になった時、
「どーこーだー…………ん? なんかここ血の匂いがする……あ」
鼻まで覆っているバラクラバを下にずらして匂いを嗅いだ千束が、頭より高く伸びている草の密集地帯に体を突っ込んで、
「…………いた」
小さく呟いた。千束の表情は少し物悲しい色を持って、素顔を晒したまま静かに両手を合わせて目を瞑った。
数秒間の黙祷。この人間の声も顔も知らないが、それでも千束はせめて安らかに死後の世界を渡り歩いていることを願った。
一通り手を合わせ終えると、死体の装備を丁寧にガサゴソと物色する。
たきなもイレーネも千束が死体を発見したことに気がつき、より一層周囲の索敵に気を配った。
スキーヤーの部下の死体かどうかはわからない。こればかりは漁って持ち物を確認しなければ判明しない。
たきなは目を忙しなく動かしながらも、背後の草むらに話しかけた。
「状態はどうですか?」
「結構いろんなところ撃たれてるねぇ。胸に3発かな。失血死かも」
「鍵はどうです」
「今ポケット漁ってるところ。んんー…………お?」
死体が履いているズボンのポケットから手を抜いた千束の手には、何枚かのルーブル紙幣と一緒に細い金属製の鍵が握られていた。
「もしかしてこれ?」
「見せてください」
草と絡む細い木をへし折りながら手を伸ばし、千束はたきなに鍵を渡した。それから地面に落としたルーブル紙幣を千束は全て拾い上げた。べきべきと音を立てて草木の中から脱出して、死体のポケットに入っていた物の全てをよく観察する。もしかするとメモか何かがあるかもしれない。
「どこの鍵かは書いていないです。けどこれたぶん南京錠の鍵じゃないですか? かなり頑丈で大型のものだと思います」
「ほー…………たきな、こっちの方が大事かも」
千束がたきなに差し出した一枚のルーブル紙幣には、ロシア語で走り書きが残されていた。
かなり雑な字で解読に数秒を要したが、
「プレハブ…………職場? いや、オフィスですか?」
「事務所とかのニュアンスなんじゃない」
「ということは、プレハブ小屋で作られた事務所に荷物があるんでしょうか」
「かな?」
首を傾げる千束に、南の方を警戒していたイレーネが視線を動かさずに声だけ投げた。
「そういうのは罠のこともあるから、行くならしっかり気をつけていかないとだよ。わざと書き残しを置いて行ったり、敵対組織が偽の鍵とメモを置いていくこともあるからね」
「そりゃあ困るねぇ。でもここにいくしかないよ。スキーヤーにはとりあえずメールしとこうか」
「そうですね」
たきなは端末を操作して、スキーヤーに鍵を発見した旨のメールを送った。
数分で返信が来た。たきなが画面に視線を落とす。
「読みますね」
────ガキの使いにしては随分早かったな。ママのおっぱいが栄養満点だったのか?
その鍵がどこの扉を開くかまで調べられたら、お前たちに金と報酬を渡す。もし特定できずに鍵だけ渡すってんならそれでもいい。メールしてこい。受取人を送る。
ただし鍵だけ渡してくるなら2時間以内によこせ。それ以上かけるなら死んででも場所を特定しろ────。
「相変わらずな文章ですね」
「もうなんかこういう人なんだなって思うと納得してきた。映画のギャングってこんな感じじゃん? キャラ作ってんのかもよあの人も」
「だとしたら面白いですね」
「で、どうするよたきな? プレハブ小屋の事務所なんてこの辺りだとうじゃうじゃありそうだけど」
「そうですね…………イレーネさんは、なにか心当たりはありませんか?」
「プレハブの事務所か…………千束ちゃんの言う通り、いくつもあるんだよね。どれのことを指してるのかわからない。しらみつぶしに片っ端からってのは2時間じゃ無理」
たきなは少し考えて、それから一度手元の鍵を見つめてから顔を上げた。
「鍵だけ渡しましょう。依頼に失敗して0点よりは、70点でも取りに行った方がマシです」
「そだね」
「たきなちゃんに賛成」
方針が決まったことで、たきなはスキーヤーに鍵だけを渡すとメールした。程なくして返信があり、鍵の受け渡し場所と時刻を指定された。
たきなが読み上げて、千束が渋い顔を作る。
「大通りのガソスタって、あのロードブロックしてたところでしょ? 危なくない?」
「人の通りが集中することは間違いないですね。なにかあの男に考えがあるんでしょうか」
「その考えってのが千束ちゃんやたきなちゃんに鉛玉ぶち込む算段だったらアタシはそいつら皆殺しにするからね」
イレーネの目に殺気が浮かび上がってくるのを、千束がまぁまぁとなだめながら言った。
「どっちにしても行かなきゃいけないから、警戒していこう。できればスキーヤーとは喧嘩したくないんだよ。まぁ仲良くなろうともしてないんだけど、ビジネスパートナーってやつ? になりたくてさ」
「そういうことなら。このタルコフで生き残っていくにはそういう人間は必要だからね。スキーヤーってのは知らない人だけど」
「いるかどうかわかんないけど、会ったら紹介してあげるね」
「ありがとう」
○
カスタムズの建設途中の建物を右手に捉えながら、三人は大通りを少し南側に逸れて、木々が生えている中を進んでいった。
東西に伸びている大通りを歩くのはどうぞ撃ってくださいと言っているようなものである。射線と視界を切りつつ警戒して西側方面へ進んでいく。
スキーヤーから指定された時刻には十分間に合う早さで、集合地点のガソリンスタンド付近にたどり着いた。
数メートル高く盛り上がっている鉄道路線を横切ると、樹木と草木の間に赤いランプの回る放置されたガソリンスタンドが見える。横転した車やドアのない車、べこべこにへこんだ車や傾いている車など、もう元気に走ることはないであろう鉄の亡骸が散乱している。
盛り上がっている鉄道路線から数メートル下っていると、ガソリンスタンドの方から声が聞こえた。
ロシア語である。それも、相当怒っているのかかなり語気の荒い叫び声が聞こえてくる。ここからではなんと言っているのかまでは分からない。
「なんか喧嘩してる?」
「みたいですね。スキーヤーの部下でしょうか」
自然と、三人はメインアームのセーフティーを外した。ガソリンスタンドの敷地の端には、こちら側手に青いコンテナが設置されている。足音を殺してコンテナに張り付き、千束が端の方から中を覗き見た。
手前に黒のセダンが横たわっているのではっきりと建物内部は視認できないが、数人の気配がする。怒声は相変わらず聞こえてくる。一人だけでなく、二人、いや三人怒鳴っている。
「なーにをそんなに怒ってんだか。どれどれ、ここはいっちょ超絶仲良しマンの千束様が仲介に行ってあげ────」
千束が身を乗り出そうとしたその直後、けたたましい連続した発砲音がガソリンスタンドの建物内部から響き渡った。壁や天井に反響してくぐもっているが、耳朶を打つその軽機関銃の音は間違いなく人が死んでいるだろう数の弾を吐き出していることがわかる。
一種類の音がなった後、重ねるようにして別の発砲音が響いた。それは、建物の外、南側、千束たちから見て左手側から建物内部に向かって撃ち込まれている。千束とたきな、イレーネは、その音が近代的なAK、すなわち5.45×39mmのAKであることがわかった。
続けてロシア系の拳銃の音も混ざる。応戦しているようである。
千束は一度コンテナの裏に体を戻して、すぐそばのたきなに焦った目で訴えた。銃声にかき消されないように通信端末からも音声を流す。
「どうしよたきな!」
『仲違いにしてはおかしいです。建物外の人間が中の人間に向かって一斉射なんて、まるで反乱です。こんな取引の現場で、取引相手を待っている間に事を起こすのは普通じゃ考えられません』
かぶりを振るたきなに、その後ろにいたイレーネがたきなの肩をちょんと突きながら通信機越しに話しかける。
『もう逃げよっか。あとでスキーヤーに連絡すれば良くない? 変に首突っ込まない方がいいでしょ』
『それも一つの手ですね。誰が敵で誰が敵じゃないのかがわかりません』
たきなが頷き、イレーネが逃走ルートを探すために辺りを見回した、その時だった。
足音がこちらに近づいてくる。三人は一斉にコンテナの端に銃口を向けて、千束はしゃがみ、たきなはボルトアクションライフルからスイッチして拳銃を向けて、イレーネは右へ少しリーンしてクリスベクターを足音の方向へ向けた。
バタバタと一切余裕のない足音を響かせながら、男が一人ガソリンスタンドの敷地から飛び出した。敷地と外との間には腰ほどの高さの鉄パイプが渡っている。車止めであるそれを、男は転がりながら乗り越えて地面に体を投げ出した。着ているジャケットやジーパンを砂まみれにして、ふらふらの体で顔をおあげる。そして千束たちと目があった。
「あ、ひ、ひあ! ま、待ってくれ!!」
三つの銃口と三人の目が自分にぴたりと向いており、そしていつでも目に見えない速さで弾が飛んでくるという状況に男は情けない声を上げながらその場に尻をついて後ろへ這いずった。
そこで千束が気付く。男の右手に握られているマカロフはスライドが後退し切っている。残弾ゼロ。つまりこの男から銃弾が飛び出してくることはない。
加えて男は左肩、左肘先、右足の太ももとふくらはぎから出血している。今し方撃たれたばかりの傷であった。千束の脳内で思考回路が一気に回り、この場での行動の最適解を導き出す。千束は鋭く息を吸い込んだ。
「たきな! カバーして! イレーネさん! 男を回収、手当て!」
『了解』
『まかせな!』
千束とイレーネが男の元へ走った。すぐさまたきながコンテナから右半身を出して、拳銃をガソリンスタンド建物側へ突き出す。こちらに銃口を向けている姿があった。敵なのか敵ではないのかは、この際どうでもいい。銃口をこちらに向けているのならば、たきながやることは一つ。
タンッ!
たきなは鋭く引き金を引いた。相手が露出していたのは肩より上だけ。頭を狙って即死させることは物理的には可能だったが、信条的には不可能である。
ゆえにたきなは相手の非武装化を図った。
たきなの撃ち出した9mm弾は、正確無比に相手の保持しているAKの銃口に当たった。中心に当たったわけではなかったが、男のAKは一度大きく横に弾け飛び、一拍置いて男が再び構え直した時には、
「それじゃ撃てませんよ」
男の戦闘能力は皆無になっていた。
たきなの呟き通り、フロントサイトから銃口に向けて大きく裂けるように割れて歪んだ銃身は、とても弾を撃ち出せるような見た目ではなかった。引き金を引いたら最後、どこに飛んでいくかわからない。そんな銃を撃つ気にはならなかったのだろうか、男はキレ散らかしたように、手に持っていたAKをたきなの方へ放り投げた。
たきなはお返しとばかりについでで男の右肩を撃ち抜いた。男が何か叫んでいる。たきなは無視した。
千束とイレーネは、負傷して弾切れのマカロフを握っている男の元まで駆け寄ると、
「助けてあげるから大人しくしてて!」
「な、なんだおまえら! 何者だ!」
「黙ってろチーズ野郎」
二人は男の足を片方ずつ持つと力一杯引っ張った。
千束のやさしい言葉とイレーネの罵倒に男は目を白黒させていたが、しかし大人しくコンテナの裏まで引き摺られて行った。コンテナ端の方ではたきなが再び数発発砲し、ガソリンスタンドの中で一発ごとに呻き声や悲鳴や怒鳴り声が聞こえてくる。全部当てているようである。
「止血するよ」
『アタシはたきなちゃんの援護に回る。北側に回り込むよ』
イレーネはその場を離れてガソリンスタンドの北側に走った。車が無数に転がっているので遮蔽物には困らない。
千束が男の負傷箇所を確認し、手早く止血した。錠剤タイプの鎮痛剤も手渡して自分で飲ませる。男は困惑しながらも素直に従った。
男の見た目は若い。ロシア人の二十代前半か中頃、イレーネと同じくらいに見える。顔つきはいかにも人を困らせてきたであろうごろつきの顔をしていたが、今は身体中に穴が空いている上にそれを治療してくれる謎の集団に匿われて、まるで拾われた猫のようにおとなしい。男は自分の脚に包帯を巻き始めた千束を見て、それからスライドの下り切ったマカロフに視線を移し、そしてマカロフを放り投げた。
「え、なにしてんの?」
千束の声に男は引き攣った笑みを浮かべながら、
「もう弾ねぇんだわ。あんたのこと信じるよ。てかもしかして美人だったりする?」
「あとで顔見せてあげるから黙ってて」
「わかりました……」
男は黙った。
たきながリロードの合図を出し、一旦身を引っ込めた間に北側からクリスベクターの銃声が鳴り響く。
イレーネは不殺の方針で動いているわけではない。千束もたきなもそれを承知の上でイレーネと手を組んでいる。そして、イレーネ自身も敵を殺すことに躊躇はなかった。
北側から少しの間射撃したのち、手榴弾を投げたイレーネは投擲直後に前進。爆発の音に紛れて居場所を攪拌し、建物の南側にいた二名を射殺した。
二名ともカスタムされたAKにヘルメットをかぶっていた。羽織っているジャケットには白い線が描かれている。何者かの部隊であることは間違いない。着ているアーマーも優秀なものだった。ただ、顔面を覆う装備はなかったので、.45ACPを阻むものはなにもなく、男たちは脳みそを地面にばら撒いた。
ガソリンスタンドの敷地のうち、東側の屋外にはもう誰もいなかった。たきなが弾を当てた連中は建物内部から裏手の方に回ったらしい
イレーネが建物内部を覗き見る。とりあえず東側の安全は確認したのでたきなにハンドサインを送って前進させる。建物の奥の方からロシア語の叫び声が聞こえた。
「リシャーラ…………逃げろ? って言った?」
イレーネの呟きに、背後に追いついたたきなも首肯する。直後、建物西側、たきな達から見て裏手側から複数の銃声が聞こえた。
このガソリンスタンドでは、たきなたち三人を合わせて少なくとも三つの組織が戦闘しているらしい。
混戦が極まる。状況を整理するために、イレーネとたきなは一旦コンテナのところまで戻って、捕虜として回収した若い男から情報を得ることにした。
イレーネさん、千束と戦う時にはレッグメタを狙っていたのに、どうしてガソスタでは頭を狙ったのかって?
さぁてなぜでしょうね……?