リコリスinタルコフ   作:奥の手

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ちょっと本編は一休み。



幕間:ある男の非日常①

 俺の名前はジャック。キャンプの奴らからはそう呼ばれていた。

 少し昔の話をしよう。数ヶ月前、いやもうすぐ一年になるか? 

 

 町工場の工場勤務から民間軍事会社へと鞍替えするとき、俺は俺自身に降りかかるある程度の犠牲を覚悟した。

 

 工場勤務が100%安全だったわけではない。機械に指を挟まれて切断を余儀なくされた同僚がいれば、足首を潰されて義足生活になった先輩もいる。危険は常に隣り合わせであったが、数年働けばそれは()()になった。

 怪我をすることに慣れたのではなく、怪我をしないように日々の仕事をこなすことに慣れた。いつもと違うことをしたとき、うちの職場では大抵何かしらの事故が起きる。逆に言えば、いつも通りの日常を送れば平和が約束されていた。

 

 しかし民間軍事会社はそうではない。

 自分の命をかけて仕事をして、対価として金をもらう。命の切り売りとでもいうのか。そして「平和な日常」などと呼べるものは遠ざかり、時として銃口を向けられ、ナイフを突き立てられる。その覚悟のある者のみが、高額な報酬を口座に振り込まれる権利を持つ。

 

 そう、思っていた。俺の体で払える犠牲を覚悟して金を稼ぎ、娘の病気を治療する金を口座に確保する。そういう生き方を受け入れていた。

 

 だが実際には違った。民間軍事会社USECへと入社し、新入隊員訓練過程へと放り込まれた俺は「99%死なないが死んだ方がマシな訓練」を数ヶ月受け続けた。

 

 弾の入っていない銃を抱えたまま、積み上げられた土嚢を何百往復も駆け上っては駆け降りる訓練。

 鉄条網の下を全身泥パックしながら這いずり回る訓練。

 バカみたいに重いドラム缶を抱え込んで20メートル走り、向かいの箱にぶち込んでダッシュで戻ってくる訓練。

 冷蔵庫のコーラより冷えた川の水に何十分も浸かったまま耐える訓練。

 実弾を詰めたM4のエジェクションポートに教官が木の棒を突っ込み、わざと排莢不良を起こさせてそれをクリアする訓練。ちなみにこれは十秒以上かかったらケツの穴を木の棒でファックされるという噂があった。その場でだ。だが俺を含めて、ケツに木の棒が刺さったやつはいない。

 

 そういう毎日を送っていた。そして工場で一年間にもらう金額を二ヶ月で稼いだ。

 体のどこかを犠牲にして何者かと戦い、娘の治療費を稼ぐ。そういう世界を想像し、勝手に覚悟を決めていた俺は肩透かしを喰らっていた。

 だが妻と娘は喜んだ。二週間に一回の休暇でキャンプから帰ると、決まって妻はこういった。「帰ってきてくれてありがとう」と。

 

 キツい訓練も、妻の励ましと娘の笑顔があればいくらでも乗り越えられる。そういう気がした。

 

 アメリカでの訓練過程を終えたとき、俺には二つの選択肢があった。

 そのままアメリカを拠点に国内を飛び回り、警備任務に就くか。

 それとも能力検定試験を受けて、何かしらの能力を認められた者だけが選ばれるロシア勤務の道に進むか。

 

 俺は後者を選んだ。ロシア勤務の金払いは驚愕の一言だった。なにせスポンサーのテラグループは世界的にも有名な超大手だ。

 工場勤務だった頃の給料と比べてしまうと笑いが出る。三年かかって貯めた金額が一ヶ月で支払われる。その代わり、勤務期間は短くて半年。長くても五年だそうだ。五年あれば新しい才能を持った奴が入隊して勤務し、ロシアで経験を得たベテランはアメリカ国内でさらに使える人間になる。組織にも新陳代謝が必要というわけだ。

 

 金に目が眩んだ、と言われるとあまり気分は良くないが、実際は簡単に言ってしまえばそういうことだ。おれはロシア勤務に適切かどうかの能力検定試験を受けた。

 

 結果は合格だった。片田舎の辺鄙な町工場で働いていた俺には、どうやら人よりも手先が器用で、しかも早く正確に動かせるという才能があったらしい。そういう評価が降りた。

 

 銃の分解から整備、組み立て。車両のトラブルシューティングや工作機械の操作、陣地形成や防衛行動に必要な建物への細工、地形の変換、架橋。そして行き着くところは無機物だけではなく有機物、つまりは人間の治療まで。

 

 工兵としての活動だけではなく、衛生兵のような試験まで行った。「できそうだったから」という理由でやらされ、一緒に受けていた軍医と遜色ないレベルで試験内容をパスしてしまった。

 正直なところ、俺は体力や射撃の評価が合格基準ギリギリだったが、試験官の一人が俺のこの〝手先の器用さ〟が現場で必ず活きることになると推して合格の印がついた。

 

 そうしてロシア勤務になり、一ヶ月の特化訓練を経て、俺の初めての現場がここ。

 タルコフ市だった。

 

 俺に割り当てられたのは警備任務。小さな事務所の入り口から要人の車両警護、バカみたいにでかいビルのワンフロアを行ったり来たりする。もちろん弾の入ったM4をぶら下げている。

 

 忙しい日もあったが、大抵は平和な日常と呼べるものだった。少なくともどこかから銃弾が飛んでくることはなかった。

 

 だが、そんなぬるま湯の日常はある日を境にガラリと変わってしまった。

 今でも覚えている。こうなってしまったこの街の、最初の朝を。

 

 俺は夜通しの警備任務についていた。朝日が登ってそろそろ交代。俺のこの現場での役目は終わって、二日間の休養が与えられるはずだった。

 三十メートル左に立っている同僚に話しかけようとした。そいつも俺と同じ時間に交代で、休暇が与えられている。俺はそいつを朝からやっているこの近くの酒場に誘い出そうと、視線をやった。その瞬間だった。

 

 ヘルメットをかぶっていたやつの頭が、スイカを叩きつけたように建物側に弾け飛んだ。

 俺は考えるよりも早くにその場に伏せた。伏せると同時に、頭上を通り越す弾丸の風切り音を聞いた。俺の背後のガラス扉がけたたましい音を撒き散らし、ガラスは粉々。破片がわずかに俺の背中にかかる。

 

 俺は伏せた体のまま右に転がって、止めてあったバンのタイヤに身を隠した。転がっている間にも何発かの銃弾が俺の脇を通り過ぎて、地面を削った。立て続けに銃声がなる。それらがバンに穴を開けた。バンはフロントにエンジンを積んでいるタイプで、幸運にも俺はそこに体を隠すことができた。

 いかにライフル弾と言えども、幾層にも重なる金属製のエンジンを抜いて俺を撃つことはできない。俺は身を起こし、車両のガラス窓から通りの向こう側をのぞいた。

 

 そして息を呑んだ。

 

 向かい側には日本製のSUVが停まっていた。車両の向こう側には四人ほどの人影。一人のキャップにはUSECの文字。

 

 俺は混乱する頭で必死に考えた。これは何かの間違いかと。しかし一方で冷静に考える。間違いかどうかは俺の判断することじゃない。今起きている現実に対処するべきだと。

 

 つまり、今目の前で発砲している人間が敵か味方かの判別が必要だと。

 

 どうやって判断する。そもそも敵とはなんだ? 他国の兵士か? それともテラグループに敵対する企業か? 個人的な因縁か? 

 

 俺は背後に立つ10階建ての建物に何が置かれていたかを思い出そうとした。ブリーフィングでは「薬剤に関する書類」の保管室があることと「数万種類の試験薬」を保管していると聞いた。もちろんそれだけではないが、特徴的なのはその二つだと。

 

 ならば、今その入り口を警備している人間に鉛玉を叩き込んだ不届者は何が目的か? 

 この建物への侵入が目的か。書類か? 薬品か? そうなのか。まさかただの強盗ではないだろう。

 

 俺はM4のセーフティを外し、フルオートにセレクターを合わせて、バンのタイヤ脇、車体下から通りの向かい側を覗き狙った。

 

 ちょうど、一人が向かいのSUVから前進しようと身を乗り出し、通りを横断しかかっていた。

 

 俺は躊躇なく引き金を引いた。先に撃ってきたのはお前らだ。たとえ同じUSECだったとしても、お前たちは俺の同僚を殺した。生かしておけねぇ。

 

 フルオートで撃った弾は、通りを横断していた男の両足首に着弾した。男は支えを失ってアスファルトに伏せたが、すぐさま腰のホルスターから拳銃を抜いてこちらに銃口を向けてきた。

 俺は体を起こして再びタイヤの裏に隠れた。バンの反対側で金属が打ち鳴らされる。

 

 手元を見た。ボルトが下がり切っている。

 M4のマガジンリリースボタンを押してマガジンを掴み、引き抜いてその場に置いた。胸のリグから満タンに詰まったマガジンを取り出す。これを含めてあと3本。90発。それが無くなったらあとは腰にぶら下げている拳銃の中の七発が俺の命の砦になる。

 マガジンを刺し込んで左側のボルトストップボタンを叩く。

 

 まぁ、控えめにいっても俺の勝つ確率は限りなくゼロである。相手は少なくとも四人。まだいるかもしれない。こっちはワンマガジン使ってやっと一人の足首を撃ち抜いた。殺せていない。つくづく射撃のセンスのなさを感じる。

 

 頭によぎったのは、このままどうにかして逃げるという選択だった。

 USECの隊員が守っている施設をUSECの隊員が襲撃してきた時点で、通常のオペレーションとは違う何かが起こっている。まともじゃない。異常事態。であれば職務を全うしここで死ぬよりも、この状況を上に報告することの方が優先度が高い。

 

 となれば、通信機で悠長に話をしている状況ではない。どうやってここから離脱するか。それが問題である。

 

 俺は背後を振り返った。一瞬、このバンが動けばと思った。いまだに無数の銃弾から俺の背中を守ってくれているこのバンは、弾を受け止める代わりに車としての役割を終えている。遮蔽物から転職させるにはパーツも時間も足りていない。

 

 悪態を一つつきながらも、俺はリグのポケットを弄った。

 そして一つのアイデアに行き着いた。昨晩、ちょうど俺たちのシフトから配られることになった閃光手榴弾が一つ、リグにお行儀よく収まっていた。

 

 こんなもんいつ使うんだと鼻で笑っていた同僚は鼻から上が無くなったが、俺はそんな目には会いたくない。ここで使わずにどこで使うのか。

 

 訓練通り、レバーを握ったまま安全ピンを抜く。あとはこれを通りの真ん中に投げるのみ。

 俺はバンの前端から腕だけを出して閃光手榴弾を通りに投げた。カンカンと小気味良い音を敵の発砲音の中に掻い潜らせながら、俺の切り札は道の真ん中に転がっていった。

 

 そして、銃声が止んだ。敵が頭を引っ込めたらしい。俺はまだかまだかと爆発の瞬間を待った。三秒待った。五秒待った。この辺りから俺は背中に嫌な汗をかいた。八秒経っても爆発しない俺の切り札に、俺はため息と絶望感と、これを配ったハゲ上官の頬をこれ(M4)でぶん殴りたい気持ちに支配された。

 

 どうしようかと思案し始めた時、後ろの方で衝撃波と共に大爆発が起こった。熱風がバンの車体下部から俺の足元を撫でていき、同時に無数の金属音がバンの反対側で鳴った。金属製の何かがあたり一面に散らばったらしい。俺は体を縮こませながらなんとか後ろを振り返った。

 

 SUVが立っていた。フロントを天に、テールが地面に突き刺さるように立っていた。もうもうと黒煙が上がり、近くに人間だったらしい塊がいくつか散らばっていた。

 

 運がいいのか、それとも最悪に最悪が重なって麻痺しているだけなのか。

 俺の閃光手榴弾が爆発したわけではない。左の方を見ると、百メートル以上先に見たことのない服装の、しかし同業者らしい連中の集団があった。SUVに叩き込まれたのは個人携帯式ロケット弾といったところか。しかも何か細工がしてある。通りの窓ガラスが全部割れている。弾頭に釘か何かをくっつけていたのか? 

 

 俺はその集団を視認するや否や一目散にその場から離脱した。やばすぎる。明らかにイカれている。

 その集団とは反対方向へ。とにかく離れるように。通りを超えて、ブロックを超えて、街を超えて。途中で乗り捨てられていた乗用車を拝借して、ラジオをつけて驚愕した。

 

 それが、タルコフ市を紛争地帯に変えた最初の一日だった。それから間もなくしてタルコフは封鎖され、脱出できなかった者と、しなかった者が跋扈する街となった。

 

 ○

 

 このハイドアウトは俺がこの街で唯一くつろげる空間だ。一歩ここから外に出れば、命の保証はない。

 もちろんここも100%安全なわけではないが、外よりは随分マシである。その意味で、俺はここでくつろげる。

 

 今日の探索で俺は久しく見ていなかったものを手に入れた。コーヒー豆だ。粉のものではなく豆のままである。

 保存用の瓶に詰められており、見たところ密封に成功している。当然、焙煎してから時間のたった豆など味に期待はできないが、それでも手に入ったのだから試してみたい。

 

 だがこのハイドアウトにはコーヒー豆を細かく引いて粉にするミルがなければ、その引いた粉をドリップするドリッパーもない。当然フィルターもない。何も道具がない。

 

 仕方がないので何かで代用できないかと考えたが、使えそうな素材はあいにく手元になかった。

 命の危険を冒してまでミルを取りに行くことはできない。俺はミルの代わりにハンマーを使うことにした。

 

 テーブルの上に清潔で乾いた布を敷き、その上にスプーン二杯分の豆を敷く。布を折りたたんで豆を包み、その上からハンマーで殴打した。

 

 数回繰り返す。布を開いて中を見て、それなりに砕けていることを確認する。

 

 ミルクパンを用意し、集水機から確保した新鮮な水をミルクパンの中に入れた。

 砕いたコーヒー豆も全て一緒に入れる。そのまま暖炉として薪を燃やしているドラム缶の上に置く。

 

 程なくして水は沸騰し、コーヒー豆から旨味も甘味も酸味も雑味も全て煮出される。透明だった水は徐々に色がつき、数分後には焦茶色になった。

 

 ミルクパンをドラム缶からおろして、ボロい木造りのテーブルに置く。水面には砕かれた豆が浮いている。このまましばらく放置。

 

 すると、浮いていた豆は下に沈み、上澄は綺麗な琥珀色の液体になった。マグカップを用意してその上澄みだけを注いでいく。

 湯気がたちのぼり、マグカップには並々とコーヒーが注がれた。

 

 簡素な椅子に座って、カップを口につける。数口すすり、舌の上でその味と香りを確かめる。

 

 粗野な味。強い苦味とコク。だがその奥に確かにこの豆の持つ甘みのようなものが顔を出していた。

 

 刺々しく、荒々しく、雑味を含めた全ての味を煮出しているこのコーヒーには、しかし紛争地帯となったこの街の一角に、安堵と安心を感じさせる存在感があった。それがこの奥まった甘さだった。

 

 別においしくはないが、マグカップを持つ手が空くことはない。両手で握り締め、その温もりと口に広がる苦さを噛み締める。

 カップが空になった時、俺はそれを置いて懐から写真を取り出した。

 

 妻と娘の写真。娘の四歳を祝う写真。このわずか数センチ四方の中だけが、俺の心の拠り所。またこの笑顔を見るために、声を聞くために、抱きしめるために。

 

 

 ────俺は、この街から生きて脱出する。

 

 

 

 




現実世界の方がちょーっと立て込んじゃって、今週のリコタルは幕間という形にさせて頂きました。二千文字くらいの軽いものにするつもりががっつり六千文字に迫る勢い。何してんねん。
どこかで入れたかったジャックさんのお話。こんな形で今後、過去に登場したPMCやスカブ、変な人達の日常をしれっと書いていくかもしれません。
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