この日の夜、ウッズ一帯は月の明かりが数分に一回世界を照らし出し、その他の時間は雲に隠れて暗闇が訪れる、そんな夜だった。
雲の切れ間が世界を照らすのはほんのわずかな時間。大部分は数メートル先も見ることのできない暗黒の地上。
まして木々が鬱蒼としている場所では、月の明かりすらも届かない。照らし出すライトがなければ、あるいは人類が暗闇を攻略した技術の結晶、ナイトビジョンがなければまともな行動は不可能であった。
ゆえにアイゼンは、左側から飛来してくる5.56mmの曳光弾がどこから出ているのかを探るべく、ナイトビジョンを下ろして伐採場北側を走り抜けた。
目の前には古びたブルドーザーと大きなコンクリートブロックが置かれている。一旦の遮蔽物として身を潜めた。
撃ち込まれていた弾がぴたりと止む。くぐもった独特の発砲音も、付近を飛んでくる銃弾の甲高い音も聞こえない。
つまり、アイゼンの動きが完全に敵に見られているということになる。コンクリートブロックが遮蔽として機能し、敵が無駄弾を撃ってこないとなると、自ずと敵の位置が絞られてきた。
そこは。
ステッチが伐採場西側から援護すると申し出て、そして潜伏した場所。
少し小高い丘になっており、かつ身を隠しやすい岩がバリケードのように頂点に散りばめられている場所。
そこからなら今アイゼンのいる位置は視認できる。行動も把握できるし射線も通る。
そこに敵がいると居るということは。
「…………」
アイゼンは、姿勢を低くしたまま少しの間だけ地面を見た。目を伏せて、AK101のグリップをぐっと握る。
ゆっくりと目を開けた。緑色の世界が、暗闇の森の形を映し出す。
アイゼンは立ち上がり、走り出した。身長より少し高いところまで生えている草木が左側すぐそばに自生している。それを陰にして、土を踏み固めただけの、タイヤの跡の残る道を西側へ向けて駆け出した。
一発、草の陰から西側に体を晒した瞬間に赤い光が風切り音と共に飛来した。アイゼンは先ほど交戦した少女の動きを思い出す。
不規則かつ緩慢な動作。予測のできない、照準で追うとまず弾を当てることのできない動き。それを頭に思い浮かべながら、走る速度を意図的に一段階落とした。
二発目の弾が飛んでくる。アイゼンの前を通過した。直後にアイゼンは走る足を早め、左側の草地が少し盛り上がっている場所で地面に伏せた。
弾が飛んでこない。敵がこちらを見失った。通るはずの場所を通らないことに困惑しているのか、あるいは出てくるの見定めて照準を置いているのか。
伏せた体勢のまま盛り上がった部分の頂点へゆっくりと移動し、伐採場西側、ステッチが潜伏すると言っていた岩場を覗く。
伏せると生えている草がちょうど全身を覆う高さになっている。身を隠すには十分。岩場の方向をナイトビジョンの緑色の世界で検める。
「…………いない」
敵の姿はない。距離は約百メートル。岩の隙間や隣の木の幹も確認するが、そこに人の輪郭は見つからない。
となると移動したか。こちらの動きに合わせて狙撃できないと判断するや、敵も応戦する構えを見せている。遠距離からの一方的な攻撃
複数人を相手にしている感覚ではなかった。弾の飛び方や飛んできている弾の種類、方向、音。状況から判断するに敵は一人の可能性が高い。あくまで攻撃してきている者が一人なだけで、潜んでいる可能性はあるが。
であればどうするべきか。
アイゼンは草むらに伏せたままもう一度、最後にもう一度だけ通信機のスイッチを入れ、ステッチに呼びかけた。
「…………ステッチ、生きているなら応答しろ」
数秒待つ。返事はない。目を伏せてゆっくりと小さく首を振り、アイゼンは通信を切ろうとした。その時だった。
『────隊長、ご無事…………ですか』
ノイズと共に、アイゼンのヘッドセットに声が流れた。今にも消え入りそうな、聞き取ることが難しいほどに衰弱した声だった。
アイゼンは通信を切るスイッチから手を離し、焦燥感を無理やり抑え込んで努めて小声で返事をする。
「こちらは無事だ。今どこにいる。負傷箇所は」
呼びかけに、ステッチは答えなかった。
『敵は────西から。ペストマスクに…………四眼ナイトビジョンを付けた、イカれた……野郎です…………』
ペストマスク。四眼ナイトビジョン。アイゼンは敵の情報を頭に思い描き、腹の底で沸々と湧き立つ怒りをなんとか鎮めようとした。冷静さを欠いたら待つのは死である。
ステッチは敵の情報を残そうとしている。それが彼の使命だと、彼自身が確信している。その確信をアイゼンは疑わず受け入れた。
「武器は?」
『M4……だと思います。CQRの…………フォアグリップが、ついていました。マガジンも、バカでかいのが…………ついていましたよ』
「わかった」
情報を頭に残す。同時に周囲の索敵も怠らない。いつ、どこから敵の弾が飛んでくるか、この状況では読めなくなっている。
願わくば自分から敵を見つけ出し先手を取りたい。そのための視覚情報をステッチから聞き出す。
アイゼンは体を起こし、その場から移動した。木々の密集している伐採場西側の森へ入る。木から木へ、遮蔽を意識して南側へ向けて移動する。
「他にはあるか?」
『………………』
「…………ステッチ」
歩みは止めず、ナイトビジョンが映し出す世界から絶えず人影を探し、そして周囲の音も聞く。通信機から聞こえてくる、弱々しいステッチの呼吸音が、だんだんと小さくなっていく。
ひゅっ、とステッチが小さく息を吸い込んだ。その吸い込んだ息が、彼に残された最期の時間のように思えた。
『……………………隊長、生きて、ください。お……親父さんに…………会いに…………』
アイゼンは足を止めた。銃口だけは南側に向ける。腰を落として右膝を地面につけ、息を吸った。
やさしく、ゆっくりと、小さな声で通信機に語りかけた。
「────お前と同じ隊で良かった。ゆっくり休んでくれ」
ヘッドセットから聞こえていた微かな呼吸音も、もう聞こえなくなった。
アイゼンは立ち上がり、通信機のスイッチを切った。
○
「イレーネさん、痛くないですか」
「ありがとねたきなちゃん。大丈夫、鎮痛が効いてるよ」
伐採場内の2番寄宿舎東側にて、イレーネは自分の右足の治療を行なっていた。大腿骨を粉砕する形で銃弾が当たり、イレーネは自力での歩行ができない状態であった。
たきなが引きずって2番寄宿舎の東側まで後退し、伐採場西側からの射線を切った。ほぼ同時に崖上で千束と敵が交戦しており、西側からも散発的にくぐもった発砲音が聞こえていた。
たきなはナイトビジョンを跳ね上げてボルトアクションライフルに持ち替え、伐採場北側や寄宿舎のすぐ西側、中央のあたりを警戒していた。
この場から動けばイレーネを守れない。せめてイレーネが自力で移動できるよう回復するまでは、この場に留まることを選択した。
別にイレーネを守ることに特別なメリットは感じていない。義務感もない、使命感もない。たきなはただ、この場でイレーネを背中にして銃を握る選択をした時、頭に浮かべたのは千束の顔だった。
全ては千束のために。千束の笑顔のために。この女を守るのも、死ねば千束が悲しむから。
そう理屈を付けて、月明かりに照らされる伐採場中央を睨みつけた。
千束のために、か。
それだけ、と断言するには、この女と過ごした時間は短くとも濃いものだとたきなは内心で頷いた。
そうだろう。
きっと千束のためだけじゃない。昔の、千束と出会う前の自分だったらこんな感情にはならなかっただろうから。
今は違う。千束に教えてもらった。言葉にするのは難しいが、仲間というものがどういうものなのか。今なら知っているような気がする。
たきなは中央から目線は離さず、イレーネに言葉をかける。
「焦らないでください。敵が来たら私が止めます。崖上は千束がなんとかしてくれます。自分の治療に専念してください」
「ありがたいねぇ、そうするよ」
返事をしながらも、イレーネは要領よく自身の右足を応急処置していった。骨を砕いて止まったままの弾を抜き出し、裂けた肉を縫合し、骨折しているのでアルミスプリントを巻く。その上からサレワ回復キットの回復剤の入った薬液を注射し、包帯を巻く。
「…………タルコフに来る前じゃ、こんな負傷自分じゃどうしょうもなかったんだけどね」
「普通はそうですよ。ゴールデンスターバーム…………でしたっけ?」
「そうだよ」
「そんな軟膏を舐めたくらいで自分の足から弾を摘出しても痛くないなんて、おかしいです」
「おかしいよねぇ」
けらけらと笑ったイレーネが、包帯を巻き終わってポンと自身の足を叩くと、まるで負傷などなかったかのように勢いよく立ち上がった。ベクターを両手で保持して、たきなの後ろにぴたりと背中合わせで付く。
「ちなみにどんな味か聞きたい?」
「どんな味なんですか」
「この世の終わり。舐めた瞬間しばらく世界がぐわんぐわん揺れるよ。で、そのあと体のどんな痛みも感じなくなる。足骨折してても全力ダッシュできる」
「なんなんですかそれ……」
「試しに舐めてみる? こっから交戦するかもしれないし、鎮痛はキメといた方がいいね」
「…………」
背中合わせで、イレーネは左手でリグからゴールデンスターバームを取り出してたきなに差し出した。
手のひらにちょこんと乗っている、星が大々的にプリントされた小さな丸い缶を、たきなは一瞬見たあと受け取った。
ボルトアクションライフルから両手を離し、缶の蓋を開けようとする。しかし開かない。缶そのものが平べったく、かつ小さいため蓋を開けるのが非常に困難である。
二度目のチャレンジでようやく開いた。中身は月明かりで見る限り黄色い軟膏で、ふわりとハーブ系の独特な匂いが鼻に届いてきた。
銃から手を離している以上、モタモタするわけにはいかない。千束が向かった崖上では銃声が止まっている。先ほどスタングレネードの爆発とともに立て続けに銃声が鳴り、最後に12ゲージショットガン、つまり千束の発砲音が聞こえた。そこから音がない。
まさか千束がやられているとは思わないが、胸の中に焦りが生まれることは避けられない。
小さな缶に入っている軟膏を手にはめているグローブごとすくった。薄く、少量のそれを舌でなめとる。
「────ぅ」
おもわずたきなは喉から呻いた。
蓋を閉めながらも、イレーネの言う通り世界が滅んだような味がして、視界もまるで脳震盪を起こしたかのようにぐにゃりと曲がりくねっている。
震える手で缶をイレーネに返しながら、
「これ…………本当に口に入れて使うものなんですか……?」
「ここのみんなはそうしてる。ベトナム人がいたら今度聞いてみるかな」
リグにゴールデンスターバームをしまいながらイレーネはこともなげにそういった。
直後、崖上でこれまで鳴っていなかった銃声が轟いた。軽くて速い連射速度。サブマシンガンと思われる銃声であった。
たきなは背後の崖上を振り返り、2番寄宿舎の東側に体を隠しつつイレーネの方を向いた。
「崖上に行って千束と合流しましょう。新手かもしれません」
「だね。賛成」
「南側から、千束とクロスできる位置をとります」
「移動のカバーはするから、NVおろしていこう」
「了解です」
イレーネとたきなはお互いに頷き、その場にバックパックを置いた。
たきなはナイトビジョンをおろしてボルトアクションライフルを体の脇に回し、すぐに拳銃を抜く。
準備ができた。
たきなが先行し、イレーネが伐採場中央を警戒しつつ二人とも走る。西側からの狙撃に最大限警戒。
すると、崖上で再びサブマシンガンの銃声がして、数秒後に手榴弾が爆発した。たきなの胸の内で、千束がやられていないか、負傷していないか、不安が駆け抜けた。
伐採場を走り抜けて南側の煉瓦造りの小屋裏まで進むことができた。
流石の距離に息が上がる。イレーネも、若干ではあるが荒い呼吸を整えようとしていた。
ここから東側の森に入って、千束と位置情報を共有しようとした時、たきなのヘッドセットに通信が入った。
『────こちらジャック。千束をカバーした。敵は北側に逃走。俺の武器ではアーマーが抜けない。追わないぞ』
百メートル先では仲間を失う者がいて、百メートル手前ではかつての仲間と再開する者がいる。
なんて世界だ……。
ところでリアルワールド(現実)のゴルスタはみなさんお持ちでしょうか?
実はAmazonで買えますよ。今ならなんと一個100円ほどで買えます。半年前は一個400円とかだったような気が……?
眠たい時に鼻の下に塗るとメントールが効いて眠気が飛んだり、筋肉痛になったら患部に塗るとスーッと心地好く癒してくれます。蚊に刺されても割と痒み止めとして機能します。
やったことはないですがタルコフ市民の皆さんのように、舐めて使うともしかしたら両足骨折してたり壊死したりしてても全力ダッシュできるかもしれませんね。やりませんけど。