リコリスinタルコフ   作:奥の手

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退却

 月が雲に隠れ、辺りが深い闇に包まれたタイミングで伐採場内へと侵入する人影があった。

 

 二眼のナイトビジョンをヘルメットから伸ばし、両手に拳銃を保持している人物。たきなである。

 音もなく一番手前の寄宿舎へ身を忍ばせ、床を注意深く探した。すぐに目当てのものを視認する。

 

「セキュアケースありました。他の人間の気配はありません」

『こっちも、周囲に敵影なし。たきなのところ行くよ』

「了解」

 

 たきなは通信に応答しつつ、放り出したままだったセキュアケースを回収する。自分のリグに素早く突っ込み、流れるような動作で裏に回って千束とイレーネの分のバックパックの存在を確認した。当然自分の物も確保し、リグを圧迫しているセキュアケースをバックパックに移してから背負う。

 

 3番寄宿舎から崖上を移動する三人の人影を視認しつつ、そのまま2番寄宿舎の南側へ移動して伐採場中央を警戒する。

 中央と西側から射線が通っており、もし弾が飛んでくるとすればその方角で違いない。逆に言うならばこの方向にさえ気をつけていれば不意の襲撃は避けられる。

 

 緑色の世界で、万が一にも白い影が動いていたらそれは敵である可能性が高い。たきなは背負った自分のバックパックに突っ込んであるセキュアケースの存在感を再認識した。これを狙って、求めて、ここに集まる連中が間違いなくいる。

 

『回収できたよ。イレーネさんもオーケー?』

『いいよ。ヅラかろう』

「行きます」

 

 手早くバックパックを回収して、来た道を戻るように北側の坂を登ってから伐採場東側へ抜けていく。

 四人の背後、伐採場西側に広がる森の中から、わずかに、ほんのわずかに銃声が聞こえていた。サプレッサーで発砲音の大部分を削り取られたそれが、誰かと誰かの命の奪い合いが、西の森に微かに響いていた。

 

 ○

 

 間隔の広い木々の間を縫うようにして四人は移動した。それぞれがそれぞれの眼と耳と感覚を研ぎ澄まし、見えないところからの襲撃をなるべく回避できるように、そしてまだ見ぬ敵を察知できるように、周囲を警戒しつつ前進した。

 

 そのまま歩くこと十数分。伐採場付近の危険エリアからは脱出できた。ここまで襲撃はなし。敵影もなし。スカブも見ていない。

 

 小高い丘を降り、左手にそびえ立つ高い山が左後ろの位置になるくらいまで歩みを進めた時、もうそろそろ会話をしてもいいだろうと千束が判断して口を開いた。

 

「私が戦ってたの、たぶんイレーネさんの元いた部隊の隊長さんだよ。アイゼンさんだっけ」

「…………そっか。昨日の今日でもう会うとはね、あのクソ野郎」

 

 イレーネは最後尾から、左前にいる千束の包帯の巻かれた右手を見つつ悪態をついた。言葉は短かったが、その声色に怒りが混ざっているのをその場の全員が感じ取る。

 一行の右翼の位置で周囲を索敵していたジャックが、目線は右前を向いたまま静かにつぶやいた。

 

「このまま俺のハイドアウトに来るか? 休息が必要だろう」

「おに、兄貴いいの?」

「かまわんよ。千束とたきなは?」

「ぜっひ! おじゃましまーす」

「お世話になります」

 

 ジャックが一つ頷き、両手に保持しているサブマシンガン────PP-19-01〝ビチャズ〟を握りしめる。

 

「詳しいことはハイドアウトで聞くが、千束、何があったんだ? お前があそこまで追い詰められるとは思わなかったぞ」

「いやー、それね。危なかったよね。腕チョンパされるところだった」

「え?」

 

 千束の言葉に、最前列で前方を警戒していたたきなが足を止めて振り返った。ナイトビジョンを跳ね上げる。

 

「どういうことですか? 腕を切られそうになったんですか!?」

「落ち着いてたきな。腕は大丈夫だったから。前進むよ」

 

 渋々たきなは応じて、跳ね上げたナイトビジョンを再び下ろして前進し始める。しかし腑には落ちていないのか、説明してくださいという雰囲気が全身から溢れ出していた。イレーネが小声で「あの玉なし野郎マジで楽な死に方させねぇからな」と漏らしたのが千束とジャックには聞こえた。

 

 千束は自分の右腕をチラリと見てから、

 

「アイゼンって人が弾切れになるまで避け続けて、弾切れになったところを無力化しようとしたんだけど、あの人近接格闘もかなり強くてさ。いや、強いって言うより…………なんだろ、判断が早い?」

 

 首を傾げて自問する千束に、イレーネが後ろから頷きながら怨嗟のこもった声で言葉を続ける。

 

「格闘技術そのものは平均よりちょっと強いくらい。素手同士だったらアタシでもいい勝負できる。でもあいつ、必ずマチェットを持ってるんだよ」

「持ってたね」

「あれはリーチもあるし扱いやすい。確実に殺せる距離で確実に殺そうとする。でももし〝殺せない〟と判断したら、あのくそポークピッツは目標を〝殺害〟から〝嫌がらせ〟に変える」

「あ…………だから腕を?」

「そう。もし千束ちゃんの右腕を切り落としたら、落とした後は多分一旦撤退するんだと思う。なんなら左腕も使えなくするかも。そうしたら、アタシやたきなちゃんのような仲間がカバーしに来るでしょ。そこを狙おうとする。その判断を戦っている最中でもする」

 

 イレーネはあくまで冷静を装って言葉を紡いでいたが、その節々には怒りが込められている。それは誰の耳にも明らかであった。

 強く、合理的で、それゆえに敵にすると憎しみの念が絶えない。そういう存在であることを言外の意に込めていた。

 

「もし、もしだよ?」

 

 千束がKSGショットガンの銃口を下ろしながら、しかし歩みは止めずに振り返ってイレーネに視線をやった。

 

「もし、右腕がアイゼンさんに切り落とされてたら、どうなるの?」

 

 どうなるの────それは、戦術的にどうなるのかという話ではなく、千束の腕は、体は文字通りどうなるのかという話だった。

 当然、通常腕が切り落とされた場合の多くは失血死を招く。よしんば止血がうまくいったとしても、すぐさま衛生的な治療を施さない限りは命の危険にさらされる。戦場の場合、落ちた腕がもう一度付く可能性は限りなく低い。衛生兵がいたとしてもそれは明らかである。

 

 そんなことは千束にも分かりきっている。それをあえてイレーネに聞いたのには、純粋な興味が大部分と、そしてうっすらと確信している答えを得るためだった。

 

 イレーネは、千束の質問にゆっくりと簡潔に答えた。

 

「ちゃんと治療できてたら、また生えてくる。たぶん」

 

 ○

 

 また、生えてくる。

 イレーネの言葉に、千束は「あー、やっぱり?」と漏らし、たきなはナイトビジョンをつけたまま後ろを振り返った。

 

「…………本当ですか?」

 

 困惑と疑いがごちゃ混ぜになった末に搾り出されたたきなの疑問符に、イレーネは首肯する。

 

「実際に腕を切り落とされた人を見たわけじゃないけど、バックショットが腕に当たってぐちゃぐちゃになってたのに、翌日には綺麗さっぱり治ってるのは見たよ。引っ張ったら取れる勢いだったのにね」

「…………」

 

 口元はバラクラバ、目元はナイトビジョンで隠れているためたきなの表情はわからなかったが、おそらく開いた口は塞がっていない。場合によってはバラクラバの下で池の鯉のようにパクパクしているかもしれない。イレーネはそんな想像をしてくすりと少し笑った。

 

 たきなが前に向き直って、受け入れ難い現実を無理やり飲み込もうとしている。その姿を見て、イレーネはもう少し情報があればたきなが飲み込みやすいかもしれないと考え、ジャックに質問を投じた。

 

「お兄ちゃんはどっかで見たことある? 腕が生えてきた人」

「流石に見たことがないな。足はあるが。というか〝お兄ちゃん〟でいいのか?」

「あ────うん、もう隠せないかなって。頑張るけど。いやそれは置いといて、その話ほんとなの?」

「あるぞ。スカブの足を千切ったんだが、取り逃した。翌日同じ服装と装備のスカブに出くわして、そいつの足が元通りになっていた。だからおそらく腕も治るんだろう」

 

 ことも無げに言っている二人だったが、千束とたきなはもはや鈍い笑みを浮かべるしかなかった。千束は心のどこかで「そうかもしれない」と思っていて、そして確信を得たのだが、たきなの方は未だ頭を混乱で埋めていた。

 

 イレーネがたきなに向けて優しく声を張る。

 

「たきなちゃん、あり得ないけど、それで助かることは山ほどあるからさ。ここ(タルコフ)じゃそれが〝普通〟って飲み込んで生きていくのが気持ち的にも1番楽よ。外の世界じゃどうにもならないことも、ここならどうにかなるってわけ」

「えぇ……そうですね。そう思うことにします」

「でもやっぱり手足が使えなくなったらそのまま死ぬことが多いから、気をつけてね。油断はダメだね」

「イレーネの言う通りだ。俺も気をつけるが、千束、たきな…………〝治る〟のはあくまで生きていたらの話だ」

 

 ジャックの言葉に、千束とたきなは深くしっかりと頷いた。

 

 夜の森。木々の間から時々漏れる月光に背中を預けながら進んだ一行は、伐採場以来一度も接敵することなく国連軍が敷いた北側ロードブロックにたどり着いた。

 

「ここから出るぞ」

 

 有刺鉄線とコンクリートブロックの隙間からバックパックを押し込んで、その後自らの体を押し通す。ウッズから別のエリアへ。目指すは数日前に千束とたきながお世話になった、ジャックの隠れ家へ。

 

 千束が最後にロードブロックを潜り抜け、なんともなしに空を見上げた。

 いつの間にか夜が開けようとしている。東の空がわずかに赤くなり、世界が暗い闇から茜色の夜明けへと移り変わろうとしていた。

 たきながナイトビジョンを跳ね上げる。光量的にそろそろ無くても見える。

 

 千束とたきな、イレーネの活動時間はもうすぐ丸一日を迎えようとしていた。寝ずの作戦を想定した訓練は流石のリコリスも行っていない。

 

「疲れたな〜」

 

 千束の言葉に、思わずたきなも「そうですね」と返事をした。

 ジャックが肩を揺らし、イレーネがにんまりとした笑みを浮かべながら二人を見た。

 

「こういう長時間の行動を想定した訓練は受けてないんだ?」

「だねー。まぁその必要がなかったと言うか」

「千束」

 

 たきなが半眼で千束を睨んだ。〝いらんこと言うなよ〟の意味だったが、千束はヒラヒラと手を振りながらバックパックを背負い直した。

 

「疲れてるもんは疲れてるんだよ。逆にイレーネさんは大丈夫なの?」

「アタシは多少こういう長時間の想定訓練があったからね」

「USECで?」

「まぁだいたいは。海兵隊時代もあったけど」

「ほえ〜」

 

 感心の声とは裏腹に、千束の目は本当に今すぐにでも眠りたがっている様子だった。

 イレーネはたきなの方も見る。こちらも口数が少ないと思ったら、もうだいぶ疲労と眠気でパワーダウンしている様子だった。

 

「君たちが()()()()()()()()、ちょっと知りたくなっちゃったなぁ」

「やめとけイレーネ」

 

 ジャックが低い声で唸った。首を横に振るジャックに対して、イレーネは目を細めながらからからと笑みを浮かべて、

 

「やっぱ込み入ってるの?」

「知らんが、訳ありだ。俺たちが首を突っ込むのはよしたほうがいい」

「誰だって隠し事はあるもんだねぇ。ね、()()()()?」

 

 イレーネのイタズラげな視線に、千束とたきなはうつらうつらしながら頷いた。

 ジャックが妹の悪行にため息をつきながらも、ビチャズを肩に当ててしっかりと保持し、道の先を見据える。

 

「先を急ごう。三人を守りながら戦うのは荷が重い」

「そう? ていうかアタシはまだ戦えるけど」

「そりゃよかった。頼もしい妹で助かる」

「どういたしまして、お兄ちゃん」

 

 朝焼けが広がりつつあるタルコフの空の下、四人は足を進めていった。

 

 




実際リコリスは「夜間作戦」は想定していても、一部の特殊部隊や正規軍のような「24時間を超えてくる長時間作戦」は想定していないんじゃないかなと思います。あくまで考察の域を出ませんがね。
何十キロも移動して、激しい戦闘と緊張感の戦場を渡り歩き、作戦を遂行し完遂する。特殊部隊の方々はすごいですよね。今も世界各地で戦っていらっしゃる方々に脱帽です。

まぁ長時間の行動で言うと、日本のおまわりさんも24時間勤務なのでこれまたすごいと思います。後輩に一人いるんですが「体が慣れればラク」と言っていました。えぇ……ホンマに……?
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