「俺がよく使っているカスタムズへの抜け道を通るか」
「そんなんあるの?」
「スカブが比較的少ない。確実に安全というわけではないが、大通りを警戒して歩くよりはマシだろう」
千束とジャックの会話に一同賛成して、先頭をジャックが進む。
ハイドアウトから出発して北東へ2キロほど歩いた地点で、周囲の地形はガラリと姿を変えた。
木々に囲まれていた環境から一変、道路は土を踏み固めただけのものからしっかりとした舗装路に変わり、周囲には民家が散見している。
崩れかかったものや半壊したもの、元々空き地で腰の高さほどの草が占領している土地など、人の息が長らくかかっていない空気感がある。
イレーネが右手側を警戒しながらボソリとつぶやく。
「スカブが潜んでそうだけど」
「この辺はあまりいない。あくまで数日前の話だが、スカブ同士のでかい抗争があってからこの辺りはもぬけの殻らしい。プラパーが目をつけていたが、ここを取るよりウッズの伐採場を占領した方が後々便利だからと結局誰も手を出していない。今もどうかはわからんがな」
「そっか。で、抜け道は?」
「この先の民家と民家の間を縫って行く」
数分歩くと、まばらだった民家がしっかりと密集し始めており、もうそこは立派な住宅街の様相を呈していた。
ただ人の気配がない。生活をしている、あるいは身を潜めている者がいれば何かしらの痕跡がありそうだが、例えば焚き火の匂いや跡、新しい食べ残しなどが見当たらない。死体もない。
一行は二階建ての木造建築の裏手に周り、人一人が通ってギリギリの裏筋を一列になって進み出した。
「挟まれたらやばそうだけど」
イレーネのぼやきに千束も頷くが、ジャックは先頭を進みながら振り返らずに答えた。
「見えた瞬間撃てばいい。それにどの建物もすぐに入れる。通りを歩く方が二階や物陰からの射線を警戒する必要がある。危ないだろ?」
「そっか。一人だとそんなんクリアできないもんね」
「そうだぞ上官殿」
「よしてよ新兵くん」
軽口こそ叩いているものの、ジャックはカスタムしたビチャズを油断なく前方に構え、イレーネはジャックのすぐ後ろで同じ方向を警戒している。お互いに見落としのないように、そしてことが起こればカバーできるように連携を取ろうとする動きだった。
千束とたきなは側面と後方を警戒している。千束が横歩きでKSGショットガンを保持し、たきなが後ろ歩きでボルトアクションライフルを構える。こちらも、民家と民家の切れ目でどうしても体を晒す横腹や、背後からの奇襲攻撃を警戒できている。
流石に四人もいれば死角はかなり減らせている布陣だった。
「本当にスカブの気配がありませんね。銃声も聞こえません。千束、何か見えましたか」
「いんやなんにも。通りの向こうもチラチラ確認してるけど、人影もないし音も聞こえないよ。こりゃほんとに良い抜け道だよジャックさん」
「だろう。まぁいつまで使えるかはわからんがな」
「それもそうだ」
そうして移動すること三時間ほど。四人は一回も接敵することなく、そして一回も発砲することなくカスタムズから北西五キロの地点まで進むことができた。
流石にその行程全てが民家の裏道というわけにはいかず、通りを横断し、端の方に身を潜めながら進むこともあった。住宅街を抜けてからスカブを目にすることも数回。しかし交戦はしていない。
移動することを目的としている四人にとって、無駄な交戦を避けてここまで来られたのは行幸であった。
「千束、この辺りでやめておくか? カスタムズに近づけば近づくほど危険地帯になる。夜を明かすなら距離を空けた方がいい」
「そうだねぇ。この工場の事務所とか使えないかな」
「入ってみるか」
千束が見上げたのは、トタンの壁で囲われた廃工場だった。一般的な日本の学校に備わっている体育館とほぼ同じ大きさである。
ぐるりと一周して入り口を見つける。資材搬入用の大きな鉄扉は固く閉ざされており、よく見ると中から溶接されている。全く開きそうにない。
裏手には人が出入りする用の扉があり、そちらは溶接されていなかった。しかし、ドアノブを捻って押しても引いても開かない。普通に鍵がかかっている。
イレーネがドアノブから手を離しながら閉口しつつ、ジャックを見上げた。
「お兄ちゃん鍵持ってない?」
「持ってるわけないだろ」
「そりゃそうだよね。んじゃ仕方ない」
ポケットから手榴弾を取り出したイレーネに、千束が「ちょいちょい」と制止の声をかけた。
「ちょっと試してみるから、周り警戒しててよイレーネさん」
「試す? 何を?」
首を傾げるイレーネに、千束はリグからピッキングツールを取り出して目を細めた。バラクラバの下には笑顔が広がっている。
「ぶっちゃけたきなの方が上手かもしんないけど」
「千束が無理だったら代わります」
「え、すご。二人ともピッキングできんの?」
「そだよ」
「うわ、じゃあどこでも入り放題ってわけだ」
「そうもいかないよ。作業してる間は無防備だし、あんまりにも複雑だと開けられないから、運だよ運」
「だとしてもすごい」
目を丸くするイレーネの感嘆の声を背中に受けながら、千束はドアノブの鍵にピッキングツールを刺してかちゃかちゃと動かした。
右手と左手、一本ずつ持った複雑な形状の針金を、慎重にゆっくりと動かす。
「お、開きそう」
三十秒ほどいじった時に千束がそう呟き、ピッキングツールを鍵穴に挿してから一分ほど経過したのち、千束が回した右手に従うように鍵穴がするりと右に回った。そしてガチャリと小気味良い音を響かせた。
「ふぃー。久しぶりにやったわ」
「すっご。マジ? 千束ちゃん何者なの??」
「日本の女子高生だよ」
「日本の女子高生はみんなピッキングできんの?」
「そうだよ。忍者の国だからね」
「千束、くだらない嘘つかないでください」
背後の遠方を警戒していたたきなが半目になりながら千束を睨んだ。へっへっへっと笑いながら、千束はリグにピッキングツールをしまうと体の側面に吊るしていたKSGショットガンを構えてドアの方へ向ける。
「で、中に誰かいるかもしれないよね」
「その可能性は高い。警戒した方がいいぞ」
ジャックが頷きながら、左手でドアノブを握る。体を開いて、ドアを開けた瞬間に千束からの射線が中に通るよう目配せする。たきなは変わらず後方を警戒。イレーネも千束の反対側に立ちバックアップの構えを取る。クリスベクターに取り付けてあるライトをすぐさま点灯できるように指を伸ばす。
「3、2、1────」
勢いよくドアを引いたジャックの動きに合わせて、イレーネが工場内の闇をライトで切り裂いた。直後、オレンジ色のマズルフラッシュと同時に工場内から轟音が轟く。
イレーネは、マズルフラッシュを認識する前に身を捩って工場入り口横の壁に張り付いた。千束は屹立の姿勢から一気に腰を落とし、中腰の位置で一発発砲。躊躇いなくポンプアクションをしながら銃口を工場内に向けたまま突撃した。
「え、ちょ千束ちゃん!」
イレーネが驚愕の声を漏らしながら、しかし体は即座に反応して入り口に上半身を突っ込む。クリスベクターの銃口とライトを工場内部に向けてぴたりと止まる。ライトの先に人影はない。
「ムーブ!」
イレーネが合図を発すると同時に入り込む。その動きをカバーするようにジャックも突入し、最後にたきながボルトアクションライフルを素早く体の側面に下げながらサイドアームの拳銃を抜いて建物内部に侵入した。通り抜け様に入り口ドアはしっかり閉めて行く。
ドアの先は三十メートルほどの長い廊下になっており、左手側に部屋が三つ、右手は壁、三十メートル先の突き当たりが左に屈折してさらに廊下が伸びている。
つまりここは工場内部の事務所エリアのようである。左に曲がった廊下の先から、AK系統らしき連続した発砲音が反響する。たった今、千束のKSGショットガンの音が一発響いた。
呻き声。
続けて銃が床に落ちた音。ゴトリとガチャリが混じった重々しい音が廊下の奥から反響してくる。もう一発、千束の発砲音が響く。
イレーネとジャックは左手に三つ並んでいる部屋の中を素早くクリアリングしながら足を進めた。窓のない室内、そして意図的であろう、建物内の電気が落とされている。つまり自らの持つライトでしか状況を把握できず、ライトの照らした範囲がそのまま視界になる。イレーネとジャック、たきなは先行した千束の後を追った。
「千束、状況を」
『一人無力化。突き当たり左ね。事務所エリアの先はまだ見てない。ドアあり。暗くてちょっともうこれ以上は進めないかなぁ』
「そこで止まってください」
『ラジャー』
数秒後に、廊下の突き当たりを左に進んだ三人が千束と合流する。千束の足元にはうずくまったまま気を失っているスカブが倒れていた。マガジンを抜かれたAKMがすぐそばに転がっている。
廊下の先は再びドアになっており、工場内の開けた場所、つまり作業場につながっているようだった。イレーネがドアを照らす。鍵はついていない。窓もないため向こう側は全く見えない。
イレーネはドアのすぐそばに立って動きを止めた。音を聞く。ドアの向こう側からは、かすかに衣擦れの音が聞こえた気がした。
ジャックにハンドサインを送る。USEC内で一般的に用いられる「敵あり。警戒せよ」の意味を通す。ジャックは頷き、千束とたきなにもわかるようにジェスチャーに変えて伝達した。
その場で全員バックパックを下す。機動力を上げて制圧にかかるつもりである。
「…………」
イレーネがドアノブに手をかけて、もう一度背後に目配せした。KSGショットガンに給弾を終えた千束がすぐそばに立ち、イレーネの視線に頷いて答えた。
一気にドアを開ける。ほぼ同時に千束が工場内部に飛び込み、一瞬で障害物と敵の有無、位置関係を認識する。認識しながら動く。
天井付近には高窓があり、太陽光を取り入れているため工場内部は問題なく明るかった。そうであれば千束の動きに制限はなく、思う存分飛び回れる。
千束に銃口を向ける人間は全部で三人。作業台の裏から二人、奥のコンテナの陰から一人。その者たちが持つサブマシンガンとショットガンの音が入り乱れる。三人はそれぞれが千束を狙い、そして千束しか狙っていなかった。弾は当たっていない。
後に続いたジャックの動きに、作業台の二人が気付いて千束から狙いを背ける。その瞬間に、二人のうち左側にいた青いキャップをかぶっているスカブの顔面にゴム弾がめり込んだ。
千束との距離は三十メートルほど。やや距離減衰を受けてしまったゴム弾に、一発で大人の男の意識を刈り取る力がなかったのか、それとも狙いが逸れてしまったのか、顔面を撃たれた男はよろめいたのちにすぐさま顔を上げて千束の方を見た。
だが顔を上げるのが遅かった。よろめいているほんの三秒ほどの合間に千束は一気に肉薄して、赤みがかった瞳がまるで残像を引くかのようなスピードでスカブの懐に入った。上半身の中心に向かってKSGショットガンを押し当てるように構える。
「やめ……」
ロシア語の制止が千束に届くよりも先に、千束は引き金を引いてゴム弾をプレゼントした。男は安らぎとは程遠いが死ぬことはない痛みの中で意識を手放した。
ほぼ同時にたきなも発砲している。離れたコンテナの陰にいた男のショットガンが弾き飛ばされた。銃口を変形させながら、粉砕した9mm口径のたきなの弾がショットガンを保持しているスカブの左手の指をいくつか飛ばした。
たまらず男はショットガンから左手を離し、
「くそっ!」
呪詛を吐きながら右手だけで突き出した。こちらは距離20メートルほど。ショットガンの弾がなんであれ実弾であれば十分に驚異となる距離である。しかしたきなは銃口を向けられても慌てることなく、拳銃の引き金を柔らかく2回引いた。
スカブの男の両膝を撃ち抜く。男がその場に崩れ落ち、それでも右手一本でショットガンを撃とうと銃口をたきなに向けた時、ようやく男も自分の握るそれが、すでに銃としての機能を果たしていないことに気がついた。銃口が大きく裂けて変形している。引き金を引いたら最悪バレルが破裂して、自らの右手を吹き飛ばすかもしれない。
だが男は諦めなかった。両膝を撃ち抜かれてもはや立てない状態ならば、その場で抵抗するしかない。
右手のショットガンを離して、ズボンの右ポケットに手を突っ込んだ。中に入っているトカレフを握った直後、
「残念です」
ポケットごとたきなが撃ち抜いた。発射された9mm弾は男の手の甲を裂き、トカレフのグリップを粉砕し、マガジン内に入っていた7.62×25mm弾を勢いよく弾いた。
男は運が悪かった。加えてセーフティ機能のないトカレフに人差し指を真っ先にかけてしまったのは男の未熟さを物語っていた。
右手をポケットの中で撃ち抜かれるのと、それによって人差し指が跳ねてトカレフの薬室内の一発が暴発したのと、そしてマガジン内の弾の雷管が撃たれたことによりそちらも爆発したことは、この男の人生でも最悪の部類に入る悲劇だった。
暴発した二発の弾が男の太ももと右手の親指を吹き飛ばした。
ポケットの中で赤い津波が巻き上がる。みるみる間にズボンの右側を朱色に広染めながら、男はその場にうずくまった。
たきなは男を殺してしまったと思い少し焦ったが、
「…………よかったです。生きてますね。すぐ治療しますからそこで寝ててください」
銃声の合間に男の呻き声が聞こえてきたので、そう吐き捨ててすぐさま安心しつつ千束の様子を確認した。
千束に鳩尾を撃ち抜かれた男の背後にいたスカブは、イレーネとジャックに頭を弾き飛ばされていた。この男は最後までジャックに銃口を向けており、ジャックもイレーネも、この脅威の排除に躊躇いがなかった。
目の前で頭の上半分がなくなったスカブが倒れていくのを、千束は嫌にゆっくりな光景だと思いながら、そして目の前で命が散らされたことを認識するのに少しの時間がかかった。
床に亡骸が崩れ落ち、サイズダウンした頭から脳漿が垂れ落ちる様を、千束は焦点がずれ始めた目で見た。見てしまった。目が離せなかった。
耳鳴りがする。次第に呼吸が浅くなる。そのことに千束は気づかない。自分の呼吸がうまく機能していない。肺が空気を欲する。吸い方も吐き方もわからない。耳鳴りが頭をつんざく。バラクラバ越しに濃厚な血の匂いと硝煙の煙臭さが鼻を襲う。目の前の視界が急激に暗くなっていく。手に持っているショットガンが重たい。足に力が入らない。
千束はその場にぺたりと腰を落とした。糸が切れた人形のように。
なにを。何を私はしているのか。はやく。早く周囲を確認しないと。こんなことは覚悟していただろう。ここではみんな死ぬじゃないか。分かりきっていたこと。
たきなは? ジャックさんは? イレーネさんは? 無事? 敵は? 他に誰が死んだ? 負傷は? 頭が。死ん────。
「────ちゃん! 千束ちゃん!! 千束ちゃんってば!!」
「っ!!」
気がつくと、千束の前にはイレーネの顔があった。右の頬がジンジンする。頬を引っ叩かれた。そして千束の意識は現実に戻された。
「わ、私は…………」
「殺してない。千束ちゃんは誰も殺してない。たきなちゃんも殺してないよ。安心して」
イレーネの瞳はまっすぐ千束の目をとらえた。少しも離さない。離せば千束の中の何かが崩れる。イレーネはそれを経験則から判断した。言葉を続ける。
「千束ちゃんの信じることは、千束ちゃんとたきなちゃんが守ればいい。アタシとあなたたちは違う。お兄ちゃんも違う。一緒にいるし、あなたたちのことは大好きだけど、信じるものはそれぞれ自由でいい。そうでしょう?」
「うん…………そう、だね」
「アタシも無駄に殺すのは嫌だよ。でも自分や仲間が傷つくのはもっと嫌。だから殺す。お兄ちゃんが撃たれそうだったから、だからアタシは撃った。お兄ちゃんも撃った。それだけ。そこに特別な意味はないし、見出しちゃダメ」
イレーネの言葉に、千束の瞳はみるみるうちに濡れていった。瞳にイレーネの像を映しながら、目の端を涙が伝う。
千束はちゃんと納得できた。ひとつ、こくりとゆっくり頷いて、顔を上げた。
イレーネが柔らかく温かな笑みを受かべて、そして千束の頭を胸に抱いた。
「強さにはいろんな形があるからさ。最初に出会った時にも言ったけど、千束ちゃんが信じている戦い方は、いつか千束ちゃんを助けてくれるから。人を殺せることが強いんじゃないよ。殺された人を見て涙を流すのが弱さでもないよ。みんなそれぞれ違う。それでいいんだ」
イレーネの言葉に千束は再度頷いて、そしてしばらくイレーネの胸の中で嗚咽を堪えていた。イレーネは、ゆっくりと、やさしく千束の背中をさすり続けた。
『敵影なし。倉庫内はクリアです』
『了解。ショットガン野郎の手当に移るか』
『そうですね』
たきなとジャックの通信が、ヘッドセット越しに行き交った。イレーネと千束にも聞こえていたが、
「…………もうちょっとこのまま居ていいよ、千束ちゃん。落ち着くまで」
イレーネはそう、静かに囁いた。
トカレフにセーフティー機構がないってのを初めて知った時、なんか妙にしっくりきました。あの国なら確かにそうするだろうなと。撃つ必要のある時に確実に撃てるよう設計するのは「ぽい」ですよね。