「…………なぜ俺の名前を知っている」
アイゼンはフラッシュライトのスイッチを切った。部屋の中に薄暗さが戻り、蝋燭の弱いオレンジ色が狭い世界を支配する。
千束は強い光を当てられていたために細めていた目を、そのまま瞑って浅い呼吸を繰り返した。数秒経って、
「イレーネ……さん。話は、聞いてる…………」
「あぁ、そういえばあいつと一緒にいたな。そういうことか」
アイゼンは小さく頷きながら、しかしAK101の銃口を千束の額から外さない。目線も、意識も、苦悶の表情を浮かべる千束から数刻も離さない。
だがトリガーを引き絞っていた人差し指は、力を抜いて遊びを戻した。まだ指の腹は触れており、千束が抵抗するそぶりを見せれば1秒もかからずにその頭に穴が開けられる。
アイゼンは続けて質問をぶつけた。
「仲間はどうした。イレーネは」
千束の胸が上下する。口で呼吸を繰り返し、口角の端から唾液が細く垂れてきた。瞼が開くが焦点があっていない。
一度、アイゼンは千束の顔から視線を外して全身を見検める。
発汗量が尋常でない。失禁に加えて全身の痙攣。呼吸の乱れと異常な浅さ。
カルトの使う神経毒が、運の悪いことに消化器官や呼吸器官に作用しているのだろう。深刻な呼吸困難と脱水症状を起こしている。
「…………」
千束の顔に視線を戻す。もう、この目の前の哀れな少女は質問に答える力も残っていない。
ベットに回復用の物品が散らばっていることから、仲間がいたことは間違いない。となると、インテリ小屋で仕留め損なった片割れか、あるいはイレーネか。
いや、イレーネの射撃スキルは平均よりは高いが確実に暗闇で頭と首を撃ち抜きながら進めるほどの技術はない。
となると、この娘の相棒か。やはり生きていたのか。
アイゼンは納得しながら、顔もよく知らない存在に、その判断ミスに憐憫の情を抱いた。
自力での回復が望めるわけないだろう、と。全身をめぐり、運が悪ければ呼吸器官と消化器官を持っていくこの毒を喰らって、数時間放置した状態で自力で回復は無理がある。
運が良かったとしても、時間の経過とともに回復物資の使用量は増え、そのうち物資が尽きる。
どのようなつもりでこの場を離れたのかは知らないが、カルトを狩りに来ておいて解毒薬を用意していないというのは、この街をナメているのか単なる知識不足か。
いずれにしても、アイゼンは目の前の少女とその相棒に内心で首を振った。
そして、AK101の銃口を下ろした。
「……………………」
そのまま数秒、じっと千束の顔を見たまま微動だにしなかった。
細く口の端から涎を垂らし、虚な目で焦点の合わない瞳を天井に向け、吸っているのか吐いているのかわからない小さく細い呼吸を、喘ぐように漏らしている。時折体をびくりと震わせ、痙攣するその死にかけの存在に。
数日前は〝弾丸を避ける〟という、戦場の生態系でトップに立ってもおかしくない動きを見せた、その少女に。
「…………賭けてみるか」
アイゼンは小さく呟きながら、リグからインジェクターケースを取り出した。
◯
死体だらけの建物の中、蝋燭と紋様で埋め尽くされている儀式部屋の中に、命あるものが二名休息していた。
部屋の入り口にはワイヤーと、時限調整して即座に爆発するフラッシュバンがぶら下がっている。鍵とドアノブが吹っ飛んだドアは、ダクトテープで止められていた。
リビングルームのダブルベットには、戦闘服の胸を大きく開いて、その上に薄い布を被せられた千束が、規則正しい落ちついた呼吸を繰り返しながら眠っていた。
服はそのままのため汗も失禁もまだ処理されていないが、顔と首周りだけは清潔な布で拭かれていた。涎も拭われて綺麗になっている。
枕元には、薬液を使い切ったペルフォトラン注射器が転がっている。
隣の部屋の適当な椅子を引っ張り込んで、背もたれに体を預けながら深く腰掛けたアイゼンは、イスクラ戦闘糧食と水を近くのサイドテーブルに置いて口に運んでいた。
ミートペーストにクラッカーをつけて大きく口に放り込む。さして美味そうにするでもなく、作業のように水で流し込んでは次のクラッカーをペーストに沈めた。
椅子のすぐそばにはAK101とバックパック、SVDSも置かれている。しばらくこの部屋に滞在し、立て篭もるつもりだ。
視線はベットの上の千束に向いている。ペットボトルの水を三口飲んでからテーブルに置き、深く息を吐きつつ頬杖をついて動きを止めた。
「…………そろそろ起きるか?」
腕時計に目線を落とす。おもむろに立ち上がってベットに近づき、ゆっくりと胸を上下させる千束の枕元にくる。
「おい、起きろ。飯と水を飲め。死ぬぞ」
一声、しかし反応はなく、穏やかな寝息を立てる千束にアイゼンは舌打ちを一つ打ってから、肩に手を添えて小さくゆすった。
「起きろ。脱水で死ぬぞ。貴重な解毒薬を使ってやったんだ、このまま死んだら許さんぞ」
「う…………うぅ…………」
ゆすられて、眉根を寄せて、瞼を振るわせた千束が、数秒して薄く目を開けた。
ぼやけた視界、揺れる世界、はっきりとは見えないが目の前に誰かいることはすぐに認識した。
「起きろ。水を飲め、飯を食え。体が起こせないなら食わせてやるから、まず補給をしろ」
「え…………あれ、私……え……?」
状況が飲み込めない。弱々しくもなんとか目を開けて天井を認識して、それから声を発した人物────アイゼンの顔を見た。千束は目を見開いた。
そして叫びそうになったが、それ以前に喉がカラカラで叫び声が上がらない。
「かっ……! かは…………こほっ!」
「水だ。体を起こせ」
「できな……」
体に力が入らない。起こそうと腕を動かすもそもそも腕が上がらない。
その様子に見かねたのか、アイゼンはため息をつきながらもゆっくりとした動作で右手を千束の首裏に差し込み、そのまま肩を抱きながら上半身を起こした。
大きな枕を上に上げて、上半身を起こした千束をベットの枕元に寄り掛からせる。大きく開かれた胸元にかけられていた薄い布がはらりと落ちて腹のところまでズレた。胸が顕になる。
「…………」
千束が下を見て言葉を失う。肌を露出している上半身と、湿っている下半身。そしてベット脇で水を持ってきた屈強な体格の男性の存在。
千束の頭の中で複雑な感情とシンプルな反応が無数に、無限に響き渡った。しかしそれを声として世界に出力することも、赤面しながら男の頬を打つことも、ベットから飛び降りてダッシュで逃げることもできない。そんなことができるなら自力で起き上がっている。
「飲め」
「うで…………うごかな……」
アイゼンは何食わぬ顔でペットボトルのキャップを開けてから、千束の口元に近づけた。
あくまでゆっくりと、千束が咳き込まないように、千束の腕の代わりにペットボトルの水を傾ける。
ボトルの水の半分ほどまで一気に飲み干してから、アイゼンが口元から外した。全身の筋肉に蓄積したダメージのせいか、口の端から少し水がこぼれる。千束はあわてて自分の袖で拭おうとしたが、左手は少し持ち上がったのみで口まで届かない。
眉を顰めてその様子を見ていたアイゼンが、先ほどまで胸元を隠していた薄い布で千束の口を拭った。
「こぼすな」
「いや…………むり……力入らないんだってば…………」
「だがだいぶ喋れるようになったようだな。英語が得意なのか?」
「まぁ、ひと通り…………」
「なら問題ない。質問に答えろ」
ペットボトルのキャップを閉めてサイドテーブルに起き、今度はチョコバーを取り出したアイゼンがその封を開けながら再び枕元に来た。
千束がゆっくりと首を動かして、アイゼンの言葉を遮る。
「あの、いろいろ……ありがたいんだけど、その……前に、さ。胸、しまわせてくれないかな…………恥ずかしいんだけど……」
「あぁ、それもそうだな。だが肌着は切ったから無理だ。テープで止めるか?」
「とりあえずそれで…………」
「わかった」
チョコバーを置いてダクトテープを取り出す。注射器を刺すために切り裂いた千束の肌着をテープで止めて胸を隠し、戦闘服の前ジップとボタンを止める。
「…………なんで胸出させたの」
「心臓に刺すのが1番効く。だがお前の心臓はどうやら人間のものじゃないらしいな。手術痕もあった。移植か?」
「機械……入ってんの。っていうか…………丸ごと、機械なの」
「なるほどな。首にしといて正解だった」
「…………ありがと」
千束のお礼の言葉を聞いても、アイゼンは無表情のままで千束の戦闘服の前を閉じ続けた。
上まで閉めてから立ち上がり、チョコバーを持ってきて千束の口元に運ぶ。千束も遠慮なく、ゆっくりと齧り付いた。
そのまま数口、無言で咀嚼し続ける。半分まで食べたところで、千束が顔を上げてアイゼンの目を見た。
「…………なんで、助けてくれたの?」
アイゼンも千束の目をまっすぐに見ていたが、その真意も、何を考えているのかも、千束にはわからなかった。命を救ってくれたことへの感謝と同時に、そこしれない仄暗さ────恐怖心に近いものが心の片隅にあった。
何より今、体が全く動かない。抵抗もできない。それでも意識はある。
この状態で何かされることは、死にかけの意識状態で受けるより遥かに苦痛である。それは嫌だなぁと千束はチョコバーを飲み込みながらぼんやりと考えた。
「お前、銃弾を避けたのはまぐれか? それとも狙ってやっているのか」
千束の質問にアイゼンは答えなかった。返ってきたのはアイゼンからの質問だったが、千束は嫌な気分にはならず素直に答えた。
「狙って……やってるよ。まぐれだけど…………いつも、成功する」
「そうか」
チョコバーを全て食べ終えた。袋を床に放り投げながら、アイゼンはベットから離れてAK101を持ち上げた。
そしてマガジンを差し込み、セレクターをセミオートにして、ボルトを引いてチャンバーに1発送り込んだ。
澱みない動作で銃口を千束の頭に向ける。光学照準器の中にぴたりと収まったのは、目を見開いて驚きと混乱を同時に浮かべている千束の顔だった。
「あ……え? なんで? なんで…………アイゼンさん…………?」
「最期の質問だ」
トリガーに指をかける。
「伐採場でステッチを殺したのは、お前か? あるいはお前の仲間か?」
冷たく、無機質な質問だった。しかしアイゼンのその声はどこか遠く奥底で。
相棒を殺された者だけが持っている復讐の怒りが、隠しきれない怨恨が、そこはかとなく滲み出ていた。
何かと放り出される千束π。
リコリコアニメ本編の過電流場面と同じくらいの露出度で脳内再生してください。
じゃなきゃなんぼ千束が18歳で成人年齢でもアウトなので……。