リコリスinタルコフ   作:奥の手

61 / 132
単独行動

 太陽が西の空の彼方に沈もうとしている。

 空は茜色に燃えており、ちぎれた雲が陰影を濃く残し始める。たきなの足元に伸びる影は身長よりも随分長くなり、汚い地面に伸びていた。

 

「…………」

 

 大きなバックパック。

 額と頭頂部の間に弾痕の残るヘルメット。

 なかなか重たいクラス6のアーマーに、拳銃とボルトアクションライフルのマガジンが刺さったリグ。

 緑を基調とした迷彩服は、このタルコフ市中心部の街中では身を隠す助けにはなっていない。

 

 とはいえもう数十分で周囲は明かりを失い暗闇に包まれる。そうなれば、ヘルメットに取り付けたナイトビジョンで格段に安全に行動できるし、近距離では拳銃を、遠距離ではM24A3ボルトアクションライフルがたきなの手となり足となる。

 攻撃の手段に不足はない。そのはずだった。

 

「…………」

 

 たきなは立ち止まった。5階立ての集合住宅の入り口の角に身を隠し、進行方向を注視する。

 手にしているボルトアクションライフルを構えて、右肩にストックを当ててスコープを覗く。

 

 拡大された世界に、赤いレティクルが映る。その中心に、一人のスカブが収まっていた。

 スカブはショットガンを持っている。周囲を警戒しているのか、建物の壁際でキョロキョロと周りを見ている。仲間がいるのかもしれない。

 

 たきなは迷った。

 この道を迂回すると、タラカンに指定された待ち合わせ場所に辿り着くのが5分遅れる。

 5分の遅れは、そのまま千束の命を奪う可能性を跳ね上げてしまう。

 

 かといってこの場で油を売るわけにもいかない。決断しなければならない。どう通るのか。あるいは迂回するのか。

 

「…………ふぅ」

 

 たきなは息を吐いた。

 そして直ちに大きく吸い込み、ほんの少しだけ吐いてから息を止めた。レティクルの動きが安定する。

 ぴたりと止まった赤い印が、ベースボールキャップを被ったスカブの頭に重なる。

 

 一瞬、千束の顔が頭に浮かんだ。

 それは泣き顔。悲しそうに、悔しそうに、たきなの目をじっと見つめる濡れた瞳。赤みを帯びた美しくも儚い大きな双眼。

 

「…………」

 

 たきなの右手は、人差し指は、まるで力が入らなかった。糸が切れたように動かない。スコープから顔を上げ、銃を下ろし、そのまま項垂れる。

 

 ────撃てない。

 

 引き金が重たい。カルトの連中を殺した時にはあんなに軽く引けたのに。

 銃が違うからじゃない。

 ここに来るまでに2回、スカブと遭遇した。いずれも逃げた。見つかる前に、遠回りをして、コソコソと隠れて。

 

 引き金に指が当たるたびに、千束の顔を思い出す。

 

 〝そんな目、しないで、お願い〟

 

 千束の言葉が頭にめぐる。何度も何度も、千束の苦しそうな声で、今にも消えそうな声量で、頭の中に流れてくる。

 人を殺した私を、その目を否定してくる。

 

「決めたのに…………千束に嫌われても守るって……なのに……なんですか……これは……」

 

 自分で自分が嫌になる。

 どんどんと彩度を失っていく硬いアスファルトに、視線が落ちたまま上がらない。

 早くタラカンの元に行かないといけないのに。解毒剤を手に入れないと千束は死ぬのに。

 

 あれだけアジトで殺しておいて、今更人が殺せない? 銃を撃つことすらできないのか? 

 そんなバカな話はない。

 大馬鹿だ。ありえない。何のためにここまで来たのか。千束をこのまま見殺しにするのか。

 

「しっかりしろ……やるしかない…………なにをしているんだ……」

 

 とにかく動こう。止まっていては何も始まらない。何かが勝手に良くなることなんてこの世界にはひとつだってないじゃないか。

 

 立て。歩け。撃て。────殺せ。

 

 自分で言い聞かせる。そうすることでしか千束は救えない。千束を死なせたくないなら自分が敵を殺すしかない。

 

 たきなは顔を上げた。両の目から涙が一筋落ちた。ボルトアクションライフルを握りしめて、しかし構えることはせず、そのまま足音を殺して道のほうへと進んでいった。

 

 迂回路を、進んでいった。

 

 

 ◯

 

 

 ストリートオブタルコフ。

 タルコフ市の中心市街であり、いまだに物資も人間も両方残る、いわば宝と死の宝物庫。

 

 市内エリアごとにそれぞれ勢力が違っており、支配者はたいてい武装した人員を歩哨に置く。

 逆に指揮者が死んだエリアはその一帯の見張り役兼スナイパーも撤退することが多い。

 ゆえに不用心に歩けば頭の大きさが半分になる期間が何十日もあった大通りが、いつのまにか数週間そこを自由に行き来できるようになることもある。

 

 全ては運と情報だった。豊富に物資が残っているのは、そこへたどり着く前にライフル弾を頭か胸にプレゼントされる輩が大量にいるからという説もある。

 

 コンコルディアと呼ばれる集合住宅に商業施設が併設しているそのエリアには、今は特段支配者らしき人物は腰を下ろしていなかった。

 であればそこはみんなのものであり、早い者勝ちだし生き残ったものが勝ちである。

 粗末な武器と防具に身を包んだ粗暴な地元住民たちは、コンコルディアのさまざまな部屋に自分たちの居場所を作っていた。

 時に徒党を組み、時にトラブルを避けるためにあえて物資には誰も手をつけない。そういう暗黙のルールでこの辺りは仮初の平和をこの数ヶ月間保っていた。

 

 数週間前から、そのコンコルディアに出入りする人物がいた。

 自らをタラカン(ゴキブリ)と名乗り、周辺の手をつけても大丈夫そうな物資や倉庫の位置を教える代わりに、コンコルディアに滞在するスカブたちを小間使いにしている。

 

 スカブたちもこれを仕事として、かつてスーパーでレジ打ちをしていたり、工場で鉄板に穴を開けていたのと同じように、タラカンの指示に従って報酬を得ていた。

 

「お、噂をすればボスのお出ましだ」

「おかえりボス。今回はどこにいってたんだ?」

 

 コンコルディアの一階、元々は小さなスーパーだった場所で、窓側に鉄板を貼り付けてその裏に椅子を置いて座り、ドラム缶を燃やして暖をとっていた中年の二人組がいた。

 裏口から入ってきたタラカンに軽い挨拶をする。

 

「カスタムズの方だぜ。ってかボスはよしてくれよプーシキンさん。あんたの方が何倍も長生きしてんだ」

「今のご時世は歳だけ食ってても意味ねぇんだよ。やっぱできる若いもんがボスになるべきだ」

 

 プーシキンと呼ばれた五十代くらいの男の言葉に、そうだそうだともう一人のスカブも頷いて手にしていた酒瓶を煽る。こちらも四十代後半ほどの男だった。

 

 若い顔立ちのタラカンにとって、この二人が年長者であることは間違いなかった。そこをうまく使ってこの辺りの情報源と戦力に仕立て上げている。いわば「優秀だが可愛げのある若者」として、この二人に取り入っていた。

 

「ありがとよ二人とも。それで、例の物資は手に入ったのか?」

「バッチリだ。でも軍用チューブなんて何に使うんだ? 珍しいものだがその辺の奴らじゃあれが何なのかすらわかってなかったぞ」

「俺のボスが使うんだよ」

「はー! おいカバエフ聞いたか? タラカンにもボスがいるんだとよ」

 

 酒を煽っていたカバエフという男が、にんまりと笑いながら静かな声で口を開いた。

 

「誰にだって上には上がいるってわけだ。俺たちのボスはタラカンで、そのタラカン坊やのボスはまた別のやつのベイビーってわけだ。世の中はどこまでいっても階層構造だな」

 

 ぐびりと、質の悪いウォッカを瓶から直接煽っていく。

 タラカンは何度か頷きながら、スーパーのレジ裏のウェポンボックスに自分の肩に担いでいた短機関銃を戻した。

 箱の中をガサゴソと数秒漁って、

 

「弾が減ってるな。誰か来たのか?」

「今朝、二人組のPMCが迷い込んできた。丁重にもてなしてやったがこっちは一人死んだ。弾もだいぶ使っちまったな」

 

 プーシキンが両手を広げながら残念そうに首を振った。それからゆっくりと立ち上がって、壁際に投げていたバックパックをタラカンのそばに置いた。

 

「戦利品だ。俺たちに必要な分はもうとってある。出張で疲れたボスにはこれくらい用意しておかねぇとな」

「はは、ありがてぇ。使わせてもらうよ」

「依頼された品もそこに入れてある。バックごと持っていっていいぞ」

「助かる。じゃあお前たちの武器の弾を発注しておくぜ。追加で何か要るものあるか?」

「俺はねぇな。カバエフ、何かあるか」

「今日のお客さんが置いていった銃の弾があればいいな。ありゃなんて名前の銃なんだ」

 

 カバエフが指差した先には、M700系統のボルトアクションライフルが立てかけられていた。あまり手の加えられていないカスタムだったが、銃口にはサイレンサーがついていた。スコープもある。

 しかしタラカンは難しそうな顔をして、

 

「ちょっと手に入りにくいな。うちのボスは西側の武器はあんまりって感じだ。ボスの知り合いは扱っているらしいんだが、そっちに声かけるのはちと時間がかかるぞ」

「じゃあいい。死体から適当に剥ぎ取ったのがあるから、屋上の連中に渡しておくよ」

「そうしてくれ。あぁ、あと」

 

 タラカンはバックパックを背負いながら、二人の中年スカブに念を押すように指を刺した。

 

「昨日も言ったが、数日中に客が来る。マジモンの客だ。絶対手を出さないでくれよ。じゃなきゃ俺の頭が弾け飛んじまう」

「おっかねぇな。例の女二人組か? ツラはどんなだ」

「美人っつうか、まだ子供だな。十年後はいい女になってるぜ」

「そうかそうか。丁重にもてなすよ」

 

 プーシキンとカバエフがヒラヒラと手を振るのを横目に、タラカンも裏口から外へ出た。

 そして通信端末を開いてメッセージを確認する。

 

「お、スキーヤーからか。なに…………あん? 〝ちさと〟って誰だ……あ、日本の女子高生か。…………カルトにやられたぁ?」

 

 素っ頓狂な小声を漏らしながら、タラカンはコンコルディアの北側にある建設途中の建物へと入っていった。

 歩きながらメッセージの続きを読む。

 

「解毒剤をもう一人が取りにくるから、集合して渡して一緒にカルトのアジトに行けと。絶対死ぬだろこれ。助かるわけねぇじゃん。ってことは何か別の目的があんのかな?」

 

 端末をしまいながら、建設資材で囲まれた一角に座り込む。携帯アルコールストーブに火を入れて、灯りと暖房の代わりにしつつバックパックを下ろして中身を検める。

 

「ま、最悪片割れが死んだら隊長に報告して作戦変更だな。スキーヤーの方には…………特にフォローはいいか。もう一人の名前は確か〝たきな〟だったか? 黒い髪のいかにも日本人な方か。そっちが生き残ったのはありがてぇな。日本人抱いてみてぇ」

 

 魚の缶詰を開封して、ナイフで刺して食べる。二口ほど食べてから、

 

「十年も待てねぇな……五年経ったらたきなちゃん何歳だ? 日本の女子高生ってことは、最年少でも……あぁそうか、五年じゃまだちょっと青いな…………」

 

 ボソボソと呟きながら、タラカンは作業のように缶詰から魚を口に運んでいった。

 一通り食べ終わって、ペットボトルの水を飲んでからバックパックにまとめて立ち上がる。

 

「ま、とりあえず合流だな。せめて一人は生かしておかねぇと」

 

 腰の後ろからマカロフを取り出して薬室に一発入っていることをチェック。また腰に戻して、建設現場を後にした。

 

 

 




「千束のために」殺しをしなかったたきな。
「千束のために」カルトを皆殺しにしたたきな。

さて、たきなを「たきな」足らしめているのは、いったいどちらの「たきな」なのでしょうかね(哲学)

千束ならたぶん「どっちもたきなはたきなだよ!」って言ってくれるんですけど、今たきなの隣に千束はいないし、誰も味方はいないんです。
これがタルコフ。ソロレイド。銃弾以外も十分にダメージを与えてくる。この子まだ17歳の女の子なんですよ(ふと我に返り押し寄せる罪悪感)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。