リコリスinタルコフ   作:奥の手

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夜街

 夜の帷が降りたタルコフ中心街は、太陽の光が出ている日中の様相とはまた一味違った雰囲気を持っていた。

 

 街の中の非常電源が生きているのか、あるいはまだ普通に発電所が機能しているのか、街灯や建物の灯りがゴミと薬莢と死体の散乱する大小さまざまな通りを淡く弱く照らし出している。

 光が当たるところのすぐそばには濃い闇が広がり死角となり、たとえば潜んで他者にライフル弾を撃ち込むことも、あるいはそのまま小動物のように怯えて敵をやる過ごすこともできる。

 

 いずれもただ人の目で見て、その視覚性能に頼った生き方をしていればの話ではあるが。

 たきなはヘルメットに取り付けてあるナイトビジョンを下ろしていた。

 

 緑色に拡張された世界。わずかな光でも増幅させ、物影の闇を明るみへと変える。割れた蛍光灯の数の方が多い薄暗い室内であれば、同様に絶大な効果を持って自らの安全を確保できる。

 

 たきなは、自分が休息のために潜んでいた小部屋から、左右に伸びる廊下を慎重に覗き込んだ。

 足音はない。人の気配もない。街の遠くの方で銃声はしているが、この近辺少なくとも百メートル以内ではまだ銃声はしていない。

 

 蛍光灯が一つ二つしか付いていない薄暗い廊下を、人工的に明るくした視界で注意深く覗く。誰もいない。行ける。

 

 バックパックと同様にボルトアクションライフルを背中に回し、拳銃のみで部屋から移動する。

 銃口は常に頭の高さ。通路の角、部屋の入り口で特に警戒して照準をぴたりと合わせながら、慎重に、しかし迅速に脚を運ぶ。

 

 誰ともエンカウントせずに、休息のために忍び込んだ何かのオフィスを後にする。

 

 外も内も同様に薄暗い。

 風上で建物が燃えているのか、人工物の焼けこげた匂いがかすかに鼻に届いてくる。

 夜空に反響する散発的な発砲音。

 やや肌寒い風が、その音と匂いをたきなに届けてきた。たきなは、さして何かそれに対して特別な感情や分析をすることもなく、ただただ拳銃を前に突き出して通りの角へと先を急いだ。

 

 拳銃をホルスターに戻して、流れるような動作でボルトアクションライフルを体の前に回す。

 

 ここから先は開けた通りが続く。そこを北へ3kmほど移動すれば、現時点でタラカンから指定されている合流地点に到着する。

 

 ずいぶん遠回りになってしまった。

 スカブやPMCの存在を認知するたびに、それらの脅威が届かない方向へ逃げるように迂回した。

 

 敵は殺して進まないといけない。

 一秒でも早く千束の元へ帰らなければならない。

 

 わかっていても、気持ちだけが急ぐばかりで、次の瞬間には銃を持った他者という脅威から背を向けている。

 植え込みを超えたり、建物と建物の間の排水溝の上を歩いたり、窓を飛び越えて隣の建物に乗り移ったり。

 

 引き金を引いて頭に叩き込めば一秒で道が開けるはずだと、頭ではわかっているし決意もできているのに、体がいうことを聞いてくれない。引き金に指が当たるたびに、千束の顔と声が頭の中を支配する。そうして体も固まってしまう。

 

「……………………」

 

 ボルトアクションライフルを突き出したまま、建物のすぐ壁沿いを進むたきなは、バラクラバの下で小さく自重気味に口角を上げた。

 

 ────きっと私はもうすぐ死ぬ。

 

 殺すことも、殺さず排除することもできず、引き金すら引けなくなったこの存在が、銃弾よりも命の方が軽いこの街で生き残ることなど出来はしない。

 

 ただそうなると千束はどうなる? 

 私が解毒薬を持っていかなければ、千束はそのまま────。

 

 あぁ、そうか、一緒には死ねなくても、死後の世界で再開できるか。

 

 いや。

 いや違う。

 

 千束は人を殺していない。

 私は人を殺している。

 

 千束は天国に、私は地獄に落ちるだろう。

 だからたぶん、死んだらもう千束とは会えない。千束と一緒にいられるのは、この世界での命のみ。

 

 たきなは、普段のたきなであれば宗教学だの信仰心だので一枚壁を隔てた向こう側のものという顔で見ていた〝死後の世界〟のことを、本人も自覚することなく考えながら歩いていた。

 

 そんなことを考えるような状況は今までなかった。

 死んだ後のことなど考えても仕方がない。

 誰も死後の世界の報告などしていないし、それに関する資料も眉唾物しかない。せいぜい現世の人間がたいそうな付加価値をつけて世界中に吹聴しているだけの妄想に過ぎない。

 

 そう、唾棄していた〝近いようで遠い世界〟のことを、たきなはここに来て頭の中に浮かばせていた。

 

 なぜ引き金が引けないのか。

 今まで殺そうと思えば殺せると思っていて、実際カルトの連中は殺し、それ以外の連中は殺さず生かさず銃弾を叩き込めた。できていたことが両方ともできなくなった。それはなぜか。

 

 自分ではわかっているつもりだった。

 たきなは自分自身の身に起きていることを冷静に客観視できていた。

 

 得ている一つの答えは、至極単純なこと。

 それは〝千束の承認がない〟から。

 

 ベットの上で力無く言葉を発した千束の姿をまた思い出す。

 確かに千束は言った。離れる前、間違いなく「たきなは、たきなだから。どんなでも、私のだいじな、相棒だよ」と。

 

 たきなはそれを覚えている。情景と声音を今でも鮮明に頭で再生できる。

 しかしそれは承認ではない。

 いつもの、快活で向こう見ずで一分一秒を楽しく元気に生きようとする千束から得られる、本当の意味での承認ではない。

 

 自分でも面倒くさい人間だなと呆れてしまう。

 千束は弱っていたのだから、このままでは死んでしまう状態だったから、だから、自らの信念である〝いのちだいじに〟を破った相棒に対して、どのような言葉をかけてもそれは真意ではない。

 心からの言葉ではない。

 正常な判断と理性的な選択で結ばれた、千束自身の言葉ではない。

 

 そう考えた。たきなは、そう考えてしまった。

 そんな考え方をしてしまっては、もうなにも千束の言葉は励みにならず、同様にたきなを咎める言葉も効力を失う。

 なにを千束が言っても、たきなには響かなくなる。意味のない音となる。

 そのはずなのに、たきなの心と精神と肉体に残ったのは、引き金を引けなくなるという最悪の結果だけだった。

 

 故にたきなは見失っていた。

 問題の原因はわかっても解決には及ばない。

 だからどうすればいいのかわからない。

 問題を先延ばしにするしかなく、それが、敵の姿を見たら力なきもの同様に逃げて隠れてやり過ごさなければならない。

 

 そんなやり方では生き残れないことも、千束を救うこともできないのに。

 

 千束に会えなくなるのは嫌だ。

 でもどうすればこの状況から抜け出せるのかもわからない。

 助けを乞う相手もいない。アドバイスをしてくれる存在も、盾になる存在も、槍となる存在もない。

 

 ただただ独り、逃げ隠れするしかない。それが嫌であり、無意味であり、望まないことだとわかっていても他にどうすることもできない。

 

 ナイトビジョンを覗く泣き腫らした赤い目が、再び涙を溜め込んでくる。

 たきなの心は、限界を迎えていた。

 

 ◯

 

 数十メートルおきに弱い光で道を照らす街灯が、その一角だけスッパリとすべて割れていた。

 数で言えば五個か六個。距離でいうと百メートルほどの長さにわたって、一切の明かりを失っていた。

 

 たきなはその様子にさしたる疑問も抱かなかった。

 街灯がないならないなりに他の光源を増幅させて世界は十分見えている。道沿いの建物には明かりが灯り、割れたり割れていなかったりする窓ガラスからその光が漏れている。それで十分。

 

 たきなは慎重に、迅速に、ボルトアクションライフルで人間の居そうな場所を形だけでもクリアリングしながら脚を運んでいた。

 

 引き金が引けなくても、ただ銃口を向けて危険なスポットの安全を確認することには十分な意味がある。

 できないからといってやらなくていい理由にはならない。

 リコリスとしての訓練時代に、誰かが言っていたような気がする。教官だったか、先輩だったかは忘れた。でも本当にその通りだと思う。

 

 その、誰かさんの至言は幸運なことにたきなの命を守った。

 

 通りを挟んだ向こう側はちょっとした公園になっている。

 子供が遊ぶようなドーム状の遊具があり、中は空洞になっている。通りの街灯がなく、当然公園内も闇が寝そべっているのだから、遊具の中も通常視認できるはずもない。

 

 であれば、他者を殺してどうにかしようと画策する人間にとっては絶好の隠れ場所であり、そしてそのことにたきなは無意識下で気がついていたので、しっかりと遊具にも目線を配っていた。

 

 だからマズルフラッシュを視認できた。

 闇を切り裂いて周囲をパッパッパッ! っとオレンジの光で瞬かせたそれは、粗末なサイレンサーでなんとはなしに銃声をくぐもらせていたが、銃口を向けられていたたきなには音も光も十分に視認できた。

 

「っ!!!!!」

 

 その場に伏せる。

 運よく弾は前後にばらけて1発も当たらなかった。

 連射してきた。すぐ左側の壁がそれなりの穴を開けながら複数回散った。

 

 たきなはバネのように体を跳ね上げてから一気に走り出した。この場所はまずい。遮蔽がない上に一方的に向こうから撃たれる。

 

 次、伏せたら脳みそを地面に撒き散らしながら一生起き上がれないだろう。かと言ってこの通りをこの方角に進んでも結局右うしろから蜂の巣にされる。

 

 反撃するのが一番の正解。最も効率的で安全な手段。

 殺したほうが簡単で安全で正しい選択。

 

「────っっ!!!」

 

 わかっていてもたきなは撃てない。

 全速力でボルトアクションライフルを抱えたまま走り、後方から聞こえてくる減音された銃声と弾丸がすぐそばを通る風切り音に耳を震わせながら、それでも脚を止めずに走り続ける。一直線ではなくわざとジグザグに。千束に教えてもらったように、たまに速度を落として、かと思ったら上げて、右へ、左へ、不規則に。

 

 時間にして十秒にも満たない出来事だったが、事態はたきなの側に好転した。

 公園からたきなを撃っていた男の元に、一発の銃弾が放たれた。

 

 たった一発。それも、公園の男が乱射していた粗末な短機関銃に安いサイレンサーを取ってつけたような音ではなく、よく整備の行き届いた、堅実で上質なベルギー製ライフルから放たれた一発の7.62mm弾。

 もちろんサイレンサーでほとんど音がかき消されており、実際全力で走っていたたきなにはその発砲音が聞こえなかった。

 

 急に止んだ銃撃にたきなは一瞬振り返りながらも、脚を止めることなくそのまま走り続ける。

 襲撃者に何らかのトラブルが起きたと考えた。実際にはトラブルどころか頭が無くなっていたのだが、いずれにしてもたきなにとっては幸運なことだった。

 

 通りの角に差し掛かった。一も二もなくたきなは角を曲がり、そのまま西の方角に進んで行く。

 タラカンとの集合地点は北側にある。また遠回りをしてしまう。しかしそれを惜しんで命を失うような間抜けなことはしたくない。引き金を引けない間抜けと、優先順位がわからない間抜けは全く違う。

 

 たきなは西へ向かって進んだ。

 

 その後ろを。

 公園のスカブの頭を一発で飛ばした、四眼ナイトビジョンをつけた男たちが五人、足音もなく公園を横切った。

 全身黒ずくめ、上等でよく吟味されたカスタムのFN SCARやM4をそれぞれ携えた集団が、まるでそうプログラムされた機械のように全周囲に銃口を向けながら、迅速なクリアリングと共に進んでいく。

 

 左腕のアームバンドにサソリの柄を縫い付けた男たちは、たきなの曲がった角をそのまま直進して、北の方へと進んで行った。

 




誰か。早くたきなを助けてあげないと本当に死んじゃう。
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