リコリスinタルコフ   作:奥の手

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追跡者

 これまでの人生で、第六感という言葉がたきなはどうも腑に落ちなかった。

 同期、後輩、先輩、下手したら教官まで、京都でも東京でもありとあらゆるところでたびたびこの第六感という言葉を耳にしては、その度に首をかしげて疑問の声を喉元で押しとどめるのだった。

 

 結局この手のオカルト的な説明は事実の解釈に対する怠慢に過ぎず、経験値、観察力、洞察力、推理能力に依るところから導き出された〝予測〟であるという考え方をたきなは常に持っていた。

 それをあたかも特別な力のように、まるで奇跡に遭遇したかのように、分析する機会を自ら降りるように名付ける〝第六感〟という言葉が嫌いだった。

 

 しかし、生きているとどうしてもこれまでの自分の考え方を見直す必要が出てくることがある。

 往々にして人生は、いつまでも同じ価値観、考え方、判断基準では生きていけなくなる。たきなはそんな文言を、まるで売れない作家が物知り顔で自著に書きたがるようなことを、ふと早歩きしながら考えた。

 

 後ろを振り向く。両手に握るボルトアクションライフルは正面に向けたまま、一瞬だけ背後の人影を確認する。

 ナイトビジョンが照らし出す緑の世界に、明確な人間の輪郭はない。建物の壁際、窓、通路の端。どこもぱっと見は誰もいない。

 

 でも感じた。人の気配がする。見られているとも追われているとも言えるような感覚がする。

 嫌いな言葉だが、もうそうとしか形容できないもので、こういうことを第六感というのかとたきなはこれまで否定し続けてきた価値観に初めて自分の中で折り合いをつけた。

 

 経験や観察力に裏打ちされている訳じゃない。

 街のデータを元に推測している訳じゃない。

 虫の知らせ、胸騒ぎ、神のお告げ。そう言った類の神仏に依存した考え方になってしまうが、たきなはたきなの中で「まぁそれでもいいか」と諦めのような感情を抱いた。もし千束がいたら、これを成長と呼んでくれたかもしれない。

 

 もうすっかり夜の帷が降りて、がくりと気温の下がったタルコフ市中心街の道を、たきなは独りで進んでいた。

 タラカンとの合流地点を目指す。つい三分前にメッセージが届き、合流ポイントが変更になった。

 

 幸運にも、西へと逸れていたたきなの進路の先にある、コンコルディアという集合住宅が合流ポイントになった。

 変更の理由をタラカンは載せていなかったが、それをわざわざ聞く必要性は薄い。それより一刻も早く合流して解毒薬が欲しい。たきなの頭にはそれしかなかった。

 

 相変わらず引き金を引くことはできず、能動的な移動もままならない。

 涙こそ止まり視界は良好になったものの、自分の精神状態が限界に近いことを自分で悟っていた。

 だからこそ、自分が死ぬかもしれないことや千束が死ぬかもしれないことを考えないで済むように、全く別のことで頭をいっぱいにしながら周囲を警戒して歩き続けることでなんとか正気を保っていた。

 

 10歳くらいの時に受けたDAの授業か、あるいは流し見した教科書に書いてあったか?

 そこにあったメンタルヘルスの内容がここにきて活かされた。

 忙しさは、悲しみや後悔や悔しさと言った負の感情を和らげる。目の前のことに集中せざるを得ない環境は、時として本人の精神を守る。────みたいな内容だった。人が死んだら大忙しで弔いの儀式をするのも、合理的な理由があってのことで、なるほどそうかとずいぶん昔に手のひらを打った覚えがある。

 

「目の前の…………こと」

 

 ひとりごちる。

 別に誰かが聞いているわけではない。目視できる限りに敵影はなく、コンコルディアはこの道を西に2キロ歩いて、北に1キロ進んだら辿り着く。

 

 余計なことは考えない。

 余計な、邪魔な、いらない心配は必要ない。

 死ぬかもしれないなんて考えるな。千束が助からないなんてことはない。私が生きて帰れば必ず助かる。

 

 たきなはそう、なんどもなんども心の中で唱えた。そして、唱えながら「これはもう千束のことを考えているのではないか?」と気がついた。

 

 もっと違うことを考えよう。

 目の前の景色に集中しよう。背後に感じる人の気配に集中しよう。

 

 まず人の気配は何なのか? 

 追っ手? 誰? なにが追ってくるのか。追われるような覚えはない。カスタムで脅したスカブがこんなところまで足を運んでわざわざ銃弾をプレゼントしにくるとは思えない。では違う、何か? 

 

「…………わかりません」

 

 声にならない声で呟く。足は止めない。先を急ぐ。

 

 まず、本当に追っ手ならいくらでも撃つタイミングがあるはずだった。

 今も、遮蔽物は道に転がっている半壊した自動車くらいで、たきなを殺そうと思えばすぐにでも殺せるはずだった。

 

 でも撃って来ない。一発も、なにも音沙汰なし。

 

 そういえば先ほどからスカブの姿も見ない。通りを歩くものも、建物から顔を出すものもいない。ここら一帯は誰も往来していないのだろうか? 

 だとしたら、例えば何者かが手中に収めた場所ではないか。支配地域であり、余所者をことごとく排除しているのではないか? 

 

「いや…………ちがう……?」

 

 歩きながら道を見渡す。建物のすぐそばや通りの車の足元には、いくつかの死体が転がってはいるがどれも交戦した末の亡骸に見える。狙撃手に一方的な攻撃を受けて通行を阻止された様子ではない。

 

 一体何なのか。何かおかしい。でもおかしい理由の説明ができない。こういうものをひっくるめて〝第六感〟と名付ければ、たしかにそれなりの納得感と安心感に包まれるなぁとたきなはバラクラバの下で小さく口角を上げた。

 

 ボンネットが跳ね上がり、運転席が激しく潰れた車を回り込んで先へ行こうとした時、たきなのヘッドセットに通信が入った。

 スキーヤーから預かった端末を無線で繋いでいる。左手を動かして端末の画面を見ると、タラカンからの呼び出しだった。

 

「────はい」

『よう、久しぶりに声聞いたぜ。生きてるか?』

「死んだら声は出せませんよ」

 

 眉を顰めながら小声で応対する。軽口を言っている余裕はない。たきなは少しイラッとしていた。

 

「なんですか。合流ポイントまではあと十分ほどで着く予定です」

『そう怒るなよ。コンコルディアには俺の仲間が住んでいる。全部で二十人くらいいる。頼むから殺さないでくれよ』

「向こうの出方によります」

 

 そう口に出してから、自分の右手に視線を落とした。まったくどの口が言ったのだろう。ボルトアクションライフルを保持してはいるものの、引き金には触れられない、激鉄を下ろせない。ただの鉄の棒をお祈りのように握っているだけの右手でどうやって〝向こうの出方〟に対処するのか。

 

 たきなは自重気味に笑った。そして両目の端から涙が溢れてきて、ナイトビジョンの緑の世界がグシャリと歪む。左手でヘルメット上部に跳ね上げた。そのまま、熱を帯び続ける両目の端を左手の甲で拭った。

 前髪が擦れてくしゃりと儚げな音を立てるのを、なんだか煩わしく感じた。

 

 ヘッドセットにタラカンの調子に乗った声が響いてくる。

 

『まぁそうカッカすんなって。向こうの連中にもあんたの特徴伝えてるよ。カスタムで会った時と見た目は変わらんよな?』

「ええ、服装も装備もそのままです」

『じゃあ安心だ。念の為合図を教えておく。要求されたら答えてくれ』

「はい」

『建物の屋上からライトが3回当てられる。そしたらたきなちゃんは2回、ライトを屋上に当て返してくれ。そのあと屋上の連中が1回ライトを当ててきたら、たきなちゃんは同じく2回ライトを当てる。そんだけだ』

「もしライトの回数が違ったら?」

『逃げてくれ。たぶん撃たれる』

「わかりました」

『それと、コンコルディアの連中はこの辺の奴らの中じゃ比較的まともだが、女ってだけで目の色変えるバカもいるからよ。たきなちゃんくらいの赤ちゃんフェイスが好みのやつもいるから気をつけてくれ』

「わかりました」

『そこは怒らねぇんだな……おっと』

「?」

 

 タラカンの言葉が途切れた。

 小さく息を漏らしているのがわかる。走り出したのか、小刻みに息を吐く音が聞こえる。直後、それを含む一切の人間らしい音が聞こえなくなった。

 

「どうしました?」

 

 タラカンがなにをしているのか、どういう状況なのかわからない。

 たきなの呼びかけに応答がない。胸の奥の方で若干だが早鐘が鳴る。タラカンの身に何かあったら解毒剤が手に入らない。それはダメだ。避けたい。

 

「タラカンさん? どうしました?」

 

 再度の呼びかけ。ばつばつと、まるで通信を繋いだまま端末をポケットに入れたような音が響く。布がマイクに擦れるような音。

 

 そのまましばらくして、急にタラカンの荒い息の音がたきなの耳を震わせた。

 

『はぁ……はぁ……悪いねたきなちゃん、ちょっとお客さんの相手してた』

「大丈夫ですか? PMCですか?」

『かもな…………はぁ……あぁくそ。あっぶねぇ当たるところだった。何とか逃げ切ったけどよ…………』

「さすがです。ゴキブリらしいですね」

『どうもありがとよ。んじゃ、コンコルディアで』

「はい」

 

 通信が切れる。

 タラカンとのやり取り中にも歩みは止めなかったが、たきなは早やる気持ちに従って足を出す速度を緩めなかった。

 コンコルディアを目指す。

 

 ◯

 

 タラカンはたきなとの通信を切って端末を尻ポケットに捩じ込むと、左手に持っていたマカロフを右手に持ち替えた。

 薄汚い路地裏。狭く細く、うねるように伸びるそこに身を隠したタラカンは、足元に置かれていた大きめのゴミ箱の裏にしゃがんでから大通りの方を覗き見た。

 

「ちっ…………めんどくせーなぁー…………」

 

 舌打ちを一つ。

 先ほど、こちらを視認すると同時に撃ってきた集団が通りの向こう側にいるはずである。

 どんな連中だったかはわからない。一人ではなかった。複数人で行動している。

 しかし暗視装置もサーマル装置も持っていない今の状況で、三秒もかけずに相手の姿を確認するのは至難の業である。無理と言ってもいい。

 

 相手が何人でどのような装備なのかはわからないが、とりあえずこちらを見た瞬間撃ってきたあたり〝余所者〟だろう。同業者(スカブ)ではない。

 

 マカロフを右手でぷらぷらさせながら、ちらちらと三十メートル先の通りの反対側の様子を伺う。

 とりあえず北側に移動して映画館まで戻り、そこからメイン通りを渡って西側に移動してコンコルディアに戻りたい。

 

 たきなとの合流時間は、ここから順調に進めばタラカンも十分で着くはずだった。順調に進めばなので、今のように邪魔が入ると遅れてしまう。

 

「まだ子供とはいえレディを待たせるのは良くねぇぜ。嫌われちまったら将来抱かせてもらえねぇからなぁ。ちょっくらランニングと行きますか」

 

 立ち上がり、踵を返して裏路地を奥へと走り出す。直後、先ほどまでタラカンのいたところが爆発した。

 ペール缶が中身を撒き散らしながら粉々に吹き飛び、周囲に散乱する。鉄片が壁を無数に穿ち、夜の闇に溶けていった。爆発音も空高く吸い込まれる。

 

「────っっっっぶねぇ!! くそったれ!!」

 

 ペール缶が爆発したわけではない。

 走り出す直前、ほんのわずかな音だったが、グレネードランチャーの「ぽん」という間抜けた音が聞こえた気がした。

 

 気のせいかと思ったが、背後でグチャグチャになったペール缶に自分の姿が重なる。気のせいなわけが無いし、なんなら確定的に明らかにグレネードを撃ち込まれている。

 

 本当にあと一秒走り出すのが遅れていたら、今頃あの場所に現代アートを咲かせることになっていた。画材は自分の内臓である。

 

 タラカンは全力疾走で宵闇の裏路地を進んだ。目は暗闇に慣れている。夜目が効く方かと言われたら別に鼻高々に自慢するようなことでは無いのだが、少なくとも真っ暗闇の狭く汚い裏路地を全力疾走しても転倒しないだけの目は持っている。

 

 わざと路地をくねるように進む。追っ手を撹拌し、迷わせるように。この辺りの地形も全て把握済みだし、何なら建物の中を繋いでいる裏道も知っている。

 〝逃げる〟ということにおいて、遅れをとるつもりは何者に対しても無いとタラカンは内心でほくそ笑んだ。

 

 しかし。

 

「────くそったれ、しつこいな」

 

 気配がわかる。

 姿は見えないが、確実に自身の後を追ってきているのがわかる。

 

 タラカンは建物に入って崩れた壁を乗り越え、地下に入って隣の建物の地上に出る。そしてまた狭く細い裏路地と、汚く古い建物を縫うように進む。

 

 それを。

 まるで、発信機でも付いているかのような。

 それで位置を特定して追っているのかと思わせるほど、タラカンの背後も側面も、何者かの気配がまとわりついて離れない。

 

「…………」

 

 タラカンは一度、五階建ての崩れかかった住宅に入り、そこの三階まで登って窓際に立った。最悪隣の部屋の窓から裏の建物に逃げられるところである。

 割れた窓ガラスのすぐそばに慎重に立つ。

 

 そしてチラリと、自身の姿が通りから視認されないように気をつけながら()()()()

 

「……………………クソが漏れちまいそうだ」

 

 目に映ったのは、闇の深い空の中に一点だけ光っていた赤い点。小さく小さく、本当にそこにあると仮定して見なければ絶対にわからないほどの小さな紅点だった。

 それは、遠隔操作する操縦手からの信号を受け取る部分、いわば受信装置。

 空にいたのは、闇夜へまぎれるように改造された偵察ドローン。音も最小限に、光もほとんど出さないように。そして高く広く対象を捕捉するように、文明の利器が産んだ戦場バランスを壊す装置が、タラカンを空から睨んでいた。

 

「めんどくせーな……ったく、クソ」

 

 震える声で、タラカンは低く悪態を呟く。窓から数歩離れて、たきなに使っていたものとは違う通信端末を取り出し、操作して耳に当てた。

 

 数秒後に相手が出る。タラカンは静かに、しかし澱みなく報告を紡いだ。

 

「状況6。数は不明。西側の可能性あり。応援を頼む」

『了解』

「それと……〝花〟が二枚とも散りそうだ。クラス5装備の手配を」

『できない。到着が遅れる』

「了解。現地調達する────隊長、もしあいつら全員殺したら〝花〟抱かせてくれません? 十年後で」

『十年も生かしておくつもりか』

「殺すのはもったいないですよ」

『仕事に戻れ。女ならベガスで紹介してやる』

「ちっ…………しょうがねぇ。わかりましたよ」

 

 通信を切って、近くにあった段ボールを思いっきり蹴り飛ばした。中身は入っていない。

 

「あー…………イラつく……。いや…………落ち着け。そんなこと言ってる場合じゃない。とりあえずやることやらねぇとな」

 

 言いながら端末を乱暴にリグへ押し込み、マカロフの薬室に再度弾が入っていることを確認する。

 

「ふぅ…………やるか」

 

 真っ暗な部屋と廊下を渡り、隣の建物に窓から飛び移り、下の階に降りて走りだす。

 コンコルディアを目指して、タラカンは迷いのない動作で街を這うように移動した。

 

 




全然本編に関係ない妄想の話なんですけど、リコリスの教育課程ってどんなものなんでしょうかね?
八歳の子に九九を教えた次の時間に7.62×25mm口径の話とかするんですかね?
「せんせー7の隣になんか小さい丸がありまーす」
「これ〝かけざん〟するの? え……ななのだん? むり……」
みたいな。かわいい。
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