リコリスinタルコフ   作:奥の手

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決意

 ナイトビジョンを跳ね上げて、たきなは目の前の集合住宅を見上げた。

 

 階層は10階建て、見えている範囲ではL字に建物が伸びて広がっている。これだけ大きければそれなりの物資が眠っているだろうし、この場所を占拠できれば相当な人数がしばらく不自由なく暮らせるだろう。

 

 たきなはボルトアクションライフルを携えたまま、通りの中央に立った。すぐそばには赤十字を掲げたヘリだったものが横たわっている。プロペラが折れて、機体はへしゃげていた。

 

 周囲には街灯もあり、今立っている場所はわずかにだが白い光に照らされている。少なくとも人が立っていることは屋上からも認識できるはずだ。

 目を凝らして、どこかから光が瞬かないか注視する。まず3回ライトが当てられるはずだ。たきなも今持っている中で一番強力なフラッシュライトを取り出して、スイッチに指を置く。

 

 しかし。

 

「…………?」

 

 十数秒待っても、建物の屋上で何かが光った気配がない。

 タラカンの情報が正しければ、この建物にはすでに人が滞在しており、当然見張りも存在しているはずである。

 

 こんなにもわかりやすく、遮蔽も何もない道の真ん中に武装した人間が屋上を見上げているのだから、向こうから見えないということはないはずだ。いや、夜なので視認できないということはあるか? 

 

「暗視装置も装備せずに夜間の見張りを…………?」

 

 ちょっと可能性としては低そうだが、どっちにしてもあまり長くこの場所に突っ立っていると別方向から銃弾を撃ち込まれるかもしれない。

 

 たきなは二、三度小さく首を振ってから前を見て、歩き出した。

 コンコルディアのすぐ真下を沿うように西へ移動する。入り口はどこだろうか? 

 建物の壁に左腕をつけるように、慎重に進む。もうこの時点でタラカンから聞いていた状況と違っている。

 

 〝向こうの出方〟とやらを見極めなければならないかもしれない。

 チラリと右手に視線を落とし、すぐに前を向いた。

 

 見極めたところでどうするのか、正直わからないし考えても仕方がない。考えないほうがいいのかもしれない。

 

 壁伝いに進むと空いているガラス扉があった。チラリと中を見て人影を確認する。とりあえず誰もいない。エントリーする。

 

 そこはどうやら託児所だった。

 ファンシーでコミカルな動物と、明るい色の絵柄で壁が埋め尽くされている。わずかに蛍光灯が生きていて、薄暗く不気味に室内の一部分を照らしている。

 たきなはボルトアクションライフルを背中に回し、左手にフラッシュライト、右手に拳銃で銃口を前に突き出した。

 

 様相は託児所だったが、そこを利用していたのはもう子供ではないらしい。

 至る所にボロ雑巾やゴミが散乱し、酒の瓶も落ちている。空の水入れが積み重なり、乳幼児を寝かしていたであろう青い小さなベットは乱雑に部屋の端に追いやられていた。

 

 部屋に入った瞬間、たきなはある匂いを感じ取った。

 

 血である。それもあまり時間の経っていない、新鮮で大量の血が流れた匂いがした。

 むせかえるほど濃いというわけではなく、ほのかに、しかし確実に何者かが重傷を負っている。そんな気配がした。

 歩みを進める。託児所を後にして、この集合住宅の各部屋につながる廊下へと出た。

 

 電灯こそあるものの通路は薄暗い。明るいところと暗闇の部分が半分半分だった。

 

 まっすぐ進んで、突き当たりのドアを確認する。鍵がかかっている。

 少し戻ってエレベーターホールを確認する。銃弾の跡こそないものの、これに乗る気などしなかった。そもそも動くのかもわからない。

 

 引き返して別方向に進む。まっすぐ出れば外、おそらくは集合住宅の有する中庭へ出られる。

 すぐ左手には階段があった。中庭方向は開けているため、もし誰かに見られていたら出た瞬間血飛沫を出すことになる。

 

 たきなは階段を選択した。上を目指す。ここまで血の匂いはしているものの、死体や血痕は見つからない。

 

 2階の踊り場を通り過ぎ、フロアと階段を隔てる扉の前に立つ。ドアノブを押しても引いても開くことはなく、扉は固く閉ざされていた。鍵を無理やりピッキングすることはできたが、何者かが開けた形跡がないということはここを通ったものはいない。であれば今、調べても仕方がない。

 

 そもそも、なぜこの建物に入ったのかを思い返す。

 タラカンとの集合地点はここであり、いずれ落ち合える。不審な点は伝え聞いていた〝仲間〟が全く姿を現さないこと。

 

 ちらりと、たきなの頭に悪い予感が過ぎた。

 まさかハメられたか。たしかに、これ以外の選択肢などない状態ではあったが、盲目的にタラカンとスキーヤーを信用してしまっていたかもしれない。

 

 悪意を持ってここに誘導されていたら? 

 解毒剤などハナから渡す気はなく、この場所に誘い込むことが目的だったら? 

 

「…………」

 

 だとしたらもう何も助からない。

 自分も、千束もここで終わる。おそらく死ぬ。

 

 だがしかし、ではここから立ち去ったとしてどうするのか? 

 千束が死ぬことが確定してしまう。自分で解毒剤を探している間に手遅れになる。そう…………そうだった。

 

 どのみち選択肢なんてなかった。

 ここでタラカンを信じて待つしかない。たとえ殺される結果が待っていたとしても、もうそれをするしか選択肢がない。

 疑おうが疑わまいが、千束が生き残る可能性を拾うためには、ここに留まるしかない。

 

 たきなは足を進めた。3階へと登る。階段の先を見て、4階へとつながる道は巨大なソファや椅子、タンスで塞がれていた。手榴弾か何かで吹き飛ばせば登れそうだが、とりあえず今は置いておく。

 

 代わりに三階フロアへと入る扉は開いたままになっていた。注意深く様子を見て、慎重にドアを潜る。

 

 廊下は灯りが灯っている。右と左に伸びており、まず右を一瞬確認する。

 行き止まりだった。次に左。

 

「…………」

 

 突き当たりのドアが開いており、床からオレンジの光で照らされていた。

 どうやらサイリウムが置かれているらしい。煌々と暗闇を照らし出しているが、廊下に灯っているような蛍光灯は一切機能していなかった。

 

 たきなは首を傾げた。そして眉を顰めた。

 サイリウムはそう何日も機能するものではない。長いもので日没から明け方までの一晩、その場所を照らし出す役割は持っているが、例えばここを居住区としてそこを照らすために毎晩置いているとしたら、あまりにも無駄な使い方である。

 

 で、あるならば。

 あれを置いたのはここの住人ではない可能性が高い。タラカンが教えてくれた屋上からの合図がなかったことと、状況が一致する。

 つまり、侵入者がいる。それもタラカンの仲間を殺して回った者が。

 

 単独か? 

 複数人か? 

 

 いずれにしてもこれはまずい。

 このままこの場所でタラカンを待つわけにはいかない。とにかくこの建物から離れよう。

 

 踵を返して階段に戻ろうとしたたきなは、振り返った瞬間に身を縮めながら廊下の角の向こう側へと飛び込んだ。

 

 シュカカカカカカッッ────。

 

 空気を切り裂きながら、本来轟くはずの咆哮を無理やり抑え込んだような、命を散らす音が廊下に連続してこだました。

 先ほどまでたきなの頭があった場所を複数の銃弾が通過する。血飛沫の代わりに壁が粉になって飛び散った。

 

 身を投げ出したたきなは、そのままバックパックとボルトアクションライフルを体から外してすぐさま立ち上がり、走り出した。先ほど確認したサイリウムが置かれている部屋の方へ。廊下の突き当たりまで十数メートル。たきなは祈った。

 階段につながる通路の前を横切らなければならない。つまり、今し方発砲した連中の銃口の前を素通りする必要がある。

 たきなは祈りながら、全力で疾走した。具体的な文言があったわけではない。何をだれに祈っているのかもわからない。この世のものではない、しかし確実にこの世をどうにかすることのできる顔も知らない存在に、たきなは心の中で両手を合わせた。

 

 結果、どうやらたきなの祈りは届いたらしい。

 一発も被弾することなく、部屋に飛び込んだたきなは左側に身を滑り込ませ、その奥にあった寝室をクリアリングする。人影なし。一先ず距離が取れて背後は安全。

 

 たきなは廊下側とつながるドアのところまで戻り、ぴたりと壁に背中をつけた。足音がする。詰めてきている。

 

 ────ここで、撃たなければ、死ぬ。

 間違いなく死ぬ。撃てないとか、震えるとか、力が入らないとか、千束が悲しむとか、千束の声が聞こえるとか、そういうことを考えたり言ったり思ったりすること自体できなくなる。

 死は平等に、無慈悲に、こちらの事情など一切考えずに降りかかる。

 

「…………」

 

 撃たなければ死ぬ。

 廊下に半身を出さなければ死ぬ。

 銃口を上げて、照準を素早く合わせ、距離を詰めてきている複数人の頭に一発ずつ銃弾を叩き込まないと死ぬ。

 そうしないと自分の体に、頭に、敵の銃弾を撃ち込まれて死ぬ。

 

 死ぬ。死んでしまう。死なされてしまう。

 私が死ねば、千束も死ぬ。助けられない。もう会えない。

 バカな話をすることも、家事の分担を決めるためにジャンケンをすることも、水族館に行くことも、動物園に行くことも、ゲームをすることも、スイーツを食べることも、一緒に仕事をすることも。

 服の選び方がまだよくわからない私に、千束が服を選んでくれる時間も。

 お金の管理が下手くそな千束に、節約の仕方を教えるのも。

 お菓子は好きではないけれど、それでもコーヒーに合うお菓子を見つけてきた千束と過ごす午後の休憩時間も。

 綺麗なものを一緒に見て、千束のバカみたいだけど豊かな感想に笑うことも。

 千束と一緒に、千束がいるからこそ、楽しくて、明るくて、アホらしくて、やりがいがあって、新鮮で、飽きることなんてない、素敵な毎日を送ることが。

 

 できなくなる。

 生きてこの街から出ることも、できなくなる。

 また、千束と笑い合うことが、できなくなる。

 

 そんなの。

 そんなこと。

 絶対に。

 絶対に……!

 絶対にッッ!!

 

「────いやだ!」

 

 震える声で、しかし確かに腹の底から唸るように漏れ出たその言葉が。

 たきなの目に、光を戻した。

 

 右手の親指をわずかに動かす。

 拳銃のセーフティが、音もなく外された。

 

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