強さとは何かを、タラカンは時折考える。
この街では生き残った者が強い者だ、などという手垢まみれの常套句を持ち出したいわけではない。
たきなは、相棒を失う危機に瀕し、自らも命を落とす場面に立ってなお死ななかった。これは間違いなく強さである。
運が良かった。運の良さは強さだ。間違いなくそうであると確信できる。
だがしかし運というものは付いてくるものであって、自分から付けることはできない。
タラカンは自らの境遇を思い返す。
死戦を掻い潜り、これまで生きて帰ることのできたのは紛れもなく「運が良かった」からこそ、タラカンはそれに頼らずに済む生き方に憧れていた。
十代で軍に入った。家庭環境には問題があるほうだった。
常に折りたたみナイフをポケットに入れておかなければいけないような幼少期だった。
〝強さ〟を持った何者かになりたかったのかもしれない。
精神的に、自らを常に安全な場所に置けるよう、それこそ〝強さ〟と呼べるものを、ポケットのナイフ代わりになる目に見えない何かをずっと求めていたのかもしれない。
軍に入って、どうも周りの人間より
デルタフォースに入り、CIAのお偉いさんにスカウトされ、それで今は
〝運〟に頼らない生き方ができるようになったのか、時々考える。それができたら、それはきっと〝強さ〟の答えだから。
タラカンはフォアグリップの位置を自分の手に馴染むように少し調整してから、銃口を上げてコリメーターを覗いた。
「どうだろうな」
強さとは何か。
まだ答えは得られていない。
ただ一つ、これだけははっきりと言える。
今は殺したい奴を殺せるようになった。
◯
集合住宅、コンコルディアの建物内外から激しい銃撃音が響いている。
街灯と淡い月明かりの夜の街では、窓ガラス越しのマズルフラッシュがとてもよく目立つ。
建物のどこで、どのくらいの人数が、何を撃っているのか。それがよくわかった。
コンコルディア北側の建造物の屋上から、SVDを構えているスカブと双眼鏡を覗いているスカブ────実際には、精強なアメリカ国籍の髭面の男二人組が、油断なく南向きに殺意を向けていた。SVDを構えているほうは灰色のベースボールキャップをかぶっており、双眼鏡の男はなぜか薄汚れた防毒マスクをつけている。
防毒マスクの男が双眼鏡から左手を離して通信機の通話ボタンを押す。
「こちらアルファ3。目標集団は狙撃に気付いたようだ。移動するか?」
『司令部より、武器を換装して西側から入れ。アルファ2との衝突に注意せよ』
「ラジャー」
屋上の男たちは澱みなく、一切の無駄なく狙撃ポイントから痕跡を無くしてその場を去った。
SVDは分解してバックパックへ。代わりに引きずり出したのはAKS74U。ストックを展開してマガジンを差し込む。同じものを二人とも両手に保持した。
階段を滑るように素早く降りつつ、双眼鏡を持っていたスポッターの男が前を向いたまま後ろの仲間に話しかける。
「タラカンの野郎、だいぶ熱入ってたな」
「あいつ女が泣くの嫌いだからな。ベットの上では泣かせてるくせによ」
「花の片割れって、何歳だっけか」
「どっちかが18でどっちかが17だ」
「ガキじゃねぇか…………よく生きてんな」
「だよな。死にかけてるらしいが」
「それをなんとかすんのが俺たちの任務ってわけだ」
「ちらっとでいいから顔拝みたいな」
「いいんじゃねぇか? 写真もないんだ。今後のためだろ」
「じゃ、お花畑を守りにいきますか」
地上へ降り立った瞬間にスカブが二人、目に見える範囲にいた。サプレッサーのついたそれぞれのAKS74Uを一発だけ発砲し、二人のスカブはその場へ崩れ落ちた。
道端の小石をちょっと小突くような感覚で二人殺した狙撃班アルファ3は、迷いない足取りでコンコルディア西側へと向かった。
◯
建物から銃声がパタリと止んだ時、アルファ2と自らを呼称していた二人組の男の前には、
「はー…………はー…………」
ヘルメットとバラクラバをもぎ取られ、スキンヘッドと濃い口髭を緑色のサイリウムに照らし出された男が、後ろ手に親指と手首をタイラップで拘束されて座らされていた。両足もパラコードでぐるぐる巻きにされている。
息が荒い。顔面には三箇所ほど殴られた跡があった。
周囲はコンコルディア内部の部屋の一角。どこかの家庭の、変哲のないリビングルーム。紺色の革張りソファーに、薄茶色の大きな絨毯。テーブルはガラス製で、今は粉々に砕けている。
部屋の中には死体が5つあった。どれも黒ずくめで、クラスの高い防弾チョッキとヘルメットを装備している。
喉を掻き切られたものや顔面に穴が空いたもの、両足のひざを撃たれてから眉間に一発もらっているもの。
死体の状況を見ても、この者たちを殺した人間が相当な技量の持ち主で、かつ無駄のないことが伺える現場だった。
「で、どうすんだ?」
赤いニット帽を被った男が、自らの左腕に止血帯を巻きながらもう一人に聞いた。負傷は赤ニットの男の左腕だけらしい。
聞かれた相棒の男、バイク用の革ジャンを羽織って右手にトカレフを持った男は、目の前で項垂れる黒ずくめ────ブラックディビジョンの現場指揮官を見下ろしながら鼻を鳴らした。
「ここでクソを漏らされたら運ぶのが嫌になる。ボスのところへ持って行くぞ」
赤ニットの男は軽く頷き、止血帯を巻き終わってから項垂れる指揮官の目の前で膝を曲げて、
「うちの家に招待してやるよロリコン野郎。てめぇのナニはもう熟女相手だろうが中学生相手だろうが使い物にならなくなるけどな」
ロシア語で吐き捨てた。
指揮官は血の滲む口の端を震わせながら英語で、
「てめぇらなんなんだ…………スカブじゃねぇのか…………」
「スカブだぞ?
「あぁ」
革ジャンの男が通信機の通話ボタンを押して繋いだ。
「こちらアルファ2、目標を無力化。これより帰投する」
『了解。回収の車両を向かわせている。東側に回れ。ポイントK-8』
「ラジャー」
「お前ら、俺を攫って無事でいられると思うなよ」
「そうか? お仲間が本気で俺たちのこと探しにくるんだろ? いいぜ、相手してやるよアマチュア野郎」
革ジャンの男はトカレフをズボンのポケットへ押し込み、メインアームだったAK74Mのスリングを肩にかけて背中に回す。
座り込んでいる指揮官の男を軽々と持ち上げて首の裏に回して出入り口へと移動する。
赤ニットの男が先行する。手にはPPSh-41、背中にはSKSが回っていた。建物の中ではSKSを使わないつもりらしい。
簀巻きにされて、力無く革ジャンの男に抱え上げられている指揮官の男は、赤ニットのクリアリングと移動の所作に眉を顰めた。
何者なのかと。
格好も武器もそこらじゅうでたむろしているスカブと変わらない。
ただ動きだけが。
無駄なく、もれなく、素早く安全を確保して移動して行くその動きは、自らの部隊を全滅させた事実に否応なく納得させられた。
自分たちも訓練に手を抜いた覚えはない。
経験も十分にある。その辺のスカブ相手に劣るような経歴ではないし、USECの連中なんぞ相手にならないような技術力は確かに持ち合わせていたはずだ。
それが。
まさかそれが、このようなことになるとは。
何が起きているのか。このタルコフ市内に紛れ込んでいる、我々が〝犬〟と呼称したはずのこいつらはなんだったのか。
「……………………狼だったか」
「あ?」
犬なら〝しつけ〟られるが、狼が相手じゃ到底無理だ。
ボタンを掛け違えたらしい。
スキンヘッドの男は、それから目を瞑って意識を手放した。
後悔と、これからの自分の未来に絶望しながら。
◯
「ただいま、たきなちゃん」
サイレンサーから薄く煙を上げるM4を持って、タラカンは涼しい顔でたきなのいる寝室に戻ってきた。
入り口右側の壁に背をもたれていたたきなが、うっすらと目を開ける。意識が戻った様子だった。
タラカンはM4をその場に置きながら膝をつき、たきなの首筋に手を当てる。脈拍は正常。薬が効きすぎて心肺機能に深刻な副作用をもたらすこともあると聞く。この街はどこかおかしいから、体の損傷が回復しても代わりに何かを持っていかれるかもしれない。
今回は大丈夫だったようだ。
「う…………ぁ…………」
か細く絞り出された小さな呻き声に、タラカンは頷きながら自らの人差し指をたきなの唇に当てる。
「敵は殲滅した。君は生き残った。どうだ? 俺と同じくらい運を味方につけた気分は。いいだろう」
まだ意識が完全に戻っていないのか、タラカンの言葉を脳内で処理できている様子ではない。ぼーっと虚な目でたきなはタラカンの顔を見て、それから自分の右半身に視線を移した。
戦闘服は赤く染まっているが、それ以上出血する様子はない。ただ力が入らないのか、右手も右足も動かさず、ゆっくりと顔を上げてタラカンの顔に視線を戻した。
徐々に顔にも血色が戻る。目に光が灯り、霧散していた意識がたきなの元に集まって行くのがよくわかった。
「おかえりラッキーガール」
「…………ありがとうございます。助けていただいて」
「水飲むか?」
「いただきます」
そう言ってタラカンは、廊下で回収したたきなのバックパックから水を取り出して、キャップを開けてたきなに渡した。
左手で受け取ってそれを口に運ぶ。まだ少し手の震えがあったが、こぼすことはなかった。
ボトルの半分ほどを一気に飲んでから、口を離して一息つく。
タラカンがそれを受け取り、キャップを閉めてバックパックへ戻す時に、たきなは不安げな声音で口を開いた。
「状況は…………?」
「敵は排除。ひとまずこの建物は安全で、外は俺の味方が見張ってる」
その言葉を聞いても、たきなに安堵の表情は浮かばない。力無く、しかし不安と緊張と焦りがない混ぜになった目で言葉を続ける。
「解毒剤を…………はやく、千束のところに行かないと」
「まぁ落ち着け。その体じゃ移動しても早々に死ぬぞ」
いくら止血と鎮痛と体力の回復を超常的にできる薬を打ったところで、穴の空いた体が数十分で塞がるわけではないし、おそらくなんらかのラインを超えてしまった体の部位は著しく機能に制限がかかる。
この街の七不思議とでも呼ぼうかと、タラカンは考えていた。
体内に残った銃弾をCMSやサバイバルキットを使って摘出すると、その失われた機能が元通りになる。
それからサレワやグリズリーに始まるこの街でなぜか定期的に出回る医療品を使うと、ちょっとやそっとじゃ機能不全に陥らなくなる。
言わずもがな、以前のこの街や、この街以外ではそうではなかった。現実離れしている今のタルコフは、文字通り「夢のような」戦場である。
タラカンは、すぐには動けないと言われたたきなの今にも泣きそうな表情を見て、とりあえずフォローを入れておくことにした。
「相棒が心配なのはわかるが、まずは自分の心配をするんだな。腹部と右手、右足の機能不全だ。あいにく手元にCMSがねぇんだ。お前持ってるか?」
「…………ないです」
「んじゃあココの住人から借りないとな。もう死んでるから快く貸してくれるぜ」
タラカンは立ち上がり、床に置いたM4を持ち上げてマガジンを外した。残弾わずか。その辺に投げ捨てて新しいものを突き刺した。
「あの」
部屋から立ち去ろうとしたタラカンを、たきなは少し無理をして声を張り上げて呼び止めた。
ちょっと声量を上げただけで全身に倦怠感が走る。声が震えそうになるのを頑張って押さえ込んで、今一番疑問に思っていることを迷わず口にした。
「敵は…………敵は、相当な連中だったと思います。一市民であるあなたや、あなたの仲間が勝てるとは思えません」
「あー…………」
壁に力無く体を預けて座り込み、憔悴した表情で見上げてくる整った相貌の少女に、タラカンは少し意地悪をしたくなった。
あえて、声のトーンを落として真顔で応えた。これまでの純粋なロシア語とは違った、英語訛りのロシア語で。
「我々のことは深く知らない方が身のためだ。君が知っている以上にこの街は複雑な問題を抱えている」
タラカンの言葉にたきなは目を見開いたが、すぐさまタラカンはいつも通りの人に迷惑をかけて生きてきたような笑顔で、
「────なんてな。言ってみたかっただけだ。運が良かっただけだぜ。たまたまこの黒色野郎どもの弾が俺に当たらずに、俺の弾がこいつらに当たっただけだ。気にすんな。んじゃ、ちょっくら取ってくる」
手のひらをヒラヒラさせながら部屋を後にしたタラカンに、たきなはなんとも言えない複雑な表情で、
「…………そんなわけないじゃないですか」
小さく呟いた。
黒ずくめの死体しか転がっていないこの部屋に、静寂以外の答えはなかった。
はよ千束に会いたい。