リコリスinタルコフ   作:奥の手

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方針

 抜けるように高く青い晴天の空だった。

 タルコフ市中心街よりやや南の汚い路地を、二人の人間が周囲に注意を振り撒きつつ慎重に進んでいた。

 

 路地は普通車が二台すれ違うのがやっとの広さ。その広さの道路に、穴だらけだったり前部分が大破していたりタイヤがなくなっていたりする、もう二度と動くことのないであろう車両達が道すがら捨てられている。

 放置車両のおかげでこの道路が道路として機能することはもうなさそうだった。

 

 ただ、徒歩でそれらを遮蔽物として進むには大変ありがたい存在である。車両のドア如きでライフル弾が止められるわけではないが、道をゆく二人────千束とアイゼンもそれは十分に理解した上で、どちらかというと弾除けより視線を切るためのポイントとして、路地をジグザクに進んでいた。

 

 右も左も建物の裏口。つまりこの道は表通りから一本入った裏通りであり、それゆえ例えば高所から狙ってくる狙撃手の視界に入りにくいエリアだった。そもそも建物が邪魔で物理的に狙えない。

 

 影が地面を濡らし、一度雨が降れば二、三日は水たまりが渇かないであろう、そんな汚い路地である。

 

 上を見上げれば明るく青く晴れやかな空が広がり、下を見ればジメジメとしたゴミと薬莢と血糊と何かよくわからない液体が飛び散っているアスファルトである。千束はあえて上も下も見ることなく、まっすぐ前だけを睨むことにした。

 

「アイゼンさん、T字路だ」

「右に行け。左は俺が見る」

「了解」

 

 角に差し掛かって、二人は背中合わせに左右を同時に確認する。通路の右側に二人とも位置していて、アイゼンからは一足早く左へ曲がった先の様子が確認できた。

 

「スカブだ」

 

 つぶやいた次の瞬間には発砲。2回のくぐもった銃声で、千束は背中の数十メートル向こうで呻き声をあげる人間の存在を感じ取った。

 

「…………」

 

 なんの躊躇いもなく人の命を奪っていくアイゼンに思うところがないわけではないが、その思いを言ったところでアイゼンの行動や方針が変わるわけではない。なによりも、最初に話した時にそれはやめろと言われている。自分の信念や思想を押し付けるなと。

 

 千束は自分のするべきことに集中することにした。人を殺してほしくないという思いが〝余計な考え〟だとまでは言わないが、今考えたり口に出したりすることは必要なことではない。もっと優先しなければいけないことがある。

 

 タラカンからの忠告。何者かに狙われているということ。

 それは、より具体的かつ詳細には、千束ではなくアイゼンがターゲットにされているという話だった。理由の詳細はわからないし、そもそもタラカン自身も相手が何者なのかを正確には把握していない。

 

 アイゼンの相棒として、一応は解毒薬と体力回復までの護衛の対価として、千束はアイゼンに依頼されている。これも広い意味では人助けだろう。そう思うことにして、KSGショットガンのホロサイトを覗き見ている。

 

 通路の右折先に人影はない。同じような細さの、同じような汚さの道が続いている。ただしこちらは表通りなのか、住居や店舗のちゃんとした入口が連なっている。どれもガラスが割れていたり死体の一部が落ちているようにも見えるが。

 

「進むね」

「あぁ」

 

 短くやり取りをして、素早く足を運ぶ。

 

 千束は思った。

 たきなとこの街を歩くのは楽しかったんだなと。別にずっと笑いふざけていたわけではないが、アイゼンとツーマンセルで進んできたこの道程よりは何倍も楽しかったなと思い返した。

 

 アイゼンも仕事のスイッチが入っているのだろう。それともこっちが素の姿なのか。冗談も雑談も一切ない。話すそぶりもない。まぁ戦場に雑談は必要ないと言えば確かにそうなのだが。必要最低限のコミュニケーションしか取らないというのは、大なり小なり千束のストレスになっていた。

 

 もういっそ接敵するまで思いっきり話しかけ続けてやろうかなとまで思い始めた時、千束の背後で後ろ向きに歩いていたアイゼンが静かな声で指示を出した。

 

「止まれ。右の建物に入るぞ」

「…………? いいけどなんで」

「通信だ。この位置では取れない」

「はーんなるほど。ほいじゃ開けるよ」

 

 ガラスの割れた両開きのドアに手をかけて、手前に引く。鍵はかかっていない。中はどうやら理容室だったようだ。何者かが使った形跡もある。飲食物の残りかすと薄汚れた衣料品。いくつかの銃弾と薬莢。刃こぼれして捨てられているナイフもある。

 

 一通り千束がフロアをクリアリングして、人影のないことを確認する。アイゼンは部屋の隅に移動して右手にAK101を、左手に端末を持ってそのまま通話を開始した。

 

「なんだ」

『ご無沙汰です。ヒュージーです』

「仕事か?」

『ええ。とは言っても、これはもうあなたに拒否権のない仕事になります』

 

 ロシア訛りの粘り気のある英語で、そして鼻につくような声で、胡散臭く電話の向こうの雇い主が話を続けた。

 

『そこに少女がいるでしょう。錦木千束と言います。彼女の命を守ってほしい』

「…………続けろ」

『ありがとうございます。訳あって我々の団体構成員はある組織から命を狙われているようです。正確には〝狙われ始めた〟です。もとより主要殺害リストに入っているのはアイゼンさん、あなたを含めた、あなたの元いた部隊の人間のようです』

「…………」

 

 アイゼンは眉を顰めた。そして千束を一瞥する。ぱちっと目が合った千束が、その電話の内容は聞こえていないので首を傾げている。それから自分を指差した。アイゼンはゆっくりと小さく首を振って否定の意を伝えると、千束はもう一度首を傾げた。あまりよくわかっていない。

 アイゼンは千束から目を離し、通りの方を警戒するように睨みながら言葉を続けた。

 

「理由は?」

『調査中です。わかっていることは二つ。一つはうちの部下を襲った組織は、初めからあなたを捕らえて情報を抜き出し、始末することが目的だったこと。二つ目は、あなたが指揮をとっていた分隊員全ての殺害です』

「狙われる理由に心当たりがありすぎる。敵の情報と、なぜ千束を守る動きにつながるのかを教えてくれ」

『順を追って説明します。まず錦木千束を守ることにつながる経緯からです。結論から言うと、私の顧客リストがどこかから漏れて、関係のあるすべてのPMCと接触、殺害をする方向でこの組織が動いているからです。錦木千束、そしてその相棒の井ノ上たきなも私の顧客であり、同じく殺害リストです』

 

 アイゼンはため息をついた。二つの意味で。

 一つは、そんな大掛かりなことをしてくる組織が敵となると、その正体がどこの誰なのか、おのずと察してしまうから。

 もう一つは、自分との繋がりだけだと思っていた千束とその相棒が、もうすでにややこしい取引関係になっていることに対して、こめかみに痛みを覚えた。

 

 そして委細はこの際切り捨てて考えることとした。超人的な戦闘スタイルを見せる千束だが、流石にバックアップや他人の施しなしでこの街を生き抜くことはできない。であれば、当然すでにヒュージーのような〝逃し屋〟とのつながりがあっても不思議ではない。そう考えた。自然なことである。たまたま雇い主が同じだっただけである。

 

「わかった。なぜ生かしておかなければならないのかまでは俺は知らんぞ」

『もちろんです。こちらの都合ですから。ただなるべく、錦木千束と井ノ上たきな両名を生存させてもらいたい』

「井ノ上たきなは現在別行動中だ。お前のところの部下が匿っていると聞いているが?」

『左様です。合流するでしょう? その後もお願いしたいのです』

「具体的な期限は」

『短くとも二週間。その間の必要物資や資金は優先的にお支払いします。場合によってはそれ以上の期間を依頼します』

「敵が明確にこちらを狙っているのなら、カルトごときにやられるような子供二人では戦力不足だぞ」

 

 アイゼンの言葉に千束が振り向いて「うそでしょその言い方はなくない?」と言いたそうな顔をしていた。アイゼンは無視した。

 

「ラボでの作戦メンバーはほとんどが死んだ。仮に生き残っている分隊員を全員招集できるなら迎え撃てる可能性はあるが、現実的ではないぞ」

『そうですねぇ…………まだこちらも敵の戦力評価ができていません故に、過不足なくそちらに補充要員を送るのは不可能です。というか余剰戦力は流石にうちもありません』

「俺も分隊員全員の居場所を知っているわけではない。そいつらも、すでに死んでいるかもしれん。お前のところで誰か補足していないのか?」

『…………一人、居ますよ。位置も、生死も、現在何をしているのかも把握しているのが』

 

 アイゼンは思わず口元をほころばせた。伊達に情報屋を自称している連中ではないなと、評価を二段階ほど上げることにした。

 

「誰だ?」

『イレーネ・サンダース。あなたのところを命令違反して脱走した問題児でしょう。直接的なうちの顧客ではないのですが、別ルートで彼女の現在の取引相手から情報を持っています』

 

 一瞬目を見開き、それから瞳を閉じて五秒ほど考えた。

 息を長く吐いて、細く吸って、少し止める。ゆっくりと目を開けた。

 

「イレーネは俺を恨んでいる。再編成どころか和解も難しいぞ」

『死ぬかもしれなくてもですか? 共通の敵の存在は、長年の恨みでも無かったことになるとアジアの方で言い伝えがあります』

「あくまで言い伝えだろう。これは個人の問題だ。だが…………連絡は取れるのか」

『1日いただければ』

「わかった。まずは話し合う。イレーネの居場所は敵に渡っているのか」

『幸い、まだ捜索されていると言ったところでしょう。位置は掴まれていません。ただし時間の問題です。常に移動し続けているあなた達に比べて、イレーネ・サンダースたちは拠点を構えている。あぁそうだ、これは余談ですがアイゼンさんの昔の拠点を襲撃したのは、おそらく今回の敵組織です』

「そうか。顔が見られなくて残念だ」

『今後はこちらで用意した複数の拠点を渡り歩いてもらった方がいいでしょう。一ヶ所にとどまるのはリスクが大きい』

「一ついいか?」

『なんでしょう』

 

 アイゼンはちらりと自分のAK101に視線を落としてから、再び通りの方を見た。

 

「敵組織の機能を停止させない限り、いつまでも逃げ続けることになるぞ。俺もこの街で老衰を待つつもりはない。こちらから敵の殲滅に動くべきじゃないか」

『おっしゃる通りです。我々にとっても今回の連中の活動は目の上のたんこぶです。邪魔で仕方がありませんし、そのために根回しはしています』

「俺の方でも戦力が整ったら攻撃に参加する。それまでは対処的行動しか取れないが、適宜反撃はする」

『いいでしょう。くれぐれも死なないように、そして錦木千束と井ノ上たきなを死なせないように。よろしくお願いします』

「あぁ」

『まずは合流を。ウチの部下たちがあなたの合流までは井ノ上たきなを護衛していますが、その後は別の仕事で動きます。お、そうだ仕事で思い出した。ちょっと錦木千束と変わってもらえませんか』

 

 ヒュージーの言葉を受けて、アイゼンは千束を手招きで呼び寄せた。顔に疑問符を浮かべながら寄ってきた千束に端末を渡して、アイゼンはAK101を両手で持つ。セレクターをフルオートにした。

 

 千束は端末を耳に当てて、おずおずと通話向こうの相手に口をひらく。

 

「なに……? だれ?」

『お久しぶりです。ヒュージーです。覚えておいででしょうか』

「あー! ヒュージーさん! お久しぶりですー!! 連絡の取り方聞いてなかったからこっちから電話できなかったんですよー!? あれ? なんでアイゼンさんの電話で?」

『細かい事情は一旦省いて要点だけ伝えますね』

「え、あ、うん」

『まず、スキーヤーとの取引はこれを持って終了とさせてください。現在進行中の仕事はこちらの人間で巻き取って処理しますので、スキーヤーからの信頼や今後の仕事の支障は考えないで結構です。ただし、少なくとも今日から二週間は私からの仕事以外引き受けられないし、引き受けないでください』

「うわーお。そりゃまた急な話だね?」

『事情が変わりましたので。ファイルの情報についてはご安心を。そちらも手配しています』

「それで、じゃあヒュージーさんからの仕事って?」

『生き残ってください』

 

 簡潔に。至極当然で、しかしこの街であらためて言葉にされると難しいことのように思える依頼に、千束は一瞬狼狽えた。

 そして、すこしだけ声のトーンを、不安げに落としながら疑問を口にした。

 

「なんで…………? いや、言われなくても死にたくないよ?」

『〝生存すること〟を最優先に行動してくださいという意味です。生き残るために反撃するのは当たり前ですが、リスクをとって敵を無力化しに行くような活動は、今後しばらくお控えください』

「いやぁ…………そんなこと言われても、え、だってなんか私たちって命を狙われてるんだよね?」

『そうです。だからです。しかしどこかに逃げ隠れして息を潜めるのは逆に生存確率を下げてしまいます。常に移動し続けて、そうですね…………なにか目標がないとそれも続かないでしょうから、適当な仕事は与えます。もちろん報酬も』

 

 千束は口をへの字に曲げて、意味がわからないよアイゼンさんという表情でアイゼンの方を見た。

 目があったのでなにか言われると思ったが、アイゼンは何も言わず一瞥しただけで、周囲の警戒に戻った。千束は膨れっ面になりながら、

 

「よくわかんないし、なんか私たち大きな問題に巻き込まれている気がしなくもないんだけど、とにかく〝死なずに生き残る〟っていうのが仕事なんだね?」

『そうです。生きていることが重要です。あとは、移動の目標となる仕事についてですが、こちらはひとまず井ノ上たきなさんと合流してから話しましょう。まず第一の仕事は、たきなさんとの合流です』

「言われなくてもするよー。アイゼンさんに代わるね」

『えぇ、どうも』

 

 それから二言、三言のやり取りがアイゼンとヒュージーの間にあって、通信は終わった。

 千束は一度KSGショットガンを眺めてから、アイゼンに首を傾げつつ疑問符の拭えない目で訴える。

 

「なんか変なことになってない? 頭の中ひっちゃかめっちゃかになりそうなんだけど」

 

 千束の言葉に、アイゼンはすぐに返事をせず、じっと、数秒間千束の目を見ていた。

 それから振り返って背中を千束に向けて、小さく、聞こえるか聞こえないかくらいの声で、

 

「…………何者、なんだ」

 

 掠れた音を、乾いた唇から抜け漏らした。

 千束が高い声で「ちょおーっと! 無視! 無視はよくないんじゃないかなアイゼンさんん!???」と騒いでいたが、アイゼンは意に介さず建物から左右を十分に確かめながら外へ出た。

 

 街の遠くの方で、誰かと誰かが殺し合っている銃声が断続的に響いている。空は晴れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【ちょっとしたセルフ考察】

たきな&千束って、たきなに常識がなさ過ぎて千束が保護者のように見えてくる感じのバランスなんだけど、これがアイゼン&千束の「大人」と「少女」になるとこうも千束が子供っぽく見えるんだね。なんかクールな親戚のおじちゃんと元気のいい小学生みたいなバランスだよ。
親戚のおじちゃんはためらいなく人を続けざまに殺したりはしないけどね。

十代中頃で死生観を含めた人生の骨格を持っている千束は、同世代に比べてだいぶ大人びているはずなんだけど、その自らの思想と生き方を「他者に理解してもらえる」と無意識に態度や行動に出てしまっていたあたりがまだまだアイゼンには未熟者に映ったんだろうね。
そんでもって、なんか似たようなことをイレーネも別の言葉で言っていたような……?(蘇る遠い記憶)
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