「ねぇ、アイゼンさん」
千束はG28マークスマンライフルから射出されている大口径の狙撃弾を難なくよけながら、通信機に手を伸ばして呼びかけた。公園の向かい側で、SVDSの弾を叩き込み続けている狙撃手に。
「……殺さなきゃダメなの? 引いてるように見えるよ。私たちの進行方向は北だし、あの人達は南に行ってる。もう相手しなくてもいいんじゃない?」
千束の声にはあまり抑揚がなかった。底抜けに明るく、いかなる時もふざけたように陽気な口調で言葉を発する千束が、今は平坦で淡々とした声音でそうアイゼンに口を開いている。
言うならば、少し怒りすら感じるトーンだった。
だがアイゼンからの返事は、
『却下だ。奴らは訓練を受けている。スカブを一か所に集めて穴だらけにした目的がなんなのかは知らんが、向こうは俺たちがそれを知っていると思っているだろう。法も秩序もないこんな街だが、こういう時はたいてい後から厄介ごとが降りかかる〝法則〟がある。今殺さなければ、明日の自分たちが殺される』
「そう……かな。話せば何とかならない?」
『じゃあ話してみろ』
「え、いいの?」
『一人だけ生かす。あとは殺す。好きにしろ』
「そうじゃないんだけど……」
千束は力なくつぶやきながら、飛来してくる7.62×51mm弾を避ける。青いセダンを視線切りに使いながら反対側に歩いて体を出し、数十メートル先でじわりじわりと後退している三人の人影を視界にとらえる。
そして、そのさらに奥。千束からは150メートルほど離れた場所に別の集団を見た。
大きなバックパック。ヘルメット。輪郭の分かりずらい色を用いた装備。迷いも無駄もない足取りで動く複数人の集団。
千束は自分の思い通りにならない状況にモヤついている気持ちをいったん切り替えて、通信機の向こう側へ声を張り上げた。
「アイゼンさん、新手! 南側、距離150くらい!」
『確認した。PMCだ。数は4人、武装は不明。今バックパックを車体裏に置いた。交戦する気だ』
「……これ、ライフル持ったスカブの人たちは挟み撃ちだよ」
『いい機会だ』
「そうじゃないでしょいい加減にして」
『落ち着け、千束。まず我々と交戦していた集団をアルファ、新手をベータと呼称する。千束、お前の判断でアルファを無力化しろ』
「え?」
アイゼンの声は相変わらず落ち着いており、感情など微塵も感じさせない淡白な声音だった。
しかしその内容は、千束に命じた指示は、
「……いいの?」
千束の意志、信条、生き方を受け入れたものだった。
『勘違いするな。奴らのうち一人くらいは生かして情報を絞り上げてもよいと思っただけだ。だがそう方針を変えた矢先のベータだ。全滅させられては情報を絞ることもできん。ベータは俺が始末する。アルファをやれ。……ベータまで殺すななどと騒ぐなよ。俺とお前は違う』
「わかってるよ。……わかってる。ありがと、アイゼンさん」
通信を切った。千束の視界に映るアルファ集団のうち、二人はベータ、つまりPMC達のほうに発砲している。
アルファの後退が止まった。アイゼンからの射線が通らない、軍用トラックの陰に身を置いている。しかし北と南方向からはいくらでも撃ちこめる位置で、現にベータ集団からの攻撃を受けている様子が見て取れた。
千束のもとにも何発かの銃弾が届く。先ほどより狙いが甘い。避けなくとも当たらないような射撃精度。
「……殺さないよ。いのちだいじに、だかんね」
のらりくらりと移動していた千束は、ふっと鋭く息を吐いた。下腹部に力を入れる。頭を一段低くする。
そして、アルファ集団目がけて、放置車両の間をまるで飛び回る蜂のように、予測不可能な波縫いで接近した。
〇
千束に銃口を向けていた十代の男、ヴィタリは半狂乱になりながら引き金を引き、そして叫んだ。
「隊長! アンリ隊長! 敵が突っ込んできます!!」
「くそ、PMC共も容赦ねぇぞ。ユリス、退路は!?」
「無ぇよクソったれ! どっちか殺さねぇと一歩も動けねぇ!」
「じゃあ数が少ないほうを殺るぞ。ユリス、このままPMCの頭を押さえろ。俺はヴィタリに加勢する」
「了解だッ! くそ!」
踵を返してマガジンを新しいものに変えながら、アンリと呼ばれた隊長の男はヴィタリのすぐ後ろに付き、その肩を叩いた。
ヴィタリが身を引く。銃口からは薄く煙が上がり、サプレッサーの先端が赤く焼け始めている。
「アンリ隊長、もう弾が!」
「撃ちすぎだバカ。拳銃に持ち替えろ。接近戦になるぞ」
「ちくしょう、ちくしょう! 死にたくない、しにたくない!!」
「落ち着け……」
アンリは右半身をゆっくりと、身を隠していたSUVから露出させた。可変倍率スコープは1倍に設定し、ハナから接近戦での対処を心がける。
しかし、サイトの向こう側に人影はなかった。左目も開けている。その視野にもいない。消えた。
アンリの心臓が音を立てて早鐘を鳴らす。頭の中で危険アラートが鳴る。周囲の音が遠くなっていく。
敵を、接近しているはずの敵を見失った。だが落ち着け、この道は一直線。奴の仲間が公園の反対側にいるのなら、我々が遮蔽にしているロシア連邦軍の輸送トラックの向こう側も移動できる。正面にいないなら側面にいる。ならば。
アンリはSUVから離れてヴィタリのすぐ脇でトラックの下にしゃがみこんだ。銃口をぴたりと向けながら、上半身を折りたたむように屈伸してさっと車体下部を見る。
足。人間の足を探す。それさえ吹き飛ばせば脅威はなくなる。崩れ落ちてきた頭を撃ち抜けばいい。
しかし、トラックの車体下部からのぞいた向こう側の世界に、人間の足らしきものは見当たらなかった。
上体を素早く上げる。振り返る。視界の端にユリスの姿が見えた。PMCに応戦していた彼が、その頭に銃弾を受けて血の霧と脳漿をまき散らす。
「ッ!!」
間髪入れずヴィタリの首をつかんで地面に引きずり倒した。頭の上で風を切り裂きながら数発の銃弾が通り過ぎる。すべてPMCがいた方角からの銃撃。ユリスは負けた。PMCの侵攻を押さえることも、反撃して殺すこともできなかった。無残にも頭に銃弾を受け、別れの言葉を交わす間もなく死んだ。
アンリは歯を食いしばり、一瞬だけ目を閉じた。そして見開いて隣を見る。
今年18歳になるヴィタリは、震える右手でマカロフ拳銃をSUVの方向へ向けていた。腹を下にして伏せた形。だがまともに撃てるような状態じゃない。震えどころか嗚咽を漏らしながら銃口を向けている。
「ヴィタリ、ヴィタリよく聞け」
「ふ……うぅっ……いやだ……死なない……死にたくない……」
「ヴィタリ!」
「た、隊長……アンリ隊長……おれ……おれぇ……」
アンリは、恐怖で震えるヴィタリの髪をつかんだ。うつぶせのまま、力を込めて、正気を失いかけている新兵の瞳を強制的に自身に向けさせる。腕で頭を抱え込むようにして、そしてあえて落ち着いた、まるで昼下がりの午睡から目覚めた幼い我が子に語り掛けるような調子で、ゆっくりと囁いた。
「ヴィタリ、聞け。残っているのは俺とお前だ。ショットガン女の姿が消えた。PMCは馬鹿みたいに撃ってきている。ショットガン女の仲間かもしれん。正直きつい状況だ。ここまではいいか?」
「は、はい。はい!」
「聞け。ここに手榴弾がひとつだけある。これをPMCに投げる。俺が投げたら、北に向かって走れ。ここから二十メートル行けば入口の空いた建物がある。そこに入れ。この場所よりは安全だ。そして隠れろ。バルクライの部隊を待て。生きて帰れる約束はできないがここにいるよりはマシだ」
「隊長、は? 隊長はどうするんですか!?」
「俺はユリスとサムイルのところに逝く。さぁ、行けよ若造」
アンリは手榴弾の安全ピンを抜いた。仰向けに体勢を変えて右手を振りかぶり、そしてPMCのいる方向へ力いっぱい投げた。
ヴィタリが起き上がる。走りだそうと足に力を入れたとき、自身の背後で発砲音がした。
よくある。
ショットガンの。
12ゲージの聞きなれた、この街ではそこかしこで響いている銃声が。
真後ろで一発響き、そしてすぐ隣のアンリの頭が赤い霧で覆われた。仰向けで手榴弾を投擲した直後の、地面から数センチ浮いた後頭部が、勢いよくアスファルトに叩きつけられる。
ヴィタリはそれを視界の端にとらえていた。力を入れ始めた足が、急速にその力を失っていく。踏み出した勢いだけは押しとどめることもできず、体はSUVの前に投げ出される。
直後に慌てたような若い女の声が耳朶を叩いた。
「うわ! 危ないよそこ!」
「うああああああああああああああ!!!!!!!」
ヴィタリの中で、かろうじて張っていた細い糸が音を立てて切れた感覚がした。
それは、冷静や理性や判断力などの類だったかもしれない。それを失い、霧散させてしまった若い新兵は、金切り声を上げながらマカロフをトラックの運転席に乱射した。
トラックの運転席からはショットガンを持った人間がこちらに銃口を向けていた。そして、転げまわったヴィタリがマカロフを向けた瞬間に運転席から飛び降りて、
「おおおおっと! ストップストップ!」
「あああああ!!! 死ね! しねぇぇ!!!!」
「ちょいちょいちょいちょい落ち着いてよ! 殺さないから! ていうかそこ横から撃たれるからこっち来て!!」
「うあああ!! うわあああああ!!!!!」
マカロフの引き金を引き続ける。マガジン内の弾はすべてショットガンを持った女の周囲に当たり、何発かがトラックの運転席の防弾ガラスに突き刺さってヒビを入れて、後の数発は車体の鉄板にめり込んだ。
ショットガンの女────千束には一発も当たっていない。かすりもしない。
スライドが下がりきったマカロフの引き金を、それでもヴィタリは引き続けた。絶叫しながら。震えながら。涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしながら。
PMCのいた方角で爆発音が響く。アンリの投げた手榴弾がはじけて、周囲に鉄片をまき散らした。千束は巻き添えを食らわないように一瞬姿勢を低くしてから、ヴィタリのもとへと駆け寄った。
「~~~~~~~ッッッ!!!!!!!!」
いよいよ声にならない声を必死に上げながら後ずさり、PMCからの射線が通ってしまう位置まで来たヴィタリの首根っこをひっ捕まえた千束は、そのまま足を止めずにSUVの反対側まで引きずった。完全ではないが、PMCの集団がいた方角からは射線が切れる形になる。
まだスライドの下がりきったマカロフを千束に向けているヴィタリに、千束はバラクラバの下で笑顔を向けながらロシア語で投げかけた。
「大丈夫だーいじょうぶ。私、あなたたちは殺さない。誰も殺さない。さっき撃った人も、あれゴムだから死んでないよ。でもこのままだと向こうの人たちに殺されちゃう。だから落ち着いて。言うことを聞いて」
ヴィタリの右手の人差し指が止まった。恐怖と狂乱で正気を失っていた瞳に、ほんのわずかにだが判断力の戻る色があった。
「わかる? 私の言ってること。君の名前は?」
「ゔぃ……ヴィタリ。ヴィタリ・チェンバースだ……お、お前、俺たちを殺すんじゃ……」
「私は錦木千束。〝ちさと〟って呼んで。殺さないから」
「千束……こ、殺さない……お、俺は……死なない……のか」
「今はね。結構危ない状況だけど、がんばろうヴィタリ。歳近いでしょ? 何歳?」
「じ、18……」
「わお! 同い年じゃんやったね! 生き残るよー千束さんにまかせんしゃい!」
千束はSUVの裏側で左肩にKSGショットガンをスイッチして低い姿勢のまま左半身をのぞかせた。
ちょうど、ARを公園側へ向けて進んでいる人影が見えた。距離はまだ50mほどある。つまりこのまま撃っても当たらない。
どうしようか、突っ込んでこっちから行ってしまおうかと思い始めた千束に通信が入った。
『千束、一人やった。ヘイトがこちらに向いている』
「了解。こっちは二人無力化したよ。生きてる。でも一人……」
『深く考えるな。何もかも思い通りになると思うな』
「わかってるって。ここからどうしたらいい?」
『そこで眠っている奴らを護衛しろ。見える敵は始末する。下手に動くなよ』
「了解」
通信を終えて、再びSUVから南側を覗く。人影はない。完全にマークが外れている。
本来ならこのタイミングで北へ逃げるべきだが、一人非殺傷弾で気絶させた以上、放っては置けない。アイゼンの指示通りこの場所で事態を収束させるしかない。
「ヴィタリ、銃は? それだけ?」
「く、車の向こうにG28がある。俺のは弾切れ。隊長のはまだ」
「隊長って、私が気絶させた人?」
「そうだ。そうだよ。まだ弾はあるはず」
「そっか。うーん……取りに行くのは危ないなぁ。でもここもたぶん抜かれるし……よし、トラック側に行こう。あっちのほうが車体も頑丈だから」
「隊長は? このままじゃ隊長が」
「大丈夫、近付けさせないから」
千束の言葉に、ヴィタリは声を震わせながらなんとか賛同して移動する。頭を低く、足は素早く、迅速に移動する。
トラックのエンジンルームに背中を預けて、ヴィタリは手元を見た。
マカロフピストル。スライドが下がりきっている。マガジンを抜く。パーカーのポケットから予備のマガジンを取り出し、ゆっくり差し込む。スライドをリリース。初弾が薬室に入る。もう、撃てる銃はこれだけで、弾もこの8発のみ。
千束を見た。千束はトラックの後方、PMC達のほうにショットガンを向けている。
こいつは。この女は。
サムイルを殺している。なぜ隊長を殺さないのか、自分を殺さないのかはわからない。
────いや、隊長が生きているかどうかはわからない。そういえば確かめていない。
自分を殺さない理由がわからない。この先も殺さない確証はない。
いま。
今、この女はよそ見をしている。俺の手元には、頭に当てれば殺せる銃がある。
殺さなければ、殺される。
殺される前に、殺せるなら殺せ。
この街に取り残されたとき、最初に教えてもらった教訓。
他人を信じるな。仲間を信じろ。自分を信じろ。
殺せ。殺せ。殺せ。────殺す。
ヴィタリは右手に力を込めた。手のひらが熱く感じる。
マカロフ拳銃を両手で握り込む。腕を動かし、ゆっくりと、慎重に、持ち上げた。
その粗末で簡素な照準を、千束の緑を基調とした迷彩柄のキャップの後頭部に合わせる。
そして唾をごくりと飲み、無意識に息を止め、不思議と震えの止まった両手に、その人差し指に力を入れて、決して重くはない引き金を引いた。
あぁ……やっちまったな……。
先週患った風邪ですが無事撃退しました。なんか流行ってるみたいなので皆さんお気を付けください(全国区へ向けて)