リコリスinタルコフ   作:奥の手

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教訓

 マカロフの引き金を引いた。確かに引いた。そのはずだった。

 しかし手元で銃声は鳴らず、ばくりと跳ねて来るような反動もない。ヴィタリは一瞬何が起きたのか認識できなかった。ただ、銃声も聴こえず反動も感じない両手に何かが当たった感覚と、後には肘の先あたりが熱いような気がした。

 

 千束の緑色のキャップから目線をほんの僅かにずらして手元を見る。

 そこに手はなかった。正確には右手がなかった。肘の先からバタバタと血が噴き出している。左手は肘の真ん中でおかしな方向を向いている。皮一枚というやつだろう、今にもちぎれ落ちそうだ。マカロフが足元に落ちている。右手の肘から先もそこにあった。

 

「あ…………あぁ……」

 

 空気の抜けたように口から声が漏れ出る。うめきとも喘ぎとも違う、声にならない声。次第に両手から痛みと、それを遥かに超える熱が襲ってきた。

 手は熱いのに首筋から背中にかけては氷を当てたかのように急速に冷たくなる。寒い。熱い。わけがわからない。

 

 千束が振り向く。目を見開いている。1秒もかけずに状況を理解し、2秒目にはショットガンをスリングのみで保持して両手を自身のリグに突っ込み、重出血を止める止血帯を引っ張り出した。

 

 ヴィタリが目で確認できたのはそこまで。あとは自分が立っているのか座っているのかトラックにもたれかかったのか、はたまたとっくの昔に倒れていたのかはわからない。上も下も右も左も、もうわからない。

 世界が暗転した後、出会ったばかりの同い年の女の子がよくわからない国の言葉で、よくわからないことを叫んでいたのは聞こえたが、もうどうでもいいかと意識を手放した。

 

 ◯

 

『なんで撃ったの!! なんで!!!』

 

 アイゼンのヘッドセットから、叩きつけるように悲鳴が響く。アイゼンはそれを受けても一切表情を変えることなく、百メートルほど先のたった今両手を飛ばした少年から目を離し、その南側四十メートル付近で千束たちに銃口を向ける三人の集団にピタリとレティクルを合わせる。

 

 引き金に指をかけながら冷たい声で千束に返した。

 

「無力化したんじゃなかったのか? それともマカロフ弾を頭に叩き込まれるのはお前にとって問題ないことなのか?」

『私を狙ってたのは音と陰でわかってたよ! 避けるつもりだった! 全部知ってる! 撃たせて避けて〝もうやめてね味方だよ〟ってするつもりだった! こんな、こんな手にしたらこの子死んじゃうでしょ!!!』

「お前の報告は〝二人無力化した〟だったぞ。殺さないならせめて眠らせるか拘束しろ。銃を自由に撃てる状態を無力化とは言わない」

『〜〜〜〜〜〜〜〜』

 

 ヘッドセットの向こう側で何やら悶えている様子だったが、今のアイゼンに千束の意を汲む余裕は無い。千束が欲しがっている言葉はわかっているが、それをかけてやるつもりも時間も全くなかった。

 

 三人のPMCのうち、一人がこちらの居場所を暴いている。持っている武器がRPKのようだった。火力と弾幕で頭を抑え込まれると千束への支援ができない。

 アイゼンは一瞬で判断し、一発だけ撃った。当たる。手応えはある。しかし頭ではない。つまり殺せていない。

 

 舌打ちを一つ打って身を隠した。相手の怒りの反撃だろう、瞬く間に数十発の銃弾を撃ち込まれる。配達用のトラックの前部に詰まったエンジンブロックやトランスミッションを抜けるような攻撃ではないが、ボディの鉄板や窓ガラスやタイヤやエンジンに甲高く反響する金属音は不快なものだった。穴だらけになっていく車体がいつまでも遮蔽物として仕事をしてくれるわけでもない。何より反撃に転じる隙間がない。

 

「これでは埒が開かんな…………」

 

 小さく愚痴をこぼす。

 そもそもこんな、真正面からヘイトを買って撃ち合うような戦い方はアイゼンの選択肢にない。

 〝勝てる戦い〟しか選ばないことでここまで生き残っている。そのやり方で今も五体満足でいられる。その意味で、今置かれている状況は全く好ましいものではなかった。

 

 SVDSの残り少なくなったマガジンを抜いて新しいものに変える。この場所で一体何発撃っただろうか。無駄撃ちはないとはいえ、弾の数には限りがある。そしてコンコルディアまで行っても補給できるとは限らない。

 

 アイゼンは通信のスイッチを入れた。

 冷たく、落ち着いた、抑揚のない声で千束に伝える。

 

「千束、聞け」

『いやだって言ったら』

「お前が怒りを覚えている時間が長ければ長いほど、俺もお前もそこの小僧も死ぬ確率が上がるだけだ」

『……わかった。我慢する』

 

 心底から不服そうな声だったが、千束は小さくそう唸った。

 アイゼンは背中のトラックに叩きこまれ続けている銃弾からいったん意識を外して、一呼吸つきながら状況説明を始める。

 

「敵のマシンガンが厄介だ。思うように身動きが取れん。弾も残り少ない。総合的に判断してこれ以上の狙撃支援はできない」

『嘘でしょアイゼンさんなのに』

「お前は俺をなんだと思っている」

『言っていいの? 言わせてもらっちゃうよ今私すっごく怒ってるから』

「余計なことは言わなくていい。敵の治療は終わったのか」

『止血はしたけど、すぐに回復させられるものがない。注射とか持ってなくて』

「構わん。運が良ければ生き残るだろう」

『アイゼンさんのせいなのに』

「小言は終わって言え。聞いてやる。あとお前は〝確実に死なない〟戦い方をしろ。仕事を忘れるな。PMCの残存は三人。距離はお前を中心に四十メートル以内。一人は俺の狙撃を止めるために動いていないかもしれん。先行する二人の正確な所在地は不明」

『了解。近付いてくれるなら私も叩ける』

「こっちはあとワンマガジン分だけ支援する」

『わかった』

 

 それから十秒もせずに、手榴弾が一つ公園で爆発した。直後に二人分の発砲音が響き、ほぼ同時に公園の中から12ゲージショットガンの音も炸裂する。

 激しい戦闘が公園とその向こうの通りで繰り広げられているのとは裏腹に、アイゼンの身を隠しているトラックへの射撃がピタリと止んだ。これは好機だと判断し、アイゼンは北側に身を縮めて走り出した。

 

 追って撃って来る気配がない。直後にRPKのものと思われる連続した発砲音が辺りに反響するが、アイゼンの元に弾がきていない。つまり千束を撃っている。アイゼンは車高の低いセダンのエンジン側で膝立ちになり、胸から下を隠した。ボンネットにSVDSを素早く預けてスコープを覗く。

 先ほどこちらに向かって発砲していた男の位置を確認する。距離は百五十メートルほど。

 

「…………同じ場所から顔を出すと」

 

 レティクルには、RPKを必死に撃ち続けている男の顔が鮮明に写っている。

 

「死ぬぞ」

 

 小さく呟く。引き金を引き切る。なんの事はなく、RPKの射手は顔面の形を失って、よく目立つ黄色いワゴン車のボンネットの向こう側に崩れ落ちた。

 

 アイゼンはそのまま銃口をスライドさせて左目で索敵、右目で照準を合わせる。

 

 公園内に向けて、十メートルほどの間隔をお互いに開けて移動しながら撃ち続けているPMCの姿と、その弾を正確に避けながら公園側から距離を詰め始めている千束の姿が見えた。PMCのうち、千束からの射撃が難しいと思われる角度にいる者にレティクルを合わせる。

 

 PMCは車を遮蔽にして、数発撃ってから飛び出す様子を二度繰り返す。三度目の飛び出しで、地の底に響くはずのものを無理やり抑え込んだようなSVDSの銃声が、サプレッサーを通して響き渡った。

 

 走り出したPMCの頭ががくりと大きく傾く。そのまま男の体は制御を失ったように脚をもつれさせ、顔面からハッチバック車のトランクに突っ込んだ。ガラスがちょうど割れていたので、上半身はトランクルームに預けられている。

 起き上がってくる様子はない。寝心地がいいのかもしれない。

 

 直後にショットガンの銃声。千束のほうに目線だけ向ける。千束のすぐそばで、膝をつくPMC。千束がもう一発撃った。頭が後ろにはねて、体が力なく倒れる。PMCはどうやら意識を手放したらしい。仰向けに寝て、そのまま起き上がってこない。トランクに突っ込んで寝ている男と違うのは、こちらはしばらくしたら起き上がってくる事だろう。アスファルトの寝心地は悪そうだった。

 

「千束、状況を報告しろ」

『終わったよ。ここから見える範囲に意識のある人はいない』

「ご苦労。バックパックを回収してそちらへ行く。命のあるものは拘束しろ。ただし周辺への警戒は怠るな。音を出しすぎた」

『了解』

 

 アイゼンはSVDSを背中に回し、AK101を前に持ってくる。フルオートにセレクターを動かし、チャージングハンドルを引いて初弾を送り込む。

 自身と千束が置いてきたバックパックを回収するため、背の低いセダンから離れて歩き出した。

 三歩目でヘッドセットに千束の声が届く。

 

『終わったから。アイゼンさん。戦闘終わったよ。私怒ってるんだ。ぷんぷんなんだ。約束守って』

「…………手短にしろ。あと周りは見ておけよ」

 

 ヘッドセットから聞こえてくる、静かだが煮えたぎっている怒りの呪詛を聞き流しながら、アイゼンは疲れた表情でため息をついた。

 




不好きな流れの戦術指揮に、死なせてはいけない分隊員、その分隊員の命を守ったらブチギレられる始末。しおしお顔のアイゼンさんがとぼとぼ歩いてるのが目に見えるぜ。
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