リコリスinタルコフ   作:奥の手

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お久しぶりのたきな回です。


欺瞞

 比較的綺麗で柔らかいベットに、たきなが座っていた。

 大きめの枕に背中を預けている。そこが病室だと言われれば納得のいく絵になっていたし、実際包帯まみれの上に血のしみこんだ穴だらけの戦闘服を羽織った姿は、野戦病院のそれを想起させる。

 

 たきなの手元には衛星通信機があった。小傷と汚れから歴史を感じる端末であり、実際にDAで長らく運用されてきた実績のある支給品。多くのリコリスがこれを手にして、たくさんの言葉をやり取りしている。

 

 たきなは目を細め、そんな通信端末を左手で持ち上げては体の横に置き、数秒後にまた握っては横に置く動作をかれこれ十回以上繰り返している。

 

 千束と話がしたかった。

 どういうわけかこの端末に知らない回線から連絡があり、タラカンが勝手に出た。そして千束の名前を口にした。

 

 たきなは思った。一言くらい話をさせてくれてもいいじゃないかと。

 

 事情も背景も詳細もわからないが、とにかく千束は生きていて、ここに向かっていると。

 

 イレーネが目の敵にしていたはずの者の名前がなぜタラカンから出てくるのかは、この際考えても仕方がない。そう判断した。それよりもとにかく千束が無事でいること、そしてここにたどり着いてくれることを祈るより他はなかった。

 

 ただ、千束と話がしたい。ちゃんと声を聞きたい。それまでは安心なんてできない。

 この通信端末の履歴からもう一度かけることはできる。ほんの数秒操作すれば、千束がかけてきたはずの、どこの誰の物かも知らない端末に再び繋げることはできる。

 

 それでもこうして何度も端末を置いたり持ち上げたり繰り返しているのは、そうする決心がつかないからだ。

 通信を繋げて、千束が出てくる可能性は低い。そもそも戦闘中かもしれない。端末を持っていた者が千束のそばにいないかもしれない。端末自体を置いてきているかもしれない。

 

 色々な可能性がある。

 色々な、期待を裏切られる可能性がある。

 

 今のたきなに、その小さな絶望を乗り越えるだけの精神力は残っていなかった。

 

 千束の意志に反して人を殺し、殺せなくなり、やっと戦う決心に体が付いてきた矢先のこの重傷。

 千束と出会って自分は確実に変わった。自信を持って良い方向に変わったと言える。でも、同時に何かを失った。千束と出会う前だったらこんなことで迷う時間すらなかった。ただただ組織のために、リコリスとして、リコリスたる事を思い続けた。

 

 自分が得たものも失ったものもうまく言葉に出来ない。

 それは、もしかすると今のたきなを弱くしているのかもしれない。

 ある意味でたきなは千束と出会って〝弱く〟なったのかもしれない。

 

「……ふふ」

 

 たきなは小さく息を漏らした。

 

 どうでもいいことだ。至極どうでもいい。

 

 千束と出会ったことをたきなは後悔していない。千束の相棒でいられることに不満なんて一片もない。

 千束が生きているという希望を持っている。千束のために千束を裏切り、両手が返り血で染まっていても、目の前に千束がいてくれればまた戦うことはできる。目の前にいてくれれば。

 

「そう、です……千束」

 

 今はいないから、通信を繋いでそれがダメだったら、たぶんその悲しみを乗り越えられない。だからこの端末を操作するのはもうやめよう。静かに千束を待つことにしよう。

 

 たきなは詰まっていた息を吐きだしながら、そう決心した。

 

 通信端末から目を離し、自身の右半身を見る。重く血で染まった戦闘服。袖を通していなくても、一目でそこに空いている穴が確認できる。

 右肩と右上腕部、右の脇腹、右大腿骨付近とふくらはぎ。全部で五箇所。すべて赤黒く血で染まっている。

 ズボンの方は治療のためにナイフで切り裂いたらしいので、もはや原形をとどめていない。ベットに座ったり横になる分には構わないが、立って歩こうものなら最初の一歩で半裸になる。

 

 手当てはタラカンがしてくれた。その際、不思議と羞恥心は沸かなかった。あまり下心を感じなかったのを憶えている。

 カスタムズでの印象は下品で卑猥なことが大好きな男だとたきなは思ったのだが、半裸のたきなに銃弾の摘出処置と治療を施しているにも関わらず、それらの下卑た雰囲気は一切なかった。紳士的ですらあった。

 

 不思議な男だ。意味不明とも言える。正体もわからない。ただのチンピラでないことは確かだが、だとしたら何者なのかという答えはさっぱり見当もつかない。

 今はスカブとして生きているのなら、あまり詮索はしない方がいいのだろう。本人もそう言っていたのだからと、たきなはそれ以上気にするのをやめた。

 

 当のタラカンだが、今はこのボロボロの戦闘服に変わる動きやすい服を探しに行ってくれている。

 別にその辺の適当な服でいいし、そもそも戦闘服に穴が空いていようが血がついていようが気にしないと言ったのだが、

 

「流石にたきなちゃんの脇腹とパンティをほっぽり出したまま、何考えてんのかわかんねぇ殺人おじさんにたきなちゃんを預けるのは男として無理だね。ちょっくら俺好みの服を探してくる」

 

 と言い残して部屋から飛び出していった。たきなが口を開くよりも早くノリノリで探索に行ったので、たきなは引き止めをあきらめた。

 

 部屋の前では、まだ満足に動けないたきなを守るために、タラカンの仲間だという防毒マスクのスカブがAKS74Uを持って見張をしている。

 

 何度かこちらの様子を伺っていたが、言葉は交わしていない。

 喋れないのかもしれないし、事情があるのかもしれないし、ただただ話すのがめんどくさいだけかもしれない。タラカンがうるさい分、バランスが取れてちょうどいいと思った。

 

 そんなことを考えていると、もう一人の見張りが帰ってきた。

 灰色の薄汚れたベースボールキャップがやけに似合っている、髭面の中年。両手に缶詰を持っている。肩にはそのままスーパーで買い物ができそうなシンプルな柄のトートバック。やけに膨れているから中身はぎっしり入っていそうだった。

 背中にはスリングで吊っているAKS74Uが、かちゃかちゃと小さな金属音を立てていた。

 

「眠れたか?」

「えぇ、多少は。少し右腕が痺れるので、熟睡ではないですが」

「そんなもんだ。食料がある。食べてから鎮痛剤を飲むといい」

「朝食からまだ二時間しか経っていませんよ」

「コンビーフ缶ひとつじゃ栄養が足りないだろう。失った腕が生えてくるようなおかしな街でも、食事はちゃんと摂った方がいい。食えるならな」

 

 ベースボールキャップの男は綺麗なロシア語の発音でそう呟いた。

 肩に引っ掛けていたトートバックといくつかの缶詰をベットテーブルの上に置き、一度部屋から出て戻ってきたかと思うと、その手には折りたたみ式のテーブルが抱えられていた。

 

 それをベットの足元にあるスペースで広げて、トートバックからカセットコンロとミルクパンを取り出す。テーブルにセットして手際よく火をつけた。

 缶詰をいくつか開けて次々と入れる。水も入れた。よくわからない赤と黄色の袋から正体不明の何かをさらさらと音を立てて入れている。

 それからポケットに手を入れて、おもむろに取り出した調味料で味付けをする。

 

 たきなは黙ってその様子をベットから眺めていた。座っているので調理風景ははっきりと見えているが、ミルクパンの中で何が生成されているのかはわからない。

 

 大きめのスプーンで鍋の中をゆっくりとかき混ぜるベースボールキャップの男に、たきなは静かな声で話しかけた。

 

「何を作っているんですか」

「シチューだよ。アレルギーはないか?」

「ないです」

「よし。あと5分くらい煮込めば完成だ」

「…………楽しみにしています」

 

 実際は別に楽しみでもなんでもない。食べられるなら食べるが、何を食べても特段かまわない。

 たきなの中にあるのは早く千束に会いたいというその一心だけであり、他のことは瑣末なイベントに過ぎない。ただ、せっかく作ってくれているのだから無礼はないようにしようという、千束に教えてもらった最低限の社交辞令だった。

 

 ぼーっと、特に何を考えるでもなくベットの上端で枕に背中を預けること五分。

 ベースボールキャップの男は宣言通り料理を完成させ、かき混ぜていたスプーンで一口味見。

 何度か満足そうに頷いてから、手のひらサイズの器によそって綺麗なスプーンをそえた。蓄えたやや赤みがかった口髭を愉快そうに撫でながら、片手でたきなへ差し出す。

 

「コーンとそばの実の入ったスパイスシチューだ。熱いから気をつけろよ」

「ありがとうございます」

 

 たきなはそれを左手で受け取った。体の前で足をそろえて掛け布団を慣らし、その上に置く。

 陶器の皿はすぐ熱くなる。太ももへ直においては火傷をするだろう。右手が満足に動かない以上、置き場所を工夫して左手でスプーンを動かす必要がある。

 

 ただ、布団を介して両足の上に置いたスープの皿というのは存外不安定であった。やや粘度のあるスープ、いや男の言うとおりシチューであったからまだこぼれにくいが、左手に握ったスプーンでベットを汚さずこれを掬うのはずいぶん苦戦しそうだった。

 

 たきなの様子にベースボールキャップの男が気がついた。自分の分を準備していたが、たきながなかなか食事にありつけそうにない様子を見て、

 

「これはすまなかった。その手じゃ食べにくいよな。右利きか?」

「えぇ、はい」

「食べさせてやるよ。ちょっと待ってくれ」

 

 男は少し慌てながら椅子を引きずってたきなの枕元へ来た。自分のシチューをベットテーブルに置き、たきなのシチューを手にしてスプーンで一口分をすくった。

 

「熱いから気を付けろ」

「ありがとうございます…………ただ、その」

「ここまでしなくてもいいってか? 気にすんな。怪我人はいつの時代もこんなもんだ。マザーテレサだってこうしてる」

 

 たきなはくすりと僅かに肩を震わせてから、二度スプーンの上に息を吹きかけて、それを口にした。

 

「……!」

 

 スパイスシチューと名付けただけはある。使われていると分かる香辛料は胡椒くらいで、あとはあまりよく知らない味だった。しかし華やかで調和の取れた香りと、知らないはずなのに親しみを感じるスパイスの組み合わせには文字通り舌を巻いた。

 香りは軽やかだが味はしっかりとついており、塩気だけに頼らない力強さがある。おそらくはコーンの甘味とそばの実独特の風味がベースになって、それを挟み込むように未知と既知のスパイスが調律している。

 

 たきなは大きく目を見開いた。思わず、

 

「おいしい、ですね」

「だろう」

 

 ベースボールキャップの男へ振り向いて、跳ねるように感想を呟く。男は照れくさそうに笑っていた。

 

「料理が得意なんですか? …………もう一口ください」

「あぁ、食べればいい。そうだ。もう二十年以上昔の話だが、地中海沿岸を転々として料理人をやっていた」

「今は……?」

「街がこうなる前は、料理教室を細々とやっていたよ」

 

 差し出された温かいシチューに息を吹きかけてからぱくりと口に含み、思わずその美味に笑みを漏らす。

 それから男の経歴に敬意を払いつつ頷いて、

 

「街に残ったのではなく、取り残されたのですか」

「いや、違う。俺は自分の意思で残っている」

「…………?」

「探し物がな。まだ見つかっていない。見つかったら街から出る方法を考える」

 

 この街の人間は、たとえ粗末な格好と装備のスカブであろうと、一人一人事情があってここにいる。

 探し物、探し人、任務、あるいは金稼ぎ。憂さ晴らしや復讐もあるかもしれない。

 

 〝ただ取り残されているだけ〟という場合は、もしかすると少ないのかもしれない。初めはそうだったとしても、数ヶ月ここにいれば何かしらの目的が生まれるだろう。

 

 ラジアータのアップデートファイルを回収する。

 言葉にするのはシンプルで簡単だが、今日この瞬間までまともな手がかりは掴めていない。それでこれだけ様々な障害が起きている。死にかけて、思い悩んで、相棒とも離れ離れになっている。

 

 たきなは俯きながら段々と表情が暗くなり、細く小さな息を漏らした。

 自分のシチューに手をつけ始めたベースボールキャップの男が、怪訝そうな顔でそんな調子のたきなを覗き込む。

 

「どうした?」

「いえ…………なんでも」

「そうか。まぁ食えよ」

 

 自分のシチューに一口手を付けて満足げに頷いた男が、すぐにたきなの皿に持ち替えてたきなの口元にスプーンを差し出した。

 

 たきなは一度だけ息を吹きかけて、それをぱくりと迎え入れる。一瞬、頬を緩ませながら目をつむり、気持ちを切り替えたかのように微笑みながら男を見た。

 

「探し物、見つかるといいですね」

「そうだな。まぁ、飯作りながら気長にやるよ。お嬢ちゃんも自分の得意なことをやりながらこの街で生きるといい。じゃなきゃ退屈すぎて死ぬか思い詰めて死ぬかのどっちかだ」

 

 ベースボールキャップの男は髭を揺らしながら笑い、もう一口たきなへシチューを差し出した。たきなは頷きながら、今度は息を吹きかけずにそのままおいしそうに口へと咥え、飲み込んだ。

 

 部屋の入り口では、防毒マスクをつけた男がAKS74Uにほんの数秒だけ目線を落としてから、

 

「…………すげぇ嘘付くなぁ」

 

 誰にも聞こえない声量で、マスクの中に響かせていた。

 

 

 




たきなに「あーん」か、たきなから「あーん」か。
あなたはどっち派だろうか。
どっちだろうと、たきなの性格的にめちゃくちゃ特殊なシチュエーションであることは間違いない。
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