リコリスinタルコフ   作:奥の手

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不可思議

『そう、そこです。その車のエンジンルームにフレアを隠しています。大通りに向かって焚けば15分だけスナイパーは昼寝します。その間に通ってください』

 

 アイゼンはヒュージーからの指示に短く返事をすると通話を終えた。目の前の連邦軍軽車両に近づいて、壊れたボンネットを跳ね上げる。

 

 天気の良い昼下がり。乾いた風と明るい日差しが、ボンネットの開く衝撃で舞い上がった埃を可視化する。

 ヒュージーの言う通り、エンジンルームにはグリーンのフレアが置かれていた。横には小さなメモが貼り付けられている。

 

 〝許可なき者の使用は神の罰を受ける定めにある〟

 

 アイゼンはグリーンフレアを取ってリグに収め、メモはそのままにしておいた。

 

「あった?」

 

 後ろから覗き込んだ千束に「あぁ」とそっけない返事をしてから、南の方角を仰ぎ見る。

 

 何十階もある高層ビルがいくつか並び、おそらくはその上から地上を見下ろしているスナイパーがいる。ヒュージーの手先、あるいは取引相手。

 それらの監視を一時的に止める合図が、この数十センチの筒から発射される信号弾である。

 

「撃ち出してからどれくらいの時間、狙撃が止むんですか?」

 

 たきなの問いに、アイゼンは先ほどヒュージーが言っていた15分という回答を返してから、

 

「探索をする時間はない。とっととこの通りを抜けて、ミラと呼ばれている交差点からエリアに入る」

「わかりました」

 

 アイゼンはそのまま南に向かって歩き、千束とたきなも周囲を警戒しながらついていく。

 数分歩くと、通りの直線上に死体の数がやたら多いことに気がついた。

 アイゼンが周囲を見やる。右、左、そしてそこにある建物の二階、三階部分。注意深く観察する。

 

「ここだな」

 

 ヒュージーの言っていた目印を見つけた。つまりここから信号弾を射出してスナイパーに合図を送る。

 グリーンフレアの底部を回し、紐を引っ張り出して一気に引いた。

 

 筒の中で射出用の火薬が炸裂し、くぐもった音と共に上空へ中身が飛んでいく。

 アイゼンの動きは手慣れたものだった。

 

「…………おお、緑の信号だね。これでいいの?」

 

 千束がキャップのひさしの上からさらに左手を添えて遠くを見るようなわざとらしいジェスチャーをする。アイゼンは、上空数十メートルの位置で発光しながら落ちていく信号弾を見上げながら、

 

「たぶんな」

 

 それだけを呟いた。

 千束は無表情でアイゼンの顔をゆっくり見上げて、それからたきなに振り返って、

 

「ねぇ、たきな」

「なんですか」

「これ、たとえばスナイパーさんが今のを見逃してて、通りを堂々と歩いてる私たちを撃ってくるとかある?」

「わかりませんが、もしあったら建物の中に逃げて返り討ちにしましょう」

 

 明らかに「うへぇ」という顔をしながら静かに肩を落とした千束を、アイゼンはチラリと流し見てから周囲のビルの屋上や、屋上に近い窓ガラスを一通り確認する。

 

「行くぞ」

 

 安全の確証はない。この街にそんなものはない。いくらかマシに歩けるというだけで、それ以上の保証は、誰にもどこにも作ることができない。

 千束の言う通り、何かの拍子でフレアを見逃していたらそれこそ数秒後には銃弾が降ってくる。その代わりヒュージーの〝逃がし屋〟としての信用も吹き飛ぶ。

 

 三人は先を急いだ。確証もない安全に、その上時間の制限もある。悠長にはしていられない。

 

 ◯

 

 無事、三人は通りを移動することができた。フレアを見逃したバカはいなかったようで、一発も撃たれることなくグラウンド・ゼロと呼ばれている一帯まで来た。

 

 汚れだらけの木の板に、雑に赤ペンキとスプレーで描かれた〝この先スナイパーあり〟の警告看板を背後に見つつ、千束を先頭にたきな、アイゼンの順で移動する。

 

「どっち?」

「まずその坂を渡れ。建物の外階段下で現在地と行き先を再確認する」

「了解」

 

 動くことのない放置車両が坂道に何台も転がっているのを左手に望みつつ、千束は正面を、たきなは左右を、アイゼンは万が一に備えて背後を警戒する。

 

 階段下まで来てアイゼンと千束が身を低くする。たきなはM24A3ボルトアクションライフルを坂道の方角へ向けたまま、近づいてくる足音がないか耳に意識を集中した。

 

「このまま南だな」

「どの建物?」

「ナカタニと名前がついている。ここの地下が潜伏場所らしい。四日前までは、だがな」

「そんな頻繁に潜伏場所から移動するものなの?」

「お前たちはどうなんだ」

「あぁなるほど確かに」

 

 頷きながら、二人とも立ち上がる。同時にたきなが口元に指を置いた。〝静かに〟のジェスチャー。

 二人も動きを止めて耳をそばだてる。2秒で判断。上に二人いる。

 

 千束がKSGショットガンを突き出しながら階段を上がる。なるべく音を立てず。足運びに気を遣いながら、ゆっくりと、階段を踏む。

 

 上から降りてくる足音。千束は角で止まり、動きを止めた。次の瞬間。

 

「はいこんにちわ」

 

 明るい声で喋りながら千束は階段から飛び出して一発撃った。銃口の先、三十センチもない距離に一人のスカブの胸があり、弾はそこへ命中。スカブがくの字になりながら階段へ倒れ込む。

 間髪入れずに千束はフォアハンドを引いてショットシェルを排莢、戻して給弾。ここに1秒もかからない。すぐ真隣のスカブが事態を把握して手にしているMP-133ショットガンを持ち上げるより早く、千束はそのスカブの顎に向かって引き金を引いた。

 

 非殺傷弾がスカブの顎と、歯をいくつか巻き込んで彼の意識を無きものにした。死んだように崩れ落ちるが死んではいない。口元から出血している。

 

「あ、ごめん歯が……。ご飯食べにくくなっちゃった」

 

 思わず呟く千束のヘッドセットに、

 

『千束、新手が地上から。上がれるなら二階へ行きましょう』

 

 たきなの警告が飛んできた。すぐさま切り替えて千束も返答する。

 

「こっちはおっけ。通れるよ。早く行こう」

『了解です』

 

 階段を上り切り、バリケードと空薬莢が無造作に散乱する通路を抜けて東の方向に走る。正面は大通り。左は坂道が下に伸びており、数十メートル先に対岸の店とその手前の通路がある。

 

 銃声。連続した、ロシア系の銃器の音。

 躊躇いなく撃ってくる輩がいた。

 

『そのまま走り抜けろ。右の建物に入れ』

 

 最後尾のアイゼンが一度立ち止まってSVDSを発砲する。対岸から撃ってきていた人物の射撃が止まった。

 アイゼンの反撃から退避したのか、人生から退場したのかはアイゼンにしかわからない。スコープの向こう側に人影はなくなっていた。アイゼンも千束とたきなを追って走る。

 

 大通りに面してガラス張りの建物だった。それは建物の中からも外からも射線が通ることを意味しており、先行した千束とたきなは素早く建物の中をクリアリングして裏手へと回った。大通りからの視線と射線を切る。

 遅れてアイゼンが合流。壁際に立って通りの方を見る。

 

 動く人影が少なくとも五つはある。こちらを探しているようなそぶりだった。

 

「…………スカブか。数が多い。徒党を組んでいる可能性がある」

「音立てたから目立っちゃったかな」

「そうだな。移動するぞ」

 

 アイゼンの指示に二人は頷き、その場から動こうとした時だった。

 たきなが立ち止まる。バックパックに固定していた衛星通信機から呼び出しがあった。接続していたヘッドセットに通知音が鳴る。すぐに通信機の呼び出し周波数を見て、目を見開いた。

 

「千束。あの」

「どした?」

 

 呼び止められた千束が振り返り、たきなの指差す通信機の周波数を覗き込んで、同じく驚きの表情を浮かべる。

 

 アイゼンが澱みなくSVDSからAK101にスイッチして、

 

「そこの通路まで行って確認しろ。千束は後方を、俺は前方を見張る。たきな、簡潔に済ませろ。この場所は弱い」

「わかりました」

 

 まだ割れていないガラス扉を押して三人は狭い通路に入った。アイゼンの指示通り、千束が今入ってきたばかりの扉の側でガラス張りのエントランスを視界に収める。

 

 たきなは通信機を操作して呼び出しに日本語で応答する。

 

「こちら遠征組」

『楠木だ。千束は生きているのか』

「はい」

『定時連絡を二日行わなかった理由を聞かせろ』

「…………え?」

 

 たきなは固まった。聞き間違いか? 

 DAとの通信は少なくとも一週間以上繋がっていない。

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 たきなは毎日定刻に、欠かさず繋げようと努力した。それでもダメだった。

 今、司令はなんといった? 

 

「すみません、もう一度言ってください」

『なぜ定時連絡が二日途絶えたのかと聞いている』

「……………………はい?」

 

 二日……? 

 たきなは素っ頓狂な声を廊下に響かせた。

 

 




スカブたきなが「チーキブリーキー」って叫ぶ姿を想像してたら夜が明けた(嘘
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