リコリスinタルコフ   作:奥の手

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疲労

「夜は真っ暗なのかなって思ってたけど、意外とこの辺りは明るいんだね」

 

 窓ガラスの隅のほうから、地上を覗き見ていた千束が小さく呟き、そしてふいと顔を室内に向けた。

 

 すぐ隣には大口径の機関銃が固定されており、テラグループ本社の前に広がる緑の豊かな庭に銃口を向けている。庭は、所々で生き残っている街灯が無残な死体を照らす以外、平等に闇に包まれている。

 

 とっくの昔に日が落ちた。

 千束、たきな、アイゼンの三人は、警棒を振り回していた男を黙らせた後、地下からこのビルへと移動して、現在は有刺鉄線で埋め尽くされた階段を上って地上二階と思われるフロアにいる。

 

 階段の表記が五階だったので、もしかすると地下から数えているのかもしれない。三人にとってはどうでもいいことなので、誰も疑問にはしなかった。

 

 このフロアが紛争前にどう使われていたのかはわからないが、紛争が始まってからは機銃の配置場所として、ある意味一つの要所として機能していたようである。すぐにでも弾をばらまける状態で鎮座する機関銃を一瞥してから、千束はアイゼンに視線を向けた。

 

「夜が明けるまではここにいる?」

 

 その声には多分に疲れの色があった。オフィスの無機質な蛍光灯に青白く照らされた千束の顔が、いっそう疲れた表情に見える。

 アイゼンは自身の手元で分解したAK101を地面に広げている。座ってパーツを一つ一つ注意深く観察しながら静かに答えた。

 

「そうだ。ハンクたちの潜伏しているナカタニビルまでは、地上を通るしかないようだ」

「私たちが通った道からは行けそうになかったですもんね」

 

 たきなも力なく壁にもたれかかって、憔悴した表情でつぶやいた。手元のM24A3ボルトアクションライフルに視線を落として、

 

「地上を押し切るのは、難しいと思います」

 

 蚊の鳴くような声でそう漏らした。

 

 このフロアに続く有刺鉄線の張り巡らされた階段には、無数のスカブの死体が転がっている。

 さすがに有刺鉄線を死体で埋めて通路になるほどではないが、ここが外の世界で、平和な国の人間が見たら一生の精神状態に影響しそうなほど、凄惨な光景が階段を埋めていた。

 

 すべてアイゼンの5.56mm弾によって、頭か胸に穴が開いている。

 血で染まった下のほうの有刺鉄線から、数メートル上に張り巡らされたワイヤーと、それに連なる手榴弾のブービートラップ。しかしこれが炸裂する前に、アイゼンは登ってくる追っ手を皆殺しにした。

 

 千束とたきなはバックアップのために、階段出入り口のすぐ外で待機していたが、見る間に千束の表情が曇っていくのをたきなは見過ごさなかった。だがしかしアイゼンの手を止めれば次に撃たれるのは自分たちである。しゃがみこんだ千束のそばに居ることしかできない。それ以外に、それ以上の宥めようがない。

 

 スカブが有刺鉄線を前に動きを止めて姿を隠し、階段に響く銃声が止んで三人がその場を下がったのが数十分前だった。その頃にはもう外は夜のとばりがかかり、千束の表情には一目で作り笑顔と分かる引きつった笑みが張り付いていた。

 

 アイゼンが千束の様子を視界に入れた。その、危うげな様子を見て思うことが一つ。

 イレーネと一緒にいたのなら、あの敵と認めた存在を殺すことに躊躇のない女のもとにいて、それでこの状態になるのか、と。

 たかだか十数人死んだ程度でここまで憔悴するのなら、この街でどのようにして生き残ってきたのかと心底疑問に思った。

 

 だが思っただけで詰問はしない。

 

「少し休め」とつぶやき、自身のバックパックから二本のエナジードリンクを取り出して、千束とたきなのそれぞれに渡した。

 二本の缶が空になるころには、千束の顔色が少し良くなり、疲れだけが現れたというわけである。

 同様に、たきなはここ数日の戦闘ダメージから慢性的な疲労があり、回復が遅れている。

 

 もはやこの場所から動けない。体力的にも精神的にも状況的にも難しい。

 日が昇ったところで、地上へ戻れるかは賭けである。なにより戻ったところで大量のスカブと、殺さなかった警棒の男が控えている。

 

 このビルへ逃げ込んだのが判断ミスだったかとアイゼンは一瞬考えたが、すぐに否定した。

 この判断は正しい。追っ手を一掃して今現在命のあることが回答である。

 これからどうするかを考えるのみで良いと結論を付けた。

 

 アイゼンがAK101を組み立て始める。

 千束はたきなの隣に移動して、同じように壁に寄り掛かりながらアイゼンの手元で組み上がっていくAK101を指さす。

 

「弾詰まりの原因、あった?」

 

 率直な疑問を口にした。

 警棒の男と相対したとき、アイゼンのAK101は排莢不良で沈黙した。そしてサイドアームに構えたマカロフも、こちらは撃発不良で仕事をしなかった。

 

 アイゼンは一度手を止めて、千束のほうを見た。そして首を横に振った。

 

「機関部に異常はない。強いて言えば弾のほうに問題があったのかもしれんが──」

 

 ダストカバーをはめ込み、ボルトを引く。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは明らかにおかしい」

 

 マガジンをリグから取り出して、バックパックから弾の詰まった箱を近くに置いて、一発ずつ弾を込め始めた。

 

 千束はリグから一発のショットシェルを取り出して、静かに顔の前に持ってきた。まじまじと見つめる。非殺傷の12ゲージショットシェル。

 喫茶リコリコの店主、ミカが独自のルートで用意した、金のかかる高級弾。

 

 つまり粗悪品とは程遠い。

 何度も扱った45口径の非殺傷弾も、そしてこのショットシェルも、撃発不良などという言葉とは程遠い良品である。

 

 それが。

 

「私の弾も二回撃てなかった。そんなことある?」

 

 ポンプアクションのショットガンは、仮にその時薬室に収まっている弾が発砲しなかったとしても、排出して次弾を薬室に入れればすぐに撃てる。

 自動化の進む銃器の中で、回転式弾倉とポンプアクションがいまだに世界から消えない理由の一つ。

 〝次は撃てる〟という安心感は、なかなか代替しない強力なメリットであった。

 

 だからこそ千束はあの時相当な焦りがあった。弾が二度続けて出ない。これはよっぽどの異常事態。

 質の良いはずのショットシェルが二度続けて撃発不良を起こし、それが故に千束は武器を捨てて警棒の男に捨て身のタックルを食らわせた。

 

 偶然弾が出なかった? 

 偶然排莢がうまくいかなかった? 

 手入れの行き届いたアイゼンの銃と、信頼に値するミカの用意した弾が、偶然立て続けに問題を起こした? 

 拾ったマカロフも? 

 警棒の男が近づいた瞬間に──? 

 

 アイゼンが、自分の意志とは関係なく、小さなため息をついたのが千束とたきなにもわかった。激しく頷きたいほど気持ちも分かった。

 

 この街はおかしい。

 

 十数分前。

 アイゼンにもらったエナジードリンクを飲みながら、たきなはDAとの通信内容を千束とアイゼンにも聞かせていた。

 DAのことそのものは伏せたが、この街の中と外には時間の流れにズレがあることを、具体的に説明した。

 ざっと計算して、タルコフ市内での一日が外の世界ではわずか3~4時間しか経っていないことになる。街の中は外より何倍も時間の流れが速いということ。あくまでDAの言うことをすべて真に受けるならばだが。

 楠木が言っていた映画のことを千束に尋ねると、

 

「知ってるけど……ちょっと今は説明するの厳しいなーたはは」

 

 と乾いた笑顔でごまかした。笑顔は引き攣っていた。

 

 それで現在の状況に至る。

 

 疲れが出てしまうのは、主に心の問題か。

 アイゼンですらも、その表情には陰りがあった。頭の中では「ではどうするか」と次を考え始めていても、この手の疲労は隠し通せるものではない。

 

 沈黙の中、アイゼンの手元で規則正しいリズムとともに収まっていく弾の音だけが、静かなオフィスに響いている。

 

 〇

 

『元内務省の職員で、今は複数人の側近を連れてスカブのボスをやっています。名はコロンタイ。以前の情報ではストリートのほうを拠点にしているとありましたが、どうも活動範囲が広がったようです。なるほどこれは更新が必要ですね。貴重な情報をありがとうございます』

 

 ロシア訛りの粘り気すら感じる英語の音声に、アイゼンは軽く目を瞑りながら頷いた。通信機の向こうの相手にそれがわかるはずはないのだが、

 

『随分お疲れですか、アイゼンさん』

「ヒュージー、お前はどこかから監視しているのか」

『まさか! さすがの私でもそこまでの力はありません。やれるならやりたいし、やっているならやっているとは言いません』

 

 ねとりとした発音でふざけるヒュージーに、アイゼンはもはや相手にするのも億劫だった。

 ちらりと、少し離れたところで仮眠をとっている千束と、その頭を千束本人にばれないように撫でようとしているたきなを視界に収める。

 さして興味もない。わざと視線を外して天井の染みをぼんやりと見上げた。

 

 一連の沈黙を無視と取ったのか、ヒュージーはしかしこちらも同じく気に留めない様子で話を続けた。

 

『それで、何でしたっけ。あぁそうだナカタニまでの安全なルートでしたか。もちろんお教えします。ただ、我々が集めた時点での情報と若干の差異があるようなので、安全の確約はできません。ご注意を』

「わかっている」

『現在潜伏されているビルのすぐ北側、テラグループ本社とそのビルとの間に、スキーヤーが気にかけていたタクシー業者の出入りがあります。不定期なうえに金銭を要求されますが、スキーヤーから千束さんたちに回されていた依頼は我々が回収して根回ししておきました。なので業者そのものは利用できます』

「信用できるのか」

『もちろんです。車両も防弾仕様で、代わりに移動速度は大したことありませんが、数百メートルの街乗りでそれを気にするビジネスマンはいません』

「7.62mmの軽機関銃を向けられても大丈夫なのかと聞いているんだ」

『いやそれはさすがに……軍用車じゃないんですから』

「ならば却下だ。安全とは言えない。棺桶に乗るつもりはない」

『そうですか……ではプランBです』

 

 ヒュージーは一度わざとらしく息を吸って言葉を区切った。

 

『あと一時間もしないうちに、例の黒ずくめがそのエリアを襲撃します。どうも目的はあなたたちではなく全然別目標のようですが、激しい市街地戦闘が予測されます。その混乱に乗じて地下より移動し、通りの反対側の建物を進んでナカタニまで移動するのはどうでしょう』

 

 ヒュージーの提案は、タクシー業者を使うものよりはいくらかマシだった。ただ問題は、千束とたきな、特にたきなの体力が移動に耐えられるかということだった。

 高い確率で戦闘行動に巻き込まれる。まだ全身の回復がままならないたきなをカバーしながら移動し続けることになる。

 

 混乱に乗ずるというのは、一歩間違えれば混乱に巻き込まれる。踏み外した足は確実にからめとられ、抜け出すことは難しい。

 

 だが、

 

「ほかに案は?」

『正直おすすめのものはありません』

 

 選択肢がない。一番マシなものを選ぶよりほかはない。

 アイゼンは歩き、たきなのすぐそばで立ち止まった。

 たきなを見下ろしたまま、

 

「起こすまで寝ていろ。下で戦闘が始まったら移動だ」

 

 短く、確実に、用件だけを伝えた。

 たきなはそれで意図をくみ取ったのか、一度だけ頷いてすぐにそのままバックパックを枕に、千束の背中にぴたりと身を寄せて寝息を立て始めた。拳銃だけは握りしめて。

 

『あぁ、アイゼンさん。それと黒ずくめ共の組織名がわかりました。〝ブラックディビジョン〟というそうです』

「所属は」

『テラグループ。どうも秘匿された完全な私設部隊のようです。巨大コングロマリットが抱える裏のゴミ処理屋。金だけは持ってますからねぇ、良い装備使ってましたよ。

「〝秘匿された私設部隊〟の情報が漏れている矛盾はどう説明する」

『いやだなぁ。ちょいと生け取りにしたサンドバック(隊員)と遊んでいたらそんな情報が聞こえてきただけですよ。何も嘘を並べているわけではありません。あ、コンコルディアで始末した連中の装備を譲っていただいてありがとうございます』

「ほとんどお前たちが殺したものだ」

『いくらかはたきなさんの仕事です。おかげさまで潤いました。それで、このブラックディビジョンの活動目的ですが、どうやらテラグループの違法実験データを回収、抹消することが目的のようです』

「………………なるほどな。それですべてのラボ襲撃メンバーの殺害ということか」

『データの入った物理ファイルはもちろん、我々のような情報屋も根絶やしにするつもりのようです。もちろんあなたたちも。人間の脳みそも〝違法データ〟ってわけですね』

「笑えんな」

『外からジャンジャン戦力が投入されています。金は余るほどありますから。金で買えない信用は、銃弾で解決しようって寸法でしょう』

 

 アイゼンは通信機を持ったまま、反対の手で眉間を押さえた。頭痛は気のせいではない。もうずいぶんまともに寝ていない。

 

『まぁでも、この件に関して我々はそこまで悲観してはいません』

「銃声の鳴らない安全な地下に引きこもるからか?」

『いえいえ。この街には情報を商材にして生きる者が何人もいます。そのうち、テラグループが部屋の奥に隠した秘密の実験について掴んだ組織も、これまた少なくない数が居ます』

「何が言いたい?」

『それらすべてをこのブラックディビジョンは武力解決しようとしているんですよ? たとえば……スキーヤーもリストに入っていますね。でもこいつのバックにはほんのちょっと西側諸国の匂いがあります。詳細は省きますが、もし正面からスキーヤーを消したいならそれこそもう一回この街で戦争をしないといけません』

「……」

『個々のいざこざとか、私怨とか報復とかはもちろんあります。私の組織も何人かスキーヤーの部下をぶっ殺していますが、それは向こうも同じです。持ちつ持たれつ、そして共通の敵が現れたらわれわれスカブは団結して敵を討ち取ります』

「…………〝スカブは〟か」

『おっと、これは失礼しました。言い間違いです。英語が苦手でね。正しくは〝この街の住民が〟ですね。あなた方USECも、もう立派なタルコフ市民ですよ』

「まったくうれしくない移民の許可だ。まずお前にその権限はないだろう」

『こういうのは雰囲気が大切です。──話をまとめます。ブラックディビジョンは、割と人目もはばからずにその仕事を行うでしょう。殺せるときに殺すだけ殺します。対抗するためには、抹消リストにあるすべての人物、組織、勢力がなるべく束になったほうがいい。アイゼンさん。あなた個人でどうにかなるものではないですが、あなたがラボを襲撃した時に在籍していたメンバーが一人でも多く集まるか、またはかつてのUSECの仲間が集まり、組織的に戦うことができればそれは強力なカードになります。我々も全力でサポートします』

「口で言うことはいくらでもできる。行動で示せ」

『もちろんです。それでは』

 

 通信は嘘のようにぱったりと切れて、無機質な蛍光灯が照らすフロアには、千束とたきなの寝息がわずかに響いてアイゼンの耳まで届いた。

 

「……結局、誰かのコマ(代理)として戦争をするのだな。変わらんな、どこもかしこも」

 

 割れたパソコンモニタのすぐ脇に、まだ開封されていない緑茶の缶が置いてあった。

 手に取り、栓を開けて、一口煽る。

 腰を下ろす。地べたに座り、机の脚に背中を預ける。

 

 外と中の時間の差。

 ありえない弾詰まり現象。

 思えばこの街の物理法則は常軌を逸している。

 

 この街から脱出したとして、果たして元あった世界へと帰られるのか。

 そもそも脱出できるのか。

 世界は、この街の中で起きていることを認知しているのか。

 

 理解も説明もできず、ただ命の保証もない現実だけが残酷に横たわっている。

 

 アイゼンは緑茶の缶に口をつけて喉を鳴らした。

 全て飲み切って、そっと傍らに置く。

 

「ステッチ。お前を殺した奴を殺したら、俺は────」

 

 低く、掠れた、這うようなアイゼンの言葉を、聞く者は誰もいなかった。

 

 

 

 




徹底した合理主義者が、理のない現実に直面するとまぁそりゃこうなるよね。
おいステッチ早く助けてやれ。無理か。なんで死んだんだお前……。
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