リコリスinタルコフ   作:奥の手

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個人

『予定が変更になりました、アイゼンさん。テラグループ本社の北側に抜け道があります。我々と付き合いがあり、かつそのあたりの地形に精通したスカブがいます。彼の案内を受けてください』

 

 粘り気を感じるロシア訛りの英語でそう告げたヒュージーに、アイゼンは顔をしかめた。

 テラグループ傘下の銀行が入っているオフィスから地上へ降り立ち、今まさに銃声の鳴り止まない大通りのほうを一瞥する。

 

「この中庭にはまともな遮蔽物が存在しない。北から南へかけて発砲し続けている敵の真横を通れというのか」

『現在、ルーク・コンバイスさんからの接触情報が正しければ〝ブラックディビジョンはその機能の大半を喪失している〟とあります』

「馬鹿を言え。じゃあこの銃声は誰と撃ちあっている」

『〝善良な地元住民のボランティア〟と』

 

 アイゼンは眉間を左手の指で押さえてから数秒沈黙。顔を上げるとロビー北側に張り付いて外の様子を伺っていた千束が、振り返って首を横に振った。敵の姿はここからでは見えないらしい

 どちらにしても、もはや地下を通って南下を狙う意味がない。

 合流対象が別ルートを使って余所へ行ったのならば、その目的地へ進む以外に合流の可能性はない。

 

 ただし、テラグループ本社の北側へ抜ける唯一のルートは、今いる敵の位置からいくらでも銃弾を叩きこめる場所である。

 

「ブラックディビジョンの残存兵力は」

『小隊、ただし指揮官を別とした二個分隊の生き残りととらえるのが良いでしょう。ハンクさんの仕事です』

「誰がやったかはどうでもいい。敵の増援は」

『狙撃手がいることに勘付いて、近くの狙撃分隊を招集しています。そのエリアへの到着は十五分後です』

 

 それはつまり。

 この場所で十五分留まるのも、北側への突破に十五分かけるのも、どちらも著しい生存確率の低下を招くという情報だった。

 

 アイゼンは首を振り、千束とたきなへハンドサインを出す。二人がロビーの奥、東側へと移動を始めてから、アイゼンもバックヤードとロビーを隔てているドアをくぐって先へ進んだ。

 

「北へ動く」

『〝グリゴリー〟と名乗るスカブを探してください。あるいはそのあたりの人間からは〝チェルノボーグ〟とも。派手な色のオリンピックジャケットにGP-5ガスマスクが目印です。彼は常にそれを身に着けています』

「スラブの死神に案内を任せるのは気が引ける」

『時間がありません。ご武運を』

 

 短く、それだけを残して通信を終える。

 散発的ではあるが絶え間ない銃声の響く大通りを背にして、アイゼンはRPDの銃口を床へと下げたまま千束とたきなの後を小走りで追った。

 

 〇

 

 タルコフ市内には、いくつかの境界線のようなものが存在している。

 それはロードブロックであったり、強固なセキュリティで隔たれた扉だったり、あるいは組織的な通行妨害を受ける場所であったりと、原因も要因もさまざまである。

 

 その境界線の中には特定の条件下であれば難なく通行できる場所があり、条件の一つに〝地元住民の協力が必要〟というものも存在する。

 地形、人脈、装備、時間帯。

 複雑に絡み合った、激戦区から安全地帯への()()()を案内することで日銭を稼いでいる地元住民がいた。

 

 ヒュージーの口にした名前。

 グリゴリーまたはチェルノボーグと呼ばれている案内人もまた、そういった一市民のなれの果てなのだろう。

 

 弾を防ぐ場所が太めのコンクリ柱しかない、テラグループ本社中庭の東端を、三人の人間が足音を殺して進んでいた。

 

 KSGショットガンを水平に突き出して先頭を行く千束。

 ナイトビジョンを下ろしてSVDSを大通りへ向けるたきな。

 殿のアイゼンがRPDをエンパイアビルの方角へ向けている。

 

 大通りの銃声が止まった。

 〝地元住民ボランティア〟が居なくなったのか、あるいはブラックディビジョンが息を引き取ったのか。

 前者である可能性は限りなく高く、後者である可能性はゼロに等しい。

 であれば、ブラックディビジョンは目の前の敵を排除し終えて次の行動に移す。

 

 つまり。

 

「千束、見つかりました」

『だよねぇぇぇぇ! 走るよ!!』

 

 夜目の効く装備に注げるだけの金を注いでいる集団が、索敵を始めて数十メートル先の人影を見逃すはずがなかった。

 

 味方以外はすべて敵。

 まして自分たちの組織に都合の悪い情報を闇へ葬るために銃を持つ連中が、引き金を引くことにためらいなどあるはずもない。

 

 くぐもった銃声と控えめなマズルフラッシュ。アイゼンの目にそれらの光景が中庭の向こう側で発生するたびに、三人の真横を風切り音が通過する。

 

「……」

 アイゼンは無言で返礼を贈ることにした。

 

 RPD軽機関銃の引き金を引き絞る。

 マズルフラッシュの見えた場所へ。

 横一閃薙ぐように。

 

 そしてあたりに銃声が撒けられた。

 何か柔らかいもので包んだ空気を機械的な超高速で破裂させているような、決して一つ続きではないけれどもまるでブザーの大音量のような。

 その立て続けに響く破裂音の一発一発が大口径7.62×39mmであり、十分に人間を殺せる凶弾である。

 

 それでアイゼンは中庭を薙いだ。草を刈り取るように左から右へ二十メートルほどの一帯に死の雨をぶちまけた。

 

 引き金を引き続け、銃口の先端が赤くなり、比例してドラムマガジンの重量が軽くなることを両腕の中で確かに感じたアイゼンは、視線の先に瞬いていたマズルフラッシュが収まったことを認める。

 手ごたえはない。殺せていても二人か三人。有効打ではない。しかし移動の隙を作るのには十分と判断した。

 RPDの引き金から指を外し、夜の静寂が仮の姿で辺りを満たした瞬間、アイゼンのヘッドセットをたきなの声が揺らす。

 

『カバーします。こちらへ』

「あぁ」

 

 RPDの残弾は恐らく四分の一もない。

 弾倉の交換が必要。しかし先に移動が必須。アイゼンは走り出した。

 

 視界の左端でマズルフラッシュが瞬いた。

 頭上すぐそばを鉛弾が飛翔する。ピュンともチュインとも表現できる甲高い音が一秒おきに周囲で鳴り、右のコンクリ壁やアスファルトを穿っている。

 

 前方のたきなが柱を左半身に押し付けて、SVDSを壁にぴたりとくっつけているのが見えた。

 依託射撃。立射でこれをするメリットは腕のみの保持より安定した照準がなせること。

 デメリットはカウンターを受けたときに初動が遅れること。1秒遅れれば致命傷を受ける可能性もある。

 

 たきなの細腕で重量8kgに迫るSVDSを数秒間、ブレなく支え続けて有効な一撃を放てるとはアイゼンも思っていなかった。

 

 故に柱を活用して、銃本体の重量と反動を効率よく自らの持てる技術で制御したその一連の判断に、

 

「よくやった」

 

 アイゼンは称賛を贈った。たきなの肩を素早く叩き、移動が済んだことを伝える。

 

 大通りからの攻撃が止まっていた。

 たきなの発砲は一回のみ。たった一発。その一発は確かに敵を黙らせている。

 

「…………」

 

 肩を叩くだけで済むはずの合図に、合理主義者が声までかけてきた事実にたきなはほんの少しばかり口元をほころばせた。決して褒められたことがうれしくて笑ったわけではありませんと、誰に向けての言い訳かわからない一言を内心で呟く。

 すぐさま踵を返し、テラグループ本社のエントランスへと侵入した。

 

「中は大丈夫そう」

 

 先に入っていた千束が姿勢を低くしたまま振り返って目を細める。そこら中にゴミと弾痕と薬莢が目に入る形で散らかっているが、人の気配はない。

 たきなも頷き、アイゼンは今入ったゲートを左へと曲がってそのまま直進した。二階へ伸びる階段が道半ばで鉄板に覆われている。その目の前でしゃがみ、RPDの弾倉を交換し始めた。

 

「こっち?」

 

 千束が北の方角へのびる廊下を指さす。アイゼンの首肯を受けて数十メートル先まで全く遮蔽物のない、危険な直線を注意深く壁の端からのぞく。

 数秒して、千束のヘッドセットに通信が入った。

 

『俺が先頭を行く。千束は中央で後方警戒。たきな、千束の射程圏外に敵が現れたら殺してくれ』

「はい」

「う────……そう、堂々と……言っちゃうんだ……」

「千束」

 

 すぐ後ろにいたたきなが、千束の目を覗き込んだ。

 もし。

 もし、たきなの視線に人を殺める力があったとしたら、間違いなく千束は致命傷を負っていた。それほどたきなの目には力が籠っていた。

 

 千束は狼狽えながら、

 

「わ、わかってるってば。もう……いや、もうさ、私だけのやり方っていうか……たきなが無理して守る必要はないよ。知ってる。わかってる。アイゼンさんだって何回も──」

 

 千束の言葉尻はどんどんと小さく薄くなっていった。何を言っているのか自分でもわかっていない。声量は細くなり、顔は下を向く。

 

 アイゼンが廊下を歩きだした。

 足音と気配でそのことは千束も気づいている。たきなの視界にも入っている。追わなければならない。

 

 たきなの息を吸う音が、千束の耳に届いた。

 

「〝千束を守る〟──千束、あなたにはあなた自身が守りたいルールがあるように、私にも同じものがあります。スキーヤーの物言いには不快感を憶えますが、この街に限っては的を射た言葉でした」

 

 顔を上げた千束に、たきなはにこりと小さな笑みを浮かべて、

 

「私は千束の相棒ですが、千束自身ではありません。あってはいけないんです。だから私は実弾を使うんです」

「たきな……」

 

 千束の消え入りそうな声は、当然たきなの耳にも届いていたが、

 

「先を急ぎましょう。追っ手が来ます」

 

 たきなは強引に話を切った。そうするしかない。たきなも、千束も、今ここで道徳の授業を始めるつもりはない。千束は黙って頷き、振り返ってアイゼンの後を辿った。アイゼンの歩く速度がやけに遅かったこともあり、すぐに追いついてぴたりと背中合わせになる。

 

「…………進み続けろ」

「え」

 

 長い廊下の中ほどに来た時。

 ぽつりとそれだけを言ったアイゼンの、次の瞬間には手の中のRPDがけたたましい発砲音を響かせて前方に嵐を巻き起こした。

 




だんだん涼しくなって来て、作者もにっこり笑顔です。
RPDの銃声、どこか幕が張ったようなというか、くぐもっているというか重低音を感じるんですよね。
あんなもん向けられて自分の周りが穴だらけになり始めた時の気持ちたるや、想像したくないレベルですね……。
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