アイゼンは、十数メートル先が自らの制圧射撃で穴だらけになり、粉塵が舞い、血液が飛び散っていく様を見ながら歩みを止めなかった。
数秒間の射撃。確実に一人は殺した。ほかに何人いるのかは不明だがこれで終わりというわけはない。
引き金から指を離す。唐突に訪れた静寂の瞬間に、
「千束」
アイゼンは名前を呼んだ。
すぐ背後から、真横を通って、そして前方へ。
バックパックを投げ出して身軽になった千束が、まるで風を巻き起こすかのように疾走していった。
千束は壁の角に張り付きながら一瞬顔を出す。
出入り口の外には駐車場。
足元には死体。つい先ほど死んだ男と、もう何日も前の物であろう乾いた死体が混在している。今は構っていられない。
千束が顔を出した瞬間に、すぐ手前の白いバンのエンジン側から発砲を受けた。
千束は一度顔をひっこめてから、一秒も待たずに今度は全身を出した。
ガラスの二枚扉。手前側も奥側も、もう残っているガラスはふちにこびりついたわずかな破片しかない。それゆえに千束の視界を遮ったり、ゆがませるものは存在しない。
バンの向こう側から器用に銃口を出して、千束の頭を狙う男の様子は、しっかりと千束の両目に収まっている。
男が発砲。千束は少しだけ姿勢を低くした。低くした分だけ頭の位置が下がり、もともと頭のあったところを銃弾が二、三発通過する。
そのまま千束は前へ走った。右へステップ。バンの後方へ回る。銃撃は止んで、車一台挟んだ先で、手榴弾のピンを抜く音がした。
千束の反応は神速のそれだった。
いまここで、車の下を通して投げられればまだ対処できる。
しかしもし、たきなとアイゼンのいる建物入り口のほうへ投げられたら。
二人は無事じゃすまない。
千束は車の後部から躍り出て男の姿を捉える。
悪い予感はこういう時に限って的中する。男は既に出入口へ向かって手榴弾を上投げしていた。やけにゆっくりと、黒く丸い物体が放物線を描く様を千束は視界の端で追いかけた。
KSGショットガンを男に向ける。男がこちらへ振り向くと同時に顔面へ一発。敵は手元の銃を千束に向ける暇もなく、その場でのけぞった。
「たきな手榴弾ッッ!!!!!」
叫びながら、男の頭にもう一発。
そこで初めて気が付いた。敵は黒ずくめじゃない。ブラックディビジョンではない。
ただのBEAR隊員だろうか。緑を基調としたコンバットシャツに小口径短機関銃を持っている。頭にかぶっているヘルメットは千束の非殺傷弾の威力を大幅に相殺するだろう。だから二発目は首へ叩き込んだ。
今度こそ、男はその場に崩れ落ちる。
すぐさま千束はその場で身をかがめた。足をバンのホイール側面に付けて体をぴたりと車体へ寄せる。そしてできることはもう、たきなとアイゼンの無事を祈るよりほかはない。
車の反対側数メートル先で爆発音。すぐ真上の窓ガラスが粉々に砕け散る。ドアを穿ち穴をあけ、コンクリ壁を削る鉄片が周囲を一瞬でズタズタにした。
KSGショットガンがみしりと音を立てるほど、両手が白く血色を失うほど、千束は強く祈るしかなかった。
手榴弾の爆発から三秒。日常生活なら気にも留めない時間だが、今の千束にとっては数時間とも数日とも思えるほど。
歯を食いしばるしかない無力と、まだ何かできたかもしれないという後悔が、たったわずか数秒の間に胸を占めて離れない。
恐る恐る立ち上がる。割れたガラス越しにバンの向こうを見る。出入り口には、
「千束! 無事ですか!!」
叫びながらこちらへ走ってくる、青いワークジャケットにぴたりとしたスポーツパンツを履いた、そしてカスタムされ尽くしたSVDSを両手に持った相棒がはっきりと見えた。千束は視界がゆがみそうになるのを何とかこらえて、手の甲で目尻を擦ってから「無事! そっちは!!」と叫び返した。
「私もアイゼンさんも問題ありません」
たきなが車両の反対側で手招きをしてから姿勢を低くした。千束も出入り口側へ移動して、バンを中庭からの遮蔽物として使う。たきなと肩が触れ合う距離で一緒に膝を曲げた。
「この駐車場は先ほど交戦したブラックディビジョンから射線が通ります。右手の奥を慎重に進みましょう」
「私のバックパック取らなきゃ」
「アイゼンさんが持って来てくださいます」
「そりゃありがたい」
「ほかに敵は?」
「ざっと見た感じここにはいなさそう。でも気を付けようたきな。不意に爆発させられたらたまらないよ」
手をぐーぱーして見せる千束のジェスチャーに、たきなは真顔で頷いてから「その時は蹴り返してください」と一言添えた。二人は立ち上がる。
アイゼンが合流。千束のバックパックを片手で受け渡す。
駐車場の奥側、ちょうど壁を右手にする形で三人は足早に移動した。
数メートル間隔で乗り捨てられた、あるいは駐車されたまま持ち主を失った車をチェックポイントのように寄って行き、万が一中庭から攻撃を受けても銃弾を防げるよう移動する。
常にエンジンブロックやシャシーのある場所に胸の高さを合わせる。
そうして何台かのトランクやボンネットを経由したのち、
「……?」
先頭を歩いていた千束が立ち止まった。最後尾で警戒していたアイゼンが、千束の視線の先を確認する。そして舌打ちを一つ響かせた。
「案内人だ。千束、息があるか確かめろ。生きていればできる限り治療してくれ」
「おっけーい!!!」
すぐさま駆け寄り、乗用車の右前のタイヤに背中を預けてぐったりとしている男──派手な色のオリンピックジャケットに、アヒルを思わせる防毒マスクをつけたスカブに声をかける。
「〝グリゴリー〟さんで合ってる? 合ってなくても命は助けてあげるからね。どこ撃たれたの?」
千束は質問しながらまず首筋の脈を確認した。ある。問題ない。呼吸も荒いがしっかりとしている。ただ出血がひどい。
体の右側面が特に血濡れになっている。足も、右側を中心にダメージが大きい。まるで数日前のたきなを思わせる。
「……合っている。お前たちが、依頼人か」
防毒マスク越しにくぐもった声をぽつりと発した。やや低くハスキー。中性的な印象を憶える声の高さだが、相当衰弱している。千束は頷きながらバックパックの医療品を手早く開封。治療に取り掛かる。
「生きててね。あなたがいないと、私たちここから出られないんだ。結構厄介なのがいてさ──ごめん、良いジャケットなんだけど切るよ」
「構わない」
体の右側面の服をハサミで大きく切断する。出血部位とともに腰回りから右脇腹にかけてが露出した。線の細い、色白の腹部が見える。筋肉量が少なく、明らかに戦闘職の人間とは思えない体格であり、ロシア系の男性にしてはずいぶん細身な印象だった。
その白い腹部のすぐ脇で、小口径弾によってもたらされた負傷箇所があらわになる。止血作業に入る。
数分間。千束は治療に専念した。その間の護衛をたきなとアイゼンがしっかりと請け負う。アイゼンはRPDの弾倉を新しいものに交換していた。
腹、腕、足の出血部位をまず止血して、それから持っている薬剤を患部に注射する。針を刺す時に千束は「ごめんね痛いよー、ごめんねー」と目を細めてのけぞりながら刺していた。
一通り、その場でできる応急処置を新手の襲撃もなく無事に終えることが出来た千束は、医療品をバックパックに戻しながら男に話しかける。
「なんて呼んだらいい?」
「……グリゴリー。あるいはチェルノボーグ。呼びやすいほうで良い」
「わかった。私は千束。あっちのおしゃれなのがたきな。そっちのおっかない顔の人がアイゼンさん」
「……そうか」
グリゴリーは頷き、立ち上がった。すぐそばに置いていたPPSh-41を拾い上げて、マガジンを新しいものに交換する。野営道具を括り付けた市販のバックパックも背負って、最後に防毒マスクの位置を少し調整した。
立ち上がったグリゴリーは千束の頭一つ半ほど身長が高く、アイゼンとほとんど同じだった。180cmほどか。千束は見上げながら、
「歩ける?」
心配そうに首をかしげる。グリゴリーは感情の見えないマスクの向こうから、しかしはっきりと気持ちのほぐれた様子で、
「大丈夫だ。ありがとう。…………女が二人もいるんだな」
感慨深げにそう呟いた。千束はバラクラバの中でにまーっと笑いながらピースサインをした。
「この街じゃ珍しいでしょ。元気になったらいっぱいお話してあげるから、今はここから出よう。どこに行けばいいの?」
「そっち」
グリゴリーの指さすほうへ。
たきな、アイゼンも合流して、グリゴリーを中央に置く形で護衛しながらテラグループ本社北側へと抜けていった。
ネームド級の新キャラがここ数話で三人も出てきましたね。
うち二人は初登場した瞬間に死にかけているという、さすがグラゼロ仕様。このエリアは地獄だぜ。