リコリスinタルコフ   作:奥の手

92 / 132


 オリンピックジャケットのフードを目深にかぶり、GP-5ガスマスクから息の漏れる細い音を響かせるグリゴリーの姿は、確かにスラブ神話の死神(チェルノボーグ)と呼ばれるのも頷けた。

 

 テラグループの関係施設、とりわけ本社周辺とその地下への案内で生計を立てているグリゴリーを、地下深くの冥府へ魂を運ぶ存在と同じ名前で呼ぶ地元連中の気持ちは、アイゼンにも理解ができた。ただ、そんな大仰な名前を与えられて活動を続けるのは相応のリスクも伴う。

 

 実態を知らず、調べようともせず、名の知れた案内人の存在に()()()()()()()()()()無法の輩が現れたとき、数十分前のような状態になる。つまり不要な戦闘と過剰な攻撃にあって死亡率が上がる。

 自ら名乗っているわけではないところに憐憫の情を抱きながらも、だから特別何かをするというわけでもない。アイゼンはグリゴリーの後ろから周囲の警戒を厳とした。

 

 グラウンド・ゼロから東へ進み、途中で南に転身した一行は、都市部の非常電源によってそれなりの明かりを保証された夜の街を歩き進んでいる。

 

 大通りの端を注意深く進むこともあれば、人ひとり通るのがやっとの細い裏路地を一列で歩くこともあった。

 十分に一回はグリゴリーが誰かと通話をして、ここまでに二回、直接何者かと建物の陰で取引をしている。

 

 千束が羨望のまなざしでグリゴリーと取引相手を見ながら、

 

「すごい……完全に映画の案内人まんまなんだけど。かっこいいねたきな」

「よくわかりません。武装した人間と直接会うリスクを考えると悪手とも思えますが?」

「そこはロマンでしょ」

「そんなものを命と同じ天秤にかけるんですか」

「……たしかに。いや、ほら、なんか事情があるんだってば。電話より直接会ったほうが気持ちが伝わるじゃん? それだよきっと」

「はぁ……」

 

 たきなが生返事を返すのと、グリゴリーが三人目の取引を終えるのが同時だった。振り返ったガスマスクの死神に、アイゼンが頷いて千束とたきなにも手招きをする。

 

 三人目の取引相手が指さしたアパートに、グリゴリーが入っていった。すぐ後ろについていたアイゼンが千束とたきなを先に行かせて、自分は一度周囲の様子を確認する。

 

 裏路地から入る古いアパート。周りの建物は労働者たちの利用が主な目的の、決してきれいでも美しくもない実用的な集合住宅地。今から入る建物が六階建てであり、周りの建物もだいたいそれと同じ階数、同じ大きさ。区画整理された計画的な開発の末、数十年たったエリアとみられる。

 

 その屋上を見やる。

 

 ぱっと見まわしただけでも三人、こちらを見ている。手にしている銃器は細く長い。狙撃兵、あるいは見張りであり、そこにいるということは〝それができる〟人物たちなのだろう。

 完全にテリトリーの内側にいることをいやでも自覚させられる。RPD一丁と半端者の少女二人を抱えてこの場所から生きて脱出することは不可能だと判断した。ゆえに、グリゴリーを含めてこのあたりのスカブとは、今は敵対してはいけない。

 不要な戦闘は避けるに限る。

 

 アイゼンは振り返り、建物に入った。

 

 ○

 

 外から見たアパートは周囲の建物とほとんど同じで、実際入口まではその印象の通りであった。

 しかしひとたび中へ入ると、なるほど何人ものスカブと取引をしながら進んでいた理由がよくわかる。

 

 まず建物の内と外を隔てるただの木のドアを超えた先に、物々しい鉄製のドアがまるで門番であるかのように廊下を寸断していた。このドアを越えなければ、建物の中には入れないし出ることも恐らくできない。

 

 ドアのロックはカード式になっている。ご丁寧に壁の一部まで鉄板とコンクリで固めており、手榴弾や少量の爆薬ではびくともしない。

 どこかの研究所から引っ張ってきたのか、建物に対して過剰にハイテクなセキュリティである。

 

 グリゴリーが開いたドアの向こうで待ち、千束とたきなはその先の廊下や部屋をきょろきょろと見まわしている。アイゼンも鋼鉄の出入り口をくぐってから、自身とほぼ同じ身長の白いガスマスクに向かって、

 

「……なぜここまで強固なセキュリティなんだ」

 

 猜疑心を隠さない声音で尋ねた。グリゴリーが歩き出し、廊下の奥へと全員が進む。

 

「お前が知る必要はない」

 

 ガスマスクから洩れた短い言葉は、アイゼンの期待に応えるものではなかった。「そうか」と一言返して、会話が終わる。

 

 廊下の一番奥の部屋のドアを開けた。グリゴリーがガスマスク越しにアイゼンを見てから、

 

「お前の部屋だ」

 

 部屋の中を指さした。

 アイゼンは部屋の中を一瞥してから、

 

「俺の仲間との合流はどうなっている。お前やお前の周囲の話はこれ以上詮索しないが、合流の件は我々と直接関係している。隠すのなら相応の態度を取るぞ」

「この先の道は夜が明けないと通れない。この建物は知り合いが管理しているセーフハウスだ。安全はなるべく保障するが銃に弾は入れておけ。お前と合流を望んでいる仲間は別のポイントへ向かわせた。夜明けから少し時間をおいて出発し、ストリートの東へ向かう。これで満足か」

 

 喋り終えてから、隠す様子もなく疲れたように肩を落としてため息をついたグリゴリーに、アイゼンは無言でうなずいて部屋の中へと入った。

 ベット、サイドテーブル、ランプ、ラックだけのシンプルな造りだが意外にも清潔感があり、ベットは丁寧に整えられていた。

 アイゼンは装備を下ろしながら慎重にベットの下やマットレスを引きはがして裏側を確認する。

 

 その様子を見て、グリゴリーが何を思ったのかはマスクの向こう側故にわからないが、心底疲れた声で、

 

「出発は五時間後。ゆっくり休んでくれ」

 

 それだけを言い残して部屋のドアを閉めた。が、閉まる直前に少し手を止めて、

 

「向かいのドアの向こうがシャワー室だ。好きに使え」

 

 木製のドアが律義に丁寧に、少しの音を立てて閉められた。しばらくの間、アイゼンは部屋の中の物や設備を調べてから、リグとアーマーを脱いでベットに座った。

 

「……」

 

 AK101を自身のすぐそばに手繰り寄せて、ベットに体を預ける。マットレスに沈み込んでいく全身と、さすがの疲労感に意識を埋もれさせながら、アイゼンはサイドテーブルのランプも消さずに、静かに目を閉じて細い息をついた。

 

 ○

 

「お前たちはこっちだ」

 

 グリゴリーが親指で二階を指さし、先頭に立って階段を上がる。千束が首をかしげながら、

 

「なんでアイゼンさんと分けたの? 一緒でもいいじゃん」

 

 高い背に下から疑問を投げた。グリゴリーは階段の踊り場で体の向きを変えてから立ち止まり、千束とたきな二人の顔を見た。ガスマスク越しに目が合う。

 

「お前たち、自覚はあるのか?」

「…………? なんの?」

「…………」

 

 千束は傾げた首をもう少し深く倒してさらに深まった疑問にハテナを浮かべ、たきなはまっすぐグリゴリーを見返した。

 

「分からないならいい」

 

 冷たく静かに、あまり明瞭ではないガスマスク越しの言葉が残る。グリゴリーは背を向けて階段を上り始めた。

 千束が「えーなになにどゆこと??? ミステリアスすぎるでしょグリゴリーさん!!」と元気に快活な声を上げてグリゴリーの後を追い始めるが、その後ろにいたたきなは足を止めたままだった。

 

 駆け出した千束の背をぼんやりと視界に収めて、

 

「…………?」

 

 何か違和感があったが、しかし今ここで追及し考察する必要のあるものではない。考えても無駄なような気がした。そうと判断したら、別段足を止める理由もない。

 

 二階に上がって右手のすぐそばの部屋へと案内された二人は、ベットが二つ並ぶその様子に安堵と感嘆の声を上げた。

 

「たきな、私今最高にうれしい気分だよ」

「同感です」

 

 部屋の設備はアイゼンの部屋のものとほぼ同じ。簡素な造りだが〝ベットで寝られる〟というのは、その後の疲労回復に大きく影響することは言うまでもない。

 早速部屋に入って一通り中を観察してから、バックパックと銃、リグやアーマーを脱いでいく。

 

 入口に立っていたグリゴリーが二人の様子を見守りながら、

 

「下の男にも言ったが出発は五時間後。一階に降りてすぐ左のドアの向こうがシャワールームだ。広いが共同だ。男が使っていたら時間をずらしたほうがいい。何かあったら大声で叫ぶか、その腰の拳銃を持っておくといい」

「あいあいさー」

「分かりました。グリゴリーさんはこの建物にいるんですか?」

「そうだ。二階の別室にいる。何かあったら208号室に来るんだな」

「はい」

 

 たきなが頷いた横で、千束はアーマーを脱いでバラクラバを外し、頭を左右に振って白金髪をかき上げてからベットに腰かける。そしてグリゴリーのほうへ顔を上げて、

 

「私たち以外には誰かいるの?」

「この建物の管理人が一人、守衛室にいる。めったに現れないが銃声がしたら警戒態勢になる。なるべく撃つな」

「わかった、気を付ける」

 

 千束とともにグリゴリーも頷き、そのまま部屋から出た。アイゼンの部屋同様に静かで確かなドアの閉まる音をわずかに響かせ、部屋には一瞬の静寂が訪れた。

 

 そしてすぐに千束がぱぁっと明るい笑顔で、

 

「シャワーもあるってよたきな!!!! 入ろう!!」

「今からですか?」

「今から!! あ、一応拳銃は持って行っとこう。何かあった時にね。ほら! 行くよ! 一緒に入ろう!」

「いやです」

 

 即答の拒否に千束は一瞬固まってから、瞬時にたきなに抱き着いて、

 

「えぇーやーだーぁぁぁ! たきなとシャワー浴びたいぃぃぃぃ!!!」

「わがまま言わないでください千束。何かあった時にリカバリーできません。ここは戦場ですよ。入口で見張って交代で入ったほうがいいに決まっています」

「そんなぁぁぁ。こんな機会もうないかもしれないんだよ?? 一緒に入れないかもしれないんだよ??」

「日本に帰ったらいくらでも入ってあげますから」

「え、いいの?」

「千束が望むなら」

 

 泣きそうだった表情から一変してぱぁっと明るくなった千束の目に、たきなは眉尻を落としながら、

 

「だから、ちゃんと一緒に日本へ帰りましょう」

「もっっちろんだぜ!! 言ったぞ? たきな。それ死亡フラグにしたらマジで私許さないからな? 墓の前で三日三晩今日の夜のこと訴え続けるからね」

「はいはい」

 

 困ったように微笑んだたきなを「あー今千束さんのことあしらったでしょー、いーけないんだ年上ファーストリコリスに対する敬意がないんだー」と頬を膨らませながら千束が指さした。

 

 おふざけもほどほどに片づけをしながら、数分して二人は着替えを持ってシャワー室へと向かった。話し合った通り、一人は銃を持って入口に立ち、もう一人がその間に汗を流す。

 

 二人ともがきれいさっぱりと満足いくのに、三十分もかからなかった。

 

 ○

 

 千束たちが堅牢な守りのアパートへと案内されて二時間が経過した。

 外はまだ日が昇らず、しかし東の空は白みがかっている。あと数十分で夜明けとなる頃、アイゼンは一人部屋の中で目を覚ました。

 

「……」

 

 物音ひとつ立てずベットから起き上がり、軽くストレッチをして全身をほぐす。バックパックから水を取って数口飲んでから、着替えを手にして立ち上がった。

 

 そして一度足を止めて、ベット脇に戻ってバックパックのそばに置いていたM-2ソードをシースごと片手に持つ。拳銃は現在持ち合わせていない。だからと言って手ぶらでは心許ない。万が一の武装は必要である。すぐ脇の閃光手榴弾も一つ取った。

 

 シャワールームへとつながる扉を開けると、四、五人が一度に着替えられそうなロッカールームがあり、その奥がシャワー室だった。

 

「……先客か」

 

 シャワー室から水音がする。ぐるりとロッカーを見渡すと、赤と青の派手なオリンピックジャケットが扉からはみ出していた。グリゴリーだろう。ならば問題ないと判断する。

 

 さすがに千束やたきなが入っているのであれば引き返すが、男のシャワーに忖度して時間を無駄にするつもりはない。アイゼンは着替えをロッカーへと入れて自身の身に着けているものをすべて脱ぎ、M-2ソードと閃光手榴弾を手にシャワー室の扉を開けた。

 

 手前の一画でグリゴリーが水音を立てている。そしてたった今、シャワーの温水を止めたようだった。すぐ後ろをアイゼンが通る。

 

「……なんで入ってきた」

 

 グリゴリーが声を発した。シャワーの止まった室内に、その声ははっきりと反響する。

 ガスマスク越しではない明瞭な音は、遮るものもなくアイゼンの耳朶を打った。そしてアイゼンは足を止めて振り返る。そうせざるを得なかった。

 

 グリゴリーはシャワーの区画を分けているタイルの壁に全身を隠すようにして、顔だけをアイゼンへ覗かせていた。

 

 くすんだ金髪はシャワーによって濡れそぼり、肩より上で切りそろえられたその先端から雫を垂らしている。落ちた雫はやたら白く細い肩に当たって小さくはじけた。

 二重の瞼、若干のそばかす、高い身長に対して顔立ちはどこか幼さを感じさせ、顔も腕も雪のように白い。頬は、熱いシャワーによってか若干の紅潮を示している。

 

 アイゼンの耳に届いた声は、男性にしては高く通りの良い声であり、女性にしてはやや低いハスキーな声だった。

 

 そして明らかに、ガスマスクを通していないグリゴリーの声音は女性のそれだった。

 

「女だったのか」

 

 アイゼンはそれだけを言い残して、グリゴリーのシャワー区画から一つ開けて温水を出した。M-2ソードと閃光手榴弾はすぐ脇の床に置く。

 

 グリゴリーは無表情で数秒、アイゼンの収まった区画を睨んだが、

 

「……まぁいいか」

 

 シャワーのカランを回してまだ体に残っていた泡を丁寧に落とす作業を再開した。

 銃創には防水テープを巻いている。右の脇腹と右手、右足。洗った体の部位は左半身と頭だけであったが、数日ぶりのシャワーを楽しむ時間は二つ隣に異性が居てもその価値を落とすことはなかった。

 

 アイゼンが手早く全身の汗と汚れと血液を洗い流して、刈上げた髪をかき上げて顔の水滴を両手で拭って区画から出たとき、グリゴリーもまた区画から全身を出した。アイゼンと目が合う。

 

 この国の女性の平均身長よりは明らかに高く、しかし骨格レベルで華奢であり、脂肪も筋肉も薄い。ハスキーな地声と常にガスマスクを着けていることから、確かに服を着てこの街を歩くと、先入観も相まって〝男性〟としか思われない。

 今この街で活動しているのがほぼほぼ男性であるという事実を鑑みた上で、戦闘職ではない女性が何らかの理由でこの街に残って自力で生きていくならば、グリゴリーのやり方は自衛の手段として納得のいく生存戦略だった。

 

 アイゼンは足を止めて目線だけ動かし、先にロッカールームへ行く権利を譲った。グリゴリーは無表情でアイゼンの目を見ながら、

 

「紳士的だけど、残念に思わないでくれよ。男には興味がないんだ」

 

 そういってロッカールームへと入った。アイゼンはその場で体の向きを変えて壁に背中を持たれかけ、M-2ソードと閃光手榴弾を手にしたまま腕を組む。

 そして静かに息を吸って、淡々とあまり感情のない声で、

 

「千束とたきなには手を出すなよ。殺すぞ」

 

 扉の向こうの女に忠告した。

 何かが扉の向こうで落ちて転がっていったのは、ただの偶然か。

 「……気を付ける」と震えた声がロッカールームから聞こえてきたのを、アイゼンは目を瞑って耳にした。

 

 

 




この街で「女」として生きていくのは勝手に難易度爆上がりしてるようなものですもんね。
イレーネがおかしいだけ。

ところでアイゼンさんがグリゴリーに釘を刺したのは、さぁてなぜでしょうね?
たきなも納得&ニッコリ、千束は「うわぁ……」って顔しそうな理由です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。