「お前、ヒュージーとはどれくらいの間取引している」
ストリート・オブ・タルコフと呼ばれている一帯まであと数km。ハンク、ルークのペアとの合流地点まで順当にいけば二時間でたどり着けるはずだったが、しかし道中の安全なルートが爆破されており一行は迂回を余儀なくされた。
周囲に人影のない、細く狭い裏路地で地べたに座って休憩をしている千束、たきな、そしてグリゴリー。アイゼンだけはAK101のセーフティをセミオートに下げて両手に保持していた。RPDは背中へ回している。
座って体を休めていたグリゴリーは、アイゼンからの唐突な問いに数秒考えるように空を仰いだ後、
「もう一か月は経つ。でもそこまで密な取引じゃない。報酬がおいしいから、依頼が来たら断らないだけ」
「……そうか」
顔が見えていても何を考えているのかまるで分からないアイゼンに、グリゴリーは白いアヒルのようなガスマスクの中で小さく首を傾げた。
「なんでそんなこと聞いた?」
「あの男のこと、組織のことをどれほど知っているのか気になっただけだ」
「知ってても答えない」
「だろうな。今後もそうしたほうがいい」
路地の向こうに目線をやって、グリゴリーの方へは一瞥もくれずにアイゼンはそう言ってのけた。直後、アイゼンの通信端末が音もなく震える。
ポケットから端末を取り出す。メールだった。差出人は、今話題に挙げていたヒュージーからだった。ただの偶然だろうと思うが、あの男が何をどこまで仕掛けているのかはわからない。案外今の会話も筒抜けかもしれない。
「……」
アイゼンは素早くメールの中身を読んで、そして端末をポケットにしまってから顎をさすった。考え込むようなそぶりは珍しく、その姿がペットボトルの水を飲み干した千束の目に留まった。キャップを閉めながらアイゼンに言葉を投げかける。
「どしたの?」
「……あぁ、いや」
「?」
「イレーネとの合流の目途が立った」
「えぇ!?」
思わず大声を出した千束に、たきなが人差し指で「しーっ!」っとたしなめてから立ち上がる。アイゼンに疑惑の目を向けた。
「本当ですか」
「嘘をついてどうする。ヒュージーの部下がイレーネ達と接触してこちらへ誘導したと報告があった。SoT北部、カーディナルホテル。二日後の午後九時までなら、そこで待機していると」
「二日後……ハンクさんとの合流ポイントは?」
「グリゴリー、変更はあるのか」
たきなとアイゼンの問いに、グリゴリーはジャケットのポケットからメモ帳を取り出して数ページめくった。
「あ……え、カーディナルホテルって言った?」
「そうだ」
「その隣のアパートが今日から三日間安全地帯になってるから、三十分後に連絡したらそこに変更できる」
「やってくれ」
「わかった」
全員が立ち上がり、装備の状態を確認して休憩は終わり。路地を歩きだす。
朝は出ていた太陽が、昼前の現在は雲の向こうに隠れている。空はやや暗くなり、建物と建物の間の路地は陰惨とした雰囲気を放ち出す。
四人分の足音だけが反響すること数十分。細い路地から大通りを横断して、再び細い路地に入り、グリゴリーは一つの建物の前で止まった。黄色い壁の三階建てのアパート。出入り口の木ドアには銃痕が何発もあり、ここで戦闘があったことを証明している。
「ちょっと寄って行く」
「何がある」
「ここに隠した通行証がないとカーディナル周辺を私は歩けない」
ならば仕方がないと、全員が建物へと入った。グリゴリーとアイゼンが二階へ上り、千束とたきなは一階で待機。周囲の警戒をする。
二階の事務机の引き出しを開けて、中にあったカギ付きのボックスをグリゴリーが明けた。ボックスからは一枚の紙と木片を掘ったカードが出てきて、紙に数秒記入をした後木片をポケットへと入れた。
「行こう」
「ひとつ、いいか」
「なに?」
下へ降りようとしたグリゴリーをアイゼンが呼び止め、階段の直前でグリゴリーは振り返りながらその顔を見る。
「お前はどこまでついてくるつもりなんだ? ヒュージーの話ではそもそも今朝のセーフハウスまでの案内だと聞いているぞ」
「あの男との契約はそこまで。今やってるのは別のところからの依頼……と、個人的な仕事」
「仕事?」
「そう。ねぇ、あのさ……ちゃんとハンクって人たちとは会わせてあげるから、代わりにイレーネさんと私を会わせてよ」
「好きにすればいいが戦闘になる可能性が高いぞ」
「……? なんで? 仲間なんでしょ?」
「敵ではないだけだ。いや、
アイゼンの言葉に、グリゴリーはガスマスクをアイゼンへ向けたまま固まった。マスクの中でどのような表情をしているのかは相変わらずわからないが、少なくとも笑顔でないことは確かだった。
「あとで千束とたきなにも相談する」
「何も変わらん。無駄だぞ」
「うるさい」
階段を下りながら、二人の会話はそれで終わった。
黄色い壁の建物から出て、曇り空の下を同じペースでひたすら進む。
不思議と、この辺りはしばらくの間銃声が聞こえなかった。
〇
ところ変わり、数時間の時が流れた別の場所。
ハンクとルークはSoT北部のカーディナルホテル、およびカーディナルアパートと呼ばれている一帯まで到着していた。
「ありがとよタラカンさん。世話になった」
「道案内しかしてねぇよ旦那。むしろあんたのおかげで俺も安全にここまでこれた。助かったぜ。ロシア語はもうちっと練習したほうが生きやすくなるけどな」
「考えとくよ」
ハンクと握手をした男は、いかにも他人に迷惑をかけながら生きている顔つきだった。ニタニタとした笑みを浮かべながらロシア語を話し、ハンクの手を握り返す。それからルークの方へ向き直った。
「あんたもな、ルークさんよ。ロシア語の分かる奴で助かったぜ。どこで覚えたんだ?」
「この土地で仕事してたら嫌でも覚えますよ」
「頭いいんだな。じゃあマガジンの種類も覚えてくれよ? この街でM4とAKのマガジン間違えんのはあんたくらいだぜ」
「善処します」
タラカンと呼ばれた男はハンクへの握手と同じくらい固くルークの右手を握り返し、それからひらひらと手を振りながら路地の向こうへ消えていった。
「面白い男だったな、あいつ。もうちょっとゆっくり喋ってくれりゃ聞き取れるのに」
「ハンクさんもあれだけロシア語が使えれば生活はできますよ」
「どのレベルの生活だよ」
ハンクは笑いながらポケットに手を入れて煙草の箱を取り出す。一本つまんで口にくわえ、慣れた手つきで火をつけた。先端が赤くなって紫煙を肺いっぱいに入れながら歩きだす。
ここは屋外で、たとえ今がこのあたり一帯の街人で取り決めた〝安全日〟だったとしてもぼーっと突っ立っていいわけではない。
そこまで信用はできない。なによりPMCはそんなことお構いなしで襲ってくるだろう。
二人はアパートの中へ入り、階段を上がり始めた。建物内部は荒れているが、富裕層が利用する高級アパートなのだろう。
かつては豪奢で美しく飾った内装が、若干の面影を残して廃れている。ゴミが落ちて、血痕が飛び散り、所々に死体が転がる。不思議と腐敗臭はなかった。
大理石をブーツが叩くコツコツという足音を響かせながら、ハンクもルークも銃を突き出して警戒しながら進んでいく。
ハンクはTX-15狙撃銃を、ルークはドラムマガジンを装着したM4A1をそれぞれの死角をカバーするように歩く。
「……あんま自信ねぇな」
「なにがです」
「今戦闘になって、生き残る自信」
「やめてください」
室内での戦闘、近距離での銃撃戦はハンクの不得手としているところであり、ルークはそもそも戦闘に不慣れである。それが表情からもにじみ出て、二人の額には一筋の汗が流れた。
三階まで登って、廊下を進む。部屋のドアを一つ一つ確認して、ここまですべて鍵がかかっていたが一番奥の部屋だけは、
「お」
「空いてますね。ここにしますか」
「だな」
エントリーできた。先客がいないことを注意深く確認する必要がある。
ベットルーム、リビング、キッチンの広い空間からバスルーム、クローゼットの中まで念入りにクリアしていく。
今夜の安全は自分たちで確保する。この街での生き方にこれより確実なものはない。
部屋に先客はなし。出入り口は一つで、その入り口にも非殺傷の罠を仕掛けて、睡眠中の望まない来客への対応も可能にする。
一晩中移動し続ける命がけの長旅だったが、ここにきてようやく一息付けた。
分厚いカーテンは閉め切っている。外からの光がない代わりに部屋の中の存在も外に漏れることはない。二人はリビングの大きなソファーに並んで座り、ルークがランタンを取り出してオレンジの暖かな光を灯した。テーブルに置く。
「あー……疲れたな」
「ですね。ちょっと休憩しましょう」
一息つく。
二人の間に弛緩した空気が流れ、数分してからどちらともなくバックパックから食料を取り出しはじめる。テーブルに並べながらハンクは飯の前にもう一本タバコの火をつけた。
携帯燃料で湯を沸かしながら、食料をチェックしていたルークがハンクの方へ向き直る。
「紅茶飲みます?」
「あるのか」
「拾いました。保存状態が良く鮮度も悪くないですよ」
「もらうぜ。ありがとな」
「いえいえ」
紅茶の箱をすぐ横に置き、アルミ製のポットも取り出して茶葉を中に仕込む。慣れた手つきだった。
数分待って、沸騰した湯をポットに勢いよく入れて、中で茶葉を躍らせる。一連の様子を隣でぼんやり見ていたハンクが、煙草の灰を灰皿に落としながら不思議そうにつぶやいた。
「やっぱ紅茶は手放せないのか」
「イギリス人の魂……まで言うと大げさですが、ハンクさんにとってのタバコと同じようなものです」
「じゃあ必要だな。
「どんな例えですか」
「やる気はあっても前に進むことが出来なくなる」
「うまい」
肩を震わせて笑うルークが、抽出できたアールグレイティーをハンクのコップと自身のコップに注ぐ。テーブルの上でことりとコップを鳴らしながら、隣のハンクの前に置いた。
「どうぞ」
「おう、さんきゅー上官殿」
「お褒めに預かり光栄です選抜射手殿」
二人分の紅茶をすする音が、薄暗くも暖かな光で満ちたリビングルームに響いて数秒。
ルークがコップを置いて右手に視線を落とした。そして、静かな声──というよりは一段顰めるような声でハンクへ口を開いた。
「気が付きましたか?」
「ん? 何が?」
「タラカンさんの右手」
「……? 右手になんかついてたのか」
「いえ……」
ルークは首を振りながら顔を上げて、ハンクの方を見た。自身の二個上、28歳の優秀なマークスマンである元部下に、怪訝と不安が同居した声で、
「あの人、たぶん特殊工作員です。指……おかしかったです」
そう言い切った。
〝グリグリごり押しグリゴリー〟とかいう意味不明な語呂が頭を通り過ぎていきましたが、もう過ぎた話なので使うことはないでしょう。