「特殊工作員? スパイってやつか?」
「えぇ、そうです」
ルークは頷いてから、一度置いた自身のコップを持ち上げて唇をアールグレイティーで湿らせる。
「銃を日常的に握る人の指には独特なタコができます。ハンクさん、あなたの指にもありますよ」
「マジか。どれ?」
「これです」
グローブを外したハンクの指を、ルークは刺しながら頷いた。
「握手しただけでわかります」
「でもよ、別に銃くらいこの街じゃ当たり前に握るだろ? それに紛争前は警備員とか警察とか、それこそ軍に居たとかあるかもしれねぇ」
「手指のタコだけなら、僕もそう考えます」
声のトーンが落ちた。確信に近い何かを得ているが故に、数十秒前にこの話を切り出したのだ。当然その先の話もある。
「銃撃戦になった時の目線、移動の仕方、それに伴う体幹の安定性。何より状況をすべて把握して、判断したうえで〝何もわかっていないゴロツキ〟のフリをしているように見えました」
「マジかよ」
「どれも一般的な徴兵や志願兵で身に付くレベルの物ではありません。なんなら一般市民に紛れるための訓練すら受けていそうです」
「それを見て判断できるあんたに俺は今ちょっと引いてるぜ」
「仕事ですから。個人の分析は彼我の実力認識に深く関わります。怠れません」
「なーるほどそりゃたしかに」
ハンクはタバコをフィルターぎりぎりまで吸って、その部位独特のあまりおいしさを伴わない味と香りにしかめ面をしながら煙草を灰皿に押し付けた。
「渋いんよなぁ」
「そんなにまずいならそこまで吸わなきゃいいじゃないですか」
「もったいないだろ」
「貧乏性……」
「ここじゃ必須スキルだ。それで? あの男が仮に特殊工作員だとして、俺達にどんな影響があるんだ?」
「二つあります」
ルークはコップを置いて指を二本立て、隣に座るハンクへ臍を向けた。
「一つは我々を監視している巨大な組織があり、場合によっては情報の収集や工作に使われているということ。これをされると、身に覚えのない恨みを買って、対価を払わされることになる可能性があります」
「敵が増えるかもしれねぇってことか」
「それも知らないうちに」
「最悪だな。二つ目は」
首を横に振ってため息をついたハンクに、ルークは目を伏せて肩を落とした。
「一つ目の理由故に万が一どこか敵対組織に捕まった場合、拷問されます。すでに我々はブラックディビジョンの始末リストに載っている上で、他国の諜報員の駒にされているかもしれません。これはテラグループの情報戦力にもよりますが──〝我々はどこかの国の諜報員とつながっている〟と判定されている可能性があります」
「元雇い主に?」
「元雇い主に」
ハンクはうんざりした顔でソファの背もたれに背中を預けて顔を両手で覆った。
「……楽な死に方できそうにないな」
「頭に銃弾をもらうのが一番マシです。仮に街から出ても、もはやこの情報をうやむやにはできません。それこそどこかの諜報部員になって経歴を抹消しない限り」
「映画じゃねぇんだから、全部あんたの妄想ってことになんねぇかなぁ」
「僕もそうしたいですが、状況証拠がそろっています。向こうは隠す気で接してきていますけどね」
ルークもソファの背もたれに体を預けて深く息をついた。存外に柔らかく上等なソファは、嫌な状況と嫌な気持ちを気休めでも受け止めてくれる。
「タラカンはどことつながってるんだ?」
「そうですねぇ……逃がし屋のヒュージーさんがボスという話は随所で聞きますが、タラカンさん自身が仕切っているエリアが多すぎます。スキーヤーさんも関わりがあると聞いてますがあの人は素人なのでたぶんタラカンさんの隠れ蓑ということでしょう」
「一般市民に紛れるとかなんとかってやつか」
「その方が都合がいいですからね。どこの国も現地住民のフリをして諜報活動や工作を行います」
「いやだねぇ……」
二人は同じようにソファに全身を脱力させて身を預け、ハンクは懐から新しいタバコを一本咥えた。タバコが口元で上下に揺れる。
「で、どうすんの?」
「どうにもできませんが、せめてアイゼンさんたちには伝わるようにしておきましょう」
「教えて大丈夫なのか? 俺達はともかくアイゼンたちまで巻き込まれちまうぞ」
「もう手遅れかもしれません。いや……手遅れでしょう。我々は外部に助けを乞いすぎました。せめてこれを
「いやだなぁこの街。早く出てぇよ」
「同感です」
ハンクはポケットからライターを取り出して、ついでにタバコが数本入っている箱の開いた口を差し出す。ほれ、と言って催促。
ルークは一度箱に目を落として、
「吸ったことないんですよ」
「紅茶もいいがスペアタイヤはあったほうがいいぞ」
「さっきの生きがいの話ですか」
「そうだ。どんなV8エンジンも旅するならケツに予備のタイヤを一個は載せとくもんだ。地面が荒れてるならなおさら。いつ紅茶がなくなるかわからない世界だ、やっといて損はない」
「ふふ」
ルークは小さく笑みを漏らして、それからハンクのタバコを一本つまんだ。ハンクは自分の咥えているタバコへ火をつける前に、ルークのタバコの先端へ灯りをともした。
それから手慣れた様子で、三秒もかからず、自身のタバコに存在意義を灯しだす。
小さく吸って小さく吐き出し、咥えたままタバコを上下に動かして力なくつぶやく。
「クソみたいな状況でも、一服やる余裕は常に持ちてぇな。指揮官さんよ」
「そうですね」
すーっと。
ルークは勢い良く息を吸い込み。
しばらく部屋にせき込む音が響き続けた。
○
大通りの端の方を、建物の壁すれすれに体を寄せながら移動している男女が居た。
イレーネとハチ。イレーネは髪を後ろで団子状にまとめて黒いベレー帽をかぶっている。
ハチは目元部分を開けている黒のバラクラバにクラス4の黒色ヘルメット。
イレーネはAKS-74Uを、ハチはMCXをそれぞれ死角がないように、かつお互いをカバーできる位置で早すぎることも遅すぎることもない速度で進んでいた。
二人は周囲を警戒しながら、これから沈んでいく太陽を背に薄暮の薄暗い街並みに目を凝らす。
かつてはたくさんの車や電車、人通りのあったこの場所で、暮れていく日に応えるように灯っていた街の明かりが今は半分ほどになっている。街灯は三本に一本しか灯っておらず、人が働いたり暮らしたりしていた建物も、今は散発的に淡い蛍光灯が仕事をしているのみ。
〝終わっている〟ということを感じずにはいられない。イレーネはホロサイトの赤いレティクルの向こう側にいつ銃口を向けた人間が出てきてもいい覚悟で足を進めているが、そんなことをしなければ街を歩くこともできないことを、ふと嘆く気持ちが湧いてきた。
「……休暇が欲しいわね」
気持ちは特に躊躇われることもなくそのまま呟きになった。
前を行くハチは、振り返ることなくMCXを前方に向けたまま、
「明日休みだったら何するんだ?」
まるで仕事終わりのバーカウンターで聞くようなことを言ってのけた。
イレーネは少し黙って、二人分のブーツがアスファルトを鳴らす音だけを薄暗闇に響かせたあと、
「朝は何もせずに気が済むまで寝て、優しい男と昼間からビールを飲んで、それからベットで一緒にくつろいで、夜はピザでも頼むわ」
「最高だな」
「もう遠い夢みたいな話だね」
「まったくだ。まずピザが来ない」
ため息を漏らしながら、ハチは止まった。イレーネも足を止めて、ハチの向いている方向を一瞬だけ見る。
「敵?」
「いや分からん。四人組。一人はスカブのような格好だが、後の三人はPMCか……暗くてよく見えんな」
「こっちは捕捉されたの」
「いや、見つかっていないだろう。距離は二百か。カーディナルホテルへ入っていった」
「……もしかして千束ちゃんたちだったり?」
「だとしたら人数がおかしいぞ。アイゼンってやつと一緒なら三人になるんだろ」
「確かにそうね。情報と違う」
警戒して。
イレーネはそう言ってハチの肩を叩き、ハチと共に前へ進みだした。
「それで、どうするんだ」
「ピザの話?」
「バカ言え。アイゼンだよ。本当に一緒にいたとして、千束とたきながここまで問題なく組んでいるのは確かなんだろ。アイゼンを殺したら……千束は嫌がるんじゃないのか」
「……まだ迷ってる」
歯切れの悪いイレーネに、ハチは賛同も否定もせず言葉を続けた。
「気に入らない奴を殺してしまえば、殺される確率はゼロになる。でもそれで問題のすべてが解決するわけじゃない。外の世界では当たり前のことだが、この街ではその辺りの感覚がどうしたってズレちまう。これはいい機会だぞイレーネ」
「何が言いたいの」
「対話だよ。銃弾以外のコミュニケーションもたまには必要だ。俺はそう思う」
ハチの助言に、イレーネはしばらく黙り込んだ。
空は焼けるようにオレンジが広がり、それらは薄くも厚くもない雲に反射して一時的に世界を真っ赤に染め上げた。
大通りに転がる食料品のゴミも、もう動くことのない穴だらけの車も、爆発物でガタガタのアスファルトも、そして口を真一門に結んだイレーネの顔も。
夕日は等しく茜色に染め上げて、これから夜が訪れることを音もなく世界に知らしめている。
「考えとく」
ブーツが砂利とアスファルトを踏みしめる音の合間に、イレーネの小さな返事は確かにハチの耳まで届いていた。
イレーネのキャラ原案では「非戦闘時は黒ベレー帽」「戦闘時は黒ウラチ」だったんですが、どっちもなんかあんまり描写されずに性格や行動の話ばっかり詳細になってました。
まぁアニメや漫画ではないので見た目はあくまで読者の皆さんの心の中で再現してください。
身長だけはマジでミニマム小柄小動物系女子でお願いします。身長だけね。小柄な肉食。