リコリスinタルコフ   作:奥の手

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幕間:男達の非日常④

「おいハンス。追加の情報が来たぞ」

 

 静謐と表現するのがもっともらしいホテルの最上階に、その静けさをぶち破る勢いで一人の男が扉を開けた。

 揚々とした声が部屋に響く。

 

 ハンスと呼ばれた男は冷たい瞳を入室してきた男に向けながら手元の書類をテーブルに置いた。

 

「ジョニー。ノックくらいはするもんだぞ。私とお前の仲でもな」

「あぁ、そりゃ失礼した。見られちゃ困るものでも見てたのか? エロいねぇちゃんのケツの写真とか」

「そこの引き出しに入れてある。自由に見ろ」

「本当か」

「嘘だ」

 

 ジョニーと呼ばれた男はニタニタとした笑みを張り付けたまま両手を広げつつ、ハンスの向かい側の席に着いた。

 そして上着のポケットに右手を突っ込み、取り出した紙切れをハンスの方へ滑らせる。

 

「例の美味いボルシチのデータが見つかった」

 

 ハンスはジョニーの目を見たまま机のメモを手に取り、小さく頷いた。ジョニーが手のひらを差し出したので、目線を落としてゆっくりとメモを開く。

 

 数秒、何も言わずメモを上から下へと隈なく読み込み、一番下まで瞳が追い付いてからハンスは固く目を閉じた。

 

「……そうか」

 

 苦労、苦痛、苦悶がどれほどあった人生なのか、それらがもたらしたであろう顔に彫り込まれた皴の数が一層増えたと感じるほど、ハンスは眉間にしわを寄せた。

 

「この情報は確かなのか」

「何人かの命と引き換えに手に入れた。出所も信用できる。だからこそクソッタレな状況だな」

 

 ジョニーの顔からも笑顔が消えていた。貼り付けていたはずのニヤけ面はもうどこにもなかった。

 真顔のまま言葉を続ける。

 

「つまりだ、ハンス。俺たちはこの街に来た時から、とことんアメリカのコソ泥軍用犬に邪魔をされているし、この件に関しては明確に〝攻撃を受けている〟と言える」

「続けろ」

「誠意のない輩にはそれ相応の態度を示すべきだ。ましてあのデータはアメリカに渡っていいものではない」

「同じことを向こうも思っているだろうよ。〝このデータを傭兵崩れの武器商人なんぞへ渡していいものではない〟とな」

「……だろうなぁ。それでハンス、実際に物は向こうに渡っちまっている。このままだとどうなる」

 

 ジョニーの質問にハンスはすぐには答えず、黙った。そして静かに席を立ち、キッチンへと足を運んだ。戸棚がゆっくりと開けられ、きしむ音がジョニーにも届く。棚の中を見上げたままハンスが波のない声音で質問をした。

 

「スコッチとバーボン」

「バーボンで」

「そうしよう」

 

 ハンスはアメリカ産のウイスキーを手に取り、意匠のあるグラス二つにそれを注いだ。両手に持って片方はジョニーの前へ、もう一つは自分の前に置いて席に着く。

 高級ホテルのスイートルームに備え付けられた照明は、決して安くはないバーボンをグラスの中で輝かせている。

 

「どうも」

「あぁ」

 

 二人はグラスを軽く合わせて音を鳴らし、同時に一口煽った。どちらともなく息をつく。

 ハンスがテーブルの上で両手の指を組み、静かにジョニーへと目を合わせた。

 

「日本の治安を裏で支えているシステムがそっくりそのままアメリカでも作られる。そう遠くないうちにな」

「……孤児を使ってか」

「何ならその孤児をわざわざ確保し始めるだろう。親を殺せば簡単に手に入る」

「そこまでやるかね」

「やる価値のあるシステムだ。すでに運用され一定の実績を修め、その上で空いた穴を塞ぐデータが()()だ。だからこそ我々はあれを占有し、日本に売りつける。得た利益でこの街での地位をより強固にする──その必要があった」

「なぁ、ハンス」

 

 ジョニーは笑みの消えた顔で、ハンスの抑揚も感情も映し出さない漆黒の瞳をテーブル越しに覗き込んだ。

 

「あんたの今の言葉は噓だ。事実だが本心じゃない」

「……」

 

 まっすぐ交差しぴたりと止まったお互いの視線は、数秒そのまま凍り付いたのちにハンスのため息とわずかに上がった口角によって溶かされた。

 

「お見通しというわけか」

「何年一緒に仕事してんだ。おい、あれ見せてくれよ。イブちゃんの写真」

 

 ジョニーは立ち上がり、ハンスの横にごく自然な動作で立った。ハンスは懐からロケットペンダントを取り出すと、くすんだ真鍮蓋を丁寧に開いた。

 

 中には二枚の写真。一枚は三人の家族写真、もう一枚は十歳前後の少女の写真だった。

 ジョニーは少女の方をじっと見て、それから音を立てずに一歩下がってハンスの方を向いた。ハンスはまだ、静かにロケットの中に目を奪われている。

 

 ジョニーは邪魔にならないよう静かな声で、

 

「……例の少女二人組。どうやら本当に日本から来ているらしい。自前の兵隊でアップデートファイルを取り戻しに来たってわけだが」

「……」

「今俺たちが遣っているペストマスクの分隊員は、一度その子たちとやり合っている。イワンとシャーマンと言ったか。あいつらはその上で生き延びて……いや、ヴィタリの言うことが本当なら〝見逃されて〟いる」

「……あぁ」

「イブちゃんが生きていれば、あの子たちと同じくらいの年だろ。だからか?」

「どの部分を尋ねている」

「CIAなんぞにアップデートファイルを渡したらどうなるのか、あんたイブちゃんと重ねて考えてるだろ」

「……」

 

 ハンスはゆっくりとロケットに落としていた視線から顔を上げて、ジョニーを見た。

 眉を落としながら肩をすくめるジョニーが、

 

「あんたは悪人面だが、悪人にはなり切れねぇ。だからそういうのは俺たちに任せてくれよ」

 

 悲しそうに吐露した。両手を上着のポケットに突っ込み、踵を返して出入口へと歩き出す。

 ハンスはロケットの蓋を閉めて、丁寧に、大切に、懐へと戻して息をついた。

 

「頼んだ、ジョニー。できればペストマスクの男には〝彼女たちを殺すな〟と伝えてくれ。彼女たちは関係ない。死ぬべきではない」

「了解した」

 

 ひらひらと手を振りながら部屋を後にしたジョニーの背中を、ひどく疲れた様子でハンスは見送った。

 テーブルの上には二つのグラス。中のバーボンは、そのどちらにも残っている。

 

 ○

 

「おーいおーいおいおいおい冗談じゃねぇぞ」

 

 夜の帳が下りたタルコフ市中心街よりやや西にズレた地点。川のほとりに建った崩れかけのログハウスにて、ザイーツの分隊は休息をとっていた。

 

 P90とAK105をそれぞれ脇に置いて一つの端末を覗き込むシャーマンとイワンの二人は、今回の仕事の追加情報を見て頭を抱えた。シャーマンが苦虫を嚙み潰した表情で唸る。

 

「非殺傷のゴム弾を放つショットガンを装備した少女ってのはよ」

「そんな人間はこの街に一人しかいない」

「あぁ間違いない。千束だ。それとあの黒髪の……たきなと言ったか。なぁイワン、俺達はあの二人に〝もう関わるな〟って言われたんだぞ」

「そうだな」

「それで? 今から俺たちは何をしに行くんだ?」

「あの二人が構成員になっている分隊を壊滅させて、分隊長をしゃべれる状態でとらえながら千束とたきなの命は絶対に奪うな、何なら怪我もなるべくさせるな──との指示だ」

 

 無理だろふざけんな、と間髪入れず悪態をついたシャーマンに、イワンは頷きながら振り返った。

 M4A1を抱いて床に座り、壁に背を軽くつけて休息をとるペストマスクの男──ザイーツへと神妙な面持ちで口を開く。

 

「隊長、今から俺たちが交戦しようとしている分隊員のうち二人は、以前俺たちを〝殺せるけど殺さなかった〟十代の少女たちだ。俺たちを見逃す代わりに警告してきた。関わるなと」

「関係ない」

「腕が立つ連中なんだ、ザイーツ隊長さんよ」

 

 イワンの言葉に追従する形でシャーマンも声を上げ、そして股間を押さえた。

 まったく冗談ではない声音で、

 

「次は俺の玉に実弾がぶち込まれちまう」

 

 低く漏らした。

 ザイーツは俯いていた顔を少し上げて、ペストマスクの丸く平たい目をシャーマンに向けた。

 

「〝なるべく〟怪我をさせるなという指示だ。生きていればそれでいい。脅威なのであれば優先目標をその二人に絞る。いかに優秀な戦士であろうと手足をもがれたらただの叫ぶ肉塊だ」

 

 ペストマスクの中で不明瞭にくぐもる声を上げてから、ザイーツはゆっくりと立ち上がった。

 

「正面から戦うつもりもない。俺は夜しか選ばない。明日の夜には、この仕事も片付く」

「ザイーツ……」

 

 思わずイワンは首を横に振りながらため息をついたが、この分隊がどう動くかの決定権はザイーツにある。そこを履き違えてはいない。

 ザイーツは一度自らの装備品をチェックしてから、静かに、不鮮明な声で「行くぞ」と一言指示を出した。

 

「マジでやるのか……しゃあねぇ腹くくるかぁ」

 

 シャーマンも立ち上がって小さくそうぼやく。イワンは、

 

「……」

 

 目を伏せながら、何も言わず、ザイーツの後に付いて行った。

 

 




千束が撃った玉の数を数えてちょっとヒュンってなった。
たきなはまだゼロだけど1になってほしくない。なっちゃダメでしょ。
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