リコリスinタルコフ   作:奥の手

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報告

 これまでの人生で、千束は銃弾がすぐ真横を通ることに何も特別な感情を抱かなかった。

 それが一般的でないことは十分理解していた。常人は銃口を向けられるだけで理性を失い、判断を誤り、運よく弾に当たらなかったとしても、あの甲高い風切り音はいつまでも耳にこびりつく。

 それを千束はよくわかっていた。幼い頃から、変わらず。ずっと。

 

 今、まさに周囲へ容赦なく降り注ぐ銃弾もそれだけなら大して恐怖しなかった。

 

 いつものこと。

 ちょっと周りが暗いから、避けづらいけどいつものこと。

 マズルフラッシュと射撃のタイミングを計って、後はカンで乗り越える。

 いつも通りならそれができた。

 

 でもちがう。今は違う。

 動けない。両足が動かない。足どころか全身をアスファルトに投げ出している今の体勢は、移動することもままならない。

 

 足は燃えているのかと思うほど熱い。

 もちろん火がついているわけではない。しかしそうとわかっていても水の中へ飛び込みたくなる。

 

 左足が特にひどい。熱いし、痺れる。痛みかどうかもわからない。

 

 そして何より、自分をかばって覆いかぶさっているたきなが、聞いたこともない悲鳴を上げている。

 耳を塞ぎたくなる、苦痛と悲痛に押しつぶされた声がたきなの意志とは無関係に吐き出される。慟哭が千束の上から降り注ぐ。

 

 自分たちを殺すかもしれない銃弾の風切り音よりも、そのたきなの金切り声の方が何十倍も千束の心を削った。

 

「たきな、たきなしっかりして!!」

 

 千束はあおむけで、顔の目の前にきているたきなの胸に向かって叫ぶ。

 何度も声を張り上げ、呼びかけ、たきなをひっくり返そうとする。まずいのはたきなの方だ。守るべきはたきなの体だ。

 

 でも踏ん張りの効かない足ではどうすることもできない。

 

 自分の足の感覚がない。左は完全に消えて、右はかろうじてまだ熱を帯びている。まだくっついている。それはわかる。

 でも動けるか? わからない。いや。

 いや動くしかない。ここに居たら死ぬ。このままじゃ死ぬ。

 

 直後、もう何度目かわからない数発の銃撃。アスファルトを穿つ音と、ピュンともヒュンとも形容できる音が千束の耳に飛び込んできた。

 そしてたきなの体が大きく数回跳ねた。千束は、右足に何かが降りかかった感覚があった。生暖かい液体。戦闘服の布越しでもわかる。

 

「ぁ……ぅ……っ……」

 

 急速にたきなの発声が弱まっていく。

 千束が感じていたたきなの力みが、一秒ごとに失われていく。全身から虚脱し、動く気配がなくなっていく。

 ともすればそれは、命を乗せている脆い器が崩れていく様にも思えた。

 

「た……きなっ! あきらめんなっっ!! こんな!! こんな!!! ところでっっ!」

 

 千束は叫んだ。

 静かな夜にはよく響く。敵がいれば丸わかり。

 しかしもはやそんなことは塵ほども頭に残っていない。今千束がすることは、するべきことは、

 

「戻って来いたきな!! 死んだら許さないからなッ!!」

 

 リグからプロピタル注射器を取り出して、たきなの首筋に刺す。

 今取り出せて、今使える回復剤はこれしかない。

 止血剤はない。回復のスピードもきっと足りない。

 この街で死なずにいるためには、これだけでは到底間に合わない。でも何もしないよりはマシ。

 

 一本刺して、二本目をリグから出そうとした。

 そして千束は気が付いた。リグの開け方がわからない。左手は、左手は今どこにある? 

 何を触っている? 

 

 いや、それより。

 なんだか、急激に寒くなってきた。

 

 視界が、周囲が、やたらと暗い。夜? 夜だから? 

 そういえば手が痺れてる? 

 足は? さっきまで右足の感覚は残っていた。今は? あれ? 足……。

 

 ──あし、どこ? 

 

 いや、いや大丈夫。きっとまだ大丈夫。たきなもいる。あしどこ。

 注射も刺した。たきなは大丈夫。ここはそういう町。たとえ足がなくなっても、生きてさえいればまた歩ける。だから大丈夫。たきなはだいじょうぶ。あしどこ? 

 

 私は、わたしの回復はどうしよう。もう使える回復はない。いや、ないことはないけど、今は手がふさがってる。手? あれ? 

 みぎて、どこ? あれ? 

 ひだり、ては? 

 さっき、たきなに注射を……だから、まだ、けがはしてないはず。どこ? 

 

 あれ。

 あれ? 

 

 左足も、右足も、右手も、おかしいな。動かしたいけど、どうやるんだっけ。

 地面、冷たいな。たきな、たきなは? たきな元気? さっきの注射、効いてる? 

 地面が固い。さっきより寒い。

 

 これ、もしかして不味いかな。そっか。よく、わかんなくなってきた。

 さむいな。

 たきな、たきな大丈夫かな。

 

 何してたんだっけ。なにか、何かしようとして──思い出せない。頭が真っ白なのかな。そういえば、何も見えなくなってきたな。

 

 あ。

 

 アイゼンさんに、何か言わなきゃ。

 報告? 

 

 うん。

 報告だけでもしなきゃ。なんだっけ。あの人、確か説教を……あぁ。

 

 〝結論から話せ〟

 

 って言われたんだった。

 

「……」

 

 千束は、ひどく緩慢な動きで左手を持ち上げ、通信機のスイッチを押した。

 ヘッドセットに通電する。わずかな電子ノイズが通信可能の合図となる。

 

 結論から話す。結論から話す。結論から話す。

 簡潔に、明瞭に、わかりやすく。

 結論から話す。

 

 今伝えなきゃいけないことを、確実に伝えるために。

 千束は息を吸った。吸えた量はわずかだった。

 

 それでも。

 

「──たす、けて」

 

 その一言を吐き出すには、かろうじて足りたようだった。

 それだけを言い残して。通信機の向こうに送り出して、千束の左手は力なくアスファルトに落ちた。

 

 ○

 

「女二名の停止を確認した。行け」

 

 千束とたきなが固く冷たいアスファルトに倒れ伏している地点から東へ二百メートルほど。

 ペストマスクに四眼ナイトビジョンを付けた男が、通信機越しに指示を飛ばした。M4A1のブースター付きホロサイトから、ゆっくりと顔を上げる。

 そして、タンカラーとブラックカラーの二色がちりばめられた銃本体の、アンダーバレルに装着してあるグレネードランチャーへ榴弾を込めた。

 

「……仕事か」

 

 敵の分隊長を生け捕りにする。

 依頼である限り、基本的にそれは守るつもりである。報酬のため。明日を生きるため。

 しかし、ペストマスクの男は。

 

 ザイーツは。

 

「…………」

 

 M4A1のマガジンを取り換えてから、腰にぶら下げたスコップに軽く振れた。

 刃のついたスコップ。土汚れに交じって、血液の付着もあるスコップ。

 

 ザイーツは歩き出した。カーディナルホテルへ向かって。ゆっくりと、四眼のナイトビジョン越しに暗闇の世界を視認しながら。

 二日間、寝ていない頭を緩く振りながら。

 

 ○

 

「シャーマン」

「どうした」

 

 カーディナルホテルより南東へ百メートルの地点。

 路地から路地へ。暗闇から暗闇へ。分隊長であるザイーツの指示を受けて移動を開始したシャーマンとイワンの二人は、大通りから北側の様子、つまりホテル方向を睨んでいた。

 横へ並んだイワンが一つ舌打ちをしてからシャーマンへ視線を送る。

 

「結局、隊長はここ二日ほとんど寝ていない」

「あぁ、わかっている。くそったれ黒服野郎どものせいだ。それがどうした」

「だからマズい。たぶんやりすぎる」

「……そんなにか」

「確信できる」

「急ぐぞ」

 

 駆け出したシャーマンのすぐ後を追ったイワンがだったが、数メートル進んですぐに慌てた様子でシャーマンを呼び止める。ロングバレルのP90を両手に持ったシャーマンは、その銃口をホテルに向けたまま立ち止まり首だけ振り返った。若干の苛立ちを隠さずに。

 

「なんだ? おしゃべりしてたらあいつら死ぬぞ」

「あれを見ろ」

 

 イワンの指さす方向。

 ホテル北側。大通りのさらに向こう。

 

 複数人の動く様子が、一瞬。ほんの一瞬見えた。シャーマンも視認した。瞬間、すぐさま身を低くする。壁に体を付けて全身のシルエットをぼかす。

 

 二度目の舌打ちが汚い路地に響くいた。シャーマンのものだった。

 

「いったい何なんだ。くそったれ。あれじゃもう──」

 

 二人は。

 身長が優に190cmはある大男の二人は。

 うんざりするようにそろって首を振りながら、動きを止めた足元に銃口を下ろした。そのまま壁に背を付ける。

 頭にあるのは、ザイーツから前もって伝えられていた交戦規定。

 イワンが通信を繋ぐ。

 

「──こちらイワン。隊長へ」

『なんだ』

「報告。ホテル南東百メートル地点より、黒衣の部隊を確認。数は不明。ホテル入口から五十メートルほど北を移動。指向は西と推測」

『了解。指示を待て』

 

 シャーマンとイワンは、それぞれの武器をセーフティに入れて、長い溜息を吐き出した。

 ホテル北側の敵から視認されないよう、放置されていたトラックの荷台の陰に身を隠す。

 低い姿勢のまま、

 

「……どうするよ」

 

 シャーマンが力なく尋ねた。同じく片膝を立てたイワンは顔を上げて、まっすぐ、シャーマンの瞳を見返した。

 

「さすがに子供の顔面が掘られる姿は見たくない。そうなりそうだったら殺してでも隊長を止める」

「じゃあ真っ黒野郎は? うちの隊長が丁寧に手足をミンチにした顔のいい女子二人は道の真ん中に転がっている」

「調理場で下準備まで整えたメインディッシュってところか」

「最悪の例えだな。でもその通りだ」

「……」

 

 ここに来るまでの道中。偶発的とはいえなぜかその黒服部隊との戦闘が繰り返し起こった。撤退しても、移動しても、撃退しても、行く先々で鉢合わせになった。

 その割に敵から深追いはされていない。目的が見えてこない。

 故にザイーツからは「手出しをするな」と言われている。交戦規定として定めている。

 

「……どうしようかねぇ」

 

 イワンは困り果てた様子で、首をゆっくりと振った。「まったくクソな状況だ。クソが便器にこびりついている。最悪だ」と、シャーマンも同じく息をついた。

 

 そして、二人は数秒の沈黙を持った。

 ホテルの方で銃声が鳴る。ザイーツが千束とたきなを襲撃したポイントよりさらに北側。

 何者かが交戦している。くぐもった複数の銃声。種類も口径も連射速度も違う。

 

 シャーマンは顔を上げた。上げた目線にイワンの視線がちょうどぶつかった。

 

「──イワン、お前よくないことを考えてるだろ」

「お互い様だアメリカ人。鏡いるか? ウサマ・ビンラディンが見たらあの世で震えてちびりそうな目をしているぞ」

「そいつは光栄だ」

 

 シャーマンはP90のトリガー付近にあるセーフティをかちりと動かし、フルオートにした。

 イワンもAK105のセレクターレバーを下げる。フルオートに設定。マガジンを一度外し、リグの中の高貫通弾を詰めたマガジンに換える。

 

「……隊長にはなんて言い訳するんだ?」

 

 シャーマンの問いに、

 

「〝祭壇に黒色が足りないと思いました〟って言っときゃいい」

 

 イワンは鼻で笑った。

 二人の男が、立ち上がった。

 

 




ロシア人×アメリカ人のタッグ、実はイワンとシャーマンの二人だけなんですよね。
まぁ主役分隊が日本人×ドイツ人とかいう舞台国フル無視のお話ですから、ここらで王道を踏襲してもよろしいでしょう。

ところでウサマ・ビンラディンなんて今の高校生は分かるのかしら……?
現社でやる??
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